1992 晩春 統一中華戦線 作戦立案部
「スワラージ作戦か」
作戦立案部のまとめ役を務める関大将が戦域図をながめながら呟く。彼は、50代半ばのややたるみをましつつある体躯を、中華統一戦線に属することを意味する軍服に押しつつんでいる。蓄えたひげは、彼と同姓の美髯公関羽に勝るとも劣らない立派な物だが、彼をよく知るものは決してそれを引き合いには出さない。お世辞ならともかく、その性はかの美髯公とは比ぶべくもない俗物だからだ。
「我々に協力要請がきているのは、武器弾薬に関する後方支援だったか?」
「ふむ、その程度あれば問題のではないですかな?近年のBETA東進の停滞により、武器弾薬の融通は利く。もっとも、適正な価格での買い取りはお願いしますがね」
関大将の問いを受けた、馬中将が嫌らしい笑いをこぼしながら答える。こちらは40代後半。身体が資本とも言える軍人とは思えないほどたるんだ体つきだ。だらしなく垂れ下がった頬肉からもそれは見て取れる。
「適正な価格ですな。なるほど。我々は最前線、武器弾薬は金にも勝る生命線ですからな」
孫中将もそれに追随する。彼の頭は見事にはげ上がったており、側頭部に申し訳程度に髪の毛が付着している。彼ら前線とは無縁の将軍達にとっては、全ては数字で把握されるものであり、そして数字で勘定される限りいくらでも換えの聞く物であった。
前線で恐怖のあまり糞尿を垂れ流し、BETAに喰われていく衛士や軍人も、絶望と無力さに歯がみしながらも必死に生き延びようとする民衆も、等しく1という数に集約される物であり、それ以上の物ではない。
「そういうことです。アフリカ連合と東南アジア連合がなにやら血気はやっているらしいですし、せいぜいがんばってもらいましょう」
馬中将が我が意を得たりと頷く。
「しかし、万が一にでもハイヴ攻略がされるとなると、G元素がやつらの手元に渡ることになりますが?」
1人だけ周りの将軍の会話を忌々しげに聞いていた趙少将が苦言を呈す。三十代前半の軍人らしく鍛え上げられた身体、そして、強靱な意志を宿す瞳。彼だけが、この汚泥のような腐った意志の集まりを寄せ付けずに佇んでいた。
「ふん、ばかな。相手はあのBETA。しかも巣窟であるハイヴだぞ。いくらレベルが3程度とはいえ、成功するとは思えんな。そもそも、われわれがここまで押し込まれたのも、あの忌々しい化け物達のせいだ。それを国連主導の寄せ集め部隊どもが攻略できるとは到底思えん」
バカにしたように関将軍が反論すると、周りの人間もそれに追随する。
「全く、そのとおりですな。趙少将、君の心配は杞憂というものだ。奴らがハイヴを攻略することなぞ、決してありえん。まあ、我らが統一中華戦線が協力でもすれば、話は違ってくるがな」
「ならばなぜ、声を上げないのです!今はBETAの殲滅こそが唯一の正義のはず」
階級差を気にせずに趙少将が食って掛かるが、相手は戦場での駆け引きよりも政治での駆け引きを得意とする連中ばかりだ。現場上がりの趙少将の声など、簡単にかき消されてしまう。
「参加要請もないのにか?それは国連にとっては、余計なお節介というものだよ。それにだ、それにだよ、趙少将」
侮蔑の色を隠そうともせずに、関大将が趙少将を見つめる。
「我々には我々の祖国をBETAどもより奪い返し、そして守るという崇高な使命がある。国外の些事に関わり合っているひまどないのだよ」
うそだ。そう叫びそうになるのを必死に堪える趙少将。ここ数年の不可解なBETA東進の停滞により、統一中華戦線にはかなりの余裕が生まれてきている。
それにも関わらずにオリジナルハイヴへの積極的な攻勢をしかけないのは、ここにいる作戦本部の指示であることは分かっている。
ではなぜか?
答えは簡単だ。彼らがいっているように、彼らの力ではオリジナルハイヴを落とすことが出来ないことが分かっているからだ。
それならばせめてオリジナルハイヴ周辺の戦力を削る間引き作戦だけでもと思うのだが、彼らは専守防衛をとき積極的な攻勢に打って出る気配は全くない。
下手に手を出して被害を被れば責任を負う必要がある。そんな責任は負いたくはない。
たった数年、BETAの侵攻が停滞しただけでここまで上層部は腐ってしまった。
以前であれば、それでもなお勇猛果敢にBETAに立ち向かい、祖国の大地に散っていった戦友達の意志に報いようとしていただろうが、政治上層部のくだらない政争駆け引きに軍部の司令官の役職が利用され始めてから腐敗は進んだ。
このままではBETAが東進を再開したときに残る領土を守りきれるだろうか。
趙将軍の懸念は時を追うごとに増していくのだった。
1992 初夏 欧州連合 各国首脳会議
「ではフランスは今回のスワラージ作戦に大々的な支援を行うと言うことでよろしいのですか?」
議長国であるイギリスの大使を前に、フランスの大使は優雅な笑みを浮かばせ頷いた。
「ええ、人類の通常兵力によるハイヴ攻略。この作戦にはそれだけの価値があります」
「我らドイツ軍も同様に援助を国連に打診する予定です」
難い雰囲気を纏わせたドイツ大使もフランス同様にスワラージ作戦への協力の意志を示す。
それに追随するかのように、数カ国の協力参加表明があった。
なにがあるというのか?
議長国であるイギリス大使は考える。
ほんの数ヶ月前まで、殆ど全ての国は今回の作戦については静観の構えを崩していなかった。
それが変わったのはひとえに、日本帝国の動向であろう、そう彼の考えは行き着いた。
日本帝国軍の参戦、しかも二個戦術機甲連隊だ。さらには、最新式の試作兵装の前線投入も考えているという。
この情報が世界を駆け巡った際に、各国に大きな動きが見られた。
今までの日本帝国の働きから、彼らが参加する作戦、指揮する戦闘については、必ず一定の成果を得ることが出来るということは周知の事実だ。
そんな彼らがハイヴ攻略作戦に参加する。
つまりそれは勝算があってのことなのだ、とほぼ全ての国は確信した。
日本帝国はその勝算を持ってして、二個戦術機甲連隊の派遣を決定し、スワラージ作戦への参戦を決定したのだ。
ならばこれは勝ち戦。それをおめおめと見過ごす手はない、というのが各国の一致した思惑だ。
「ふむ、そういうことなら我らがイタリア軍も協力するのにやぶさかではないな。なにせ、インドは旨い茶が取れる。インド人女性も魅力的だ。そんなところをいつまでもBETAごときに占領されるのは、昼食後のシェスタを邪魔される以上に我慢ならんのでね」
「なるほど、それでは欧州連合の殆ど全てが参加をするということになりますね」
イギリス大使が参加表明を表した国のリストを眺めながら告げた。
「それならば正式に国連に対して、欧州連合としての参加を表明したいのですが、いかがでしょうか?」
いかがもなにもない、独自での支援を行うと提案したところで、欧州連合の参加条件などを立てに無理矢理取り下げる腹づもりだろう。
参加している全ての国がイギリスの意図を正確に読み取っていた。一人勝ちは許さない、欧州連合に参加しているからには、平等に負担を受け、平等にその戦果を受けろ、ということだ。
人類史上でももっとも洗練され、その下でもっとも醜い政争を繰り広げ来た欧羅巴圏の国々だ。そう簡単にことを運ぶことは難しいだろう。おまけに今回のまとめ役はそのなかでもひときわ苛烈な歴史を今に伝える国王を抱く国だ。
「それでは支援内容についての簡単な方針だけでもまとめておきませんか?たとえばM01搭載型ミサイルについては、ハイヴの間引き作戦には欠かせない存在。故にこの支援は全国凍結としましょう。となると、武器弾薬などの物資支援と、実際の戦力を支援する方向の二択になると思われるのですが、そのあたりについてを煮詰めていきましょうか」
イギリス大使の進行はよどみなく進んでいく。
しかしその会議はなぜか妙な雰囲気であった。それはなぜかすでにスワラージ作戦が成功することが約束されているかのような想定を元に話が進んでいくことだった。それを不思議に思う者は少なからずいたが、彼らと作戦成功を信じ切っている者たちの違いはただ一つだった。それは、M−01搭載型ミサイルを実際に配備、運用している実績があるかないか、それにつきた。
人々は希望を見たがる生き物である。だが、希望を確信にすら高める何かが、それにあったのでは、と後世の政治評論家はこの会談のことを表している。