1997年 初夏 リヨンハイヴ周辺 撤退中の支援砲撃部隊
「いそげ、警護の戦術機部隊が来るまでに撤退の準備を進めるんだ」
「了解」
この支援砲撃部隊は、BETAの進路変更に伴い撤退を行うことになった部隊だ。
そもそも割り当てられた弾薬は底をつき、補給を受けないことには単なる足手まとい以外の何者でもない。
「隊長、CPより指示有り、こちらに向かってBETAが地下進軍中とのこと!」
「なんだと、前線からもうだいぶ離れたってのにか?」
「はい、音紋解析から100前後の小数の群れらしいですが」
「だが、大型種が混じっていたら手持ちの火器では対処できんぞ」
隊長と呼ばれた壮年の男の額に、じっとりと嫌な汗が浮かぶ。
かつて所属していた部隊が、BETAの小型種の群れで壊滅状態に陥ったことを思い出したのだ。あの光景はまさに地獄だった。
生きながら喰われていく同僚達。苦痛と絶望と恐怖の声が奏でる地獄の協奏曲。
生き残ったのはたったの3名だけだった。しかも、助かった理由は謎の戦力によるBETAの殲滅との説明があったのみで、それ以上の説明は無かった。
しかも奇妙なことに謎の検査入院が軍上層部からの指示で何度も何度も行われたことだ。
確かにあの戦闘以来、身体の調子がすこぶる良い。
もっとも、右肩から先はBETAに喰われたため生体義手になっているのだが。
「ちぃ、護衛の戦術機部隊は間に合わないのか?」
「予定通りならあと30分はかかります!」
「くそっ、BETAどもの出現予定時刻は?」
「およそ10分」
「絶望的だな…」
隊長はゆっくりと呟いた。どうせ一度は捨てたと思った命だ。自分の命は惜しくない。
だが、これからの未来ある若者達、そして仲間達をむざむざと死なせるわけにはいかない。
「全員移動できる車両の確保を急げ、搬入の作業は中止だ。一刻も早くこの場から離脱する!」
「了解」
目的が逃げる、ということになれば話は簡単だ。持ち帰る予定の武器をほっぽり出してケツをまくって逃げればいい。
これで少しでも時間を短縮できれば、生き残ろる可能性も増すというものだ。
そう思い、一安心した隊長をさらなる驚愕が襲う。
「隊長、た、大変です。4時の方角からBETA接近中、小型種のみの編成ですが、その数およそ50、接敵までは2分弱」
「なっ!?」
不幸は連れだってやってくる、との言葉通りに続けざまにBETAがこちらに向かって進軍中との知らせ。
「手の空いているものは、護身用の重機関銃を展開しろ。それ以外のものは撤収準備急げ!ぐずぐずするな」
「了解」
泣きそうな表情を浮かべて、伝令に来た兵士が再び別の配置に戻る。
このままでは全滅か。
最悪のシナリオが隊長の頭をよぎる。
そのとき、
「て、敵BETA群、徐々に数を減らしていきます!」
「なんだと、もう砲撃を開始したのか?」
隊長は口にしながら、そんなはずはないと確信していた。なにせ、自分の耳には砲撃の音は届いていないからだ。
ならば当然自分たちとの部隊員が行った砲撃の成果ではない。ではいったい何が?
「いえ、違います。あれは、あれは、まさか」
「何だというのだ!」
腰につり下げていた観測用の双眼鏡を取り出すと、観測班が見ている方へとそれを向ける。その目に移ったのは、一体の強化外骨格がその機体のサイズとは不釣り合いな大きな長刀を振り回している姿だった。
一刀ごとに、戦車級が立てに裂け、その汚らしい体液を振りまく。
それをあびた瞬間、その強化外骨格の姿は鮮明に周囲の光景に映し出される。だが次の瞬間には、その姿は周囲に溶け込むように急速に色を無くしていく。
だがそのすぐ後には、別の戦車級を叩き斬り、その身に再び戦車級の体液をあびる。その部分だけが鮮明に浮かび上がる。
その姿をみて隊長は思い出した。
過去自分が助かったときの作戦、女性兵士から聞かされた話を。そして国連で話題になっている黒い幻影の話を。
だれもが唖然と守る中、その黒い強化外骨格は華麗なる舞を披露するが如く、50近い小型BETAを殲滅させた。
そして同時に周囲に溶け込むかのようにその姿を消すと、そのままどこかえ去って行ってしまった。
「あれが、黒い幻影」
隊長の小さな呟きは、風に乗って消えていった。後のに残ったのは、全て一撃で切断されたBETAの残骸と、隊長の生体義手の接合部に走るかすかな痛みだけだった。
「こちらマブブルー、孤立した部隊に接近中のBETA群殲滅完了した。地下進行中のBETAはどうだ?」
「こちらマブピンク、今、マブグリーンと一緒に地下道に潜入、殲滅作業中です」
「ふむ、分かった、ならば次なる戦場を探そう。マブレッド、指示を頼む」
「了解。ちょっと待っててね、そこから12時の方向にBETAの討ち漏らしがいて、それがハイヴに向かって移動中。進路の途中に撤退中の部隊有り。そちらに回ってくれる?」
「是非もない。位置の転送を頼む」
「今転送したわ、頼むわね」
「うむ」
「こちらマブサニー、ねえ、フェイズ4が発動したみたいだよ。作戦通り、ハイヴ突入でいい?」
「そうね、当初の予定通り、マブブラック、マブサニー、マブシルバー、マブパープルはハイヴ内で突入部隊のサポートを実施。私と、マブブルー、マブピンク、マブグリーンは、地上に残って撤退中の部隊の支援を」
「「「了解」」」
1997年 初夏 リヨンハイヴ周辺 国連軍A−01部隊
「フェイズ4発動か、よし、フェイズ5発動に向けて、これよりハイヴへ向けて前進する。面舵いっぱいよーそろー!」
「全軍、SSNO−01を中心に移動を開始。進行方向の索敵を厳に」
相変わらず調子外れの隆也の指示を無視して、みちるがフォローの指示を部隊に向けて行う。
「「「了解」」」
部隊員もわかっているもので、隆也の命令は軽くスルーし、そのあとに続くみちるの命令に従っている。
「こちらCP、後方6時方向よりBETAの追撃有り。おそらく突撃級と思われます!」
「A−01リーダー、了解した。おい、迅雷部隊、出番だぞ」
「了解!」
「くそ、水月どころか遙にも負けているとは、このままじゃ、俺の給料が…!」
「孝之君からのプレゼント〜♪」
緊張感の欠片もない会話を繰り広げながら、3機の迅雷が接近中のBETAに向けて進撃していく。
「A−01リーダーより、CPへ、ちなみに敵の規模は?」
「詳細な規模は不明ですが、小規模と観測されています」
「そうか…その程度なら、チャーリー2の逆転は今のところないな」
迅雷部隊での撃破数トトカルチョの胴元でもあるみちるは、自分がかけている水月の撃破数を気にしながら、にやり、と悪い笑みを浮かべるのであった。
1997年 初夏 リヨンハイヴ周辺 国連軍A−01部隊 凄乃皇弐型内
「ふむ、実に興味深い」
言いながら隆也は自己との会話、正確に言えば00ユニット化した自分との会話を行っていた。
並列思考の内の一つを00ユニット化する、という試みはものの見事に成功したのだが、ここで思っても見なかった事象が起こる。
つまり、00ユニットとなった思考の自己確立である。
同一思考の一部でありながら、別人格を確立した00ユニットは、生まれからの悪友であるかのように隆也と息があった。
まあ、自分自身であるか当然ではあるのだが、それでもその息の合いようは素晴らしかった。
基本的には主人格である隆也の指示があるまでは、表層に出ることはないため、よくあるSFものみたいに副人格的側面をもつ00ユニットが隆也の身体の乗っ取りを行うという事もない。
そもそも同じ隆也という性格である。そんな事には興味がないのだ。
『そう、元々00ユニットは疑似生体ユニットとして作られる予定だった。そのためにはその疑似生体ユニットに人間が持つありとあらゆる生理的現象を再現することが求められた』
「つまり、食事、睡眠、そして性欲か…」
『ああ、そこで女性型擬態を用意しておれがそれにダウンロードされるとなればどうなると思う?』
そこまで話が進んで、初めて隆也の喉が大きく鳴った。
「女性だけが感じることが出来る禁断の果実、未知の快楽を楽しむことが出来る!」
『そうだ、そもそも女は男の十倍痛みに強く、千倍快楽を感じると言われているんだ。それを試さない手はないだろう?』
にやり、と笑ったイメージが隆也の中に浮かぶ。
「なるほど、素晴らしい提案だ。流石はおれだ」
『だろ?』
「ああ、だが問題がある、いかにゆうこりんの目を盗むかという最大にし最強の難関だ」
『ふっ、忘れちゃいないか、相棒?』
不敵に笑うイメージが浮かぶ。
『世界最高の演算ユニット、00ユニットとはおれのことだぜ?ゆうこりんの目を誤魔化すなんてなんくるないさー!』
「おお!そのありあまる自信、ものすごくフラグくさいが、さすがおれだ!」
『ふふ、そうだろうそうだろう。いってておれもちょっとフラグくさいからどうしようかと思ったが、だがしかしだがしかし、おれは史上最強の演算ユニット、その程度の障害へでもないぜ!』
「よし、ならば始めよう。男の身でありながら、女の子の快楽を味わうという、性の神秘に立ち向かう計画を」
『ああ、そして、至ろうではないか。男の身でありながら、女性だけが味わうことが出来るという快楽の向こう側へ!』
人が死に、BETAが駆逐され、絶叫と悲鳴と怒号が交差する戦場で、凄乃皇弐型の中で行われているのは非常にあほらしい内容の会話であった。
ちなみに、隆也と00ユニット隆也が完全に頭の中から飛んでいたのだが、00ユニットとは並列世界にすらアクセスして同調できる機能を持っている。ましてや同一世界の量子電導脳間では言わずもがな。
その内容をMOSから聞き出した神宮司まりも、試作型量子電導脳から聞き出した香月夕呼、その2人により彼らの企みは一瞬にして破られることになるのだが、それはまだ先のお話。
今はまだ、夢の中にいさせておこう。
1997年 初夏 リヨンハイヴ内部
「こちら降下連隊ダイバーズよりHQへ、ハイブ内への突入に成功、これより部隊編成に入る、繰り返す、こちら降下連隊ダイバーズよりHQへ、ハイブ内への突入に成功、これより部隊編成に入る」
「HQ了解、有線通信網を構築しながら深部を目指してください」
ハイヴ内は通信を阻害するため、有線通信網を構築しながら侵攻する必要がある。そうでなければ地上の司令部との連絡が取れなくなってしまうのだ。
「HQよりダイバーズへ、先ほどリヨンハイヴのマップを入手した。そちらに送信する。有効活用してください」
「!?ハイヴのマップデータだと。それがあれば、この作戦、成功率は遙に跳ね上がる!」
「第四計画の成果だそうです。健闘を期待します!」
「ダイバーズ01、了解。楽しみに待ってていてくれ」
壮年の衛士が自身が駆る先行量産型ラファールの中でどう猛な笑みを浮かべた。
祖国を散々蹂躙してきたBETAへの憎悪、いやそんな生やさしいものではない。
この憎しみと怒り、死んでいった妻と、娘。それらすでにとりかえすことの出来ないものへの憐憫、それらがない交ぜになった複雑な感情。
煮えたぎるそれは長い年月をかけ、自らの身を焼くほどに煮詰まっていた。
それは己の生を顧みぬ、死兵の心。
彼の部隊に配置された人間はすべからくこのような境遇であり、そして同じ心の持ち主だった。
そして今、リヨンハイヴ内に獰猛な猟兵が解き放たれた。
それがBETAを滅ぼす業火になるか、自らを焼く滅びの炎なのか、それを知るのはこの戦いの先に生き残るもののみである。
1997年 初夏 リヨンハイヴ周辺 日本帝国軍大陸派遣部隊
「MOS、この情報しっかりと記録しておいてね」
「承知しました」
「ふふ、夕呼と相談してあとでゆっくりとお仕置きの方法を考えておかないとね」
先進撃震参型から漏れ出る黒いオーラに戦慄を覚えたと、後に小塚次郎中佐は部下達にそう語ったという。