―――衛宮士郎が魔法世界で活動していた頃。
学祭二日目を迎えた麻帆良学園の一角に、来場客が一際熱狂するイベントがあった。
龍宮神社の敷地に作られた15m四方の特設ステージ。
そこで参加者が一対一のトーナメント形式で武を競う格闘大会。
その名を、『まほら武道会』。
超鈴音が麻帆良祭で催される全ての格闘大会を買収・統合して誕生した、優勝賞金一千万円の大格闘大会である。
そして今日、予選を勝ち抜いた猛者達による熾烈な本戦が幕を開ける………の、だが。
この大会には小太郎、彼に誘われたネギ、そのネギの成長を見るためにエヴァンジェリンが参戦している。
また
超の主催と聞いて、彼女に猜疑心を持つ刹那やタカミチが偵察のため、そしてタカミチが出るのならと明日菜も参加した。
その上、楓や古菲、真名も出場を決め、本戦出場者十六名のうち半数近くを3−A関係者が埋めるという有様であり。
極めつけが―――ネギが魔法先生の仕事をサボって大会に出ていると勘違いした高音と愛衣が、彼を懲らしめようと顔を揃えた事で、魔法関係者の内訳までも大多数と化していた。
故に、このまほら武道会――出場者の面子を見るに――もはや格闘大会とは言えそうもなかったが。
本格的な格闘技や武術は勿論、魔法や“気”、瞬動術に分身の術が入り乱れる常識外れの対戦に、観戦する来場客の熱狂ぶりは希に見るほどの高まりであった。
それが超の企みと気づいたのは、この時点では一部の魔法先生に限られていた。
《お待たせしました、ただいま舞台の修理が終わったようです!
続いて二回戦最終試合、桜咲選手対マクダウェル選手!
この戦いで麻帆良学園最強ベスト4が決定します!!》
実況を務める朝倉のアナウンスの直後、割れんばかりの歓声が周囲の空気を震わせた。
それを受け、デッキブラシを持った刹那と、鉄扇を懐に入れたエヴァンジェリンが肩を並べて壇上に上がっていく。
「…そういえば最近、神楽坂明日菜や近衛木乃香と仲が良いようだな。刹那」
「え、はあ」
「……フフ。気が変わったぞ」
この二人は他の多くの選手と違い、片や偵察、片や弟子の成長の確認と、自身の利益のために勝ち進んでいる訳ではない。
しかもエヴァンジェリンに至っては、タカミチから勝利をもぎ取ったネギを見ておおよそ満足しているという。
つまり今の彼女らには、本気で戦う理由も、勝ち上がらなければならない理由もない……筈だった。
「本気で来い刹那。少し、お前を苛めたくなってきた」
薄らと口角を上げてエヴァンジェリンが言い放つ。
その真意を図りかねて困惑する刹那を見やり………彼女は、その本性を久方ぶりに顕にした。
「最近幸せそうじゃないか―――え? 刹那?」
幸福に価値は無い。
お前に幸せなど不釣り合いだ。
エヴァンジェリンの嘲笑がそう言っていて、刹那は呆然と絶句した。
《第十二試合――――ファイト!!》
<第57話 〜その頃、麻帆良祭二日目〜>
《こ…これは? 両者、目を見開いたままピタリと動きを止めました。これは一体…?》
実況の朝倉は勿論、観客も何事かと舞台を注視する。
試合の状況は………舞台の上で闘う二人が、双方共に動きを完全に停止していた。
見えない何かによって宙に磔にされる刹那と、その目前で腕組みして彼女を睨む姿勢で固まったエヴァンジェリン。
選手専用観覧席から固唾を飲んでそれを見つめるネギの肩で、カモミールが口を開いた。
「…こりゃアレだな、
幻想空間で戦ってやがるな。
兄貴、
仮契約カードを額にかざして夢見の魔法を掛けるんだ。カードを通じて従者の夢に入れる!」
ネギは、刹那を自らの“
魔法使いの従者”とする仮契約を結んでいる。
それによる
繋がりを通して、彼女が見ている
幻術を盗視する事が可能だという。
「わ、わかった!」
「ちょっと待って私も行く!!」
「ククク、正解ダゼ。ツイデニ俺モ連レテケヤ」
ネギは助言に従い、カモミール、明日菜、チャチャゼロと共に、刹那とエヴァンジェリンが闘う“夢”の中へ意識を飛ばした。
「夢の妖精、女王メイヴよ。扉を開けて夢へと誘え―――」
・
・
・
・
この試合―――両者の闘いは当初、話にならないと思われていた。
最強クラスの実力を持つエヴァンジェリンだが、普段はその魔力を完全に封じられている。
対戦相手である刹那との間には、彼女がエヴァンジェリンと闘うことを躊躇うほどの戦力差が存在するのだ。
しかし、そんなネギ達の予想は呆気なく覆された。
「本来は人形使いのスキルだが…同じ
人形だ。
ならば人間の四肢を絡め取り、吊り上げるくらい造作もあるまい?」
〈
人形使い〉の異名を持つエヴァンジェリンは魔力で糸を操る技能を持つ。
周囲3km、三百体の人形を操る事が可能な“糸”。
それにより刹那の四肢を絡め取って転倒させる事など、エヴァンジェリンには児戯より容易い。
「
合気は昔この国に来た時に学んでな、暇潰しにここ百年ほど研鑽を積んできた。
魔力のない今では重宝している―――ハハ、何事にも手を出しておくものだな」
―――合気柔術。エヴァンジェリンの使うそれは鉄扇を用いた合気鉄扇術だ。
昨今は護身術として知られる合気道だが、その基本にして真髄は「相手の力を利用する」こと。
使いこなせば非力な女性であっても、自分より大きい屈強な男性を投げ飛ばすことが可能であるという。
そしてそれは―――魔力や気を用いる相手であっても例外ではない。
エヴァンジェリンは糸で刹那の腕を縛り、脚を払い、動きの鈍った彼女を合気によって軽々と投げ飛ばす。
人形使いの糸。合気鉄扇術。
この二つの技能により、エヴァンジェリンは魔法が使えずとも刹那を寄せ付けない強さを発揮した。
(最弱状態なんてとんでもない…!やはりこの人、格が違う…!)
エヴァンジェリンに背中から馬乗りされ、床に押さえつけられながら刹那は戦慄した。
「おいおい刹那、いつまでそうして床を舐めているつもりだ?
なぜ“気”を使わん、奥義はどうした。
貴様が本気を出せば今の私など相手にもならんだろうに」
皮肉ではない。純然たる事実だ。
世界樹によって僅かに回復しているとはいえ、魔力をほとんど使えない今のエヴァンジェリンには“最強種”の力の欠片も無い。
気で強化した攻撃を一撃でも貰えば、彼女の小さい身体は場外にまで吹き飛んでいくことだろう。
無論そうなれば、エヴァンジェリンは間違いなく無事では済まないであろうが。
故に、刹那は本気で戦うことを躊躇している。
そして、エヴァンジェリンはその点をこそ非難していた。
でなければ―――魔法も使えない少女の下で、神鳴流剣士が這い蹲るという無様は有り得ないのだから。
「かつてのお前には…生まれと鬱屈した立場からくる、触れれば切れる抜き身の刀のような佇まいがあった。
それがなんだこのザマは?」
「馴れ合いを拒み、不審を睨み、歯向かう者は捩じ伏せ敵とあらば即座に斬る。
それがお前の在り方だった筈だろう?」
彼女の語るそれは、まさに修学旅行の時に見た刹那の姿だ。
クラスに馴染もうとせず、木乃香の周囲に目を光らせ、敵と勘違いしたネギを容赦なく無力化し、木乃香を攫おうとする式神には迷わず奥義を繰り出した。
「戦う理由がないからか? 私が魔力を封印されているからか?
そんなことで手を出すことすら躊躇うとは……随分と甘くなったものだ」
刹那は甘くなった。そしてその自覚がない。
それを丁寧に教えてやるかのように、エヴァンジェリンは刹那に対し一つずつ言葉を重ねていく。
「修学旅行で最愛のお嬢様と和解し、神楽坂明日菜と仲良くなって友達ごっこか。
なんだその幸せに浸って緩みきった
表情は」
その言葉に、刹那は本心から困惑した。
―――白い羽根を持って生まれた。
子供であろうと、烏族の里ではそれだけで恐れられ、拒絶される。人間との混血となれば決定的だ。
烏族の忌み子は迫害の末、山中を彷徨っていた所を近衛詠春に拾われる。
いつしか『桜咲刹那』と名付けられ、神鳴流に預けられ、幼き頃より剣の修練に明け暮れる毎日を送った。
刹那の半生。
それは生まれに対する苦悩と、戦いの人生だった筈だ。
そんな人間が――――。
「………幸せ……?私が……?」
……実際に口にして反芻すると、知らない感情が湧き上がる。
そしてその時、すとんと納得できるものが、刹那の裡には確かにあった。
“最愛のお嬢様と和解し、神楽坂明日菜と仲良くなって友達ごっこか”
(違う、友達ごっこじゃない…!)
近衛木乃香。
神楽坂明日菜。
二人の親友と過ごしたこの二ヶ月は、間違いなく、それまでの刹那になかったものを与えてくれた。
苦悩と懊悩を癒し、戦いから遠ざかる安らぎ。
普通の十四歳の少女なら、当たり前に手に入れられるもの。
(そうか……私…今、幸せなんだ……)
―――なればこそ。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、戦士としての
桜咲刹那にそんなものは不要だと突きつける。
「幸福であることが悪いとは言わん。
だが刹那……そのザマでお嬢様を守れるのか?」
「………!!」
刹那は大きく目を瞠った。
―――余りに幼き日の誓い。
―――この手で、この剣で、近衛木乃香を守る剣士であること。
それが自分にとってどうしても譲ることの出来ない一線であると、改めて自覚させられて。
「幸せに浸り、甘くなった刹那では木乃香を守れない」。
そうエヴァンジェリンが言ったとおり、幸福であることと守ることが両立しないというのなら。
天秤のどちらか一方しか取れないのなら、
桜咲刹那は――――。
「ま、これでもお前のことは気に入っているんだ。
人並みの幸せなどというぬるま湯に浸かってその才能が減じてしまうのは見るに耐えん」
言いながら、エヴァンジェリンは糸で刹那の身体を持ち上げて宙に磔にする。
そしてその目前に歩み寄って彼女を見上げると、刹那の双眸を真正面から覗き込んだ。
「刹那、私の目を見ろ」
「な、なにを…」
「いいから見ろ、刹那…!!」
引き込まれる視線、ぐるんと渦を巻く景色。
次第に混濁した意識は呆気なく断線する。
―――こうして刹那は、エヴァンジェリンの幻術によって幻想空間へ引き摺り込まれた。
◇◇◇◇◇
「ここは…」
「
師匠の別荘!?」
水平線が広がる南国の海。そこで孤高に佇立する白い円塔状の建造物。
『夢』に飛び込んだネギ達の意識がはっきりした時、彼らの目に映ったのはエヴァンジェリンの『別荘』―――それを
再現した仮想空間であった。
“―――ドォン…!ドドォン…!!ゴゴゴ…ッ!!”
「おいおい!!ありゃまるで
戦だぜ!?」
「ケケッ」
別荘から散発的に響く衝撃。爆発音と大質量の崩壊音。
それらの振動が、遠く離れたネギ達の体さえもビリビリと震わせている。
彼らが様子を伺う間にも、石造りの別荘が加速度的に崩壊していく様がありありと見てとれた。
「と、とにかく行きましょう!」
「う…うん!」
・
・
・
・
幻想空間に囚われた刹那は、気づけば『別荘』の広場に佇んでいた。
まほら武道会の「刃物の使用禁止」というルールに従って持ち込んでいたデッキブラシは失われ、代わりに手中にあったのは彼女本来の武装である野太刀・〈夕凪〉。
服装は烏族の女性装束―――ノースリーブで背中が大きく開いた、隠れるのは身体の前側のみという露出の多い白い着物と緋袴―――に変化している。
しかし戸惑う暇もなく、『試合』は即座に再開された。
“ギュオンッ!!”
目にも止まらぬ速さで空を駆ける、
白烏と黒衣の吸血鬼。
雨霰と放たれるエヴァンジェリンの魔法は見る間に別荘を破壊していくが、その猛攻を防ぐ刹那は未だ
無傷を守っていた。
「意外と粘るじゃないか、もう七分だ!驚いたぞ刹那!
甘ったれのままの貴様でもここまで保つとはな!!」
まほら武道会のルールのひとつ、呪文詠唱禁止。
エヴァンジェリンはそれを律儀に守りながらも、“
真祖の吸血鬼”の魔力と無詠唱呪文だけで容易に刹那を圧倒していた。
(エヴァンジェリンさん、ほ…本気だ!!)
刹那は既に〈
白烏〉の翼を開放している。
烏族の霊格、完全開放形態。同族からも忌避され恐れられるほど強い能力の発露。
それを存分に用いてさえ、刹那はエヴァンジェリンを相手に防戦を維持するのが精一杯だった。
(ここは幻術空間、意思の世界…ここでならエヴァンジェリンさんはかつての力を扱える!
本来のエヴァンジェリンさんがここまでの魔物だとは…!!)
喚び出した蝙蝠を集束・変化させた黒衣の
外套を風に靡かせ飛行するエヴァンジェリン。
彼女が発する威圧、魔力は、間違いなく〈
闇の福音〉と畏れられた全盛期のそれだった。
「そら、気圧されるのは後にしろ!!」
“『
魔法の射手・
連弾・
氷の五十一矢』!!”
「く…っ!!」
五十を越える氷の矢が降り注ぐ。
高度を下げて刹那が躱せば、矢は彼女の後方に聳える別荘―――石造りの円塔外壁を大きく深々と抉り取った。
(無詠唱でこの威力!? しかもまだ…っ)
徒矢は僅か。多くの矢は未だ健在。
縦横無尽に空を飛び交い、狩人の意に従って
白烏を執拗に付け狙う氷の鏃。
高度を下げ続ける刹那を追尾し、矢の連弾は容赦なく彼女の周囲に破壊をもたらす。
「……ッ!」
―――埒が明かない。
意を決した刹那は、海面スレスレまで高度を下げた直後、上空のエヴァンジェリン目掛けて急上昇する―――筈だった。
「!? しまっ…」
今まで別荘に被弾していた氷の矢。
しかし刹那が海面まで近づけば、彼女が回避した矢が海に飛び込むのは自明の理。
―――〈
闇の福音〉の放った魔法だ、海を凍らせる威力があって当然……!
“ガシャァアンッ!!!”
残る全ての矢が海に飛び込み、着弾の衝撃で巨大な水飛沫が発生する。
瞬間、飛沫は極冷気により氷結。鋭い
氷柱の群れと化す。
それは刹那を捕らえる檻となって彼女をその場に停止させた。
密集し乱立する氷の柱に全方位から閉じ込められ、刹那は呆然と言葉を失う。
何もない平穏な海に、突如として出現した氷樹の
大森。巨氷の牢獄。
なにより、それを一瞬で作り出したエヴァンジェリンの強大な魔力……!
“ビシピシパキ……バキンッ!!”
聞こえた異音は、氷結音。
氷の檻に囚われた刹那が誘われるように上を仰げば、それは嫌でも視界に入ろう。
自身の真上に巨大な氷を作り出し、それを
獲物に落とさんとする―――
捕食者の姿が。
「まだ甘い。それでは足りんと何度言わせる気だ。少し頭を冷やしてこい…!」
“『
氷神の戦槌』!!”
大質量の氷塊を作り出して敵にぶつける攻撃呪文、『氷神の戦槌』。
エヴァンジェリンが用いるそれは、巨大な氷球の形をとった
北風の神の鉄槌だ。
直径20mにも及ぶ氷塊は一切の慈悲なく、氷の森ごと桜咲刹那を圧潰した。
“ガ―――ゴォン……!!”
「……
お嬢様を守る、大いに結構。だが今の貴様では口先だけの戯言に過ぎん。
ヌルくなった貴様ではな…」
氷柱の群れとその中心に落ちた氷球は、さながら不格好な氷華の
工芸品のよう。
エヴァンジェリンは眼下のそれを、浮遊して宙から見下ろしている。
吸血鬼の静かな呟きは……氷華の種子が真っ二つに割れると歓声へと変化した。
「―――ほう、あの一瞬であの質量を斬ったか!」
言い終わるが早いか、斬られた氷塊の断面から刹那が飛び出し飛翔した。
何ということはない。
落ちてくる氷塊が、刹那を閉じ込める氷柱を勝手に破壊してくれる。
砕けた氷の破片から身を守ることは彼女には容易い。
あとは氷塊が自分にぶつかる直前に切断して脱出する――刹那のした事はそれだけだ。
故に、エヴァンジェリンは賞賛する。
状況を冷静に見つめた判断力と、巨大な氷塊を一刀の下に斬り伏せる卓越した剣の腕。
即ち、桜咲刹那という剣士の非凡さを。
“ガギィンッ!!ガギギギギ……!!”
突進してくる刹那を確かめ、魔物の笑みを浮かべたエヴァンジェリンは、自らを襲う太刀を平然と右手で受け止める。
「クク…まだまだだ」
「ぐ…っ!」
魔法障壁ですらない。
今エヴァンジェリンを守るのは、真祖の膨大な魔力によって生じた純粋な力場。竜種の魔力障壁に似た強固な
防壁。
刃を弾き返そうとする“力”を前に、振動で揺れる夕凪を刹那は必死に握りこむ。
対するエヴァンジェリンは、右の掌を前に突き出すだけで涼しい顔だ。
片や“気”、片や魔力。
二つは稲妻の如く火花を散らして激突するも、その優劣は明らかだった。
「…ふん。この程度で誰かを守ろうなどと片腹痛いわ。
いいか刹那、もしこの試合で貴様が負けたら……」
空中で鍔迫り合いのように拮抗しながら、エヴァンジェリンは冷たく言い放った。
「剣を捨てろ」
予想もしない要求に、刹那は頭を白痴に染めた。
たとえ後頭部をハンマーで殴られようとこれほどの衝撃は受けるまい。
両手に握る〈夕凪〉の重さが……途方もないほど増した気がした。
「…剣、を……?」
どっと噴き出した脂汗を玉のように滲ませて、呆けたように先の言葉を繰り返す。
そんな刹那を冷徹に見つめ、エヴァンジェリンはさらに続ける。
「そうだ。剣を執るか…人並みの幸せを取るか。己が死力をもって選ぶがいい」
「…な、にを――――!!」
“―――ガァンッ!!!”
「………!!」
木霊した鈍い響音。まるで金属音のようだったが実際は違う。
それは前に突き出していた、エヴァンジェリンの腕が後方に弾かれた衝撃だ。
彼女は己の腕を引き戻し、掌を見つめてその事実に目を丸くする。
エヴァンジェリンの眼前では、鋭い目つきで彼女を睨む刹那が夕凪を振り抜いていた。
――――京都神鳴流奥義・『岩斬剣』。
岩をも斬り裂く一閃が、真祖の防御を貫通して吸血鬼の腕を弾いたのだ。
「――フ、ようやくか。だがなんだ、それは?」
「…あなたも詠唱なしで戦っているでしょう」
反抗心を隠しきれず、刹那は憮然とそう返した。
刹那が構える野太刀〈夕凪〉は、刃を返して峰打ちの握りになっていた。
もしこれが本来の握りだったなら、エヴァンジェリンの腕は弾かれるどころか切断されて宙に舞っていたことだろう。
「くく…それは面白いな。
いいだろう―――その刃、立てなかった事を後悔するがいい」
エヴァンジェリンは面白くて仕方ないとばかりに、口の端を歪ませながらマントを翻して後退しながら上昇する。
――が、その表情。その態度。
エヴァンジェリンのその全てが、激しく刹那の癇に障って爆発した。
「ふざけないでください!!お嬢様を守るコトは私の全てです!!
そんな、そんな簡単に『捨てろ』だなんて…っ」
「ははっ全てときたか!大仰だな!!
『全て』とか『夢』とかなんていうのは誰もがよくやる勘違いさ!!」
“『
氷槍弾雨』!!”
エヴァンジェリンが作り出した夥しい氷の槍が上空一帯を埋め尽くす。
次いで弾かれたように降り注いだそれを目にしても、しかし刹那はその場から退こうとする素振りすら見せなかった。
―――〈夕凪〉を構え直し、ひと呼吸置いてから、冷静に処断するのみ……!
“神鳴流奥義・『百烈桜華斬』!!”
――――桜花連撃。
襲い来る氷槍の弾幕を、気の花弁舞い散る高速連続斬撃によって悉く迎撃する―――!!
「本気になったのはいいが、今度は奥義一辺倒か。芸がないぞ?」
その声の
近さに気づくがもう遅い。
氷槍を捌きながら視線だけで窺えば、爪を研いだエヴァンジェリンが刹那へと肉薄している……!
「熱くなり過ぎだ、馬鹿め…!」
“―――ボッ―――!!”
吸血鬼の爪が、容赦なく刹那の脇腹目掛けて振り下ろされた。
「ぐぁ…っ!」
(!! これは…)
手応えはある。だが
違う。
正体は、魔力で強化された爪を受け止めている―――刹那の左手だ。
“――――『桜楼月華』”
京都神鳴流の技が一つ。
敵の攻撃が纏うエネルギー…気や魔力を問わず…を花弁へ変化させて無力化しながら受け止め、その一方で自身の気を相手にぶつける攻防一体の迎撃技だ。
エヴァンジェリンの魔力が膨大だったため、威力を消しきれず刹那は苦悶の声こそ上げたが、エヴァンジェリンも無傷ではない。
『桜楼月華』によって刹那は、エヴァンジェリンを守る魔法障壁の何割かを削ることに成功していた。
(これは…今度は私が誘われたか!)
“『
氷爆』!!”
巻き起こる氷結と冷気の爆風。
エヴァンジェリンは接触状態で魔法を使い慌てて距離を取る……が、そう易々と逃げられはしない。
「
来れ!!」
刹那の手中で仮契約カードが輝いた。
それは〈
翼ある剣士〉、桜咲刹那が持つネギ・スプリングフィールドとの契約の力。
カードが放つ閃光から現れ出でし十二本の
匕首が、白刃を輝かせて宙を飛翔しエヴァンジェリンに殺到する!
「ハッ、そんな小細工が通用するか!」
尊大に口にするが、しかしエヴァンジェリンは油断しない。
本気になった刹那の攻撃がこの程度である筈がなく、また無意味な行為も有り得ないからだ。
マントをはためかせて即座に加速。襲い来る匕首から逃げるのではなく、逆にそれらへ突進する。
エヴァンジェリンは自身を狙った匕首の間を縫うようにして、一気にそれらを抜き去って呆気なく全弾を回避した。
彼女はそのまま距離を詰めて刹那に迫り―――吸血鬼の優れた聴覚が、その声を確かに聞き留めた。
「
来れ―――――四刀」
「…なに?」
“ガギギンッ!!”
怪訝に思った瞬間、真上からエヴァンジェリンの魔法障壁に異物がぶつかる。
その、直後。
“―――ズシンッ!!”
エヴァンジェリンの体に重圧が押し掛かる。
それは彼女の動きを大きく制限して鈍らせた。
「これは…障壁ごと縛ったか!?」
刹那のアーティファクト、『
匕首・
十六串呂』。
通常時はただの短刀だが、最大十六対まで分裂し術者の意のままに飛翔する特性を持つ。
初めに十二本だけ放った際、残り四本を上空に待機させておいた刹那は、機を狙いそれを奇襲の形でエヴァンジェリンにぶつけたのだ。
結果、そのうち二本が命中。
事前に匕首に貼り付けられた呪符の効果で、エヴァンジェリンの動きを
魔法障壁ごと鈍らせる……!!
“ギュオッ――――ガギギギギギギンッ!!!”
先ほど回避された十二の匕首も反転し、今度こそエヴァンジェリンに命中する。
魔法障壁によりダメージは皆無だがそれでも充分。
匕首の一本一本に貼られた拘束系の呪符の効果が、今ここに完成する!
“『符術・
九重拘縛陣』!!”
“―――――――ズンッ!!!!!”
「ぬ……ぐっ…!!」
九種九層の拘束を重ねがけされた吸血鬼は、真祖といえど苦悶の声を抑えること叶わない。
だがそれだけだ。時間稼ぎがいいところ。
捕縛結界も拘束符術も、どんな術であろうといずれ〈闇の福音〉には破れ去る。
だからこそ、この九蓋拘縛―――今この時に最も適している。
目を閉じ精神を統一し、研ぎ澄まされた集中力で気を制御する時間を作るには……!
“バチ…ッ!”
夕凪が火花を放つ。
気によって刀身が纏い、収束する大気中の電子が電気エネルギーへと昇華していく。
“バチッ――バチバチッ……ッ!!”
それは徐々に
出力を増し、次第に…刹那とエヴァンジェリンの闘う空に暗雲を呼び寄せた。
刹那の夕凪は避雷針だ。
彼女が野太刀を振り下ろす瞬間、暗雲は刀身に落雷を乗せて敵を叩き斬るだろう。
「――――神鳴流奥義」
夕凪の
鋒を天に向け、刹那は刀身が垂直になるよう輝く野太刀を静かに構えた。
“
雷”―――それは
建御雷。ゼウスの雷霆、インドラの火。
総じて古来より、神話が讃える英雄神の決戦兵器―――。
「ぬぅっ…!!刹那ぁあああーーーーー!!」
「極大ッ!!雷鳴剣!!!」
紫電雷火に
耀く〈夕凪〉が、刹那により―――
吸血鬼を倒す
光となって振り下ろされた。
◇◇◇◇◇
「……今のは素晴らしかったぞ刹那。
真祖の片腕が呆気なく消し炭だ―――もう再生したが」
極大雷鳴剣は、確かにエヴァンジェリンに直撃した。
しかし寸での所で拘束を破った彼女は、斬撃を身体の直心から僅かにズラす事で炭化を左腕のみに留めていた。
再生は一秒も掛からない。
奥義の直撃で発生した爆煙から飛び出し、エヴァンジェリンは〈夕凪〉と刹那の顔面を鷲掴みにすると彼女を『別荘』に向かって力任せに投げ飛ばした。
………雷鳴剣の炸裂から十秒足らずの後。
別荘広場の石畳に背中から激突した刹那は、エヴァンジェリンに首を絞められながら地面に押し込められていた。
「ぐ……っ」
(―――吸血鬼の不老不死!魔力が完全ならこんなにも早く…!)
戦慄するも、闘志の火は消えていない。
鋭い視線でエヴァンジェリンを睨みつけ、刹那は反撃の糸口を模索する。
……そんな彼女を見下ろす吸血鬼は、冷めた瞳をゆっくり閉じてから口を開けた。
「―――群れの中では、白い個体に限らず」
「…!?」
その声色に刹那が戸惑う。
吸血鬼が開いた双眸。それを覗いた刹那が目にした“冷たさ”は……冷徹ではなく、底の見えない静謐だった。
「自分たちと異なる姿の同族は遠ざけられる。爪弾き者だ、群れの一員とすら認められない。
それが自然界のルール……烏族でも白い翼はタブーとされたか」
刹那は言葉を発しない。……発せられない。言い返せない。
「詠春が保護者代わりということは、ヤツか、その関係者に拾われたのだろう?
十にもならぬ幼子がたった一人で保護されるなど…里から追い出されたか? 身の危険を感じて自ら逃げ出したか?
どちらにせよ、お前が烏族の里でどんな幼少期を送ったか……容易に想像がつくよ」
元より、言い返す必要がなかった。
もはや細部は思い出せない…欠け落ちた記憶の中身は、エヴァンジェリンの言った通りの、凄惨なものだったから。
「…ククク、烏族の羽根と体毛の色は等しい。そんなお前の翼は白…おや、オカシイこともあるものだ。
―――なあ刹那。その黒髪はどうした? 染めているのか?
白い個体の瞳は赤いと聞くが、目はカラーコンタクトでも填めているのか?」
「………!」
事実を指摘する言の葉の一つ一つが、刹那の心を滅多刺しにした。
―――
桜咲刹那の黒目黒髪は、安っぽく上辺に貼り付けた
嘘の証だと。
―――
桜咲刹那は人の世の中で、他人に多くを偽らなければ生きていくことさえできない咎人であると。
「剣を捨てられないだと? 笑わせるな、駄々を捏ねる餓鬼にも劣る。
刹那、お前……剣を持ったままで幸せになれると思っているのか?
私と同じバケモノの――――人外のお前が!!」
「―――くぉらぁぁあああああ!!こんの馬鹿エヴァちんーーー!!!」
「うぉおっ!?」
二人の鼓膜を揃って揺らす大声の方へ視線が伸びる。
見ればそこには…後ろからネギに羽交い締めにされ、それでもなお暴れる明日菜―――の精神体が空に浮かんでいた。
「…やれやれ、こんな所まで追ってきたか」
「あ、アスナさん…ネギ先生…」
「アンタそれ以上ちょっとでも口にしてみなさいブッ飛ばすわよ!!
最近ちょっとでもイイ奴じゃんとか思ってた私がバカだった!やっぱあんた大悪人よ!!」
「ア、アスナさん抑えて!抑えて!」
「放してネギ!放してよっ!はーなーせぇぇえええ!!
こうなったら思い知らせてやるから私と勝負しなさいこのバカエバーーっ!!」
「あのエヴァンジェリンにここまで言えるって…やっぱ姐さんてスゲーわ」
「ケケケ。馬鹿ハ元気ダナ」
「まったくチャチャゼロまで何をやって―――お?」
エヴァンジェリンの視界がぐるんと反転する。
それは刹那が、油断した彼女を足で払い除けたためだ。
気で強化された脚力により、エヴァンジェリンの小さな体は弧を描いて数メートル先まで投げ飛ばされた。
「っと――少し気を抜き過ぎたか。…む」
地面に叩きつけられる事もなく、エヴァンジェリンは宙で体勢を整えて難なく着地し刹那と相対する。
そこで気づく。
刹那の瞳の奥に見える……先程までとは種類の異なる闘争心に。
「……フフ、そうだそれでいい。
以前から貴様は生まれに似合わず素直過ぎると思っていた所だ」
「―――もっと嫉妬と憎悪を他者にぶつけてみろ!!刹那!!」
…ここにきて、エヴァンジェリンは思い違いをしていた。
刹那の目に宿る闘争心は、先のエヴァンジェリンの言葉に対する怒りでも、ましてや憎しみでもない。
友達の明日菜。恩人のネギ。
刹那は彼らの見ている前で、これ以上の無様を晒せないという話……!
―――だが。同時に。そんな自身の感情と裏腹に。
戦士としての桜咲刹那は、今の状況を痛いほど冷静に判断していた。
(……駄目だ、勝てるわけがない……!!)
そもそも、前提からして理不尽だ。
全盛期のエヴァンジェリンに真っ向から挑んで勝つなど、ネギの父・サウザンドマスターでもなければ不可能な芸当である。
それでいて「自分に負けたら剣を捨てろ」と刹那に要求するなど、余りにも道理が合わない。
(こんなの初めから選択肢がないも同然……)
“―――剣と幸せ、どちらかを
選べ”
その言葉を思い出し、刹那はハッとした。
(まさか…あるのか?
私が気づいてないだけで、“選択肢”―――選ぶ余地が…!)
ここは幻想空間。
エヴァンジェリンに力で勝つことは不可能。
ここは幻想空間。精神のみの世界。
ならば、ここで必要とされる“力”は――――。
(―――、そうか…!)
〈夕凪〉を握る手に、一層強い力が篭った。
◇◇◇◇◇
《おーっと!? 睨み合っていた両選手、突然動き出しました!
硬直していたのは数十秒ほどでしたが、選手達にとってどんな意味があったのでしょうか!?》
実況の朝倉がマイクで叫び、動き出した試合に観客の声援が戻ってきた。
刹那とエヴァンジェリンは弾かれるように後退し、両者は共に舞台の端に立って睨み合う。
……先に沈黙を破ったのは、苦い顔をしたエヴァンジェリンだった。
「ち、気づいたか。
幻想世界の突破口に」
「はい。あの世界は意思の世界。
であれば、幻術を打ち破る強い意志の力を示すことが出来れば脱出は可能です。
そしてそれがわかった以上…もう同じ手は通用しません」
刹那は決戦奥義『真・雷光剣』を放ち、己の強い意思をぶつけることで幻術空間を崩壊させた。
そしてあらかじめ幻術が来ると分かっていれば、それを『
抵抗』で防ぐことは容易である。
弱体化している今のエヴァンジェリンの術なら尚更だ。
即ち、刹那を幻想世界に引き摺り込む事はもはや不可能。
同時にそれは、エヴァンジェリンがこの試合で全力を発揮することも不可能になった事を意味している。
それを匂わせ、言外に降伏を勧める刹那だが…エヴァンジェリンはそれを鼻で笑う。
「ふん、強気だな。確かに幻術はもう通じんだろうが、だからといって私がこのまま大人しく負けてやる道理もあるまい。
言ったハズだぞ? フヌけた貴様が相手なら…今の私でも充分になぶり殺せると」
―――ブワリと、刹那の全身に鳥肌が立つ。
生物の本能が、戦士の勘が、全力で警報を鳴らしめた。
ニイッと口を歪めるエヴァンジェリンの顔には、吸血鬼の凄惨な笑みが貼り付いている……!!
「さあ、今度は現実で続きといこうか刹那。
戦いを捨て、人並みの幸せを得るのも悪くはないぞ―――今の私のように、な」
舞台を覆い尽くすほどの
威圧感が、肌を焼かれているかのような痛みを刹那に錯覚させた。
それは幻術空間で体感した、万全のエヴァンジェリンと比べれば極度に劣る。
しかし、彼女が発散する底知れない雰囲気が、確かに刹那を呑み込んでいた。
僅かでも気を緩めれば……足が勝手に後退りを始めるであろうほどに。
「なに、たとえ剣を捨てようが、生徒として木乃香ともどもネギ先生に守ってもらうがいいさ。
ぼーやはきっと強くなるだろう。私が保証する」
「……っ」
尋常ではない敵意との相対。刹那は口を真一文字に結んで歯を食いしばる。
そして強く握り込んだデッキブラシを………静かに、そっと下ろした。
「…む?」
訝しむエヴァンジェリンの視線を受け止め、刹那はゆっくりと、しかし確かな口調で言葉を発した。
「エヴァンジェリンさん。私は…先ほどあなたが仰った道を選びたいと思います」
「……ほう?」
エヴァンジェリンの表情が、不審から愉悦に変化する。
早く続きを、と言わんばかりに彼女の威圧は弱まっていた。
それに応えるように…いや。
“刹那、お前……剣を持ったままで幸せになれると思うのか?”
わざわざこんな大舞台で自分に選択の場を与えてくれた、目の前の人物に応えるように。
「剣を持ったまま幸せになる。私―――剣と幸福、どちらも捨てません!!」
迷いの晴れた顔で、刹那が敢然と言い放った。
それを見て、ぽかんとした顔で呆けたエヴァンジェリンは……次第に笑いを堪えるように肩を震わせる。
「……フ。くくっ、ふふふはは……」
心底愉快と言わんばかりに、彼女は右手で顔を覆って天を仰ぐ。
その―――右手の指から覗く瞳は、鋭利な刃物のようだった。
「ほざけガキが!!甘ったれの貴様にそれができるのか!?」
「……はいっ!!だって……」
「それをやろうとしている人が、あなたと私の傍にいるじゃないですか」
「……………。あー」
ぽかんと口を開けたままエヴァンジェリンは、おそらく刹那と同じ人物を想像した。
「――――アイツか」
「はいっ」
『いらっしゃいませ―――おう、刹那か。よく来たな。奥に楓と真名も座ってるぞ』
『ただいま、エヴァ。今日の夕飯は鍋だぞー』
昼は自分の店でニコニコしながら料理を作り、朝と夜には主人の世話に務めるその男。
時に魔法使いとして戦いに赴くこともあれど、誰かのための闘争である限り彼はそれを拒絶しない。
そうやってそこそこ毎日を謳歌している癖に、魔法世界十二億の人々を救うためと
宣って麻帆良を発ち―――今ここを不在にしている男が、刹那とエヴァンジェリンの脳裏を
過ぎる。
どうせ彼は何事もなかったような顔で戻ってきて。
何食わぬ様子で以前と同じ生活に戻るであろうその姿も、彼女らにはありありと想像できた。
全て彼が好きでやっていることだ。
だからこそ不幸では決してない。
自分自身を含めた、幸福の体現者―――ある英霊は、それを英雄の条件のひとつとした。
…ただしそんな事は、彼女にとってどうでもいいことだ。
酷く打ちひしがれた……今のエヴァンジェリンにとっては。
(―――ま、また
士郎の所為で私の目論見が崩れるとは!?)
春の吸血鬼事件を思い出す。
あの一件でエヴァンジェリンは自身に掛けられた呪いを解くチャンスを逃したが、それは士郎の暗躍も一因となっていた。
今回は、木乃香を守るために生涯剣を振り続けるか、それをやめて普通の幸せを手にするか、刹那にどちらかを選ばせるつもりだったのだが。
それは彼女が第三の解答を得たことで空振りに終わる。
しかも、士郎を引き合いに出して、だ。
実際の所、今回の失敗の原因が士郎にあるかは別として。
エヴァンジェリンはほとんど八つ当たりで、思いつく限りの罵倒を内心で彼にぶつけた。
(―――大丈夫だよエヴァ。魔法世界のお土産はちゃんと買って帰るから)
「ええいそんな事は気にせんでいいわ!!」と、頭に浮かんだ幻影を振り払うエヴァンジェリン。
しかし数秒の逡巡後には、「できれば紅茶かワインを頼む…!」と天に向かって念じていた。
士郎に届けと言わんばかりに。
「あのー、それで…エヴァンジェリンさん」
「あん?」
刹那の呼びかけに対し、エヴァの反応はぞんざいだ。
具体的な理由としては、まあ、どっかの阿呆によって真面目に試合を続ける意欲を削がれていた。
対して刹那は、モジモジと顔を赤らめながらエヴァンジェリンを見据えている。
「本当はこのような場所で言う事ではないのですが…」
「…なんだ急にまどろっこしい。言いたい事があるならさっさと言え」
そこでチラリと、刹那は観客席に立つ木乃香と明日菜に視線を配った。
―――今まで彼女達に支えられてきた日々が思い出される。
それが刹那に力を与えてくれるかのようだった。
(今までお二人が応援してくださっていたのは、きっとこの時のためのはず……!!)
二人を目にすることで最後の迷いを消し飛ばし、刹那は本当の意味で意を決して口を開いた。
「エ、エヴァンジェリンさんっ!
アナタは―――士郎さんのことをどう思ってらっしゃるのですか!?」
「―――はっ!?」
――――間違いなく、この場で訊くべきことではなかった。
ここにどれだけの衆人環視があると思っているのだろう、この
駄烏は?
「エヴァンジェリンさんはネギ先生のお父上が好きなのでしょう!?
なのにやたら士郎さんに執心しているように見えるのですが!?」
「きっ貴様ァーー!!どうして私がナギを好きだと知って…あっ落ち着け刹那!?
こんな大観衆の前でオマエそんな…」
「いいえ退きません!今日こそはキッチリ答えていただきます!!
ナギさんを想いつつ士郎さんを隣に置いて離さないなんて不誠実です!!士郎さんが可哀想です!!」
「なっなんだ!?私が悪いのか!?なんか変なスイッチ入れたか!?」
「確かに、最近の私は望外の幸運と幸福に流されてタルんでいたと思います。
貴方ほどのお方にそれを諭し、戒めて頂けるなんて光栄です!ですがっ!」
「まじかよ…刹那の姉さん、あのエヴァンジェリンを圧倒してやがる…!」
「せ、刹那さんスゴい!」
「違うでしょあんたら!? ちょっとこのかー!こっち来てーっ!!」
「はいはーい」
いまネギ達が立っているのは選手専用の観覧席だ。
明日菜は自慢の大声で叫ぶと、一般観客席に座る木乃香を自分達の近くまで呼び寄せた。
「ちょっとこのか、刹那さん一体どーしちゃったの!?」
「あー…。せっちゃんは一度燃え上がると、誰かに止められるか躓くまで突っ走ってまう悪いクセがあるんや…。
あとは思い悩むと袋小路に入って延々と迷走したりとか…。どっちの癖も早い話、自分も周りも見えへんなるとゆーか」
「まさにそれじゃねーか」
今の刹那は明らかに正気を失っている。
戦闘による高揚、興奮状態が持続しているというか、きっと原因はそんな感じだ!
彼女の理性とか自制心が、職務の一切合切を放棄している!!
「私の幸せをお考えになってくださるのなら、士郎さんのコトをハッキリして頂かないと困ります!!
エヴァンジェリンさん!あなたにとって士郎さんは何なのですか!?」
怒涛の勢いで迫る刹那にどんどん押されていくエヴァンジェリン。
追い詰められた彼女はつい、言い訳の類ではなく本音の一端を口走った。
「べ…別に私が士郎をどう思っていようと、お前には関係ないだろうが!」
そのセリフに驚いたのは、エヴァンジェリン自身であった。
(…はっ。な、何を言っているんだ私は!?
ただの従者だと言えばいいのにどうしてこんな言い回しを……)
「……そうですか。なら………私が先に言えばいいんですか?」
「え゛っ」
その呻きが誰のものだったか、知る由は無い。
確実なのは、刹那の暴走がいよいよアブない所まで近づいているという事だ。
ぶっちゃけ目が据わっている。
親友の明日菜は、嫌でもそれを感じ取っていた。
「も、もうダメ!!一刻も早く止めなきゃ!!
このままじゃ刹那さん、後で正気に戻ったとき恥ずかしくて悶死するわよ!?」
「――うん。アスナ!」
(面白そうやしほっとこう……?)
(こ、このか―――!?)
近衛木乃香。義兄と親友の恋の行方を楽しむ態度が一貫していた。
「ですから!!私は子供の頃からずっと士郎さんのコトが好だったと正直に言えばエヴァンジェリンさんもご自分の気持ちをここで明かしてくれるのかと訊いているんですっ!!」
「うわ―――!もうわ―――!!」
「きゃーっ♪きゃーーー!!」
二色の悲鳴が木霊する。
前者がもう目も当てられないといった様子で、
後者はもう最高といった感じなのは言うまでもない。
なお、「コイツまじで言いよった―――」と口惜しそうに歯ぎしりしているエヴァがいた。
そしてもはや自分がナニを口走っているかも理解していない刹那は、目がぐるぐるになっていた。
《むう、“士郎”…? もしや音に聞こえたあの…》
《知っているのですか、解説の豪徳寺さん》
《はい、聞いたことがあります司会の茶々丸さん。
かつて、学外からやってきた不良と麻帆良の不良が生徒同士の抗争に発展したことがありました……》
“それに立ち向かったのが、一回戦でネギ選手と戦った〈
死の眼鏡〉こと高畑先生です。
しかしデスメガネといえど、百を越える大人数を一人で相手にするのは困難だった…。
するとそこに、高畑先生と同じ広域指導員の資格を持つ、一人の青年が助っ人に駆けつけたのです。
深紅のシャツに黒いエプロンを着た赤毛の男。
彼は高畑先生と協力し、信じられないことに僅か二分足らずで百名を越える生徒を鎮圧したと言われています。
それ以降、誰が呼んだか彼の二つ名は―――”
「デスメガネの相方。〈
赤い悪魔〉、衛宮士郎――――!」
ざわざわ…っ!!
マイクで拡声された豪徳寺の言葉に、観客席が俄かに騒がしくなる。
「マジかよ…あの高畑に相棒がいたなんて初耳だぜ?」
「いや聞いたことがある。広域指導員としては滅多に姿を見せない幻の存在だって」
「アレ、私知ってるよ? 喫茶店の店長でしょ?」
「喫茶店の店長がそんなに強いワケねーだろ。同姓同名の別人だよ」
「そうだ…同姓同名に違いない…。
あの店長が高畑と同レベルとか、非常識の世界の住人だなんてタチの悪い冗談……ブツブツ」
《おーっと、麻帆良最強を決める大会が急に趣を変えてきました!!
桜咲選手が語った士郎なる人物は何者なのか!!そしてマクダウェル選手を含めた三人の関係は!?
報道部たる
私こと朝倉和美は関連する情報を持っていますが、情報倫理的にここで暴露してしまっていいものかーーー!?》
「コラーっ!? バラしたら承知しないわよ朝倉ァーーー!!!」
「姐さん、もう結構バレちまった気がするぜ…」
気づいてしまった豪徳寺、司会として応答せざるを得ない茶々丸。
ざわつく観客、テンション上げる朝倉とそれを怒鳴りつける明日菜。
―――会場は、
混沌になり始めていた―――。
「さあエヴァンジェリンさん!!
あなたは士郎さんのことをどう思っているのですか!!さあ、さあ!!」
「ぬぐ…っ!わ…私にとってアイツは…士郎は…」
「って、答えちゃうのエヴァちゃんっ!?」
(わくわく…!)
(……このか姉さんもイイ性格してんなぁ)
エヴァは唇を噛んでぐっと堪えていたが、とうとう堰を切ったように叫んで口にする!
「…し、士郎は私の従者だ!!それ以上でも以下でもないっ!!」
クワ卜□かよ。
観客席の最前列に座る長谷川千雨はそう思った。
「………そうですか。なら…今一度、決着を着けるしかないようですね…!」
「な。ちょ、まて、本気のお前を相手にしたら今の私は無事では済ま…」
「問答無用っ!!」
「勝手に無用にするなぁぁああああ!!」
刹那のいちげき!エヴァはたおれた!!
刹那は両手を突き上げて勝利のポーズ!!
《き、決まったー!!桜咲選手の勝利です!!これで学園最強ベスト4が決定しました!!》
朝倉の宣言により、観客は再び割れんばかりの歓声を響かせた。
「勝った!勝ちました士郎さん!!この勝利を貴方に!!」
「ぐ…こ、これで終わったと思うなよ…!
所詮お前もアイツに引っ掛けられた女の一人に過ぎないんだ!!
私を倒しても第二、第三の
士郎の(人の良さに騙された)女が……っ!!」
お前はどこの中ボスだマクダウェル。
あと店長はいつからそんな黒幕枠に?
観客席の千雨はそう思った。
ぷるぷる震えながら刹那を指差すエヴァンジェリンだが、口調の割に力がない。
どうやら刹那の一撃で肋骨が何本かイったらしく、察した係員が駆けつけて彼らによって担架の上に載せられる。
刹那はやり過ぎたかと肝を冷やしたが、「どうせ再生しますよね」と思い直した。
「そもそも私は負けてなんかいないからな!!くそーっ!!覚えておけ刹那ァーーー!!」
担架で運ばれていくエヴァンジェリンは、折れた肋骨に響くことも構わず大声で吼え続ける。
対して刹那は、勝者の余裕を感じさせる晴れやかな笑顔を浮かべながら、ひらひらとハンカチを振って彼女を見送るのだった。
(ありがとうございます…お嬢様、アスナさん…。
お陰で私、今までよりも前向きになれそうです……)
少し照れた表情で控えめに笑う刹那は、感謝の念を込めて観客席の親友二人を見る。
しかしそんな彼女に
親友が返した笑みは……どこかぎこちないのであった。
もう一人の親友は満面の笑顔だったが。
・
・
・
―――まほら武道会閉幕後。
刹那はネギ達と共に、麻帆良祭の裏で起きた世界を揺るがす大事件の解決に奔走する事となる。
そのため彼女は、学園祭が終わるまでこの試合での出来事を思い出すことはなかった。
そう……学園祭が終わるまでは。
<おまけ>
エヴァ
「もっと嫉妬と憎悪を他者にぶつけてみろ!!刹那!!」
エヴァンジェリンは思い違いをしている。
刹那の目に宿る闘争心は、怒りでも憎しみでもない。
友人の明日菜。恩人のネギ。
彼らの見ている前で、これ以上の無様は晒せないという話……!
明日菜
「よーし私も助太刀するわ!刹那さんっ一緒にボコるわよ!!」
ネギ
「ええ!? ちょっ、邪魔しちゃダメですよ!これいちおー試合…」
明日菜
「右手に気、左手に魔力!『咸卦法』!!」
ネギ
「もぺーっ!?」
一回戦直前にアルビr…クウネル・サンダースが与えたきっかけにより、
究極技法『
咸卦法』を会得した明日菜!
彼女の体から「咸卦の気」が激しく噴出する!
ネギが明後日の方向へ吹き飛んだ!
カモ
「姐さん姐さん。俺っち達が使ってるコレは覗き見専用みてーな魔法だから、戦いには参加できねえよ」
明日菜
「………。」
明日菜
「えー?(´Д`;)」
一方その頃、現実の明日菜の肉体も意識につられて咸卦法を発動していた。
吹き荒れた暴風で隣に立つネギの体が吹っ飛んだ。
同じ理由で一瞬だけ明日菜のスカートが大きく捲れてパンチラする。
それはその光景を目の当たりにした人々に「…オナラ…?」「凄い屁…!?」などという酷い誤解を与えていた―――。