1996 初夏 スエズ運河防衛ライン
日本帝国軍海外派兵部隊用のハンガー、それに隣接されて国連柊町基地所属海外派兵部隊用のハンガーが存在する。
そこに足早に集合したA−01部隊員たちは、ハンガーに格納されている自機に向かっていく。
立ち並ぶのは34機の不知火改型。従来の不知火を遥かに凌駕する機動性と防御力を手に入れたこの機体を果たして不知火の改修型として見ていいのか、と戦術機の専門家は頭を捻ることだろう。
それほどまでに通常の不知火と比較すると大きな改修が行われているのだ。
噂では、エース専用機としてまったく新しい戦術機も開発されているという。もちろん、開発の陣頭指揮に経っているのは香月夕呼副司令なのだが、影で設計を担当しているのは立花隆也その人である。
A−01部隊の隊員たちはそれぞれの自機に乗り込むと、着座調整を行い発進シーケンスを実施する。
システムオールグリーン、問題がないことを確認した各員から準備完了の知らせが、暫定のA−01部隊隊長の伊隅みちるのもとに入る。
「アルファ中隊、準備完了」
「ブラボー中隊、準備完了」
「チャーリー中隊、準備完了」
その報告を受けるみちるは、妙な違和感を感じていた。なにかしっくりこない。今まで散々実機訓練を行ってきたが、その際に感じたことはない違和感。
敏感なみちるだからこそ、その違和感に気づいたのだろう。現に、他の隊員からそのような報告は上がってきていない。
気のせい?
みちるは、実戦を前にして自分の気が立っているのかと思ったが、それとは違う。そもそも思考制御をものしている自分に緊張は無縁のはずだ。
とはいえ、さすがに思考制御も万能ではない。気のせいであるという可能性は捨てられない。
「ちょっと、伊隅、なにぼさっとしてるのよ。全中隊の準備が完了したんだから、さっさとHQへ報告をしなさいよ」
訓練生時代からの友人がみちるに発破をかけてくる。はっ、と我に返ると頭を振り、HQへの報告を開始する。
「A−01部隊の全中隊の準備完了を確認した。こちら国連軍柊町所属A−01部隊よりHQへ、準備完了しました。繰り返します、国連軍柊町所属A−01部隊よりHQへ、準備完了しました」
みちるが準備完了の声をあげると、HQから了承の回答と、出撃命令が下った。
「了解しました。これよりA−01部隊出撃を開始します。みんな、聞いたな。これよりアルファ中隊から順次出撃をして、指定の座標で陣形を組んで待機。殿は私がつとめる」
「「「了解」」」
次々に出撃していく各部隊の不知火たち。訓練通りのスムーズな発進。ここまでは良い。問題は、これから始まるBETAとの戦闘だ。
果たしてどれだけの隊員が生き残れるか?
そこまで考えて、みちるは頭を振った。ばかな、最初から損失を考えてどうする。今までの長く辛い特訓は何のためだったんだ?生き残るんだ、全員、生きて再び柊町の基地に帰還するんだ。
そう心に刻んで、みちるが自機を発進させると、違和感はますますふくれあがっていく。
これはいったい?
不審に思ったみちるが、心を静め、周囲の気を探る。
そこで、とんでもない事実があきらかになる。
「これは!?」
みちるが気づいた瞬間、秘匿回線から通信が入ってきた。あいては、神宮司まりも。
急いで繋ぐと、網膜投射ディスプレイの片隅に見慣れたまりもの顔が表示された。
「神宮司大尉、これはいったいどういうことです!?」
疑問をぶつけられたまりもは、涼しい顔だ。
「やっぱり、気づいたわね、伊隅少尉。悪いんだけど、これは儀式みたいなものなの。と言うわけで、黙っておいてね」
まりものおもしろがっているような返事に、やはりこれは!とみちるが確信した瞬間、後催眠暗示キーをまりもが発動させる。
急に襲いかかってくる目眩と意識を失っていくような感覚。一瞬の意識の切断。
そして次に意識が戻った瞬間、後催眠暗示は劇的な効果を表し、みちるは先ほどまで確信していた認識を忘れていた。
「あれ?神宮司教官?私はいったい?」
「伊隅少尉、何度言ったらわかる?今の私はもう、貴官らの教官ではない」
「あ、申し訳ありません、神宮司大尉」
「わかればいい。それでは、武運を祈る」
一方的につげると、まりもからの通信が切れる。
「あれ?なんで秘匿回線が?」
呟くみちるの声に、答える者はどこにもいなかった。
「HQへ報告。A−01部隊展開完了。これからの指示を願う。繰り返す、A−01部隊展開完了。これからの指示を願う」
A−01が展開した地域は高低差のある地形だった。うまく地形を使えば、レーザー属種の脅威度は格段に下がるだろう。
戦況はBETAが優勢、今までの比ではないほどの膨大な物量にものを言わせ、最終防衛ラインにまで迫っているという。
その最終防衛ラインの一画が今みちる達が展開している地域だ。
この後方には、補給基地があるため絶対に死守する必要がある。
「それにしても静かだな。てっきりもっと怒号が飛び交うような状況を想像していたんだが」
「まったく、拍子抜けだな。でもまあ、ここまで敵が来るようだと少々考え物だぜ。なにせ最終防衛ラインの最後方だからな」
「なに、この前の戦線には、我らが元教官神宮司大尉が所属する帝国軍の第十三戦術機甲大隊が展開しているんだ。滅多なことにはならないさ」
軽口を叩く部隊員達を本来咎める立場であるみちるだったが、今はそれどころではなかった。
急にHQからの連絡が途絶えたのだ。
部隊付きのCP−−みちるたちと同期の日本帝国軍所属柊町高等部CP育成学科卒業生である−−に連絡を取ろうにもいっこうに反応が返ってこない。
「部隊員全員、傾注!」
みちるの切羽詰まった声に、先ほどまで軽口を叩いていた連中の声がぴたり、ととまる。
「HQおよび、CPとの連絡がつかない。広域データリンクの様子もおかしい。HQが配置されている地域に何かが起こった可能性が高い」
「「「っ!?」」」
部隊員全員に緊張が走る。HQとの連絡が取れないということは、自分たちの置かれた状況が判断できないということであり、また支援砲撃を依頼出来ないといことだ。
つまり、孤立無援の状態になったと言うことになる。
「冗談だろ、おい」
誰が呟いたのか、その声はやけに全員の耳に響いた。
「うろたえるな!」
みちるの喝が、響き渡る。
「戦場ではどんなことも起こりえる。今のような状況だって、これから先ごまんとあり得るんだ。冷静になれ。まずはチャーリー中隊、地中の索敵を厳に行え!ブラボー中隊はチャーリー中隊のサポートをしろ」
「「「了解」」」
「アルファ中隊は、全方位警戒。私は引き続き、HQ、CPもしくは周囲に展開している部隊との交信を試みる」
てきぱきと指示をだすみちる。その姿は歴戦の指揮官を思わせる冷静かつ的確なものだった。それで一瞬にして浮き足立っていたA−01部隊全員の目に闘志が戻る。
全員がみちるの指示を信じていた。彼女の能力は、戦術機を扱わせれば右にでるものはなく、指揮を執らせれば率いた部隊を確実に勝利へと導いてきた。
帝国軍のスカウトを無視して、まりもの教導を受けるのを志願したのはみちるに惚れ込んでいたのが理由だという者も少なくない。
誰が呼んだか、戦場のヴァルキリー。それがみちるの二つ名だった。
「こちらチャーリー1より、A01へ、地中振動から、二時方向からの地下侵攻の気配有り!」
「アルファ1より、A01へ。12時方向で戦闘が行われている形跡有り!」
「A01からチャーリー1へ、地下侵攻の詳しい状況は分かるか?それとアルファ1、戦闘が行われている距離は?」
受け取った情報を的確に処理し、不足している情報の収集を計る。
「チャーリー1だ。簡易計測計なんで詳しいことはわからないが、おそらく例の空母級だ。速度からして接敵までおよそ10分前後といったところだ」
「こちらアルファ1。戦闘地域はおよし30Km前方。戦闘規模は分からないが、発砲音などからおよそ中隊規模の戦術機が交戦中と思われる」
「わかった」
情報を得たみちるが思考する。今回の任務は、最終防衛ラインの死守。
従って、現在戦闘を行っている戦域へと足を伸ばすのは避けるべきだ。
となると、必然的に問題はこれから現れるであろう、母艦級からはき出されるBETAの殲滅。
情報によると、母艦級は大隊から連隊規模のBETAを運搬すると言われている。
34機と大隊規模の戦術機部隊だが、全員新兵である。その初陣がこれでは少々荷が重いか?
そこまで考えて、みちるは頭を振った。
どちらにしろ、ここを死守するのは規定事項だ。ならば悲観的に考えるのではなく、如何に勝つかを考えよう。
みちるの腹は決まった。
「全機に告ぐ、我らA−01部隊は現地に留まり、母艦級の迎撃を行う。各員、訓練通りに動け。そうすれば勝利は自ずとついてくる!」
「「「了解」」」
戦況はまったく見えず、ただ敵だけが迫ってくる。そんな絶望的な状況の中、なおみちる達の闘志は衰えることを知らなかった。