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Cross†Destiny〜死を誘う音楽〜 【第二章】
作者:泉海斗   2013/01/14(月) 00:25公開   ID:PPoQrEUnCiY
 狐が人間に化けたような少女に言われるがまま、正義は刑事課の捜査室を飛び出していた。始めに来た道を逆走するかのように走り抜けていく。
 背中に廊下は走るなという女性の怒鳴り声が聞こえたが、ようやく刑事らしいことができるという期待感に突き動かされ、止まることなく階段を下り、警察署を飛び出した。
 朝来たときよりも太陽が眩しく感じられる。
 慌てて飛び出したために、着ていたスーツの上着がやや乱れてしまう。
 その乱れを整えながら、正義は移動手段であるパトカーを探した。
 辺りに目を向けてみたところ、駐車場の一角に三台ほどのミニパトカーが注射されていた。
 しめたと思い、その内の一台に乗り込み、シートベルトを締めた。

「よーし。さあ、行くぞ」

 気合十分にエンジンをかけるための鍵へと手を伸ばした。
 しかし伸ばした手は空を切るだけに終わった。

「あ、あれ……?」

 疑問に思い、鍵の部分へと視線を落とした。だがそこには鍵はあらず、鍵穴だけがこちらを見上げているようにあった。

「あれ? 鍵がない」

 もしかしてボックスの中に入れられているのかもしれないと、運転席と助手席のボックスを開けてみる。だがその中にも鍵は入っておらず、地図やら車の構造についての説明が書かれた資料しか入っていなかった。

「おっかしいな。どこにあるんだろう?」

 バタン、とボックスを閉めたところで、窓ガラスを叩く音が聞こえた。
 視線を音のする窓ガラスの方に向けると、隔てた向こうに制服姿の二人の婦警のすがたがあった。
 正義はドアを開け、鍵はどこにあるのかと尋ねる。
 当然怪しまれないようにするため、警察手帳を彼女たちに見せるようにしながらだ。
 妖しい人物を見るような視線は影を潜めたが、相変わらず険しい表情は変わらなかった。
 とりあえず窓越しではよく聞こえないので、グルグルと取っ手を回して窓を開けた。

「すいません、このパトカーの鍵ってどこにあるんですか?」

 バンバン、とパトカーの天井を叩きながら尋ねる。
 そう尋ねると、一人の婦警がズイッと正義の鼻先に何かを突きつけてきた。
 それをよく見てみると、銀色をした鍵だった。おそらくこれが、パトカーの鍵なのだろう。

「貸してくれるんですか?」

 ありがたい、と思いながらそれに手を伸ばした。
 すると突然ドアが開けられ、勢い余って飛び出してしまう。
 地面に倒れそうになるが、上手くバランスを取ることでパトカーから少し離れるだけにとどまる。

「ちょ、ちょっと何するんですか」
「これを使うのは私たち。使いたかったら担当窓口に行って申請してもらってください」

 そう一度も噛まずに説明するように言うと、彼女たちはそれぞれパトカーに乗り込み、さっさと出発してしまった。
 一人ぽつんと取り残されてしまった正義。
 もう一度署舎に戻ることもできたが、申請というだけあって、色々と上司から印を貰わなければいけないだろう。
 これ以上時間をかけるわけにはいかなかった。
 それに一刻も早く現場に行きたいという思いも強くあり、こうなったら自分の足で走っていこうかとも考えた。

「それじゃあ、今日はまず違法駐車の取り締まりをあなたに任せるわ」
「が、頑張ります」

 後ろからやって来た婦警の二人が、止めてあった一台のミニパトカーに乗り込んだ。
 会話から推測すると、若い方が自分と同じ新人であることが分かる。
 もう一人の中年の女性は彼女の先輩に当たる人物だろう。指導役も兼ねているのか、厳しそうな雰囲気が感じられ、同時にそう印象を抱いた。
 運転席に乗り込んだ中年の婦警がエンジンをかけた。
 今にも出発しそうな様子。正義は慌てて後部座席のドアを開いて、そこに乗り込んだ。
 当然のように二人は突然乗り込んできた正義を見て驚く。
 助手席に乗っていた新人の婦警は後部座席に座り込み、シートベルトを装着する正義を唖然とした面持ちで見つめているだけだった。
 しかし運転席に乗っている中年の婦警はそんな彼女とは異なり、見ているだけにとどまらず、

「ちょっと、何をしているの」

 今にも掴みかかってきそうな勢いで後ろを振り返り、話しかけてきた。

「事件なんです。滝原駅」
「だから、何?」

 正義の言っていることは彼女もついさきほど署舎から出てきたので理解している。だから何だというのか、と正義の言葉の真意を掴めないでいる。

「だから、事件なの。分かりますか? 早く行かないといけないんですよ」

 どうして分かってくれないのかと、やや苛立ち気味に正義は言う。

「早く向かってください。ここからだと結構離れてるんですよ、滝原駅」

 身を乗り出して、中年の婦警を押すようにして前を向かせる。

「ま、牧田さん。ちょうど滝原駅近くを通るのですから、それくらいはいいのでは?」

 助手席に乗る新人がおずおずというように声をかける。
 牧田と呼ばれた中年の婦警は、一瞬躊躇するような表情を浮かべる。

「あなたもしかして、新人?」

 ここにくるまでに何度か聞かれた同じみの質問だった。

「今日からこちらの刑事課に配属されました、菅原正義です」

 そう自己紹介しながら、笑顔で証明の警察手帳を見せる。
 納得したように何度か小さく頷くと、

「何も知らないようだから今回はそれに免じて連れて行くわ。でもね、次はきちんと担当窓口に書類申請しなさい。それが決まりなのだから」

 やけに決まりという言葉を強調しながら言う。
 笑顔と見せていた警察手帳を引っ込めながら、

「了解」

 と呟き、背もたれに身体を預けた。


 ミニパトカーに乗せてもらい、数分後に正義は滝原駅前へと辿り着いた。
 そこには事件が起きたということで野次馬が集まっていた。
 【KEEP OUT】と書かれた黄色いテープで駅内へと一般人は入ることができないようになっており、その前には一定間隔で警察官が立っている姿が見えた。
「どうも」正義は一言礼を言ってからパトカーを降りた。
 後ろから新人の婦警から激励の言葉がかけられる。
 肩越しに視線を向け、軽く手を上げて答えた。

「さてと調査、調査」

 ポケットに突っ込んでいた腕章を取り出し、左腕へと装着した。
 それを装着すると、また刑事らしくなったような気分になり、俄然気合が入った。
 大きく足を踏み出し、壁のように立ち並んでいる野次馬へと近づいていく。

「はい、すいません。通りますから、どいてください」

 後ろから野次馬の肩を掴んで引っ張りながら無理やりにこじ開けるようにして前に進んでいく。大きく上げている手の中には警察手帳があり、それを見た野次馬たちは慌てて道を作るようにして左右に開ける。
 立ち入りを禁止しているテープを潜り抜け、駅内へと向かおうとする。
 後ろから警察官に呼び止められるが、ひらひらと警察手帳を見せると、「失礼しました」と敬礼を向けられる。
 スーツの裏ポケットに警察手帳を入れると、手袋を取り出し、手にはめる。さらにメモ用の手帳とボールペンも手に握っておくことにした。
 駅内に入ると一気に警察関係者が増えた。
 事件が起きたのはホームであるため、そこまで一気に走り抜ける。
 階段を登りきると、真っ先に停車した列車が目に入った。
 その列車の車窓には赤い斑点がいくつか付いており、それが被害者の血痕であると分かる。冷水をかけられたかのように一瞬にして燃え上がるようにしてあったワクワク感というものは、顔に浮かんでいた笑顔とともに消えた。
 ホームと線路の境界線辺りにはカメラを持った鑑識の男たちがフラッシュを何度も焚いている。線路の下に、今回の事件の被害者がいるのだろう。
 そこから少し離れたところに、駅員と思われる制服を着た男性に聞き込みをしている女性刑事の姿が見えた。
 後姿ではあったが、篠原亜梨子だった。
 正義は足早に彼女のもとへと近づく。聞き込みの途中であるために、口を挟むのは無粋だと思い、彼女と同じように手に握っていたメモ帳を開き、聞き耳を立てながら紙面にボールペンを走らせる。

「被害者のことは見ていたのですね?」
「は、はい。投身事故が続くものですから、必ず駅員が配置される決まりだったんです」

 世間一般には事故として扱われているようだ。
 しかし駅員が配置されることになるほど、この事故は以前から続いているのか、といよいよ小さな薄気味悪さを感じた。

「その時間帯、ちょうどあなたが担当だったのですね?」
「は、はい。そうです……」

 亜梨子に事情聴取されている駅員は、まるで尋問されている犯人のようにすっかり縮こまってしまっている。
 それでも亜梨子の尋ね方が追求するようなものではないためか、受け答えが何とかできるという状態だ。
 おそらく間近で被害者の死を目の当たりにしたのは彼なのだろうと容易に想像がつく。
 駅員の顔色は真っ青であり、肌寒さはないが身体が小刻みに震えている。早めに休ませてあげるのが賢明だろう。
 だがそれでもこちらも刑事という仕事柄上、捜査協力を求めないわけにはいかない。

「その時の様子を詳しく教えていただけますか?」
「えっと……、その時は」

 ゆっくりと思い出しながら、人身事故が起きるあたりの時間帯のことを話し始める。
 事故が起きた時間は朝の七時半頃。この時間帯にはいつものように出勤するサラリーマンや通学する学生で溢れかえっていた。
 以前から事故が多発していることに、滝原駅としては何とかして事故防止に努めようと策を凝らし、駅員を配置するようにさせていた。いつも事故が起きる場所は決まっていたために、そこに集中させていた。
 配置状態としては四両目が来るあたりに挟み込むように二人の駅員が立っているというものだったらしい。

「他の場所で事故が起きるとは考えなかったのですか?」
「そ、それは考えましたよ?」

 亜梨子の言葉に慌てて駅員は答える。
 人身事故がところかまわず起きるような駅だったら、もう誰も利用したいなどとは思わなくなる。これ以上評価を地に落としたくはないという決死の思いを抱きながらの監視をつけるという策だったのだろう。
 しかし今回のことから、その策は結局失敗に終わった。
 彼が顔色を真っ青にしているのは、相当責任を感じているということもあるのかもしれないと考えた。

「で、でもこっちも人手が足りないんですよ。その時間帯に仕事が入っていない駅員が担当して、交代で監視をする」

 しかし不審な人物を見つけることもできず、飛び込んだ被害者を止めることもできなかった。もっと配置する人数が多ければ……、と肩を落としながら呟く駅員。事が起きてしまってからいくら言葉を並べても、それは言い訳にしかならない。咄嗟に動くことがそう容易にはできないことは理解できるが、今回の被害については防止することもできたのではないかと思わずにはいられない。
 もう少し詳しくその時のことを話してほしい、と亜梨子が言う。
 投げやり気味であるが、駅員は頷いてその説明を続ける。
 彼が配置場所として建っていた場所の近くに、今回の被害者である女性がいた。彼女の名前は伊藤美恵子。女性会社員で、通勤のために駅を利用したと思われる。切符ではなく定期券を持っていることからも、普段からこの駅を利用していることがわかる。
 彼女の周りには大人から子どもまで、さまざまな年齢の人間が立っていたとのこと。さすがに一人一人の顔など覚えてはいないようだ。
 彼女に異変が起きたのはちょうど滝原駅に列車が入ってこようという時だった。
 突然顔を引き攣らせ、ある一点を見つめたまま硬直していたとのことだ。

「彼女の表情に、どんな印象を持ちましたか?」
「どんな印象って……、とにかく何かに怯えているっていうくらいですかね」

 ――何かに怯えている?
 正義はそのことをメモ帳に記入してから、ボールペンの反対側でこめかみをトントンと軽くタッチしながら考え込む。
 ある一点とはどこのことを示しているのだろうか。
 そのことを亜梨子も疑問に思ったのか、正義の代わりに尋ねる。

「目線が下がっていたので……、多分足元じゃないですかね」

 考え込むようにして、駅員は難しい表情を浮かべながら言う。

「あなたも彼女の足元を見たりしましたか?」
「え、ええ、一応は」

 駅員の返答に、亜梨子はすかさず質問を投げかける。

「そこに何かありましたか?」
「いえ、何もありませんでした」

 首を横に振り、そのことを否定する。
 だがすぐに何かを思い出したかのような表情を浮かべ、

「し、強いて言うなら人一人が立てるくらいのスペースがありました」

 彼自身も疑問に思っていることを付け加えた。
 ――人一人が立っていられるスペース? 通勤ラッシュの時間帯に、そんなものが?
 最初の話からして、そのようなスペースができているのはありえないことだ。しかし彼が嘘を言っているようには見えない。

「い、以前から子どもの幽霊が現れるなんて噂があったから、もしかしたらそれを見たのかもしれませんね」

 などと冗談を言うように空笑いを交えつつ、駅員の男性は言う。
 それを聞いて亜梨子は渋い顔を浮かべる。
 ボールペンの芯をしまい、手帳を閉じる。彼の精神状態と、今の発言からこれ以上情報は聞きだせないと判断したのだろう。

「お疲れのところ、どうもありがとうございました」

 そう言って軽く一礼すると、くるりと彼に背を向けて歩き出した。
 正義の傍を通る際に一瞥をくれてきた。
 しかし言葉をかけることはなく、無言のまま駅の外へと歩いていってしまった。
 彼女の背中が見えなくなるまで見送っていた正義であるが、ゆっくりと視線を戻す。まだ残っていた駅員が正義のことを不思議そうに見つめていた。

「あ、どうも」

 警察手帳を見せながら、軽く挨拶する。
 それにつられて駅員の男性も軽く会釈する。

「あ、もう一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 そう言いながらボールペンとメモ帳を手に、彼へと近づく。
 さきほどとあまり顔色は変わっていないが、躊躇いがちに頷いた。
一言「どうも」に続けて、正義は興味・関心というのか、気になったことを駅員の男性に尋ねてみる。
 それはさきほど彼が口にした子どもの幽霊ということについてだ。
 何もないスペースを見つめながら怯えるだなんて普通ならありえない。
 まさか幽霊が関係しているかもしれないとは、露にも思っていないが。

「さきほどあなたは子どもの幽霊でも見たのではないか、と言いましたよね?」
「え、ええ……」

 不安げな表情を浮かべ、彼は肯定する。

「まさか、今回のことと、その噂に何か関係でも?」

 若干怯えを含み、探るように尋ねてきた。

「いや、ね。ちょっと気になったからさ」

 正義の返答に、駅員の男性は「はあ」と軽い反応を見せる。

「それで、その噂ってどうなの?」

 まるで珍しいものを見て目を輝かせている子どものように少々興奮気味に尋ねる。
 やや正義のその様子に押されつつ、駅員の男性はその噂について語り始める。
 その噂が耳にされるようになったのは数年前、片手で数得られるくらいの年数であろうか。最初に目撃した人物についてはさまざまな例があるらしいが、季節は夏であるらしく、その子どもの服装も軽装、つまりは夏服であったようだ。上下とも半袖半ズボン。服装の色は白く、小学校低学年くらいの活発そうな少年だと言う。どこにでもいるような少年だったということであまり気にはされていなかったようだが、いよいよ季節が変わり、秋、冬と寒さが厳しくなってからも同じような場所で、同じような服装で立っている姿が目撃されるようになり、いよいよ薄気味悪く思われるようになったようだ。その頃から彼はもしかしたら幽霊なのではないかという噂に変わり、今日に至るまで語り継がれていると言うことを教えてくれた。

「なんだか、ホラー映画みたいですね」

 口からこぼれた言葉は楽しそうであるが、表情はやや引き攣っている。

「それで、その子どもの幽霊が見られる場所っていうのは?」
「ああ、例の四番線だよ」

 そう言ってカメラを持っている鑑識の他、数人の刑事たちが集まっている場所を指差した。
 事故現場、か――。
 険しい表情を浮かべながら、正義は指差された場所を見つめる。
 しかし子どもの幽霊の姿は見あたらなかった。

「まだ何か、ありますか?」

 その言葉の裏には、早く休みたい、という思いが見え隠れしていた。
 責任ある仕事を任せられ、失敗した挙句に目の前で列車に人が轢かれる光景を目の当たりにしたのだ、精神的に参ってしまっていてもおかしくはない。そんな彼にこの時間までずっと協力を求めてしまったのだ、そろそろ休ませてあげるべきだろうと思い、正義は頷きながら言う。

「はい、参考になりました。ありがとうございます」
「は、はい。それで、刑事さん。なんとかこれ以上被害者が出ないようにしてください」

 それはこの駅の低迷する信頼への不安の他に、利用客に対する心配からの言葉なのだろうと分かる。

「任せてください」

 そう言いながら閉じた手帳を握った手でドンと胸を叩き、

「僕は刑事ですから。何とかしますよ」

 自信満々に言うと、事件現場へと足を向けた。
 鑑識の者たちの姿はすでにおらず、集まっていた刑事たちも事件現場に集中せず、その近くをうろついていたり、携帯電話を取り出し、誰かと話をしている様子が見られた。
 正義はそんな彼らを気にすることなく、線路とホームの境界線へと近づく。

「ここが現場か」

 緊張をかみ締めながら膝を曲げ、しゃがみ込む。
 そして線路の下へとゆっくりと視線を落とした。
 そこにはすでに被害者の遺体は運ばれてしまい、なくなっているが、線路や砂利に付着した赤黒いシミが血痕であることを理解する。
 そこからゆっくりと列車の進行方向へと視線を伸ばすように向きを変える。
 現在正義がしゃがみ込んでいるのは彼女が落下したとされる例の四番線であるが、すぐ下の線路辺りには飛び散った血の跡は少なく、むしろそこから数メートル前に離れた向こう側が悲惨な状態となっていた。
 ブレーキがかかっているとはいえ、スピードが落ちきっていない状態の列車にまともに轢かれ、跳ね飛ばされたのだろう。遺体が原形を留めていたとは到底思えず、その惨状を目の当たりにした者たちには同情を覚えた。
 彼ら以上に、被害者の女性に対しては冥福を祈るしかない。
 辺りに何かが落ちていないかどうかを確認してみる。
 刑事らしいが、自分が来る前にほとんど回収されてしまったのか、めぼしいものは見つからなかった。
 もう一度四番線からすぐの下に視線を戻し、逆方向に止まったままである血で赤く染まった列車を見てから立ち上がる。

「やることなくなったな……」

 そうため息混じりに呟く。
 とりあえず、今の自分ではこれ以上できることはないと思い、正義は駅の外へと出ることにした。


 帰りには朝に来た時のようにパトカーはないため、駅前でタクシーを拾い、滝原警察署へと戻った。
 この時間帯ならば、朝来たときよりも人は集まっているだろうと思うと同時に、課長に挨拶をしておいた方がよいと思い、足早に刑事課へと向かった。
 案の定捜査室は朝の時とは違い、ほとんどの机に人が納まっていた。
 正義よりも一足先に戻っていた亜梨子の姿もあった。
 こちらには視線を向けることもせず、黙々と何やら作業を続けていた。
 無人だった課長の机に、面接時に顔を合わせた以来の人物が立っていた。
 小走りに課長の机の前に向かい、挨拶をする。

「課長、おはようございます」

 初めは見慣れない顔であったために、誰だ? という表情を浮かべたが、すぐに今日付けで配属になった刑事だと思い出し、顔を綻ばせる。

「お、おお。確か今日付けでうちに配属になったっていう」
「はい。菅原正義です。ただいま、事件現場から戻りました」

 ビシッ、というように敬礼を決めながら言う。

「仕事が早いね。それくらい今後も頑張ってもらえると、うれしいかな」
「任せてください」

 すると課長は席から立ち上がり、机を回って正義の隣に立った。
 二、三度手を叩くと、仕事をしていた他の刑事たちが一斉にこちらを向いた。

「はい、ちょっと手を止めて。今日付けで刑事課に配属になった菅原正義くんだ」
「菅原正義と言います。よろしくお願いします」

 自己紹介を受け、自分でも一言挨拶をする。
 男性が多いためか、低い声で歓迎の言葉がちらほらと聞こえた。

「みんな、時間取らせて悪いね。仕事に戻って」

 すると何もなかったかのように、こちらに向いていた視線はすぐにもとの場所へと戻った。
 何というのか、あっさりとしすぎている紹介に、された側である正義の方が唖然としている。
 隣に立っていた課長の男性も席に戻っており、近くに置いていたラジオの電源を入れ、イヤホンを耳にさして何かを聞き始めた。机の引き出しの中から何か紙切れとスポーツ新聞を取り出した。その紙切れをよく見てみると、競馬の番号の書かれたものであり、内容は聞き取れないが、相当白熱しているレース展開なのか、課長の表情はまるで百面相のように次々と変わる。そして最後に落胆の表情を浮かべ、手に握り締めていた紙と新聞を机の上に投げ捨てた。
 イヤホンを外してから、正義がまだ机の前に立っているのに気付く。

「君、何してるの?」
「何してるのって……。ええっと、僕は何をすれば?」

 そう尋ねると、課長は困ったような表情を浮かべる。
 それから辺りを見渡し、目に止まった人物に手招きしながら名前を呼んだ。
 課長が名前を呼んだのは、朝にここで顔合わせをした亜梨子だった。
 彼女は何だろうか、という疑問を表情を浮かべながらやって来た。

「君の先輩にあたる、篠原亜梨子くんだ」
「朝はどうも」

 課長の紹介に続き、正義は軽く挨拶する。

「どうやら彼はやる気に満ちているようだからね。どんどん君が仕込んでくれてもかまわないよ」

 課長にバンバンと数回背中を叩かれながら、多少なりともよい評価をもらう。
 それを聞いていた亜梨子はすでに正義のことを知っていたこともあり、女性らしい柔らかな笑みを浮かべながら言う。

「はい、分かりました」
「それじゃあ、後のことは亜梨子くんに任せるよ」

 そう言うと、課長は自分の席に戻り、机の上に投げられていた新聞を広げ、競馬欄を食い入るように見始めてしまった。
 こうなってしまったら、彼とこれ以上話をすることはできないだろう。
 初日の挨拶も無事に済んだということで、よしとするべきか。
 正義は亜梨子の後についていき、まずは今日から使用することになる席に案内される。そこはちょうど彼女の机の真横にあった。さらに隣は別の刑事が使っている机のようで、正義が座り込むと、書類作成の手を止め、横目で睨むような視線を向けてきた。
 ――あれ、何か悪いことでもしたかな?
 自分の席につき、途中だった作業を再開していた亜梨子に耳打ちして聞いてみる。
 しかし彼女も首を傾げるだけで、分からないらしい。

「気にする必要はないと思いますよ」

 と、軽くアドバイスされるだけだった。

「そんなことよりも、仕事、仕事」

 若干楽しそうに言う彼女から差し出された一枚の紙。そこには報告書と大きく描かれた文字があった。

「それじゃあよろしくお願いしますね。期待の新人くん」
「あ、あははは……、がんばります」

 ウインク一つ混ぜながら、亜梨子が軽い口調で言う。
とりあえず初のデスクワークだ。報告書ということもあり、やや緊張気味にボールペンのペン先を紙に押し当てた。


 それから時間が経ち、昼頃になっていた。
 突然刑事課に蒐集がかかり、即席で設置された捜査会議が開かれることになった。
 前の方に座っている警察署長の石田や副署長大畠の他、課長の竹下が司会、進行役を務めることになっているようだ。彼らと一緒に座っている鑑識係の姿も見られた。
 さらにざっと二十人くらいの刑事が設置されたテーブルに着いている。
 正義は初めてということもあり、直接教育係となった亜梨子の隣に座っていた。
 憧れの捜査会議ということもあり、ワクワクと期待感を抱きながらメモ帳とボールペンを用意し、今か今かと始まるのを待っていた。
 そんな正義の様子を横目で見ていた亜梨子は苦笑いを浮かべながらも、見守るような視線を向けていた。
 何やら小声で話をしていた石田たちであるが、手元の腕時計を見て捜査会議を始めることを宣言した。
 まず始めに石田が指名したのは鑑識係の吉丸だった。
 吉丸と呼ばれる中年の眼鏡をかけた男性は指名されるとその場に立ち、マイクを借りて手元の資料を読み上げ始める。その際に前方にある三つの巨大スクリーンに写真が映し出された。

「それでは、これまで判明していることについてご説明します」

 ゆったりとした口調で前置きを述べる。

「今朝の事故で死亡した会社員の女性の死因は当然のように列車に轢かれての即死です。数日前の事故とまったく同じです」

 被害者の血痕のついた列車や付近を写したと思われる写真が映し出される。まるで赤い花が咲いたかのようにも見える。
 あまりの惨状に、静まり返っていた会議室が一気に重苦しい雰囲気に包まれた。
 死体そのものが写された写真はなかったが、列車に轢かれての即死ということから、どのような状態になったのかは容易に想像できた。
 さらにそんな事故が同じ場所で何度も起きているということから、まるでその事故現場となった四番線が呪われているのではないかという、非科学的な考えも浮かんでしまう。
 全員が不穏さを感じていた。
 説明は簡潔に終わり、吉丸は何か質問はないかと呼びかける。
 すると一人の刑事が手を挙げた。

「今回の件は単なる事故なのでしょうか。それとも他殺なのでしょうか?」
「他殺ならば、その犯人の指紋が服などから検出されたでしょう」

 しかし今回ばかりは無理がある。
 列車に轢かれての即死であるために、被害者はもはや原形を留めていない上体で発見される。出血を止めることもないため、指紋は赤く塗り潰されてしまっただろうという説明がされる。つまりは事故なのか事件なのかはまったく分からないのだ。
 そう言われると、質問をした刑事はそれ以上尋ねることはせず、席に座る。
 それ以上の質問がないと思ったのか、吉丸は席に座った。

「次、捜査状況はどうなっているかね?」

 顔を備え付けのマイクに近づけ、石田が進行を進める。彼の言葉に続いて、二名の刑事が立ち上がった。

「現在事故、自殺、他殺という三つを仮定して捜査を進めています。今回の件は数日前のものとも一致しているところが多く、事故、自殺よりも他殺が濃厚なのではないかと思われます」
「前者二つに関しては、その当時利用していた者、被害者の家族や友人、仕事関係者への聞き込みを行っております。また、後者に関しても、同様に聞き込みを行なっております」

 二人の刑事はそれぞれのメモ帳に書かれていることを丁寧に読み上げていく。
 それを聞き取りながら、要点だけを自分のメモ帳へと書き込んでいく。

「聞き込みについては?」

 また別の二人の刑事が立ち上がり、同じようにメモ帳を広げて読み上げていく。

「事故、自殺についてですが、今回の被害者は人間関係における問題は抱えておらず、仕事においても特に目立った問題はなく、模範的な人物であるそうです。そのため関係者からは自殺は考えられないのではないかとのことです。事故についてはその当時慌てていた様子はなく、突然自ら線路の方へと飛び出していった、ということのようです」
「他殺については、人間関係、仕事関係での問題はなく。誰かに恨まれるということはないとのことでした」

 彼らが座ると、さらに二人が立ち上がり、説明を始めた。

「数日前の女子高生の件ですが、どうように聞き込みを行なったところ、彼女は以前から夜に外出することが多く、補導の経歴もあります」
「他殺の面から考えると、援助交際などにかかわり、その人間関係の問題から事件に巻き込まれたという可能性も否定できませんので、詳しく被害者の日常の生活や交友関係についての洗い直しを行なっています」

 正義は他の刑事たちの説明をメモ帳に要点としてまとめた。
 女子高生については詳しいことを知らないので、後で教えてもらう必要があると思った。
 現在は他殺が濃厚とされているようであるが、今朝の被害者である会社員の女性のことを聞く限りでは、怨恨からの殺人とは思えなかった。家族や知人の知らないところで問題を抱えていないとも言い切れないが、そればかりは人間関係についてもっと詳しく調べなければどうしようもないだろう。
 それにしても、このように捜査会議が開かれるということは、この二件の事故だけが関係しているとは到底思えなかった。もしかすると、以前からその場所で起きていた事故ともなんらかの関係性があるのではないかと考えた。
 新人が考えることなのだから、当然経験豊富な先輩刑事たちはもうそのことには気付いているだろうとは思うが。
 それと正義はふと思い出したことがあった。駅員から聞いた、四番線に現れるという子どもの幽霊についてだ。噂程度と考えることもできたのだが、今朝会った謎の少女のことを考えると、どうしてもどうでもいいという一言では片付けられなかった。
 捜査会議もほとんど進展が見えないまま終了が近づいていたところで、突然手を挙げる若い刑事がいた。

「被害者の女子高生と遊びに出かけ、事故を目撃した友人の方からの話なのですが……」

 もったいぶるように言う彼に対して、石田が早く話すように促す。
 その言葉に慌てながらも、彼は重大なことを口にした。

「彼女が被害者の少女を突き落としたと思われる女性を見たということ、です」

 混迷の霧の中を彷徨っていた捜査に一筋の光が見えたような気がした。

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■作者からのメッセージ
はじめましての方は、はじめまして。
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
作者の泉海斗です。
前回も引き続きたくさんの読者のみなさまに読んでいただくことができ、ありがたく思っています。また、【オープニング】ではPV100を超えたことも感謝感激です。
主人公が登場し、いよいよ事件の解明に動き出します。今後も楽しんでいただけると幸いです。
ご意見、ご感想をいただけると幸いです。
この物語を読んでくださったみなさまに、無上の感謝を、変わらず。
それではまた次回!
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