1993年9月 ポパールハイヴ周辺 スワラージ作戦最前線(ソビエト連邦特殊戦術情報部隊展開地域)
まりも機が大暴れしてから1時間後に、フェイズ二からフェイズ三への移行が宣言された。そしてそれからさらに約1時間後、HQから作戦経過報告が告げられる。
「フェイズ三順調に推移中。地表に残存するレーザー属種の90%以上の排除が完了と推測されます。これより300秒後にフェイズ四に移行します。繰り返します、これより300秒後にフェイズ四に移行します」
空から降り注ぐM01搭載型多弾頭ミサイルがBETAを容赦なく駆逐していくのを背景に、HQからの報告を聞いていたソビエト連邦特殊戦術情報部隊の隊長、コードネーム「リサー1」は自部隊に課せられた作戦の開始を宣言する。
「リサー1より、各部隊に告ぐ。これよりハイヴ突入作戦を開始する。本作戦の目的はBETAとの意思疎通および情報入手だ。全てをおいても任務を完遂せよ。なお作戦遂行部隊は中隊単位とする。有効な情報を入手した場合は速やかに帰投し、本国作戦本部への情報伝達を最優先とする、以上だ。なにか質問は?」
「…」
「ないようだな。よし、同士諸君、偉大なる祖国のために、命を賭けろ」
「「「偉大なる祖国のために!!」
統制の取れた動きでF−14 AN3 マインドシーカーが次々とハイヴへと突入していく。
その中にあって、アフツァー中隊を率いるラリーサ・ドゥヴェ大尉、コードネーム「アフツァー1」は、静かに自部隊の突入の時を待っていた。
やるだけのことはやったつもりだった。が、現実は非情だった。彼女の未来予知は全て己の死で彩られていた。静かな絶望の中、しかしそれでも生き抜こうとする意志を持てたのは、初めて祖国以外で守りたい者が出来たからだろう。
他の同士に知られれば、ソ連軍人失格のそしりを受ける惰弱さだったが、それは今の彼女の支えだった。103と呼ばれる第四世代の子供。それを助けるためだけに、彼女は約束された死地へと向かおうとしていた。
「アフツァー中隊、次に突入だ。準備は良いか?」
「はい、問題ありません。中隊各員、行くぞ!」
「「「了解」」」
部下達の声を聞き、ラリーサは静かにマインドシーカーを移動させる。ここから先は死に彩られた空間だ。果たして部下もどれだけ生き残れるのだろうか。そう思いながら、彼女はハイヴへの突入を開始した。
その姿を興味深げに観察する者がいるとは知らずに。
立花隆也はようやく探し当てたソ連特殊部隊の展開地点を観察できる位置に陣取っていた。ちなみにまりもはあの後、2度の無双を見せつけ、キルスコアは5000を超えていた。
「うーん、自身思考反映がプロジェクション、他者思考観察がリーディングっていったところか。能力的には全員がLV4、高いのか低いのかよくわからんな。それにしても、気になるのはあの予知能力を持っている衛士だな」
他者能力閲覧で遠く離れた戦術機に乗っている人間の能力すら丸裸にすることが可能になっていた人外隆也は、参加する人員の能力を計測していた。元々オルタネイティブ3の情報は入手してあるので、プロジェクション、リーディングについての対策のために「精神干渉無効」を取得済みである。彼の思考をAL3の能力者に読まれる事もないだろう。
そんな中にあって彼の注意を引いたのは、予知能力を持つ衛士。ラリーサ・ドゥヴェだった。AL3の計画の性質上から予知能力者の研究は行われていないはずだ。
ならば彼女はたまたま紛れ込んだだけの超能力者か、と思ったが、なにせ彼女もプロジェクションとリーディングを持っているのだからよくわからない。LVは2と低く、代わりに戦術機の操作技能に優れている。
今ひとつ素性がわからない。が、それよりもなによりも気になるのが、部隊員全員に付いているAL因果律だった。
能力者の帰還率6%。
これが何を意味するかは、想像が付く。つまり108機全てに搭乗しているAL3の能力者の生還率が6%という因果が確定しているということだ。
隆也は思わず舌なめずりする。
AL因果律への宣戦布告だ。まずはこの因果をぶち壊す。帰還率を可能な限り引き上げてやろうじゃないか。
決意は、鋼のごとき強靱さを持っていた。
1993年9月 ポパールハイヴ内
ハイヴ内はうっすらとした淡い光を放っていた。一見すれば幻想的な光景といえるだろう。
しかしよく見れば分かる。その至る所にうごめく者どもがいることが。人類の敵、BETAだ。
「フサードニク中隊、BETAと接敵。これより戦闘行動に移る」
至る所で戦端が開かれていた。幻想的な光景を切り裂くようにマズルフラッシュが辺りを照らし出す。
BETAの屍を築き、それを乗り越えていくソビエト連邦特殊戦術情報部隊。
「HQよりフェイズ4の発動が発令された。なるべく降下部隊と鉢合わせしないように進め」
入り口から張り巡らせている有線電信回線から、本部の指示が飛ぶ。
「「「了解」」」
各中隊単位で慎重に歩を進めていく。今のところ損害は0だが、相手はBETAだ。いつなにが起こるか想像がつかない。
そんな中、自身の緊張を紛らわすための会話は所々で行われていた。
「おい、魔女、やつらの反応はどうだ?」
「平和を象徴する画像を送っていますが、反応はありません」
「ちっ、役にたたねえな。テメエらが成果を挙げないと引き上げられないんだ。手を抜くんじゃねえぞ!」
「了解しました」
「アフツァー7、焦るな。まだ作戦は始まったばかりだ。過度な負荷をかけて肝心なときに役に立たないと言うことがないように、能力者の体調管理はしっかりとしておけ」
「はっ、申し訳ありません、アフツァー1」
ソ連軍衛士にとって、複座式の管制ユニットに一緒に乗るAL3の能力者は、人の心を読む化け物以外の何者でもない。もちろん計画の遂行に必要な存在であるとは認識しているが、それは人としてというよりは、不可欠な部品であるというような認識が殆どだ。
まともに人間扱いする方が少ない。それだけ人の心を読む、という能力は異能として恐れられているのだ。
実は相手が人間だからこそ心が読まれることが怖いと言うことを彼らは本能的にわかっており、それ故に能力者達を人間扱いしない。人間でなければ、機械かなにかであれば心を読まれてもまだ耐えられるからだ。
アフツァー1、ラリーサは複雑な思いを抱えながら戦術機を操る。
自身の素性は公には知らされていないはずだが、ドゥヴェを名乗るものが第三計画出身であることは一部では公然の秘密だ。自身が率いる部隊員もそれを知っている節がある。
それでも彼女が中隊長に抜擢されたのは、ひとえに優秀な戦績を誇るが故だ。
「支援者より各中隊へ、これよりBETAの分布図を送る。各自確認せよ。繰り返す、支援者より各中隊へ、これよりBETAの分布図を送る。各自確認せよ」
突然、有線電信回線から聞いたことのない声が流れたと思うと、データが転送されてきた。
支援者の名前は、佐官以上しか知らないため、ラリーサは突然の出来事に目を白黒するしかなかった。
なぜなら、それはハイヴ全体に散らばるBETAの分布図だったからだ。もしこれが本物であるならば、その価値は何物にも勝る。
「リサー1、これは一体?それに支援者とは?」
「リサー1、これは本物なんですか?」
「おいおい、これ本当かよ。ハイヴ内のBETAの残存数6万だって?想定より遥かに多いじゃないか!」
リサー1に問い合わせが殺到するが、彼もなにがなにやらわからない。支援者の存在は知っているが、彼または彼女の目的は全く不明なのだが。それがこのタイミングでいきなり接触してきて、なおかつ情報を渡してくるなど、想像の埒外もいいところだ。
落ち着いて状況を整理しようにも今は作戦遂行中、しかもハイヴのど真ん中だ。悠長に考えている暇はない。
「こちら支援者。そのデータは本物だ。それと、こちらには特別な思惑はない。ハイヴ内に突入した全ての戦術機部隊にデータを転送している」
ということは、目的はハイヴ攻略の手助けか?とリサー1は考える。それならこの行動も納得は行く。
話では支援者は、精鋭揃いで有名なシェンカー少佐率いる国連軍所属第76戦術機甲大隊の撤退を支援するために、BETAの群れの中に突撃し戦闘中に反応が失われたため戦死したと見なされているらしい。この支援者がその本人かどうかはともかく、このデータが本物であれば作戦の成功率は遥かに高くなる。
「こちらリサー1、データの提供感謝する。だが、貴官の目的はなんだ?それになぜ我々の存在を知っている?」
当然の疑問だ。目的はハイヴ攻略の手助けだとして、なぜ自分たちの存在を知っているのか?オルタネイティブ直属部隊である自分たちの機密レベルは最高位に位置するはずだ。
部隊展開位置はおろか、目的も極秘事項だ。
「目的はハイヴ攻略の支援、それとBETA戦に関わる限り、支援者の情報網からは逃げられないと思った方が良い」
そう答えると同時に通信が途切れる。
あとに残されたリサー1は呆然とするしかなかった。
支援者の言葉が本当であれば、BETA戦に関する全ての情報は支援者にとっては筒抜けと言うことになる。
現に最高機密である自分たちの部隊のことが完全にばれている。
これは一刻も早く本国に報告せねばならない。
「リサー1、このデータを信頼するならば、前方に偽装横坑があることになります」
一時的に思考に没頭したリサー1の鼓膜を部下の報告が震わせる。リサー1はすぐさま思考を浮上させ、データの信憑性を吟味する。
万が一、オルタネイティブ計画の反対勢力の差し金だった場合を考えると迂闊に信じるのは自殺行為だ。
だが、相手が本当に支援者であればその情報は信じるに値する。
「っ、今回は安全を考慮してデータを信じてみる、アフツァー中隊、偽装横坑に備えろ」
「了解」
慎重に進む各中隊が、データ上偽装横坑の存在が疑われる位置に達したとき、ハイヴの外壁が吹き飛び大量のBETAが飛び出してきた。
しかしそれはすでに予測されていた奇襲。アフツァー中隊をはじめとする各中隊が冷静に対処し、幾つか小破の機体がでたが実質の被害は0で終わる。
「これは本物か、しかしBETAの分布状況の調査などいったいどうやって」
驚愕するリサー1のすぐ後ろに、光学迷彩で隠れた隆也がいるなど神ならぬ身の彼には想像もつかなかった。
「降下部隊の突入が開始されたのと今ので、一部BETAの分布図に変化が起きた。最新のデータを送る」
再び送られてくるデータを目にしたリサー1が目を剥く。降下部隊の位置までが網羅されているのだ。
「支援者、もしかして我々の部隊の位置を他の部隊に伝えるとかは…」
「安心して欲しい、貴官らが機密部隊だと言うことは理解している」
「そ、そうか」
確かに確認してみると自分たちの機体の位置情報は一切載っていない。一体どのような魔術を使っているのか、戦々恐々としながらも特殊戦術情報部隊は、隆也からもたらされたBETA分布図を元に進軍を続ける。
ラリーサ・ドゥヴェは戸惑っていた。
こんな未来は知らない。
本来なら先ほどの偽装横坑で奇襲に遭い、少なくない犠牲を出しているはずだった。
そもそも、こんなデータ提供があるなんて予測すら出来なかった。
支援者?
何者だろう。全ての齟齬はその謎の人物に集約されているような気がする。
現にこうして絶望的な将来のビジョンが刻一刻と書き換えられて行くのがわかる。
死から生へと。
まだ生きられるのか、自分は。
助けられるのか、自分の弟妹達を?
そんな思考に没頭していたのが悪かったのか、背後から迫り来る突撃級に彼女は気づかなかった。
そして、その突撃級が刃渡り3メートル強の日本刀に一瞬にして切り刻まれるのも。吹き出すBETAの体液で一瞬光学迷彩の効果が薄れて、その姿を現した黒い強化外骨格の存在にも。
因果律への反逆は、確実に未来を蝕んでいた。そう、蝕む未来が絶望にまみれた未来であろうとなかろうとお構いなしに。