1995年 初夏 日本帝国柊町
「えー、では、10月から始まる正規兵訓練についての説明を始める」
教壇に立った日本帝国軍所属柊町高等部衛士育成学科の講師が、プリントを配り終わったのを確認して話を始める。
各々の席に着いた衛士育成学科の三年生は皆真剣な表情を浮かべている。
これから始まるのは、三年生の後半から始まる、兵士としての教練。今までのは衛士となるべく技術を重点的に磨いていたが、これからは違う。
軍隊という組織の中に生きる一兵卒としての心構え、軍隊での過ごし方、そのた諸々をたたき込まれるのだ。
今までの学生気分とは一転し、厳格なる軍人として生きる心構えを徹底してたたき込まれ、そしていっぱしの兵士として生まれ変わるのだ。
当然平行して、さらに激しい戦術機の操作訓練も行われる。
ちなみにここで良い成績を残しておけば、斯衛軍への推薦も可能となる。
征夷大将軍を守護する斯衛軍、そこに所属できるのは衛士としての誉れでもあった。誰もが真剣になろうというものだ。
「プリントに書かれているとおり、今年から正規兵訓練には二つの選択肢がある。一つは従来通りの帝国陸軍式の正規兵訓練だ。こちらは入学したときのパンフレットにものっているから詳しい説明は不要だろう」
いってから、カツカツと黒板に従来コースと書き付ける。そして続けて、国連兵育成コースと書き付けると、教室の中にざわめきが走った。
「諸君らも知っての通り、この春から柊町日本帝国軍基地は、国連軍の基地として接収された。日本帝国軍所属の学校としては特に変わることはないのだが、ただ一つ変更となることがある。それがこの国連兵育成コースだ」
オルタネイティブ4の発動に従い、日本帝国から柊町日本帝国軍基地が国連軍の研究施設機として提供された。それにより当基地に所属の日本帝国軍兵は、国連への出向扱いとなった。ただし、付属の教育機関については帝国軍に所属するままという少々ややこしい事態となった。
理由は簡単、この柊町の高等部の卒業生の能力がここ数年飛躍的に向上しているのだ。特に神宮司まりもを輩出した年を境目にその能力の伸びが顕著になっている。
つまりこの高等部は優秀な人材を輩出する貴重な教育機関として認識されているのだ。
現に卒業者の活躍はめざましく、日本帝国軍に少なくない影響をもたらしている。
そのため日本帝国としては、この教育機関を手放すわけにはいかなかったのだ。考えて見ればわかるだろう。ここから排出されるであろう優秀な技術者、衛士がすべて国連に取られるのだ。日本帝国としてはそれだけは避けたかった。
「諸君らにはよく考えてこのコースのどちらを選ぶかを決めて欲しい。とは言え、これだけでは決め手にかけることもあるかもしれないので教えておこう。国連兵育成コースについてだが、この教官は神宮司まりも大尉が臨時講師として半年間就任することになっている」
部屋の中に衝撃が走った。
神宮司まりも大尉。わずか数年で大尉まで駆け上がったその戦果は、もはや人外と言って良いほどのものだ。
戦場の生きる伝説とも言われるその人物から直接教えを請うことができるというのか?
部屋の中に満ちるのは殺気にも似た緊迫した空気。
「もちろん、臨時講師に就任中は、臨時軍曹として他の教導教官と同じくらいになる。だがそれでも彼女の薫陶を受けるまたとない機会だろう。現に今もこうしている間にも、世界中から彼女への教導依頼が殺到しているということだしな。それを半年間も独占することが出来るのだ。それがどれだけ貴重な体験になるかは分かるだろう。ただ、問題点としてこのコースを受けるとそのまま、ここの国連軍所属基地に配属となることだ。つまり日本帝国軍への配属が無理になってしまうと言うことだな。そこのところを踏まえて、よく考えてもらいたい。私からは以上だ」
講師が話を切り上げると、筆頭生である伊隅みちるが号令を掛ける。それに従い、生徒達が起立し、礼を行い、着席を行う。一糸乱れぬ動きは、まさに軍隊そのものだ。
その姿を満足そうに見つめた講師は、そのまま教室を去っていく。
教室から講師が姿を消して数瞬後、教室の中に雑音の嵐が巻き起こった。
普段から仲の良いグループが集まって、先ほどの正規兵訓練について話し合っていた。
その中でみちるも、仲の良い女性生徒と話をしていた。
話題はもちろん、正規兵訓練についてだ。
隆也と夕呼から話を聞いていたので驚きはないのだが、周りに合わせるように驚いたような表情を浮かべている。
まわりのテンションはうなぎ登りだ。
なにせ生きる伝説神宮司まりも大尉の教練を受けられる、しかも半年間も独占することが出来る。これ以上の贅沢はない。
「でも、日本帝国軍への配属は諦めないといけないのよ?そのあたりはきちんと考えるべきね」
忠告のつもりでみちるが口にすると、目に見えてテンションが下がる。
「うーん、そうなのよね。国連軍が悪いとは言わないけど、どうせなら将軍様のために、そしてなにより日本帝国のために働きたいしね」
複雑な顔をして悩む同級生達を見つつ、どちらにしろ日本帝国のためになることはかわらないんだけどね、とみちるは心の中で呟いていた。
まだ学生な自分に対して、国家機密レベルの話を教えて、当然国連軍コースに乗るんでしょうね、と迫ってきた夕呼には、あきれと同時に怖さも感じた。
何かに命を賭けている人間の、その目の輝きと強烈な意志。自分が同じだけの物を手に入れるのに一体あとどれだけの時間が必要なのだろうか。
後に神宮司まりもの右腕と呼ばれる少女は、翻弄される自分の人生について深いため息をつくのだった。
1995 初夏 アラスカ(ソビエト連邦租借地)
「第三計画は頓挫、戦術機の開発技術についても現在停滞中、それだけならまだしも、あの日本帝国がそのすべてに対して優位に立っているとは。くそっ、忌々しい!」
でっぷりとした男はそう言うと手にしていた書類をデスクの上に投げつけた。
「しかも第三計画については、すべての成果を持って行かれる始末。希少なサンプルの幾つかは、何とか誤魔化して手元に置いておくことに成功したが」
愚痴る男の思考を遮るように、扉がノックされる音が部屋に響く。
「入れ」
「はっ、失礼いたします」
「おお、バザロフ中佐ではないか。どうだったかね、スエズ運河のバカンスは?」
「はっ、滞りなくすみました。情報部の入手した通り、日本帝国の最新機が投入されました。」
「そうか、やはりあの最新機が鍵だったのか?」
「はい、これを」
バザロフが手にした書類をでっぷりとした男に渡す。その際にデスクに散らばった書類が目に入る。
第三計画、戦術機の開発案件、そこから日本帝国の名前を導き出すと、バザロフはその書類を見なかったことにした。
「一度の作戦で1万前後のBETAを殲滅か。相変わらず化け物じみた機体だな。それを量産しないところをみると、本当に操縦できる衛士がいないということなのか?」
「はっ、おそらくは。日本帝国が提出した衛士に求められる能力については、我がソビエト連邦の最高峰の衛士を持ってしてもクリアできませんでした」
「ということは、ということはだ、同士バザロフ。あの化け物を駆る衛士のサンプルが手に入れば何ら問題ないと言うことではないか?」
にちゃり、と男が笑みを浮かべた。デスクには、報告書に混じっていたまりもの写真が置かれている。
それを芋虫のような指でとんとんと叩きながら、男はさらに続けた。
「なにも本人を拉致する必要もない。何とかしてDNAマップの情報を手に入れるだけでいいのだ。もちろん人体サンプルがもっとも望ましいのではあるがな」
「しかし、神宮司大尉には厳重な身辺警護がついており、体組織の一部を手に入れるだけでも非常に難しい状態です」
「難民解放戦線、キリスト教恭順派、あやつらにわざわざ資金を渡しているのは利用できる時に利用するためだ。そう思わないか?」
男の目には暗い情念が宿っていた。バザロフが思わずつばを飲み込む。
「難民解放戦線は少々夢見がちなところがある。使うならキリスト教恭順派だな、やつらは狂気に侵された理性を持っている。BETAの天敵とかしているあの衛士を手に入れるためにきっと役に立ってくれることだろう」
「っ、同士!しかしそれでは、あの希有な衛士を失うことになりかないのでは?」
慌ててバザロフが口を挟むが、それを胡乱げな瞳で男は見つめる。
「別に良いではないか、仮に失敗しても痛むことはない、最悪あの衛士が死亡したところで我が祖国には何ら損失にはならない。いや、むしろあの忌々しい新型を操ることができる唯一の衛士を失うことになる日本帝国にこそ多大なる痛手を被るのだ」
狂気に近い情念を宿す目を見て、バザロフは説得を諦めた。下手に諫めようとしたところで、こちらの首が危うくなるだけだ。
BETA大戦が終了していればいいが、今はまだあの天才衛士の力は必要だ。祖国が力をためるためにも、時間は必要なのだ。
それをこの男は理解していないらしい。
以前はそう言った大局的な判断も問題なく出来ていた男だった。だが、それがここ最近では国内の派閥争いに力を入れるあまり、少々妄信的になりつつあるようだった。
「ここは屈辱だが、日本帝国に国連を通して新型とその衛士の派遣を要請するか。こちらの手の内であればいくらでもやりようがある」
「同士、しかしそれでは我が祖国に疑いがかかることになるのでは?」
「ふむ、そうだな。だが、BETA戦だ。何が起こっても不思議ではないだろう?ましてや相手はテロリストだ。それがたまたま我が国の領土内で活動していた。それだけだ」
「ですが、我が国の対テロリスト対策能力に疑問が持たれることになってしまうのでは?」
「なるほど、確かにそれは問題だな。だが、テロとはそう簡単に防げる物ではない、というのも確かではないか?」
「仰るとおりですが・・・」
「同士バザロフ、君の危惧することは分かるが、それよりも我が祖国が受ける利益の大きさを考えて行動するべきだ。そうだ、あの衛士のDNAマップが手に入るとなれば、第三計画の技術を有効活用することが出来る。素晴らしい」
なぜか自分の欲望を満たすことが祖国の利益につながると勘違いし始めた男を、バザロフは冷ややかな目で見つめていた。
自己のエゴと祖国の利益の区別もつかなくなったものは、もはや同士と呼ぶに値しない。彼は心の中で目の前の男を切り捨てた。
彼が少佐から中佐に昇進する際に手に入れたコネクションを今こそ使うときだろう。
男は自分の死刑執行のサインが、バザロフの脳内で書き込まれたことに気づかずに、延々と己のなかの欲望の絵図を語り続けていた。