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Fate/ZERO―イレギュラーズ― 第48話:とある侍の愛憎譚=転落ルート後編その2=
作者:蓬莱   2014/05/26(月) 22:41公開   ID:.dsW6wyhJEM
今宵、多くの者たちが己の心と向き合い、仲間達との絆を深め、数々の困難を乗り越えてきた。
その中で、己の業に目を背け、省みることの無かった者達もまた、逃れようのない転落の時を迎えようとしていた。

「実は、爆破事件直後に、爆発で崩壊したホテルを気に止める事無く立ち去るあなたの目撃情報が入っていましてね。他にも…」
「…っ」

まるでお決まりの台本を読むかのように話す警官を前に、容疑者として疑われている切嗣はこの窮地をどう乗り切るべきか思案していた。
本来ならば、切嗣がこの二人組の警官に当座凌ぎの催眠暗示を掛ければ事を荒立てる事もなく穏便に済ませる事もできた。
だが、この二人組の警官は、勤務中、しかも、深夜帯にもかかわらず、目を覆い隠すような黒いサングラスを掛けていたのだ。
これでは、直接、相手の眼を見る事ができず、魔術抵抗力の少ない一般人相手であっても催眠暗示を掛けるには無理があった。

“しかも、逃げ道もほとんど塞がれているようだ…”

さらに、切嗣は、先程から周囲からいくつもの殺気じみた視線が自分を取り囲むように向けられているのを感じ取っていた。
恐らく、この警官二人組の仲間である他の警官たちが切嗣の逃亡を阻止する為に逃げ道となりうる箇所に待機し、わざと自分たちの存在を気付かせることで、切嗣に逃げ場がない事を暗に示しているのだろう。
一応、戦闘を含めた手段を取れば逃げ切れない事もないが、切嗣としても必要以上に事を荒立てる事で警察の捜査の手を強めてしまうのはリスクが余りにも大きすぎた。
よって、この状況下において、切嗣が取るべき行動はただ一つ―――正面からの“逃走”の一手のみだった。

「とりあえず、立ち話もなんですから、我々と一緒に署の方まで御同行を…」
「Time alter(固有制御)―――double accel(二倍速)!!」

次の瞬間、警官の一人が切嗣に同行を求めるのと同時に、切嗣はこの場から逃亡すべく固有時制御の詠唱を唱えた。
もはや、警察に目をつけられた以上、余罪だけでも即逮捕されるほどの罪を犯してきた切嗣としてはこの場から逃げる以外の選択肢はなかった。
そして、加速移動した切嗣は、たじろぐ警官二人の合間を掻い潜ると、ホテルの出口に向かって一気に駆け出して行った。
それと同時に、周囲で様子を伺っていた他の警官たちも慌てて切嗣を捕らえようとするが、人間離れした速さで走り抜ける今の切嗣を捕らえられるはずもなく、空しく置き去りにされていった。
だが、この時、切嗣にはどうしても見過ごすことのできない不可解な疑問を抱かずにはいられなかった。

“何故、警察が僕のところに…!! いや、そもそも、何の手掛かりもなしに、どうやって、ここを突き止めたんだ!?”

冬木ハイアット爆破の一件の後、連続爆破テロ事件の重要容疑者として警察に目をつけられた切嗣は聖杯戦争に支障をきたさないように警察の捜査網から逃れるべく細心の注意を払ってきた。
実際、切嗣がニュースや新聞での情報を見た限りでは、警察の捜査は切嗣の足取りはおろか切嗣の身元に繋がる手掛りすら見つけられないほど難航していた。
そうであるにもかかわらず、今日になって、警察があっさりと切嗣の身元を特定するどころか切嗣の潜伏する拠点まで発見したのは余りにも不自然だった。
それこそ、警察の切嗣の情報を流した“内通者”でもいない限りは…!!

“…いや、今はそれよりも脱出を優先すべきか!!”

とはいえ、警官たちに包囲されたこの状況下では、今の切嗣にその疑問を思案するだけの悠長な時間はなかった。
ひとまず、浮かんできた疑問を頭の片隅に置いた切嗣は、高速移動する切嗣を捕らえんと飛び掛かってくる私服警官たちを躱しながら出口へと向かった。

“もう少し―――さぁて…―――っ!?”

そして、切嗣がホテルの出口まであと数歩のところまで近づいた瞬間、背筋をぞっとされるような粘着質じみた声が切嗣の耳元に這入りこんできた。
何事が起こったのか驚愕する切嗣が思わず声のした方向に目を向けると―――

「なっ…!?」
「…まずは、捕獲における基本中の基本…その機動力を奪わせてもらいましょうか」

そこには先ほど切嗣をフロントで出迎えた従業員が固有時制御にて高速移動する切嗣の間近まで迫ってきていた。
これには、さすがの切嗣も予想外の事に虚を突かれたのか、一瞬だけ身体を硬直させてしまった。
そして、この切嗣の隙を作りだした従業員がニヤリと唇を上げて不気味な笑みを浮べながら後ろに下がると同時に―――

「あなたが如何に常人を超えるほど速く移動できたとしても、こうなってしまえば何の意味がありませんからねぇ」
「…!?」

―――それを合図に四方八方から投げ込まれた幾重もの投網が足を止めまった切嗣へ目掛けて次々と覆いかぶさってきた。
これでは、如何に切嗣が固有時制御で速く動く事ができても、動きそのものを止められてはどうしようもなかった。
すぐさま、切嗣も即座にここから抜け出すために、懐からサバイバルナイフを取り出して自身の身動きを封じる投網を切り裂こうとした。
しかし、当の従業員はさして慌てる事もなく、切嗣を確保しようとする警官を手で制すと、脱出しようと必死にもがく切嗣を見下ろしこう告げた。

「あぁ、そうそう…念には念を入れてありますので悪しからず」
「ぐっ…!?」

事実、従業員の言葉通り、切嗣に覆いかぶさった投網には頑丈な鉄線が織り込まれており、サバイバルナイフの刃でも切り裂く事ができなかった。
“…謀られたっ!!”―――ここに至り、進退窮まった切嗣は、自分が罠にまんまと掛かってしまった事を悟らざるを得なかった。
恐らく、周囲に待機していた警官たちがわざと自分たちの存在をアピールするように視線を向けたのも逃げ場がない事を示していたのではない。
最初から逃げ道をホテルの出入り口だと限定させ、切嗣をこの罠を仕掛けた位置に誘導するためのモノだったのだ!!
そして、この場の主導権を握る仕掛け人が、今も切嗣を見下ろしている従業員だという事も―――!!

「き、貴様は…!!」
「お察しの通りですよ。どうも、初めまして。私の名はシュピーネ…聖槍十三騎士団黒円卓第十位ロート・シュピーネ。“水銀の蛇”、副首領閣下の命により推参しました」

そして、自分を睨み付ける切嗣の耳元に近付いた従業員、否、シュピーネはまるで気にすることなく自身の素性をそっと囁くように呟いた。
“水銀の蛇”―――シュピーネの口から出たこの言葉を聞いた瞬間、切嗣の脳裏には、今も切嗣の精神を苛ませる毒を流し込んだ変質者の姿が過ぎった。
ここに至って、切嗣は確信せざるを得なかった―――この状況がバーサーカー陣営によって仕掛けられたという事を!!
それと同時に、切嗣の中で、“なぜ…!?”という自身に降りかかった理不尽に対する怒りを込めた疑問が際限なく湧き上がってきた。

「なぜ、ここが…? そもそも、何が目的でこんな真似を…!!」
「いやいや…大変申し訳ございませんが、副首領閣下の命でしてね」

そんな激情をぶちまけるように問い詰める切嗣に対し、シュピーネは周囲に居る警官たちに会話を聞かれないように注意を払いながらヤレヤレといった様子でため息をついた。
本来、蓮達としては、バーサーカー討伐を第一としているため、その要となる六陣営のサーヴァントとマスター達には互いに潰し合わない限りは、必要以上に手を出すつもりなどなかった。
そう、あの倉庫街での一件で、切嗣が間桐桜に手を出すまでは…!!

「まぁ、大凡の事情程度はお教えしましょうかね」

とここで、チラリと時計に目をやったシュピーネは嗜虐性に満ちた笑みを浮べると勿体ぶった口調で切嗣の問いかけに答え始めた。
自分の優位は完全に揺るがない事を、切嗣に思い知らせるかのように…

「まず、最初の質問についてですが…確かに警察への協力を取り付けはしましたが、私は特別何かをした訳ではありませんよ」

実際、シュピーネの言葉通り、シュピーネは警察の捜査に協力したモノの、捜査自体には何一つ超常的な力を行使していなかった。
シュピーネがした事と言えば、ただ、当たり前に捜査本部がそれまで収集した目撃情報などを洗い出し、そこから切嗣の行動範囲を絞り込むことで切嗣の拠点を見つけ出し、切嗣を捕らえる為の罠を張っただけだった。
“なぜ、それだけの事で、シュピーネは切嗣を捕らえる事ができたのか?”
恐らく、そんな疑問を抱いているだろう切嗣に対し、シュピーネは“当然ですよ”と前置きをいた後、人差し指を切嗣に向かって突き出しながらこう答えた。

「なぜなら、私もあなたも本質的には臆病者同士…お互いに同じ穴のムジナですからね」

そもそも、シュピーネは人外の力を有する魔人達の集団である“聖槍十三騎士団黒円卓”の中に於いて極めて異端の存在だった。
とはいっても、シュピーネが他の黒円卓の面々と比べ、強さや性格が極端なまで異常だったわけでは無い。
むしろ、快楽殺人者という点を除けば、シュピーネは人を超えた力を有しながら、黒円卓の中で誰よりもまともな感性を持った非常に俗物的な性格の持ち主なのだ。
一見すれば、何でこんな奴を面子に加えたのだと思うかもしれないが、このまともな感性こそが他の団員が持ちえない、諜報任務を担当するシュピーネだけの有する最大の武器でもあった。
実際、大半の団員は超人的な力を有する余り、常人の感性が麻痺して、無意識的な慢心という弱点を有してしまっていた。
だが、そんな彼らとは違い、比較的常人に近い感性を持つシュピーネには“永遠の刹那”に危機認識能力が優秀と評されるだけの用心深さと臆病さを持つ事ができた。
そう…現代科学という盲点を突きつつ、臆病なまでに慎重に、用心深く的確に、最低限のリスクで数多くの魔術師達を屠ってきた“魔術師殺し”の異名を持つ暗殺者“衛宮切嗣”と同じく―――!!

「ですから、私にとっては、あなたの行動や拠点など手に取るように分かりましたよ」

だからこそ、そう得意げに語るシュピーネからすれば自分と同じ用心深さと臆病さを有する切嗣の行動を読む事など造作もない事だった。
―――どうすれば、自身の姿を敵の目から欺く事ができるのか?
―――その為には何処に拠点を構えれば良いのか?
―――ならば、あなたはこうするだろう。
―――なぜなら、あなたと同質の存在である私もそうするだろうからだ。
故に、ロート・シュピーネこそ、黒円卓の中で唯一衛宮切嗣を狩れる存在であり、切嗣にとって間違いなく最悪の天敵なのだ。
もっとも、切嗣や周りの人間の生死を問わずというのならば話は別なのだが…

「さて…もう一つの質問については、自身の行動を振り返ればよぉく分かるはずですがね?」
「…」

とここで、シュピーネは切嗣の口にした二つ目の疑問―――“何故、自分が捕らえられたのか?”について、まるで切嗣自身がもっとも分かっている筈だと言わんばかりの意地悪い口調で問い返してきた。
実際のところ、シュピーネの言うように、切嗣自身もシュピーネの口から変質者の名前が出てきた時点で大凡の予想はついていた。
何しろ、切嗣は倉庫街での一件において、蓮達にとってのマスターでもある間桐桜の命を奪わんとしたのだ。
その後も、切嗣は六陣営会談にも参加することなく、あくまで自身の願望を叶える事を優先し、他の陣営を打ち倒し、聖杯を勝ち取ることにこだわり続けてきた。
もはや、蓮達にとって、衛宮切嗣は桜の命だけでなく、バーサーカー討伐そのものを脅かす危険な存在でしかなかった。
故に―――

「故に、副首領閣下の命により、私どものマスターにとって一番の危険人物として、あなたには、この聖杯戦争が終わるまでの間、しばしご退場頂きます」
「―――!?」

―――シュピーネの語るように、抜け目のない変質者がそんな危険人物である切嗣を見過ごすはずもなく、聖杯戦争の舞台そのものから除外するのは当然の事だった!!
とはいえ、単純に切嗣を排除しただけでは、バーサーカー討伐の要であるセイバーと銀時を失う事になりかねない。
その為、変質者は次善策として大輔と伊達の仲介を通して、対切嗣対策として有効なシュピーネを警察内部に送り込むことで、切嗣を警察に逮捕させて、合法的に切嗣を排除することにしたのだ。
そして、結果はご覧のとおり、切嗣はまんまとシュピーネの仕掛けた罠に嵌り、警察の手に陥りかけようとしていた。
後は、切嗣の身柄を警察に引き渡して、バーサーカー討伐を含めた聖杯戦争終了まで留置所にて日々を過ごしてもらうだけで良い。
もっとも、聖杯戦争が終わった後は、叩けば幾らでも有罪確定の犯罪者である切嗣には、刑務所の中でおとなしく刑期を終えるのを待つか、自力で脱獄するかのどちらかを選んでもらう事になりそうだが。

「さて、私の仕事はここまで…後の事はお任せしますよ、警察の皆さん」
「えぇ…こちらもご協力感謝します、シュピーネさん」

とここで、チラリと時計に目をやったシュピーネは、周囲で待機していた警官たちを手招きし、捕らえた切嗣の後始末を任せると、用は済んだとばかりにその場から立ち去って行った。
もっとも、周囲にいた警官たちも、散々、自分たちを顎でこき使ってきた部外者に建前だけの感謝の言葉を口にするものの、シュピーネがホテルの出口から出ていくまで、とっとと立ち去ってくれと言わんばかりの厭わしげな視線をぶつけるだけだった。
やがて、シュピーネが去ったのを確認した警官たちは、ようやく、己の職務を果たすべく、身動きの取れない切嗣を一斉に取り押さえた。

「離せ…!! 離すんだぁ…!! 僕は、僕はぁ…!!」
「衛宮切嗣…冬木市連続爆破テロの容疑で逮捕させてもらう!!」

そして、幾重もの網に囚われたまま喚き叫びながら必死にもがく切嗣に、切嗣の犯したであろう罪状を口にした警官の一人が、切嗣の両手首に罪人の証である冷たい鉄の手錠を無慈悲にかけた。
“どうして、こうなった?”
“どうして、こんなことになった…!?”
“どうして、僕はこんな結末を迎える羽目になった…!!”
この予期せぬ聖杯戦争の脱落という事態に、手錠を掛けられた切嗣は、錯乱しかけ始めた精神状態のまま、益などない自問自答を只管繰り返し続けた。
やがて、その自問自答の果てに、切嗣の脳裏に浮かんだのは、自分がもっとも目を背けてきた一人のサーヴァント―――坂田銀時だった。

「あいつか…」

そうポツリと呟いた切嗣の眼に宿っていたのは、心の奥底から湧き上がり、あらゆる道理さえも一切無視し、ただ忌むべき存在を骨も残らず焼き尽くさんとするほどの憎悪の炎だった。
これまで、切嗣の思惑を尽く覆し、切嗣の周囲を尽く変質させ、切嗣の願望さえ否定した坂田銀時というサーヴァント。
だというのに、あろう事か、そんな危険な存在からただ目を背けるだけで、今まで生かしてしまったこと自体が衛宮切嗣にとっての最大の失策だったのだ。
そもそも、令呪による自害の強制が叶わないのなら、別の手段を取ればいいだけの話だ。
そう、こんな風に―――!!

「おい、何をして…!?」
「令呪を以て命ずる、―――!!」

そして、歪みの元凶である銀時に対する憤怒の念に心を囚われた切嗣は、自分を取り押さえる警官の制止に耳を貸すことなく、以前、不発に終わった二つ目の令呪を躊躇うことなく発動させた。



一方、変質者からの面倒な用件を終えたシュピーネは、自分の背後で起こる騒動の事など気に止める事無く、やや早歩きでその場から立ち去っていた。
今のシュピーネにとって最重要なのは、自分自身の目的を果たすために動く事だった。
とそんな時、カメラなどの撮影機を抱えた人々の集団がシュピーネの横を通り過ぎ、警察に逮捕された切嗣のビジネスホテルへと押しかけていった。

「…どうやら、マスコミの方々も駆けつけましたか。これを見るにあちらも上手くいったようですね」

まるで、死肉に群がる烏のように集まった報道関係者の集団を、シュピーネは冷ややかな目で見送りながら鼻白んだ様子で呟いた。
恐らく、事前に、報道に携わる伊達を通じてリークさせた情報に乗せられた大小さまざまな各社から送られた報道関係者たちがようやく到着したのだろう。
だからこそ、シュピーネが、切嗣に要らぬ事までご丁寧に説明したのも、この報道関係者たちが到着するまでの時間稼ぎの為でもあった。
もはや、切嗣に恨みがるのかというぐらいの徹底ぶりだが、あの変質者がわざわざこんな手の込んだやり方を取ったのにはもう一つ理由が有るのだが。
ともあれ、衛宮切嗣は聖杯戦争から脱落し、これから、その余波を受け、聖杯戦争の裏で暗躍する組織も含めた各陣営に大小様々の混乱が生じるだろう。

「では…私も私の目的の為に動かせていただきましょうか」

“聖杯奪取の為に”―――そして、ニンマリと下卑た笑みを浮べたシュピーネも、変質者やラインハルトの思惑から外れ、自らの願望を果たすべく、聖杯奪取の為に独自に動き始めた。
そう―――

「…」

―――そんな浮かれた自分を感情の一切籠っていない目で見据える青年に気付くことなく。



一方、切嗣が警察によって逮捕されたのとほぼ同じ時刻、銀時と第一天は柳洞寺にて口づけを交わす―――

「くぅ…な、何故、避けるんだ…!!」
「たくっ、そりゃ避けもするだろう…いてて…」

―――直前に、銀時が第一天の額に頭突きを叩き込むことで、何とか第一天の口づけを回避していた。
お互いに真っ赤になった額を撫でる中、第一天はやや涙目になりながら、自分との口づけを拒絶した銀時に向かって非難混じりの声を上げた。
とはいえ、頭突きを喰らわせた銀時としても素直に第一天の口づけを受ける訳にはいかない理由が有った。

「んな、無理やり、自分を我慢して泣いている女に口づけなんてできるわけねぇだろ。俺ぁ、こう見えても寝取り趣味とかはねぇんだよ、ヅラと違って。」
「そんな…そんな事は…」

実は、第一天が銀時に口づけをしようとした直前、銀時は、自分に口づけしようとする第一天の眼に涙を浮かべているのが見えたのだ。
それは、以前、銀時とセイバーがアインツベルンの森で闘った時と同じく、見ているこっちが痛々しくなるほど、自分の心を必死になって騙しているかのようだった。
確かに、第一天が銀時に抱いている想いは断じて偽りではないし、その想いを口づけという形で示そうと本気で思っていたのだろう。
しかし、それと同時に、銀時の目には、そんな第一天の想いに比例するかのごとく、まるでここには居ない誰かに精一杯謝っている第一天の姿もはっきりと映ってしまっていたのだ。
現に、銀時がその事について指摘すると、第一天は何とか反論しようと口篭もるも、図星を突かれたのかのように、それ以上何も言えず押し黙るしかなかった。

「あん時も言ったろ? てめぇを騙し続けんのは止めにしとけって」
「…」

だからこそ、そんな第一天の心に気付いてしまった銀時は、咄嗟に第一天が口づけをする直前で頭突きをすることで、第一天の心を傷つけまいとしたのだ。
“本当にどこまで不器用な女だよ…”―――第一天を諌めるように軽口を叩いた銀時は、本心を見抜かれて罰悪そうにそっぽを向いてしまった第一天を見て、そう内心でヤレヤレとぼやいた。
一方、第一天も、銀時に自分の内心が見抜かれた事を嘆きつつも、どこまでも真っ直ぐにありのままの自分を見てくれる銀時の心遣いに感謝し、心の何処かで嬉しくも思っていた。

「…男と違って女心は色々と複雑なんだ、バカ」
「へいへい…分かったから、いい加減―――」

もっとも、後ろ向きだったとはいえ、それでも本気で振り絞った勇気を、当の銀時に頭突きで返された第一天としては不貞腐れたように拗ねた憎まれ口を叩くしかなかった。
そんな精一杯の強がりを見せる第一天を、それでも銀時が何とか宥めようとした直後―――

「…いつまで、乳繰り合っているつもりなのだ?」
「「―――えぇえええええええええええええええええええ!!」」

―――本堂の開かれた扉から感情の全く感じさせない口調で問いかけてきた、やや明るい緑色の作務衣を纏った青年の存在にようやく気付いた。
もはや、定番中のお約束としか思えないようなラブコメ的な展開に、銀時と第一天はお互いに顔を見合わせた後、思わず声を揃えて驚きの声を上げてしまった。
しかも、この青年の口振りから察するに、今までの銀時と第一天の激甘恋愛風景を全て余すことなく見続けていたようだった。

「うわあああああああああん!! み、見られたぁあああああ!! 思いっきり見られたぁああああああ!!」
「…」

次の瞬間、その事に気付いた第一天は余りの恥ずかしさで憤死しかねないほど顔を真っ赤にさせて崩れ落ちると、そのまま地面を叩きながら悶え始めた。
元々、普通の女である第一天にとって相当ショックが大きかったのか、ガンガンという擬音と共に次々と地面に亀裂を走らせるほど力を込めてしまっている事にまったく気付かないほどの取り乱しぶりだった。
そんな第一天の人間離れした悶え振りに対し、青年は相当肝が据わっているのか、第一天の奇行にさして動じる事もなく、比較的話の通じそうな銀時に目を向けた。

「続きは?」
「ぶほおぃいいいいいいい!! んなもん人前でできるかぁ!? つうか、涼しい顔して何言ってんの、あんた!!」

そして、青年は、一切の感情を感じさせない表情とは対照的に、間違いなくムッツリスケベの称号を免れない爆弾発言をぶちかました。
これには、さすがの銀時も勢いよく口から吹き出すと、アーチャー達との交流で鍛え上げられたツッコミスキルで青年に流れるようなツッコミを入れざるを得なかった。
一応、本堂の扉から出てきたところを見るに、柳洞寺の関係者のようにも思えるが、この青年が先ほど口にした言葉を聞く限り、どちらかというと生臭坊主の類なのだろう。
“だけど、それにしても…”
ただ、銀時は、それ以外にこの青年が寺の関係者だと考えるには、余りにも大きな違和感が有った。
やがて、銀時はもう一度、表情一つ変える事のない青年を見据えると、ようやく、自分がこの青年に違和感を抱いた理由に気付いた。
そう、青年の目―――銀時がこれまで見たことの無い、一切何も感じさせない虚無そのものを宿したかのような目を見た瞬間に。

「なら、ここでの逢瀬ももはや不要の筈だ。それにこちらも色々と手間が省けて助かるのだが」
「…んじゃ、帰るぞ、アフラ。後、何時までいじけてんだよ」
「だって…だって…」

とここで、青年は、そんな銀時の抱いた違和感を見透かしたように、これ以上の面倒事は御免だと口にしつつ、銀時と第一天に柳洞寺から出て行くよう遠回しに促した。
これ以上の問答は不要という青年の意図を察した銀時は、未だに泣きじゃくる第一天を宥め起こすと、さっさと柳洞寺を後にしようとした。
そして、銀時と第一天が背を向けて、その場から立ち去ろうとした瞬間――

「―――っ!?」

―――銀時は突然、自分に叩き付けられた鋭い殺気を瞬間的に感じ取った。
それは、これまで数多くの修羅場を潜り抜けてきた銀時さえも沸き起こる恐怖で戦慄させるには充分すぎるほどだった。
だが、銀時が何よりも戦慄したのは、向けられた殺気が今まで味わった事のない、これまで自分が闘ってきたどの敵とも異なるモノだという事だった。
―――苛烈なまでに強者との闘争を望む神威のような燃えさかる烈火でもない。
―――冷徹なまでに主の命を実行する朧のような凍てついた氷塊でもない。
それは、まるで何もなく、何も感じさせない筈の虚無の底から這い出てくる憎悪を結晶のように凝縮された、人間のモノとは思えない殺意だった。
次の瞬間、背筋を凍らせた銀時は、ほぼ反射的にこの異様な殺気に対峙するかのように自身の背後を振り返った。

「…まだ、何か用でも?」
「…何でもねぇよ」

だが、そこには、先程と同じく、表情を一切変える事無く、こちらをじっと見据える青年が立っているだけだった。
すでに、先程、銀時が感じ取った異様な殺気もいつの間にか消え失せていた。
一応、“まさか…”と思いながらも、銀時は、こちらを見据える青年の方に目を向けるが、どう見ても普通の人間にしか見えず、あの異様な殺気を生み出せるとは思えなかった。
そして、淡々とした声で問いかける青年に対し、銀時はぶっきらぼうに返事を返すと、今度こそ振り返る事無く、未だに泣きじゃくる第一天と共に柳洞寺を後にした。



やがて、柳洞寺に唯一人残った青年は、銀時と第一天の姿が完全に見えなくなるのを確認すると本堂の奥へと引き返していった。

「…本当にただの逢瀬だったようだな」

その最中、青年―――“首領”は口調こそ淡々としつつも、言葉だけ聞けば拍子抜けした様子でポツリと呟いた。
そもそも、なぜ、“首領”がここに居るのかと言えば、この銀時と第一天のデートを一種の誘いではないかと考えたからだった。
事実、シャーレイ達は呆れたように報告していたモノの、アーチャー達を筆頭に多くの聖杯戦争関係者たちが出歯亀という名の尾行を行った事で、“首領”達もさすがに無視するわけにはいかず、嫌でも銀時達の動向に目を向けざるを得なくなった。
その中で、聖杯を奪取する為に必要なマスターを得るべく、シャーレイ達に時臣と切嗣をこちら側に懐柔する為に凛とイリヤの誘拐を命じたが、結果として大型貨物船という海上拠点の消失と組織の機密情報を積み込んだビグ・ラング鹵獲という手痛い損失を生んだだけの結果に終わってしまった。
もはや、こうなってくると、さすがの“首領”も、実は銀時と第一天がデートという形で周囲の注目を集める事で、聖杯戦争の裏で暗躍する組織を誘い出そうとしているのではと推測するのも無理からぬ話だった。
故に、この騒動の張本人と呼ぶべき元凶である銀時を現時点で始末すべきか見極めるべく、“首領”自ら、銀時と第一天の先回りをして、目的地である柳洞寺で待ち伏せていたのだ。
だが、そんな“首領”の思惑に反し、潜んでいた本堂にて銀時と第一天の会話を盗み聞きした限りでは、当の銀時と第一天にとっては本当にただのデートであった。
結果として、“首領”は、銀時と第一天にまんまと振り回され、無用な手間をかけただけの空回りとなってしまったのだ。
もっとも、“首領”にとっては、それ以上に看過できない、自身の心を揺さぶろうとするある感情が沸き起こっていた。

「坂田銀時…呆れるほどに暢気なモノだ。そうやっている間に、自身のマスターがどうなっているかも知らずに…」
「まったくその通りだな」

それは、“首領”自身が何度排除しようと胸の奥底から湧き上がり、平静を保たんとする理性を引っ掻き回すように頭の中を駆け巡らせてくる“坂田銀時”に対する憎悪だった。
―――だが、何故だ?
―――この聖杯戦争という盤上を動かしてきた自分が下らぬ些事に振り回された事自体に別段思うところなどない。
−――それなのに、何故、坂田銀時に対してだけ、自分は必要以上に憎悪するのか?
―――この場から立ち去ろうとする銀時に向かって、不用意に殺気を叩き付けて、自身の正体がばれる危険を冒してまで…
そんな言いようのない疑問と不快感に苛まれる“首領”にできることといえば、自分にそんな不要な感情を抱かせた銀時への愚痴と嫌味を込めた独り言をぼやくしかなかった。
そんな中、柳洞寺の山門へと続く石段をコツコツと上がってくる足音と共に、“首領”の零す愚痴を肯定するかのように頷く声が返ってきた。
やがて、山門から姿を見せたのは―――

「この様子ではどうやら無駄足だったか。こちらも我ららしくもない手間をかけてしまった、我よ」
「我か…そちらの我らの首尾はどうなっている?」

―――気絶したシャーレイを抱えている事を除けば、顔や姿形に加え、口調や性格に至るまで細部にまで誤差が全くないほど精密に一致する“首領”と瓜二つの青年だった。
断じて、双子やクローンなどというチャチで生易しいものではなかった。
そう、あえて言うならば、それは、“首領”という男が抱える異常性の片鱗を表したかのような存在だった。



一方で、この柳洞寺での一件に於いて、もっとも衝撃を受けたである一体のサーヴァントがアイリスフィール達の待つアインツベルンの城へと逃げるように戻ろうとしていた。

「何で…何で、また、こうなるのよ…!!」

もはや、完全に我を忘れたセイバーは、人気の全くなくなった道を我武者羅に走り続けながら、、まるで子供が泣きじゃくるような声で何度も同じ言葉を口にするだけだった。
それほどまでに、あの柳洞寺で目の当たりにした銀時と第一天の口づけの光景は、螢との決闘という名の仕置きで折れかかっていたセイバーの心を打ち砕く充分すぎるほどだった。
“ただ、銀時と会ってちゃんと話がしたい”―――それだけが、セイバーの求めていた、ささやかな願いだった。

「私は…また、あんな思いを繰り返したくなかっただけなのに…ただやり直したかっただけなのに…」

だが、そんなささやかな願いもむなしく、セイバーが辿り着いた先に目の当たりにしたのは、英霊となる以前に味あわされた悲劇の再現だった。
―――自分は、また、己の仕手を奪われてしまった。
―――もはや、銀時は自分たちのところに戻って来ない、戻ってくるはずがない!!
―――だって、自分はもう捨てられてしまったのだから…
もはや、セイバーの頭の中を埋め尽くすのは、もはや逃れようのない暗い絶望だけだった。
もっとも、銀時のファインプレーで口づけだけは未然に防がれていたのだが、セイバーの位置からでは、銀時と第一天が口づけを交わしているようにしか見えなかった。
やがて、道半ばで精根尽き果てたかのように倒れ込んだセイバーは、立ち上がる事すらままならずに、ズタズタに打ちのめされた心から振り絞るかのようにポツリと小さな声でこう呟いた。

「お願い…助けて…」

もはや、今のセイバーには、善悪相殺の名のもとに大和を地獄に変えた伝説の妖甲“三世勢州千子右衛門尉村正”の姿は微塵もなかった。
そこにいるのは、胸が張り裂けんばかりの悲しみを繰り返され、全てを見失った幼子のように嘆き続けるしかない一人の女だった。
しかし、運命という名の機械仕掛けの歯車は、そんなセイバーさえも見逃すことなく、さらなる過酷な試練を与えんとしていた。
そして、皮肉なことに、その口火を切ったのは、銀時が決別した切っ掛けであり、それでもなお聖杯を託すにふさわしい唯一のマスターだと信じていた男からの令呪だった。

「え…?」

“坂田銀時を殺せ!!”―――湧き上がる憎しみと怒りに心を完全に囚われた切嗣によってそう告げられた絶対命令に、セイバーは現実を認識できぬまま、声を震わせて凍りつくしかなかった。



第48話:とある侍の愛憎譚=転落ルート後編その2=



かくして、切嗣とセイバーは、一夜限りの狂騒劇の果てに、自分たちに課せられた罰を受けるかの如く、転落の終着点である奈落へと突き落されるに至った。
これより先、切嗣とセイバーがどのような道を歩むのかは誰にも知る由は無かった。
そして、唯一つだけ言えるのは、これより先、このどん底の奈落より這い上がれるのは、己の罪と向き合う覚悟を持つ者だけという事だけだった。


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