1992 晩夏 日本帝国 伊隅邸
その日、伊隅邸では家族会議が開かれていた。
何せ成績優秀で自慢の次女であるみちるが、
「私は衛士になる!」
と宣言し、推薦のあった柊町にある帝国白陵大学付属柊学園をけって、日本帝国軍所属柊町高等部衛士育成学科に進学すると言い出したのだ。
両親はびっくりするわ、姉はおろおろするわ、二人の妹は危ないよといって心配するわでてんやわんやだった。
衛士育成学科とはいえ、一般教養については普通の高等部と変わらないし、それに衛士用のカリキュラムが加わるだけだ。その一般教養についても、かなりのレベルで、下手な高等部など足下にも劣らない。
ある意味軍部のエリート養成所といってもおかしくない。
もっとも、本当にエリートになるためには、その後帝都にある帝国軍事大学に進学する必要がある。しかし、衛士育成学科などの学科に身を置いていれば優先的に進学先の席が用意される。
というわけで軍事関係のエリートになるためには、衛士育成学科に通うことはマイナスではないのである。
とはいえ、みちるは先ほども言ったように成績優秀だ。高校を卒業してからでも十分に進学できるだけの能力はあるはずだし、そもそも軍事関係に進む必要性がまったくない。
折角の十代の青春時代を、軍事訓練関係でつぶさせるのをよしとする家族はそういないだろう。ましてやそれが女の子であるのならなおさらだ。
というわけで、みちるは家族全員からの反対を受けていた。
だがそれくらいで意志を曲げるみちるではない。
「BETAを一刻でも早くぽこぺ、もとい地球から排除するために、私は私の出来ることをしたいの」
必死に両親を説得、特に心配性の姉に対しては、
「大丈夫よ、姉さん。私はBETAよりも怖い存在を知っているから」
と訳の分からないことを言って、無理矢理説得していた。
ちなみに、みちるがやたらと地球をぽこぺん呼ばわりしそうになっていたが、その理由を知るものはこの因果律の流れの中ではいない。
BETAよりも怖い存在というのは、言わずもがなである。彼女の指導を行っているまりもだ。
というか、隆也に懲らしめているときのまりもと言うべきか。思い出すに恐ろしい折檻の数々を受けながらも、その次の日にはけろりとしている隆也も大概と言えば大概であるが。
初めてその光景を見たとき、いつもにこにこ時には厳しいまりものイメージが百八十度変わったのを覚えている。
それはともかく、なぜみちるがBETAの脅威を知っているか。それには理由がある。
隆也が練った精神の能力値向上プランに、BETA戦の実戦映像を見せる、という項目が加わったからだ。
この項目の発想の元になったのは、衛士育成学科に無理矢理組ませたカリキュラムに、BETA戦の実情を訓練生に知らせるためのものだったが、その結果は劇的だった。
中にはその光景のすさまじさに精神的拒絶を起こし、衛士としての将来を断念したものさえ現れた。
ただ隆也が着目したのそこではない、そのカリキュラムを越えることで訓練生の精神の値が驚異的な伸びを見せたことだった。
そのために、マブレンジャーたちへの精神向上カリキュラムに、BETA戦の実戦映像鑑賞が追加されたのは必然と言えるだろう。
もちろん隆也が用意する映像だ。生半可なものではない。通常の戦闘映像に加え、補給部隊が急襲されたときに撮影された映像、駆動系が壊れた上にベイルアウトが不可能になった戦術機に群がる戦車級、その機体内の衛士の最後の絶叫、などトラウマ確定ものの厳選映像の数々だった。試しにまりもに見せたら、あまりの凄惨さにまりもから猛烈な抗議がされたほどだ。とはいえ、結果はしっかりとでており、まりもの精神値は映像を見る前と後で10も違っていた。驚異的な伸びである。
そんな映像をまだ年端もいかないマブレンジャー達に見せることにもちろんまりもは反対するが、
「いざとなれば、記憶をとばすから大丈夫」
と全然大丈夫でないことを言って、上映会の実施を強行した。
場所は「R・T先端紳士技術研究所(ロリじゃないよ紳士だよ)」の地下にもうけられた特別シアターである。ちなみに括弧の中まで含めて正式名称だ。当然所員の評判は良くないが、給料が良いので離職者はいない。
ただ名刺交換をするとき、必ず恥ずかしい思いをしているのは誰もが同じである。ちなみに所長は、藤崎源三郎とかいう壮年の紳士である。彼は様々な意味で紳士であった。
彼と立花隆也との邂逅を語るとどん引きする人多数のため、詳細については割愛する。ただまあ、一言で表す言葉があるとすれば、これはひどい、である。
それはともかくそのシアターに集められたマブレンジャー柊組、詳細を知られていないため滅多に見ることが出来ない娯楽のキネマを見られるとうきうきしていたのだが、その期待は一瞬にして裏切られることになる。
「気分がわるくなったら、渡したエチケット袋の中に思う存分ぶちまけて良いぞ。はい、それじゃ上映開始」
どこか楽しそうな声と共に始まった上映、その数分後に会場は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
武にしがみついてがくがく震えながら絶叫する純夏、首が絞まって死にそうになっている武。顔を真っ青にしながらも画像を見つめる晴子。
泣き叫ぶ遙、がくがく震えながらも精一杯の虚勢をはる水月だが遙と抱き合っているのであまり格好はついていない。ちなみに孝之はエチケット袋2つめと仲良く戯れている。
みちるは、目の前に映し出される映像に恐怖していた。自分たちが何も知らずにぬくぬくと暮らしていることを思い知った。そして、この光景がいつ日本で起きても不思議ではないことに思いを馳せ、愕然とした。
大切な家族達たち、そして同じくらい大切な年下の幼馴染み。目の前の映像と同じことが、いつ彼らの上に降りかかるかと考えると、足下が崩れ落ちるような恐怖が身体を蝕む。
守りたい。
みちるはそう思った。そして、隆也は自分を誘ったときにこう言っていた。
「守りたい者があるのなら、おれが力を与えてやる」
ならばそのためにも、今はこの映像から目を離してはならない。現実の脅威を受け止め、何が最善の選択かを考えなければならない。
上映会が終了してから、いつものおどけた雰囲気を潜めた隆也が皆にこう告げた。
「これがBETA大戦だ。今はまだ日本帝国は大丈夫だが、いつまで大丈夫かなんて誰も保証は出来ない。ましてや、中華統一戦線のバカどもが、腐りきっているからな」
中華統一戦線の上層部が割り当て分のM01搭載型ミサイルを他の前線国家に横流ししているのは公然の秘密だった。おかげで政府中枢部の懐は肥えきっているらしい。
そうなると戦線と化した地域は戦術核の乱用による放射能汚染と、AL弾の重金属汚染にさらされることになる。
いつも犠牲になるのは一般市民だ。隆也の瞳に怒りがともるが、それだけだ。彼にとっては、目の前にいる因果律により死亡を決定づけられている者たちを救う方が優先順位が高い。
良くも悪くも隆也は、別世界の平和な日本のメンタルが基礎となっている。地球のどこかで飢餓で餓えている人がいても、心を痛めることはあってもそれだけだ。自分の生活の質を落としてまで募金をするでもなく、普通に生活を送っていた。
「おれがお前達に教えている力、それはこいつらBETAを駆逐するのに十分な力だ。もちろん、おまえらを襲ってくるような人間がいるとも限らん。そのときも自由に振る舞って構わん。ただ、人を相手するときは注意しろよ。おれは必要であれば、人を殺しても構わないとは思っているが、おそらくそれはおまえらの心に傷を残す行為になる。心の傷っていうのは見えない分やっかいだからな。そうなったら、迷わずにおれに相談しろ。多少なりとも楽になるはずだ。もちろん、力を隠して一生を終えるのもいいだろう。別に責めやしないよ。生き方は自由だからな」
最後にかけた言葉は、思いがけず優しい言葉だった。みちるとしては普段とのギャップに戸惑うだけだったが、晴子はぽぅっと頬を染めていたりする。
そんな様子にまりもはあきれたような、諦めたような目を向けている。
その後家に帰ってみちるは考えた。自分が今後何をすべきかを。
机の上には二つのパンフレットが乗っている。帝国白陵大学付属柊学園と、日本帝国軍所属柊町高等部衛士育成学科。
衛士育成学科のパンフレットはまりもに頼んでこっそりと入手した。
それを渡すときにまりもはこう言っていた。
「伊隅さん、私がこの道を選んだのは、ただの我が儘。BETA大戦がどんな凄惨なものかも知らずに、少しでも早く戦いを終わらせて平和な世界を取り戻したかったから。それだけなの」
いつも厳しくも優しく自分たちを指導してくれる、自分の姉と被るところもあってやや苦手な部分もあるが、実に好意が持てる年上の人物。それがみちるのまりもに対する総評だった。
「でもね、今は違う。今は少しでも多くの人を守りたい。自分に力があるならそれに見合っただけの人達を助けたい。それでもやっぱり一番守りたいのは身近な人達なんだけどね」
少しいたずら気味ほほえんでからまりもはみちるの目をしっかりと見つめながらこういった。
「悩んでもいいわ。このまま普通の生活を送っても、私も隆也くんもだれもあなたのことを責めない。でももしあなたが、自分の手で大切なものを守りたいと思ったなら、迷っては駄目よ」
そう言ってまりもは優しく笑いかけた。
そして悩んだ結果が、冒頭の私は衛士になる宣言だった。
すったもんだあったが、みちるの意志の強さに結局は両親と姉が折れ、日本帝国軍所属柊町高等部衛士育成学科に応募することに決まった。
後日その話を聞いた隆也は、「さすがはまりもんの弟子だな…」などと呟いていた。