“まつろわぬオーディン”が顕現した頃、衛宮士郎たち四人は未だ空港でドイツ結社の案内人を待っていた。
「所で士郎、
ドイツに顕現するであろう“まつろわぬ神”の中で、最も可能性の高い神は何でしょうか?」
「……、有名所では『北欧神話』の神々だろう。しかし、何故ゲルマン系民族に伝わる神話がドイツに関係するかと言うと……4世紀〜5世紀にかけてヨーロッパから北アフリカで起きたゲルマン人の大移動が関係している」
アルトリアが士郎にこの事を訊ねた理由は、彼女がこう言った歴史的な知識が無い事に由来している。
正確に言えば、全く無い訳ではない。王としての時代に学んだ事も在るだろう。
しかし、現代と比べてしまうと明らかに情報が少ないだ。
何しろ、本来の彼女の時代にはそういった知識や見解が少な過ぎたと言えるのだから。
「この大移動によって、東ゲルマン民族はローマ人などに同化されたが、西ゲルマン人はドイツや君の祖国イギリスの根幹を築いた。そう言った理由で、北欧神話の神が現れる可能性が高い。他に可能性を上げるなら、英雄べオウルフ辺りだろ」
「べオウルフ、余り聞かない名ですね」
「彼は、デンマークを舞台として活躍する英雄だからな。しかし彼は、現在伝わっているゲルマン諸語の叙事詩の中では、最古の部類に属している。同じゲルマン系である以上、彼が“まつろわぬ神”として顕現しない可能性が無い訳ではない」
其処へ、士郎たちから離れて連絡を取っていたルディアと凛の二人が戻って来る。
「何の話をしているんだい?」
「いえ、士郎にこの地で誕生するであろう神が何か聞いていました」
「なるほど。しかし、それならタイミングが良い」
「丁度、今――相手方に連絡を入れたら、一部の幹部が色々と情報を送ってくれたわ」
「それで、未だに迎えが来ない理由はやはり……」
士郎の問い掛けに凛は、頷きを返して話す。
「ええ。一部の幹部を除いて、ほぼ全ての幹部が自分の手の者を“まつろわぬ神”に向けたそうよ。私達の方に迎えが来なかったのは、そいつらが迎えの邪魔と妨害をしているんじゃないかって言っていたわ」
「そこで、これ以上邪魔をされるのを迷惑なんで――迎えの人達には、そのまま陽動をして貰う」
「で、陽動をして貰っている内に私たちは自分の足で現地に向かう事にしたわ」
「なら、タクシーでの移動か?」
「そんな、無駄遣いする訳ないでしょ。車よ、く・る・ま。ルディアと二人で、車の準備をしたから――士郎、運転宜しくね」
そう言うと、士郎は一言了解の言葉を言い。凛に
車の場所を訊ねた後、車の元へと向かう。
士郎が車の方へと向かうと、アルトリアが凛とルディアに声をかける。
「凛、ルディア。それで、顕現する“まつろわぬ神”が何か分かりましたか?」
「ああ。しかし、訂正が在る。“まつろわぬ神”は既に、顕現した。しかも、北欧の主神――“まつろわぬオーディン”だ」
「なるほど、士郎の予想通りでしたか。しかし、士郎も運が悪い。二度目にして、北欧の主神ですか」
「そうね。でも、士郎だけなら兎も角――アルトリア、貴女も居るんだから大丈夫でしょ」
「凛、余り期待されても困る。事前に言いましたが、今の私は聖杯戦争当時とは全く違う。“まつろわぬ神”がどの程度か知りませんが、今の私ではサーヴァントを相手にして十分と持たないでしょ」
アルトリアの言葉に凛は、彼女の今の状態を思い出す。
(そうだった。今のアルトリアの体は人形で、|聖剣《エクスカリバー》も無かったんだ)
それでもアルトリアの魔力は、普通の魔術師に比べれば比較出来ない量を有している。
では何故、凛がその事を知っているかと言うと――アルトリアが士郎たちの前に現れた日の夜、彼女から自分の体の事について説明をしたからである。
『目が覚めたら、マーリンの置手紙が在り。其処にこう書かれていました』
そう言って、アルトリアは一枚の紙を士郎と凛の前に広げる。
『アルトリア。王の責務、御苦労じゃった。今しばらく、羽を休ませよ。しかし、その体は世界に引っ掛かる。故に、アルトリア本来の体では無く――人形の体を用意した。安心なされよ、その人形の体は竜の因子と膨大な魔力を持たぬ事を除けば――普通の人と何ら変わらぬ。 存分に私を楽しませて下され。 マーリン。 by,空白は火で炙られよ』
そして、手紙の一部――『存分に私を楽しませて下され』の部分が違う事から、この一文が元は空白で合った事を示していた。
『今、考えるとマーリンは元から――シロ……士郎と凛の元へ送る気だったのでしょう。悪質にも程が在ります』
それに対する凛の言葉は
『なんて言うか、セイ……アルトリアも苦労しているのね』
だった。
凛も士郎が世界を回っている時、大師父に出会い――弟子にして貰ったものの、その時の苦労は並大抵のモノでは無かった。
それ故に、アルトリアの苦労が理解出来たのである。
そして、そんな事情を知らないルディアが
「それでも、十分も持つのか。アルトリア、君の技量と魔力は如何なっているんだ?」
と半ば呆れた声で言う。
入口のまでの道すがら、ルディアの質問を上手く誤魔化し――空港の入り口に辿り着くと、士郎が車で迎えに来るのを待つ。
――◆◇◆――
車に凛とアルトリアにルディアを乗せ、俺は“まつろわぬ神”が誕生した都市に向って移動している。
ルディア曰く、“まつろわぬ神”が現れた場所は――ドイツの地方都市、エッセンらしく。
東に隣接するボーフムに行けば――直接、結社の者と会える手筈になっているとの事。
俺は車を動かしながら、これから向かうエッセンに付いて考える。
エッセンはルール工業地帯として繁栄した都市で、確かエッセンには――ルール工業地帯最盛期にユネスコ世界遺産に登録された、ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群が存在した筈。
ソレを思い出し、小さく呟く。
「出来るなら、世界遺産と関係の無い地域に居て貰いたいモノだ」
その小さな呟きは隣に座る凛に聞こえたらしく、
「大丈夫だと思うわ。市北部だから、相手が移動する様な事が無い限り……」
と声を掛けたきた。
後ろでは、ルディアがアルトリアにオーディンの事を説明している。
「オーディンは、ローマの神話の商業神『メルクリウス』とギリシア神話の青年神『ヘルメース』と同一視されている」
「商業神に青年神ですか」
「ああ。メルクリウスは、知略と計略に長けている事から同一視され。ヘルメースは、死者、特に英雄の魂を冥界に導く死神としての一面を持つ。この事から、タキトゥスは北欧神話のオーディンと同一視をしている。この考えに至ったのは、愛の神『フレイヤ』の夫、激情を意味する『オーズ』が関係していると見ている」
凛もルディアの話に続いて、意識を其方に向けて言葉を話す。
「ルディア、その理由だけど――私が当てて見せるわ」
「では、此処からはMs,トオサカにお任せしよう」
「そうね、聞いて貰えるかしら。オーディンの妻『フリッグ』は、愛と結婚に神で豊穣の神。『古エッダ』の『巫女の予言』では、フリッグの別名『フリーン』が出て来るわ。このフリーンが同じ愛の神フレイヤと似ている上に、それぞれの夫も似ている事から同一視されてもいる。また、このオーズとフレイヤの夫婦とオーディンとフリッグの夫婦は少なくない共通点が在るの。まず、どちらの夫も旅に出る事が多い事。戦死者の半分がオーディンのものになるけど、残りの半分は妻のフリッグでは無く。フレイヤが持って行くわ。これらの事から、オーディンとフリッグがオーズとフレイヤと言う名で信仰されていた時期が在ったのか――もしくは、それぞれを若い年代の名前であったと考える研究者も居る。タキトゥスもそんな考えの一人と考えれば、ヘルメースと同一視する事も可笑しな事じゃないわ」
凛はそこまで言って後、「如何、違う?」と言った表情で後部座席に座るルディアを見る。
其れに対するルディアの答えは
「Ms,トオサカの考えは、私の考えと同じだ。私の言いたい事を、全て言われてしまったか」
だった。
「それじゃ、私からルディアに訊ねるわ。オーディンが魔術の達人と言われているけど、これは如何いった形態の上で最高神に上げられたか答えて貰えるかしら」
「いいだろ、Ms,トオサカ。オーディンが何故、最高神で在るかと言うと――これは『三機能体系』、または『三部イデオロギー』が関係している。この三機能体系を発見したのは、フランスの比較神話学者デュメジル。彼はインド・ヨーロッパ諸族の神話を形成しているこの三部的世界観を、三機能体系・三部イデオロギーとも名づけ。その三種の身分の役割に対応する自然の摂理を、それぞれ『第一機能』『第二機能』『第三機能』とよんだ。この三機能体系が示す事は――インド・ヨーロッパ諸族の人間社会は、第一機能の王を含む司祭たち、第二機能の戦士。それと、これら二種の支配者に服属して食糧と富の生産に従事する庶民を表す第三機能の三階級で構成されると考えられる事だ。この構成に対応する三種の原理或いは力の共同が、宇宙の運行の為にも不可欠と信じられいる。その根強い観念によって、インド・ヨーロッパ諸族の神話は支えられ、また組み立てられている。更に、この三機能体系に従って神界も、魔術を使って宇宙に王として君臨する第一機能の神々、風・雨・雷・稲妻など自然現象を起こしながら悪魔的現象と戦う第二機能の神々、地上の豊穣と生殖及びその条件でも在る平和、健康、美などを司る第三機能の神々、その三種から成り立っていると考えたのだろう。最も主要な第一機能神は二柱の最高神で、一つは神秘的かつ魔術的な神、もう一つは司法者的・司祭的な神とされる。これに当て嵌まるのが、オーディンだ」
凛の問いに応えるルディアも、先程の凛と同じ様な表情をして見る。
「そうね、私も同じ考えよ。付け加えるなら――前者はインドの『バルナ』・古代ローマの『ユピテル』などに、後者はインドの『ミトラ』・ゲルマンの『チュール』らに表わされているわ」
凛がそこまで言うと、俺の後ろから空腹を知らせる音が鳴った。
その音を聞き、俺は少し笑ってしまった。
「凛、ルディア。時間も丁度良い、そこのレストランで昼食を取ろう」
「すみません、私の為に説明をしてくれていると言うのに……」
車を運転している俺からは見えないが、アルトリアの顔が赤くなっている事は容易に理解出来る。
――◆◇◆――
士郎たちが昼食を取り、ボーフムに辿り着いた時は既に日暮れになっていた。
日暮れのボーフムで佇む士郎にたちに向って、一人の女性が近づいて声をかける。
「始めまして、八人目の王――衛宮 士郎様。私、結社から衛宮様の案内を任された者です。この度は、我が結社がお呼び上げたと言うのに、ご迷惑をお掛けして申し訳御座いません」
女性の言葉に凛が
「本当よ。そう思うのなら、組織内での揉め事を先に片付けておけっての」
と不機嫌を隠さずに言う。
そんな凛を士郎が宥め、アルトリアとルディアが女性に“まつろわぬ神”の事を訊ねる。
そして士郎が凛の機嫌を宥め終わると、二人に“まつろわぬ神”が現在――何処に居るのか訊ねる。
その問いに対し、何とも言えない表情を浮かべたのはルディアだった。
「シェロ、“まつろわぬオーディン”だが……此方に向って移動している。それで此方も向うと、如何してもツォルフェアアイン炭鉱業遺産群の近くで戦闘になる可能性が高い」
士郎はそれに少し考えた後
「…………。出来るなら、世界遺産であるツォルフェアアイン炭鉱業遺産群の近くでの戦闘は避けたい。何処か開けた場所で、世界遺産や周りに影響が無いような場所は無いか?」
と訊ねる。
その言葉を聞き、女性は車から持ってきた地図を広げる。
士郎たちと女性が、車の上に広げられた地図を眺めていると……アルトリアが一つの場所を示す。
「士郎、此処などは如何でしょうか? 地形的にも、被害は少なさそうです」
彼女が示した場所は、炭鉱近くの廃村だった。
「なるほど、確かに廃村ならば周りを気にせずに済む」
「それじゃ。行き先も決まった事だし、急ぐわよ」
そこで女性が
「自分が運転しますので、衛宮様はお待ち下さい」
と言ったが、士郎は
「悪いが、元々四人用の車を借りて来たので……これ以上の人が乗る事が出来ない」
と言って断わりを入れた。
そして車のエンジンを入れた時、士郎は女性に対して一つの頼み事をする。
「済まないが、念の為に人避けの結界を張って於いて貰いたい。私の国には、念には念をと言う諺も在るのでね」
「了解しました、衛宮様。それと……此方の方から人員を割く事も出来ますが、人員の方は如何なさいますか?」
「いや、人員の方は必要ない。流石に其方の方にまで、手が回らないと思うからな。出来るなら、人避けの結界を張った後は引いて欲しい」
「ではその旨、結社の方に伝えておきます」
女性は、その言葉を話すと同時に頭を下げて離れる。