時は満月が夜空に昇る前まで遡る。
幼女の姿をした女神アテナに草薙 護堂が敗北をきし、その亡骸を抱えなんとか逃亡に成功したエリカは、とある公園まで逃げ延びていた。
「本当、毎度のことながら貴方には呆れるわ護堂。貴方は隙が多すぎるのよ…でも、それでも貴方に尽くしちゃうんだから、惚れた弱みってやつかしらね」
茜色に染まる空をバックに、公園内にあったベンチに腰かけ、膝に護堂の頭をのせ仰向けにベンチに寝かせた。
そんな護堂の頭を、優しく撫でながら呟くその姿には、普段見せる王者の貫禄も、人を傅かせる女王の風格も漂うことはなく、ただただ男性を愛する女性の姿がそこにあるだけであった。
時間にして二時間半ぐらい経過しただろうか。
その間、メイド兼部下であるアリアンナに、護堂の荷物を渡す他はその場を離れることなく、アリアンナもまたその光景を微笑ましそう少し離れた場所で見ている。
護堂に変化が見られたのは、そんなつかの間の時間を過ごしてたときだった。
ここに逃げ込んだときには冷たかった護堂の体は、熱を帯びだし脈も安定してきている…そして。
「気分はどう?もう起きられる?」
護堂のまぶたが振るえ、目をあける。
その顔を覗きこむようにして、エリカが微笑みながら言うと、護堂はゆっくり目の端で周りをみると、ぼんやりとしながらもエリカの方へ視線を戻した。
「…ここはどこだ?今度は俺、何時間寝てた?」
「どうにか逃げ延びた先の、公園のベンチ。あと、今回は二時間半ぐらいね。おめでとう、記録更新よ」
「こんなの更新したって嬉しくない。増えたっていいぐらいだってのに…」
「そういうと思った。まぁ、だんだん数字の縮まり具合は控えめになってきたから、これ以上は短縮されないんじゃない?…安心した?」
普段はどこか尊大なその笑みを、今は軽い笑みに変えエリカが言えば、護堂も小さく笑みを浮かべ、何処かふざけたように軽い調子で返す。
「気休め程度にはなったよ」
だが、そういった直後、護堂は目をパチパチさせて首を傾げようとする。
「あれ?…なんでエリカの顔が真上に…ていうか、柔らかいのは…」
「もう、護堂あまり頭を動かさないでくれる。くすぐったいじゃない」
悪戯が成功した悪魔のように、ニッコリ笑うエリカに対し護堂の笑みは、カエルがひきつけをおこした時のように、ヒクヒクと小刻みに揺れていた。
「えっと…アテナ、そうアテナはあれからどうした!?」
エリカの笑みにひきつりながらも、話題を変えその勢いのまま起き上がろうとするも、魔術で筋力をあげているのか、その笑顔のまま頭を膝の押し付けられてしまう。
「さぁ、私は護堂が倒されてから貴方を抱えて逃げるのに夢中だったから、その後のことはわからないけれど、この時間になってもアテナが現れないことを考えると、ゴルゴネイオンを探していると考えていいと思うわ」
押さえつけるときはとびっきりの笑顔だったのに、戦闘についての話になると、その瞳は相手の動きを模索する、賢き騎士そのもの。
やはり、彼女は戦いに誇りと生き様をかけた騎士なのだと思い知らされる。
「それじゃあ、万里谷が!!」
「護堂、あの子を助けたいと思うなら冷静になりなさい。闇雲に動いてどうになるほど甘くないのは、貴方が一番わかっているでしょ」
「!!」
「とにかく、今後の方針を決めちゃいましょう。動くのはそれからよ」
「方針っていったって…」
「護堂はアテナのことをどうするつもりなの?この期に及んでのんきに話し合おうなんて思ってないわよね」
「それは…まぁ。でも、やっぱ俺にはアテナを探し出して、あとは状況に応じて臨機応変にってぐらいしか思いつかない」
少し目を泳がせながらも、最後は目を瞑り…そのまぶたが開かれエリカをみたその瞳には、恐ろしいほどに迷いは消えていた。
「ウフフ、相変わらず大雑把なんだが豪胆なのかわからないわね、護堂って。…でも、それでこそ、私が愛した護堂よ」
護堂の眼差しを受け止めるエリカにもまた迷いも…いや、彼女の瞳からは恐れすら何も感じない。彼女の目は語るのは唯一つ、目の前に居る男が愛しい…その一点のみ。エリカはひと撫で護堂の頭をなでると、その頭を降ろしベンチの前にひざまずいた。
「おい、エリカ!?」
「貴方は我が剣の主にして、魔術師の王。貴方はあらゆる障害を打ち砕き、勝利を奪い取るお方…だがわずかでも、私の力が貴方の助けとなるならば、私は貴方に全てを捧げよう」
護堂は、エリカが跪き朗々と読み上げる言葉に慌てふためくも、地面をみるエリカの瞳を垣間見、その言葉を黙って聞くことにする。
彼女の言葉は覚悟の証。
彼女のその瞳は決意の表れ。
それを、彼女の瞳をみることで急速に認識した。
いままでだってエリカのそんな言葉や瞳を聞かなかったわけでも、見てこなかったわけでもない…無意識ではいつも感じていた…でも…。
こんなに強く認識したのは初めてだ。
エリカはその金の髪をなびかせながら周囲を引き付け、その笑顔一つで誰もが彼女を慕い、その雄弁な言葉で誰もが彼女に頷く。
そんな彼女が跪き、忠誠を誓う…どんな時でも尊大な彼女が…。
「…ありがとう。俺に力を貸してくれエリカ」
ごめんは違うような気がした・・・だから、ありがとうとお礼の言葉を口にすると、エリカは顔を上げ、ニッコリと微笑んでいた。
…その笑みは小悪魔そのもので…。
「もちろんよ、私の護堂。それじゃあさっそく」
「えっ!?」
エリカはそういうと、素早く立ち上がり座っていた語堂の膝の上にまたがって、首に両腕をまわす。
彼女の豊満な胸と、柔らかい太腿が自分の足と胸に当たっていることが生々しいくわかってしまい、思わず胸の方に目がいくのは男の性ってことで許して欲しい。
「えっエリカさん!?」
「護堂だっていったじゃない?力を貸して欲しいって…だから…ね?」
ニッコリと妖艶に微笑むエリカに、護堂の頬が赤く染まるも小刻みに首を振ることで、なんとか意識を保ち、ゆっくりと近づいてくるエリカの美しい顔から顔を背ける。
「護堂もわかっているでしょ。アテナに立ち向かうにはどうしたって黄金の剣が必要だってことは」
「だからって、いきなりこんな場所ですることじゃないだろうが!!別に知識だけあればいいんだから、きっキスしなくったって…」
「あら、アテナの知識はそれはそれは膨大よ。護堂の頭じゃ3ヶ月かけても覚えきることは出来ないと思うけど?」
小さく舌を出しながら言うエリカは無邪気そのものだが、言ってることば確実に俺を馬鹿にしている言葉にうなだれながらも、視線を泳がせることしか出来ない。
そんな俺に、エリカはさきほどまでしていた怠慢な動きをしていたとは思えないほどに、素早く俺の唇を、エリカの唇で塞がれてしまった。
下唇を甘噛みされたり、上あごを舌でくすぐられたりと好きなように弄くられながら、その合間に唇を少し離し、甘く囁くエリカの言葉は悪魔の言葉にも、天使の囁きのようにも聞えた。
「ッあっ…」
「最近、冷たくされてばかりだったから…すごく楽しい」
「っ…ハァッ」
「変な女とは会ってるし、アテナにキスを許しちゃうし、結構怒ってたのよ?私」
甘く囁き、また唇を這わせ、そして囁く。
どろどろに溶けていきそうな頭に、その言葉はよく響き渡る。
きっとこれもエリカの手の内の一つ…けど、そんなエリカの手のうちの中で翻弄されることが、俺は嫌いじゃない。
「嫉妬でも・・・してたっ・・とか?」
息も絶え絶えに言う俺の言葉に、エリカは目を見開きくもすぐに妖艶で余裕にある笑みにまた戻ってしまった。
「ウフフ、言うようになったじゃない護堂。そうよ、護堂は私のだもの。例え貴方の周りにどれだけの女が群がろうとも、貴方わわたしの…このエリカ・ブランデッリのもの。誰にも渡す気なんてさらさら無いわ」
ニヤリと笑うと、エリカはさっきよりもより深く、深く俺と口付けを交わす。
舌を互いに絡ませあい、エリカの唾液が俺の中に流れ込んでくる。
唾液ど一緒に情報が俺の中に流こんでくるように、俺の頭の中には鮮明なエリカの知識が映りこんでいた。
アテネの母は知恵の女神メティス、父はゼウス…でも、この夫婦は幸せとはいえない。
ゼウスは蝿に姿を変え、彼女を強姦し、アテネが生まれたから。メティスを妻としたのはゼウスの非道を隠す為、神話を書き換えたの。
メティスの懐妊を知ったガイアのウラノスは予言する。
生まれてくるのが男児だったらゼウスを超える神になるだろうと
彼女から流れ込んでくる知識は本当に膨大な量で、頭がパンクしそうなほどに様々な映像と言葉が流れ込んでくる。
だけど、この知識がなければ、俺は黄金の剣が使えない。
それにしても、便利でもあり、厄介な体になってしまったと今でも思う。
好意であれ、悪意であれ魔術の一切合財が俺の体には効かないらしい。
だが、こうやって体内に直接流し込まれるのは例外とのこと。
だからこそ、さっきはアテネにしてやられ、今はエリカとキスという形で教授の魔術を受けているんだけど…。
「護堂、意識をそらさないで…教授を流し込みにくいわ」
そっと唇を離すと、額を俺の額にコツンとくっつけると小さく微笑んでいた。
「今は私に集中なさい。…他の事を考えるなんて無粋よ」
「ッ…」
そしてまたゆっくりと、唇を交わす。
子の誕生を恐れたゼウスは、メティスを頭から飲み込んでその存在を葬るの。
そして、知恵の女神である彼女の叡智までも我が物とする。
だけど、メティスは既にアテナを身ごもっていて彼女を飲み込んだゼウスの頭から
アテナは誕生したの。
つまり、アテナはメティスが消滅すると同時に生まれた女神…これはとても重要。
ギリシア語で言うmetisは[叡智]。Medusaの語源となった言葉。
MetisとMedusa。
この二つは同じ言葉であり…そしてアテナと深く関る…いや…。
「っ…メティスもアテネもメドゥサも…同じ女神なのか…」
唐突に理解した。
エリカの知識がアテネという女神を浮き彫りにさせ、その姿を俺の頭に刻みこんだのだ。
「そう…アテナをアテナたらしめるのは、三体全てそろったとき…だからこそ、アテナはゴルゴネイオンを求めるの。…でも、アテネの知識はこれが全てってわけじゃないわ…さぁ、続きをしま」
「すみません、エリカ様」
また、エリカが唇を近づけていた瞬間、どこか申し訳なさそうに声をかけてくる女性の声が聞こえた。
「っ!?」
「あら、アリアンナ。折角いいところだったんだから、邪魔をしないでよ」
「もっもうしわけありません。私も、邪魔をする気は毛頭なかったんですが、緊急の連絡とのことで」
俺の肩に頭を預けるように、寄りかかってくるエリカにメイド服をきた黒髪の女性、エリカのメイド兼部下であるアリアンナは愛称アンナさんは、慌てて頭を下げていたが、俺はそれよりもまず…。
「あっアンナさん…いつから…というか…もしかして、今の…」
「えっ!?あっあの、覗き見するつもりはなかんたんですけど、お二人の微笑ましい風景をみていたら、急にキスが始まってしまい…」
恐縮するようにいうも、アリアンナの顔はほんのりと赤く染まり、最後には両手を頬に添え、きゃーという声が聞こえてきそうなほどに、照れたり喜んだりしていた。
「エリカ…もしかして、知ってたんじゃ…」
「あら、いまさら護堂と私の関係をアリアンナに隠す必要なんてないじゃない?」
笑いながら甘えてくるエリカにげっそり、しながらもいまだに頬を紅く染めていた
アンナさんの顔はさらに赤くなり、今度は体ごと横にふりはじめてしまうしまつ。
「おっお二人ともすっごく大胆です〜。公然とそんな抱き合うなんて」
言葉だけだと、咎められている感じがするが、アンナさんの態度と顔はその逆を爆走していることだけは確実である。
「って!?いつまでも抱きついてるなよ」
「もう、つれないんだから…アリアンナ、それで緊急の連絡って?」
少しばかり渋りながらも、あっさりと俺の膝からおり、アンナさんに指示する姿は、彼女が人の上に立つ人間なのだと自然に理解する瞬間である。
「はい、草薙さんの携帯に万里谷さんという方からの連絡です」
そういって、先ほどまで赤く染めていた頬はいつの間にかもとに戻っていて、彼女もまたエリカの部下足りえる気質の持ち主なのだと、実感した。
「万里谷から?」
俺がそう呟くと、アンナさんは小さく頷き俺の前に携帯も差し出した。
それを受取り、右耳にあてる。
「もしもし…万里谷か?」
「あっ!!はい、万里谷です。あの、申し訳ありません!!ゴルゴネイオンを奪われてしまいました!?!」
電話から聞えてくる声は確かに万里谷の声だったが、彼女の慌てようは声からよくつたわってくる。どこか頭にしみこんでくる落ち着いた声は今はかなり乱れている。
「万里谷、落ち着け。とりあえず怪我はないか?」
「あっ…はい、私にも甘粕さんにも怪我はありません」
「甘粕?」
「はい、実は正史編纂委員会の甘粕さんと行動をしていたのですが、それでもゴルゴネイオンを奪われてしまいました。…本当に申し訳ありません」
深呼吸をするような音が聞え、その後からしゃべる万里谷の声は幾分か落ち着きをとりもどし、だがやはり申し訳なさそうな口調は変わることはなかった。
「いや、神様相手だ。怪我がないだけ御の字だよ」
「いえ…それが、ゴルゴネイオンを奪ったのはアテナではないんです」
「えっ!?」
この言葉に俺は衝撃を受けた。
だって、あんなものを他の誰が狙うかなんて考えもしなかったことだったから。
「万里谷、私よ。エリカ…貴女達からゴルゴネイオンを奪ったのは…人間?」
衝撃を受けている間に、耳に当てていた携帯をエリカにひったくられ、会話をしだすエリカ。
多分、さっきの万里谷の言葉が携帯からもれていたんだろう。
彼女の顔にもどこか焦燥感が垣間見える気がした。
「エリカさん…はい、確かに人間でした」
「…そう」
「それで、私の方ででもゴルゴネイオンの気配を探ってみたんですが…」
「…どうかしたの?」
「はい…それが、アテナの気配は確かに感じられるんですが…肝心のゴルゴネイオンの気配がまったく…」
「!?…それは、もう既にアテナがゴルゴネイオンを手に入れたから…そう、考えていいのかしら?」
エリカが神妙に言葉を紡ぐと、護堂も目を見開き固唾を呑む。
「それは、まだ判りません。ただ、アテナの気配には変化を感じられませんから、今結論を出すのは早計かと思います」
「…そうねっ…!?」
エリカが頷くと、ふいに空を見上げそして目を見開いた。
俺はそんなエリカに首をかしげながら同じように空を見上げると、先ほどまでは茜色で染め上げられた空が黒い闇に侵食されていくかのように、闇が広がっていく。
なぜ、いままで気づかなかったのだと思うくらい、その闇は力で作り上げられた創造物。
闇という闇から力を感じる。
「…あいつの仕業かよ」
「まぁ、そう考えるのが妥当でしょうね。…万里谷、貴女達の方も空を闇が?」
空を見上げ、護堂の考えに賛同しながらも…耳当てた携帯から状況を確認するエリカは俺が思なんかよりもずっと冷静に状況を把握しようとつとめている。
「はい、多分そちらよりも早い段階で、夜に…ただ、その闇は空を覆うだけではありません。光などの類を吸収し、車もその闇のエリア内では使用不可能です」
「…わかったわ。ありがとう」
「いえ」
エリカがそういって、電話を切ろうとしたのでその前にその携帯をとりまだ電話を切ってないことを願い、耳に当てた。
「万里谷?」
「えっ、はい…草薙さん?」
切ろうとしたところに、護堂の声が聞こえ少しビックリするように彼女は護堂の苗字を呟いた。
「えっと、確かなんたら委員会の人と万里谷一緒だっていってたよな?」
「あっ、はい。正史編纂委員会の方ですけど…」
「なら、その人と一緒に神社に引き返せ」
「は?」
「元はといえば、これは俺とエリカが持ち込んだ問題で、万里谷を巻き込んじまった。なら、怪我の無いうちに逃げ」
「それは、出来ません」
護堂がしゃべり終わらないうちに、万里谷はその言葉をさえぎった。
きっと、普段の彼女ならけしてこんなことはしないだろう。
だが、その言葉からは自分の信念と誇りを感じられた。
「万里谷?」
「私は武蔵野の姫巫女です。自分が危険になるからといっておめおめと逃げ出すなんてこと出来ません。」
万里谷の声はどことなく震えていた。
それでも、今の言葉に一寸たりとも迷いはないのだろう、そう感じられるほど彼女の言葉は真っ直ぐに俺に向かってきていた。
「…なにもするな、が優しさとは限らないわよ?」
ぽつりと呟いたエリカの言葉に、俺は一回眼をつぶり、そして目を開き言葉をだす。
「わかった。…ただ、もし万が一アテナに襲われたとき、俺のことを強く考えて俺を呼んでくれ。…そうそれば、万里谷の傍にいけるはずだ」
「…それも草薙さんの権能ですか?」
「あぁ…ただ、まだ使用条件がはっきりしてないから、確実なことはいえないけど…」
「…うふふっ」
「万里谷?」
「こんな時までそういうこと言うんですから、律儀というべきか、いい加減というべきか、言い方は迷いますけど…そういう草薙さんだからこそ、信用できるのかもしれません」
「いい加減は余計だよ、万里谷」
楽しそうに言う万里谷に、俺も軽い調子で返すと彼女はまた笑ってくれた。
こんな緊迫したなかだけど、そうやって笑えるということはいいことだと思う。
「そうですか?…わかりました。可能性は低いと思いますが、万が一のことがありましたら必ず草薙さんを呼びます」
「あぁ、そうしてくれ。それじゃあ気をつけろよ」
「草薙さんも」
そういって互いに携帯を切ると、エリカが考え込むよう顎に右手を添えていた。
暗くなった空のせいか、先ほどのエリカよりも幾分か重苦しい、雰囲気を漂っているように感じる。
「エリカ?」
「っ…護堂。電話は終わったの?」
「あぁ…それよりどうした?すっげぇ暗い顔して」
「…べつに、これからどう動こうか考えていただけよ?」
にっこり笑うエリカにいつもなら騙されていたかもしれない、だが戦いも近い所為で感覚がするどくなっているのか、その笑いに違和感を感じる。
「気になるのか?ゴルゴネイオンを奪った奴が」
「…まぁ、気にならないといったら嘘になるわね。よりにもよってこのタイミングで奪うんですもの、勘ぐるなという方が無理な話よ」
伏し目がちに両腕を交差させながら自分の腕をさすっているエリカに、俺はこういう時何をいってエリカを安心させればいいのか、まったく思い浮かばなかった。
こんなとき、じいちゃんなら上手いこというんだろうけど、俺にはそんな器量はない。
「…なんていっていいかわかんねぇけど…とりあえず、アテナを探せばそいつにいきつくんじゃねぇかな。どなん理由にせよ、エリカが言ったようにこのタイミングでメダルを奪ったなら、あの女神がその理由に絡んでる可能性は高いんだろうし」
「…そうね。護堂にしては建設的な意見をいうじゃない、褒めてあげるわ」
「ったく…でも、そうでなくっちゃエリカじゃないよな」
どこまでも尊大で、だがそこに下品さは一つまみもなく。
どこまで優雅に、そして王者の風格をもった女王…それが、エリカ・ブランデッリ
という女で、俺の仲間なんだから。
「それじゃあ、アテナの気配を探ってその場所に向かうってことでいいかしら?多分、万里谷達も自分達で探査して、そちらに向かうと思うし」
「あぁ、それでかまわない」
「そう、じゃあアリアンナは早急に避難なさい。どこが戦場になるかわからないから」
「…わかりました。お二人ともご武運を」
深々と頭をさげ足早にさっていくアリアンナの背を見送ると、エリカは手を握りニッコリと笑った。
「それじゃあ、蛇退治に行きましょうか。護堂」
「そうだな。…それにしても、蛇退治とは上手く言ったもんだ」
「でしょ?」
暗くなった空のしたでも、そこには笑顔があった。
その笑顔が、彼等の道を照らす光のように感じるのは、この暗い世界にあっても誰にも奪えないものだからだろうか。
エリカは丸い懐中時計のようなものがついた紐を右手でもち、ぶら下げると、その懐中時計はくるくると回りだし、蓋に描かれた十字の矢印で方向を示してゆく。
「こっちよ、護堂」
「おう」
エリカはそういい、軽く膝を曲げると足元には赤い魔方陣が浮かび上がる。
「翔けよ、ヘルメスの長靴!!」
その魔方陣を思いっきり蹴り込むと、いっきに低いビルの屋上まで飛び上がってしまう。ただ、この魔術使用したものの跳躍力を伸ばすものであって、連れのことはまったく考慮にはいってなく、手をつないで連れられるおれは飛び上がるたんびに腕が引きちぎられるんじゃないかという風圧と重力に耐えなくてはならないのが難点で…。
「…俺、カンピオーネになってなきゃとっくに死んでる気がする…」
「あら、カンピオーネになってなきゃ、まず日本に帰ってこられなかったと思うけど」
屋上と屋上、ビルとビルの間をトントンと蹴り、跳躍しながら進んでいくエリカにだって風圧は掛かっているはずなのに、優雅に黄金を溶かしたような金の髪をなびかせ、余裕たっぷりに笑うこの女は、本当の意味で大物だと感じるしかなかった。
「った、頼むからもっとゆっくり…ううっ酔った」
「情けないわねぇ、ゆっくり行ってたら間に合わないじゃないの」
容赦なく俺の意見は切り捨てられ、顔面に風圧と、腕には引力と重力をもろに受け、とにかく遅くできなくば、早くつくことを切に願うのであった。
しばらくいくと空には満月が浮かび、もしかしたら本当に夜を迎えたのかもしれない。
いまの状態じゃ、見分けがつきにくいが人工的な光がない分、いつも見る満月よりも明るく、そして綺麗に感じた。
「っ!?」
そんな風に空を見ていると、エリカが急に屋上でブレーキをかけ、俺は意識が空に向いていた分反応が遅れてしまい、前につんのめる形でエリカの背中に顔を思いっきりぶつけてしまった。
「ったぁ!なんだよエリカ。急に止まるなよ」
思いっきりぶつけた鼻をさすりながらエリカに文句を言うが、エリカからは何の反応もなく、それどころか、まさに顔面蒼白といっていいほど、驚愕の表情をありありとだしていた。エリカとはそこそこ一緒にいるけど、神と対峙しているときだってこんな表情をみたのは、これが初めてじゃないだろうか。
「エリカ?」
「…何…この魔力……こんな突然…」
「エリカ!!」
ぶつぶつと言葉を呟くだけのエリカの名前を呼びながら思いっきり肩を揺すると、ゆっくりとこちらを向き、瞳に光が戻ったかのように我に返ったようだ。
「護堂…私…」
「なんか急に止まって魔力がどうのっていってたけど、どうかしたのか?」
「そう…そう!本当にさっきまで何も感じなかったのに、急に強大な魔力を感じるのよ。まるで何もない空間から湧き上がったように突然…それに…」
「それに?」
「…なんていっていいかわからないけれど、何かが違う。…いままで感じてきた魔力とは根本的に違うような、異質な感じがするのよ」
俺にはその強大な魔力や異質さなんてよくわかんねぇけど、エリカがこんな顔をするからにはただ事じゃないんだろう。
とりあえず、震えるエリカの背をゆっくりさすりながら、エリカが落ち着くのをまった。
「エリカ、俺にはよくわかんないけど、その魔力は神様よりも恐いものなのか?」
なるべく、落ち着くようにゆっくりエリカに言ったけど、エリカの震えは止まることがなく、それでも下に向けていた顔を俺に向け、真剣な眼差しで俺を見つめる。
「いえ、神より恐いものなんてないわ…それに、私には神にすら勝てる護堂が近くにいてくれるものね」
「あぁ…よくわかんねぇけど、エリカがそれで安心するなら傍にいるよ」
いつの間にか離れてしまった手を握りなおし、エリカは前をむく。
多少の戸惑いはあるも、その瞳にやどる強い光はエリカそのもの。
だけど…。
(あのエリカがあそこまで怯えるなんて、いったい…)
エリカに引っ張られながら、その横顔を見るけど答えなんてかいてあるわけがなく、カンピオーネになったからといっても、この十六年普通の一般人として過ごしてきた俺に魔力に知識があるわけでもなく、その感覚を共有することも出来ない。
あそこまで怯えた原因を、俺は一生本当の意味でわかるという感覚になることはないと漠然と感じ、エリカとの間に透明な壁が出来てしまったような、そん気がした。
エリカに引っ張られること二十分ぐらいだったろうか、ビルがだんだんなくなりまわりに見えてくるのは、工場や倉庫といった風景になった。
それに、鼻には塩の匂いを感じるし、耳では波の音が聞えてくる。
「海に行くのか?」
「さぁ、ただアテナとあの奇妙な魔力がこっちにあるってのは確かよ…多分、もうそろそろ護堂にも感じられるんじゃないかしら」
そういって、いったん降り立ったのは海が見える道路。
夜の所為か、この闇が光を奪い車すら使えない所為か、この道路を通る車も人もなく、ただただ、波の音…と。
「金属音?」
よく耳を澄ますと、キンッという金属と金属をぶつけたような甲高い音が聞える。
しかも、一回じゃない。
何度も何度も、すごいスピードでかき鳴らすこの音は…。
「どうやら、一足さきに開戦していたよね」
エリカが防波堤の方を向きながら言うが、そこからじゃ何が起きているのか護堂ではわからない。
戦いの訓練を受け、身をおくエリカだからこそ音だけで判断できたのだ。
護堂はエリカの言葉を聞き、防波堤に駆け寄ると、その左方面5mぐらい先に白く濁った壁のようなものが張り巡らされ、さらにその先20m位のところに、大鎌で戦うアテナと黒いコートをと野球帽を被った人間が護堂の目に映る。
こんなとき、カンピオーネ特典の夜目は結構やくにたつ。
「なにやってんだよ!?あいつ」
護堂は防波堤に手をかけ、そのまま砂浜に飛び降りてしまった。
「ちょっ!?護堂!!どこにいくつもり!!」
「どこって、あいつを助けるに決まってるだろ!!あの神は俺達が呼びこんじまったようなもんだし、神の相手を出来るのはカンピオーネだけだって、エリカが言ったことだろうが!!」
エリカが防波堤の上から他に何かを叫んでいるようだが、護堂は気にせずそのまま砂浜を走ってゆく。砂に足をとられ、思うようにスピードが出ないものの、行くのは1kmさきではなく5mだ。この距離ならば足元が走りにくくともあまり違いはなく、すぐに白い壁までたどりついた。
たどり着いたのは壁のかど。防波堤ぎりぎりまで壁が張り巡らされており、壁の向こうに入れないかと触ろうと、一歩踏み出したとき足で何かを蹴ってしまった。
「なんでこんなとこに鋏があるんだ?」
蹴ってしまったのは家庭用にある普通の鋏。
違うといえば、何か刃のところに細かい文字がびっちり掘り込まれているぐらいか。
「こんなとこに鋏を捨てるなっての」
鋏を拾い上げ、このまま浜においておくのも危ないと思っていると、気が付いたら白く濁った壁はきれいに消えていた。
護堂は、しめた!と思いその鋏を右手に握りながらアテナと黒ずくめの人間の方へと走っていくのであった。
「おい!!だれだかわからねぇけど、ここは俺に任せろ!!」
そう、このときである…稀龍 凪が草薙 護堂をマジで葬りたいと思ったのは…。