1990年 初秋 帝国技術廠
「高畑是清、やれやれ思っていたよりも欲望に正直な男だったな」
手元の資料に目を通しながら、小塚三郎技術大尉はぼやいた。
帝国軍技術廠にある小塚三郎技術大尉の執務室は、いつにもまして積まれている書類の山が大きくなっていた。
原因は今小塚が口にした、高畑是清と彼に任した合成食材用調味料の供給だった。
合成食材用調味料については、まずは日本帝国が掲げている前線国家への積極的な支援の名のもと、最優先で前線国家へ向けての供給が始まった。今回はものが食べ物に関する物であるだけに、外務省、農水省が緻密に連携を取っての施策となった。
味も素っ気もない合成食材の味の向上、これには小塚が想像していた以上の大きな反響があった。実際に、前線での士気向上などに大いに役立っていた。
小塚としてはしてやったとり、といったところだったのだが、ここで生け贄、もとい代理人として見いだした高畑が大きなミスを起こす。
前線国家への合成食材用調味料供給に対する反響の大きさに驚きと共に欲目を働かせた高畑は、旨みつまり利潤が少ない前線国家への供給を絞り、大きな利潤を生み出せるであろう後方支援国家への供給を行おうとしたのだ。
しかも前線国家に向けての供給制限の理由が、「長期的な健康に関するデータ採集については不十分であるため、健康面での保証が出来ないため供給を限定する」と言うのに対して、後方支援国家に対するセールストークが「技術大国である日本帝国が誇る安全性が保証された合成食料調味料」となっているあたりが最悪だった。
前線国家からは、猛烈なクレームの嵐が、そして後方支援国家からは、前線国家への説明とは反対のセールストークに対する追求が、主管部であった外務省と農水省に押し寄せてきたのだ。
当然その報いを受けるのは、目先の金に目を奪われた高畑であり、袖の下を受け取りその方針をよしとした農水省と外務省の主管担当者達だった。
結果として、一連の騒動はそれに関わった主な担当者の処分により、事態の収束自体はなされた。
だが事態が収束したとは言え、全く違った主張を行った合成食材の調味料の安全性については、世間から不審の目がそそがれるようになってしまった。
最終的には、これはまずい、と判断した小塚が、仕方なくも自らが表にでることにした。
幸い調味料の作成関係者になぜか帝国技術廠のしかも小塚の名前を高畑が載せていたことで驚くほど事態はスムーズに沈静化した。
「いや、私の名前が売れているのは分かるんだが、専門は戦術機や兵器に関する物なんだぞ。それがなんで畑違いも甚だしい食料分野の安全性検証データに、私が太鼓判を押しただけで皆一様に安心するんだ?」
ぼやく小塚の声を聞いた者たちは口を揃えてこう言ったという。
「だって、小塚技術大尉ですから」
と。
そのおかげで、小塚は外務省と農水省に大きな貸しを作ることになり、太いパイプを作ることが出来たのだが、何か釈然としない物を感じているのも確かだった。
それがなんであるかは、すぐに気づくことになる。
「小塚技術大尉、次の合成食料調味料の案はまだでしょうか?」
それはいつもの帝国軍技術廠の定例会議が終わった後に、不意に訪れた農水省の担当者の口から紡がれた言葉。
ここに来てようやく小塚三郎技術大尉は気づいたのだ。代理人としていた高畑が大ゴケしたことにより、結局自分が矢面に立ってしまったことに。
日々の業務に忙殺される小塚の業務に、新たに食料品分野に関する業務が追加された瞬間であった。
「まあ、この程度の意趣返しは許されるよな」
言って今まで見ていた書類を、廃棄書類の束の上に投げ捨てる。
そこにはこう書かれていた。
農水省第三合成食材技術研究室所属の高畑是清主任、現職を解任され、第一次日本帝国大陸派遣軍の炊事担当班へと降格配属になる、と。
1990年 初秋 リヨンハイヴ(甲12号目標)付近戦線
遠くに見えるハイヴの地上構造物を忌々しげに見つめるフランス軍将校。
それ横目に、司令部に配置された対地ミサイル車両の群れを熱心に眺めるイギリス軍将校。
手元の資料に熱心に見つめるドイツ軍将校。
出された合成食材のおいしさに舌鼓を打つイタリア軍将校。
欧州連合の将校が一同に集う中、マクダエル・ドグラム社特別技術顧問のトマス・ウォーカーは悠然と司令部に用意された来賓用席に腰掛けていた。
これから行われるのは新型兵器の実戦検証。それと同時に、その兵器を各国に大々的にアピールする物でもあった。
失敗は許されないはずのこの場において、兵器開発を行ったマクダエル・ドグラム社のウォーカーの顔には緊張の色はなかった。
ミサイルに搭載されている爆薬、M01の性能はさんざん実験し、まったくの問題がないことがすでに証明されている。
問題は肝心要の新型ミサイルが正常に動作するのか、そしてそれが果たして予測されている通りの効果をもたらすのか、であるが、これについてはウォーカーは微塵の心配もしていなかった。
なにせ新型ミサイル組み立て時に起こるであろう些細な問題点などがこと細かに指摘されていた手順書。そして全てのケースを網羅したかのようなチェックシーケンス。
いずれも日本帝国軍からもたらされたものだ。
それらがなければ、整然と並ぶミサイル群の幾つかは動作不良を起こし、幾つかは本来の性能を発揮できずに撃墜されることだろう。
あれほどのものが作られる技術蓄積、それがこの期に及んで通用しないなど、ウォーカーはつゆとも思っていなかった。
「フランス軍所属第7師団第4戦術機甲大隊のBETA陽動作戦、順調に推移しております。予定通りであればあと5分でミサイル射程圏内にBETA群を補足できます」
司令部に響く戦域管制官の声に、司令部内の空気が一瞬にして変わる。
皆一様に大型スクリーンに映し出される戦域マップへと目を向ける。
「BETAの構成は、いつもの通り突撃級を先頭としたものか。いいか、今回の目的は陽動だ。攻撃は必要最小限にしろと、現場に徹底させろ」
「はっ、了解しました」
フランス軍将校から檄が飛ぶ。それを戦域管制官が戦術機甲大隊選任のCPへと伝える。
横ではようやくイタリア軍将校が合成食材を食べ終わっていた。
「げふっ」
とか言っていたが、全員スルーしている。いつものことなのだろう。
「ところで今回試験導入した地下侵攻検知用振動計の反応はどうですか?」
ウォーカーがフランス軍将校に尋ねる。
「ああ、あれですか。一応作戦中に設置をするように指示を出していますが、本当に存在するのですか?地下侵攻用のBETAなど」
「ええ、かなりの確率で」
答えたウォーカーだが、半分ははったりだ。なにせそのようなBETAが存在するなど、自分たちでさえ知らないのだから。
とは言え決して根拠がないわけではない。今までに起こった大規模地下侵攻、その際に必ずと言って良いほど検出される特定の振動パターンが、今回作られた振動計が検出するパターンと一致するのだ。
「!?地下侵攻検知用振動計に反応あり。現在地下を戦術機甲大隊を追うように移動中」
ざわっ、と司令部の空気がどよめく。
「早速生きてきましたな」
内心の安堵を押し殺し、さも当然と言った態度でウォーカーが声を出す。
「まさか、本当に存在するとは。だとすれば、この地下侵攻検知用振動計が今後の戦況にもたらす影響は計り知れない!」
興奮気味に話す各国の将校達を尻目に、ウォーカーは一人考え込んでいた。
新種のBETAがいた、それはいい。だが、どうやって日本はその情報掴んだのだ?あの国は前線国家ではない。BETAの情報の収集など限られたレベルでしか行えないはずだ。
何度考えても答えが出ない問答、それを再度繰り返し始めたウォーカーの思考を戦域管制官の声が引き戻す。
「戦術機甲大隊、目標ポイントを通過、BETA群ミサイル射程圏内まであと1分!」
「よし、第一波ミサイル搭載車両、ミサイル発射のカウント開始!」
「第一波ミサイル搭載車両、ミサイル発射のカウント開始せよ」
フランス軍将校の指令を各ミサイル搭載車両へと告げる戦域管制官の声が、司令室にこだまする。
室内の興奮の圧力が上がっていく。
「カウント30を切りました」
司令部に詰める将校の目は、眼下に整然と並ぶミサイル車両に釘付けだ。
「カウント10、9…」
ついにカウントが10を切った。
戦術機甲大隊は安全圏まで下がっているが、BETAの侵攻は止まる様子がない。
「1、ファイア!」
号令と同時に、ミサイル車両から10発のミサイルが放たれる。
放物線を描いて水平線の彼方へと飛んでいくミサイル達。
固唾をのんでその先を見つめる司令部の将校達。
ごくり、と誰かののどが鳴る音が大きく司令部に響く。
「レーザーだ!」
誰かが叫んだ。見ると確かにミサイルが消えていった先から、空へと向け放たれるレーザーが見て取れた。
昼でも視認できることから、重光線級のものだろうと予測される。
それが複数、ミサイルは全て撃墜されたのだろうか?
「メインミサイル、全て反応消失」
失望の声が漏れた、その次の瞬間、地平線の向こうから大きな閃光が見て取れた。
「サブミサイル着弾を確認。サブミサイルの着弾率…これは!?」
「なんだ、どうした?」
「サブミサイル着弾率、85%。100発中、85発の着弾を確認。敵BETA群の前衛壊滅。後衛のレーザー級の50%以上を駆逐」
興奮が、司令室を包んだ。
ウォーカーも声を上げたいのをぐっと堪えた。まさか、これほどとは。
「地下侵攻検知用振動計より感あり。地表出現予測ポイント、でます」
「どこだ?」
「先ほどの敵前衛壊滅地点よりも9時方向に4Km移動した地点です」
「いいぞ、第三波ミサイル搭載車両は照準を変更、第二波ミサイル発射後に、地表にのこのこ出てきたBETAを駆逐しろ!第二波ミサイル発射のカウント開始しろ!」
先ほどまでの事務的なものではない、どこか狂的な熱気を帯びたカウントダウンが司令部内に響きわたる。
ウォーカーは確信した。間違いない、この兵器を作ったのは天才だ。しかも人類の限界を超えた天才だ。
小塚三郎技術大尉、欲しい。彼が、彼の持つ英知が欲しい。
いや、せめて一度会って話がしたい。
そんな彼の思いをよそに、ミサイルの第二波が放たれる。
先ほどに比べて圧倒的に少ないレーザー光線。それでもその数は十をくだらない。
だがそれはもはや脅威ではない。
「メインミサイル、全て反応消失」
普通なら絶望をもたらす反応消失の知らせも予定調和。
遅れて着弾の閃光。
「サブミサイル着弾を確認。サブミサイルの着弾率94%。100発中、94発の着弾を確認。敵BETA群壊滅!繰り返します、敵BETA群壊滅!」
「おおおおおおお!」
司令部の歓声はもはや絶叫の域に達しようとしていた。
「まだだ、まだ終わらんよ!地下侵攻検知用振動計の反応と、第三波の準備はどうなっている?」
「敵地表到達までの予測時間およそ2分、ミサイル車両の展開完了まであと1分」
「よし。2分後にカウントをスタートだ」
「了解しました。2分後にカウントをスタートします」
もはやこの実戦評価の成功は、誰の目にも明らかだった。
わずか30発の新型ミサイルがもたらした戦績は、死者0、敵BETA1個師団規模壊滅、という劇的なものだった。
まさにこのときが、「因果律への反逆」が公然と歴史に対して牙をむいた瞬間だったのかもしれない。