夜の帳がおり、天空を雲が覆い冷たい雨が降りしきる中、ローブを被った女性が一人、薄暗い道を歩いていた。
その光景は、一言で言えば異様だった。
女性の息は荒く、その足取りは重い。ローブは紅く染まり、所々破けている。雨に濡れた布は肌にぴったりとくっついて、意外に豊満な線がくっきりと浮かんでいた。
暫くふらふらと歩いていた女性だが、道に転がる石に躓き体勢を崩した。反射的に体勢を立て直そうとしたが、数歩で力尽き、道の脇の林に倒れこんでしまった。
そのまま、女性は動かなくなった。
「・・・・・・ハァ、ハァ・・・流石に、限界ね。むしろ、今までよく持ったというべきかしら」
弱弱しい女性の独白は、雨に紛れて消えた。
女性は、諦めていた。
元々、勝手に喚ばれただけなのだ。何を、必死になる必要がある。
(・・・・・・裏切の結果、身を滅ぼす。結局、それが私の因果なのかしらね)
女性は、自嘲的な笑みを浮かべた。
始めから、分かっていたことだ。そうそう自分の都合のいいように、事が運ぶわけが無い。因果のせいにしたところで、それを想定した上での行動だ。
全て、覚悟していた。
覚悟していた、筈なのに。
どうして、こうも生き足掻こうとするのか。まさか、死が怖いとでもいうのだろうか。
分からない。分からないが、それはとても滑稽に思えて、女性は天を仰ぎ唇を歪めて呟いた。
「はぁ・・・・・・・・・私、醜いわね」
空は、何も答えてはくれない。同意も、否定もない。ただ、無慈悲に冷たい雨が落ちてくるだけだ。
それが、答えの様な気もした。
(あぁ、せめて最期くらい、綺麗な月を見たかった・・・・・・)
厚い雲を恨めしく思いながら、女性は目を閉じて・・・・・・・・・・・・・・・
「貴女は、醜くなんかないわ」
そんな、声がした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
幻聴かと耳を疑ったが、確かに前方に何者かの気配がある。
こんな自分に声をかける酔狂な人物は、どんなモノかと目を開けるとそこには
「大丈夫?・・・・・・な訳はないか」
紅い宝石のような双眸が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
正体は、年端もいかぬ少女だった。恐らく15、6歳と思われる。
女性は、少女を見て声が出なかった。
それには、どうして少女が自分に声をかけたのかという疑問もあったが、何よりも、その少女の容姿と気配が原因だった。
少女の白い髪は闇の中でより一層白く映え、瞳は優しく温か紅い光を湛えている。容貌は人形のような精緻な作られたような美しさがありながら、幼さが見え隠れする顔立ちは可憐さと可愛らしさをより際立てていた。
女性は、少女の雰囲気に呑まれていた。凛としながら、慈悲と厳しさが同居しているような、少女の不思議な佇まいに。
つまり、それがどういうことかといえば、言葉にすれば簡単なことだった。
女性は、少女に見惚れていた。
「ん?・・・もしかして喋れない?」
「え?・・・いいえ、その」
女性は、思わず口ごもった。
神代を生きた自分が、不覚にも少女に見惚れてしまったことに戸惑い、少女の自分を気遣う視線を理解できずうまく言葉を発することが出来なかった。
それでも、何とか女性が言葉を紡ごうとしたその時、新たな気配が唐突に現れた。
「そこにいるのは、衛宮か?」
暗がりから足音も静かに現れた、深緑のスーツに身を包んだ男性は、少女を指して衛宮と言った。
衛宮。本名を、衛宮志保。
穂群原学園二年C組、弓道部所属の彼女は、同級生の柳洞一成に所用があり、一成の家である柳洞寺へ赴き、その帰りに女性と出会ったのだ。
女性が倒れていたのは、柳洞寺の麓の草むらだった。
「はい。そういう葛木先生こそ、こんな所にどうしたんですか?この先には、柳洞寺くらいしかないと思いますけど?」
志保は慌てることなく、男性、葛木へと視線を向ける。
女性も、葛木へ目を向けた。
葛木は、志保が葛木先生と言った事から分かる通り、学校の教諭である。
穂群原学園二年A組担任、生徒会顧問、というのが現在の葛木の肩書き。
「私は帰宅途中だ。現在、柳洞寺へ厄介になっている」
「・・・そうだったんですか」
志保は意外そうな表情を浮かべた。全くの初耳だった。一成からそんな話は一切聞いていない。
まあ、べらべらと喋る必要がある内容でないのは確かだが、いくら生徒会の用事という正当な理由があったにせよ、同級生の女生徒を家に招くのだから、学校の教師が居候していることくらい話しておいてほしかった。
(というか、一成ってそういうの気にならないのかな・・・)
正直、志保は一成のことを異性としてみていない。というより、友人、親友と思っていた。
そこに恋愛感情がないなら、異性が異性の家に遊びに行くのに何ら問題はないだろう、と志保は思っている。通常であれば、だ。だが、学校の教師が居候しているとなれば話は別である。
何せ、いつ帰ってくるか分からないのだ。いらない勘違いでもされては面倒なことになる。
そもそも、教師に見つかった時点で色々アウトだ。
葛木が話を聞いてくれる教師だというのは別にしても、一成とてその辺の機微が判らぬ阿呆ではない。
ならば何故、と志保は不思議に思ったのだ。
実の所、一成も普通はこういう場合に気を使う心は持ち合わせている。
ただし、今回は訪問者が志保ということで、頭がうまく働かなかったのだ。つまりは、一成は志保を異性として見ているという事。要は、それだけ。
関係ない話だが、この一件が一成が志保に対して好意を抱いていると自覚する切欠となったのだった。尤も、その好意に志保が気付く日はこないのだが、それはまた別の話。
ともあれ。
問題は、志保自身があまり葛木に関わりたくないということ。
生理的に受けつかないとか、雰囲気が怖いだとか、そういうことではない。むしろ、教師としては好印象をもっている。
それ以外の事柄で、志保は葛木を警戒していた。
葛木は、普通の教師とは違うのだから。
「む・・・それは?」
葛木は草むらに倒れている女性に気付き、視線を送る。
「その女性は、お前の知り合いか?」
「いいえ。違います。ですが、ここに倒れていたので、手当てをしようと思いまして」
暫し、三者が見つめあったまま、沈黙が続く。
その中で、女性に限界が来たのか、眠るように気絶した。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
女性が気絶したのを確認した志保は、視線で、どうするのかと葛木に問う。
対する葛木は、数秒の熟慮の結果、口を開いた。
「柳洞寺で手当てをする。衛宮は」
「私も行きますよ。その人は、私でなければ治せない・・・・・・お分かりでしょう?その人が普通で無いことくらい。裏を生きた貴方なら」
帰れ、と続けようとした葛木だが、志保に遮られた。
葛木は志保の言葉に若干驚きを見せるも、表情には出さずおもむろに傘を閉じ、志保に手渡す。当然雨に打たれることになるが、気にせずに女性の体を抱え志保に背中を向けた。
「・・・・・・・・・・・・分かった。ついてきなさい」
そう言うと、葛木は柳洞寺の階段を登り始めた。志保もそれに続く。
一成が見たら驚くだろなーと思いつつ、志保は携帯電話を手に取る。夕飯は遅くなる、と家に連絡するためだ。
これから、ほんの少し長い夜が始まる。
それは、裏切りの魔女と朽ちた殺人鬼の出会い。
NGシーン
女性は、少女に見惚れていた。
「ん?・・・もしかして喋れない?」
「え?・・・いいえ、その・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああぁぁぁあああん、もう!何でこんなに可愛いの!!」
「きゃっ、何!?」
「お肌はもちもちでぷにぷにでぇ〜、髪はいい匂いするし、結構胸も大きいしかなりの高スペックね。っていうか、もう顔が私の好み・・・」
「っやめんか〜〜〜〜!!!」
「へぶっ!?」
志保はキャス・・・もとい、女性の拘束から逃れ、女性に当身をくらわせ気絶させた。
「はぁ、はぁ・・・何だ、十分元気じゃない・・・・・・っていうか、そういうのは桜だけで間に合ってるのよ」
「・・・衛宮」
「えっ、えっ!?葛木先生!?」
暗がりから現れた葛木。彼は、事の一部始終を見ていた。雨の中、謎の女性に絡まれる自分の高校の女生徒。そして女生徒が女性を気絶させる様を。
さて、この状況、どうすることが正解になるのか。
葛木でさえ、解を瞬時に出すのは不可能だった。
「えーと、とりあえずこの人のこと任せます。そのうち消えるかもしれませんけど、在るうちに目覚めたら事情聞いて、あと好きにしてください。ああ、場合によっては敵になるかもなんで、その時はよろしく。じゃ、そういうことで」
そう言うと、志保は早足で去っていった。
残されたのは、気絶した女性と、立ち尽くす葛木だけだった。
「・・・・・・むぅ」
おわり