『12月16日 黒髪 蒼』
「う〜ん、これなら行けそうだな、良かったなアエラ」
白い髪、紅の瞳、まるで小説のキャラクターのような整った顔立ち、太陽のように存在感で魅せるというより、月のような物静かで目立つことのない、言うならば記憶に残りにくい傾国、『黒髪 蒼』が少し笑いながらアエラに向かっていった。
「じゃあ、約束通り、案内を頼みます」
ブロンドの髪、白いコートを着ている、アンダーバストのベルトで大きい胸がより強調されている。下は黒いズボンで防寒性に優れている素材、サファイアのような澄んだ双眸が強い眼差しで蒼を見た。
「おう、任しとけ」
蒼は割と適当な返事をすると、右手を上げ背中に木製のボロい四角い箱を乗せ洞窟の外に出た。
「さて、この森を抜けるまで特に気を付ける事もない、なんか話でもしてるか」
山岳地帯や森の中などの時の長距離移動においてもっとも重要なこと、それは焦らない事、一流のクライマーやそこに住んでいる蒼のような人間なら走ったりしても問題ないが、アエラはその手の人間にどう見てもあり得ない。アエラのペースに合わせるしかない。
「ええ、賛成よ」
「と言っても、まぁ、昨日色々話したし、特に聞きたいこともないんだけどな」
蒼は苦笑いした、木々のおかげで通り道はさほど雪も多くなく、移動が楽だった。
「そうですか、じゃあ聞いてもいいですか?」
「おう、なんだ?」
「生物兵器について昨日、お話しましたが、それについてのあなたの見解を聞きたい」
……
だから、知らねえよ、生物兵器だろうがなんだろうがウマかったらどうでもいいわ!! などと考えている蒼の脳内はアエラには内緒。
「生物兵器だろ? たしか生き物を無理やり改造して、人を殺したりする意図的に作られた生き物、で合ってるな?」
「ええ、当たっています」
「う〜ん、実際に見てみないと分からないな、とりあえず危険な奴だけ倒しておけばいいじゃないか?」
「なるほど、ちなみに私はどんな生物兵器でも有害なら一匹残らずこの世界から全滅させるべきだと思います」
「そうか、じゃあ、もしも人間と区別がつかないけど生物兵器みたいなのが出てきたらどうする? 人の言葉を話、理性もあるそんな奴が」
「そうですね、やはり有害ならそれも殺すべきだと思います、既に人間ではないので」
アエラは頑固なまでにそう断言した。
「それもまた一つの意見だな、けどその生物兵器で恩恵を受けている人間もまたいる、その事実を曲げてはいけない、生物学がどんなものかは知らねえけどきっと『殺』が出来るなら『救』も出来るんじゃないか?」
アエラが口籠った、たしかにバイオテロ対策のために各国が医療技術、生物学に対する研究、資金提供が盛んに行われた、その中で再生医療、抗体研究が短い期間で成果が上がっている。
「そ、それは……」
「こういう言葉がある“毒を転ずれば薬となる”日本のことわざだ。昔、母に日本語を習った」
蒼が静かに笑った。森の道が終わりに近づいているのか、光が徐々に遠くから見えた。
「意外に博識ですね」
「いや、そうでもないさ、オレは日本語と今喋ってる言葉以外は話せない、一応うる憶えだけどチベット語も少しなら話せる」
「今喋っているのは英語です、それにしてもチベットの言葉を知っているのは珍しいですね」
「母さんが死んだあとすぐに、武者修行をしていた僧侶のおっさんがいて、3年くらいここら辺で修行していた」
「そうなんですか、この時代に武者修行なんて珍しいですね」
「アエラは武術の経験は?」
「CQCなら少しやっていました、蒼はやはりチベットの武術を――」
アエラの靴底が白い雪の上を滑り、身体のバランスを崩した。
蒼が静かに体勢を低くし腕でアエラの背中と膝の裏にそっと手を滑らせる。ちょうどお姫様抱っこされたような状態にとても近い。
「大丈夫か?」
アエラは徐々に自分の状況を掴み、顔を真っ赤にさせた。
「あああああの!! 大丈夫ですから!!」
と言って無理やり降りると深呼吸をした。
「本当に大丈夫か!?」
「大丈夫です!!」
「大丈夫そうだな、気を付けろ太陽の光で雪が溶け出して滑りやすくなってる」
「はい、先ほどはありがとうございました」
アエラがお礼を言うと蒼は大丈夫だ、問題ない、と言わんばかりの態度を出し、先に進んで行こうとする。
「ッ――!!」
アエラの声が漏れる、振り返ると足首を押さえしゃがみこんでいる。蒼も膝を曲げアエラと視線を合わせると一瞬顔をぴくつかせた。
「軽度の捻挫だな、弱ったな……」
「大丈夫ですこれくらい――ヴッ!!」
立ち上がろうとしたが痛みが走ったのか、変な声を上げる。なんというか、鳥が絶命するような声。
「下手に動かすと悪化する、安静にすればすぐに良くなる……だが、この調子だと日没だな……」
「それは――」
「帰って出直そう、そんな足じゃあ返って危険だ」
物静かに蒼は言った、風の冷たさもあったせいか、アエラにその言葉が酷く刺さる。
「お願いします! どうしても帰らないと!」
蒼に頭を下げる。
「ここから先は、全力で走らないと駄目なところがある、オレでも抜けられるか怪しいときがある命がけだ」
森閑とした雪原に蒼の声が響く、声音はあまり変わっていないが危険だということはアエラにも感じる事が出来た。
「迂回はできないのですか?」
「なくもない……ただ――」
「お願いします!!」
蒼の話を遮り、もう一度アエラは頭を下げた。
「……じゃあ、これを代わりにこれを」
蒼はボロボロの箱をアエラに渡す、首を傾げつつそれを背負った。
「このベルト借りてもいいか?」
蒼はアエラのアンダーバストのベルトを指差した、アエラはベルトを外し蒼に渡すと蒼はベルトを長さを限界まで伸ばしてアエラに背中を見せた。
「よし、乗れ」
「……え?」
「だから、お前を背負っていく」
「いや、私そんなにひどい怪我じゃないですが?」
アエラが少し狼狽しつつも首に腕をかけ腰のあたりに脚を絡めた。
「いいんだ、こっちの方がまだ安全だから」
アエラのベルトを一周させ、アエラと蒼を固定する。
「こっちの方が安全というのはどういう事でしょう?」
蒼は鼻で静かに笑い、歩き始めた。しばらくすると、蒼は少しだけ駆け足になった。
「アエラ、目を閉じてオレの背中に耳を当てて心臓の音を聞くんだ」
「ええ、それはいいのですが理由を聞いてもいいですか?」
「ちょっとダイナミック下山をするから崖っぷちの方に行く」
「そちらに行けば迂回が出来るのですね」
生真面目な様子でアエラが言うと、蒼はにっこりと笑った。
「おう、かなりのショートカットになるから安心しろ、もう少しで着くから」
アエラは目を瞑り、顔を蒼の背中に摺り寄せた。
背中になにか柔らかい感触が当たる。
お、落ち着けオレ!! 今はそんなところじゃねえ! おっぱいぐらいで驚くことは無いたかだか胸が膨らんでるだけだぞ、何を考えている、でもこの柔らかさちょっと…… じゃねえそうじゃねえよ! などと思いつつ、徐々に走るスピードを上げていく。
蒼がダッシュする先には何もない。木々も草も雪も何もかもが無い、そして地面も――――
右足で思いきり崖の淵を思いきり蹴り上げる。しばらく空中を舞い、重力の流れで一気に落下していく。
蒼は破竹の勢いで落下していく体のバランスを取りながら下の様子を見る。
落ちた位置から地面までおおよそ350mほどの高さ、普通に落ちれば落下死は確実だった。木々も群生しているが命の保証は無い。
蒼は呼吸を整え、身体を地面と平行させ、大きく息を吸い込み両手を高く伸ばした。
「ちょ!! いやあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
背中から絶叫が耳と貫くが蒼は一切を遮断し集中する。
50mほどの高さまで達すると目を見開き、群生している木のそれなりの太さの枝を掴んだ。
重力に従い足先は遠心力が発生し身体ぐるりと一回転する。回転と同時に手を離し一段下の枝に掴まり回転するを繰り返して、徐々に落下のエネルギーを分散させていく。10mほどの高さになったら雪が積もった地面に体を委ねた。
「ふう、もういいぞ、アエラ目をあけt――」
蒼の顔面に衝撃が走った。
「ふごへばぁ!」
訳の分からないことを蒼は発しながら頬を押さえる。
「し、信じられない!! あなた常識を知っていますか!?」
「迂回したじゃねえか、人の話を最後まで聞かねえのが悪い、ともあれ無事でよかった」
蒼は何事も無かったかのように立ち上がった。
「ちょ、降ろしてください!」
アエラが涙目でポカポカと蒼殴る。ベルトを外すと解放されたのか腰が抜けたように蒼に倒れ掛かった。
それを蒼は少し膝を曲げ、アエラの目線に顔を合わせ背中にベルト巻きつけつ始めた。
「いや、本番はこれからだ」
「え――まさか、ウソでしょ!?」
狼狽する彼女を抱きかかえ白銀の髪は再び走りだした。
木々で覆われた雪道で加速する蒼は、下り坂になった瞬間スライディングをした。下り坂は先ほどの雪とは違い、一度溶けた雪が再度固まっているためスキー場の氷のように硬い。
速度を増しつつ滑って行く蒼は一息入れる。
呼吸を整えアエラの背中に手を回す。
「え、ちょっと、どさくさに紛れて何をする気ですか!?」
蒼はアエラと繋げていたベルトを外す。
「ん〜、うまくいくといいな〜」
「え!? それってもしかして――ッ!!」
アエラの言葉を遮るように空中に投げ出される。
「今回はさっきの倍くらいの高さだから」
空中に投げ出された二人は放物線を描き落下していく。蒼が体を反転させアエラを空中で背負い再びベルト一回りさせた。
「っひ!! きゃああああああ!!!」
アエラはそれどころではなかった。
蒼は下を覗き込み、顔を青くした。
「あ、そうだった、この時期だとここら辺のツタが枯れてるんだった」
「え!? じゃあ私たちどうすれば!?」
「死んだな」
蒼は笑いながら冗談交じりのように言った。
「な、なんとかしてください!!」
アエラは弱々しい声でボソッと言った。
蒼は体勢を斜めにして崖の方に体を寄せる。
岸壁は分厚い氷の層で覆われている。
蒼はニヤリと笑い、腰からナイフを取り出す。
「やってみるしかねえよな!!」
蒼は氷の岸壁にナイフを突き立てる。当然ナイフは氷を削り勢いは減りつつも落下を止める事が出来ない。
先ほどよりは勢いは減ったものの、それでも即死コースを直進している。だが蒼はにっこりと余裕の表情で笑った。
ナイフを引き抜き、思いきり氷壁を蹴り上げる。大きく弧を描いて斜めに下にある、木の枝に飛び移る。
鉄棒のように、重力の下に行こうとする力を分散させ、地面へと近づく。
15mほどまで来ると蒼はベルト外しアエラを抱きかかえる。背の高い木は枝を下の方には生やさないため、蒼にはもう掴まる枝がなかった。
メキリッと鈍い音が広がる。
「ヴッ!!――ガハッ、ゲホゲホ!!」
雪のクッションがあってもかなりの衝撃が右肩を大きく打ち付けた
アエラの様子を見ると、白目をむいて失神していた。その身体を左腕で引きずりながら、近場にたまたまあった木の根っこの空洞の中に入りアエラを抱きかかえ目を閉じた。
肩を脱臼したのか、腕に力が入らなく激痛が走った。
蒼の意識はそこで途絶えた。
「んん……」
アエラが気がつくと、蒼の胸の中に抱かれていた。気絶していたのか、あたりは日が傾きつつあった。
目を蒼に向けると、右肩が異様に下がっている。
「これは、脱臼……」
ルートのミスは彼に大いにあるが、アエラを無事に送り届けるという義務からか、
咄嗟の判断で自分を盾にしたのだろう。
「いててて……お、アエラ無事だったか?」
蒼は肩の激痛を堪えながら何食わぬ顔でいた。
「ええ、まぁなんとか、それよりその右肩、脱臼ですね?」
「ああ、思いっきり外れやがった、まぁ、幸いここから村までさほど距離もないし危険もない、子供が来ても帰れるくらいの道だ」
蒼は立ち上がり、静かな面持ちで先を見据えていた。
終わり