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Fate/ZERO―イレギュラーズ― 第73話:相対戦=第三戦その5=
作者:蓬莱   2017/04/25(火) 20:54公開   ID:.dsW6wyhJEM
この銀時とセイバー両者の闘いの行方を見届けていた誰もが目の前の光景に息を呑むほど唖然としていた。
ありったけの罵声と共にセイバーの放った拳が銀時の顔に容赦なく叩き込まれた、否、叩き込まれてしまったのだ。
能力値の優れたセイバー自身の力に加えて、甲鉄の籠手に纏われた拳は、激闘に次ぐ激闘で死に体同然となった銀時にとって致命的な一撃を与えるのに充分すぎるモノだった。

「えっ…?」

だが、この場に於いて、誰よりも困惑していたのは拳を叩き込んだ当人であるセイバー自身だった。
事実、如何に満身創痍の身といえども、銀時ほどの戦闘に長けた強者ならば殺気を読むなどして、セイバーの拳を防ぐことはもちろん、避ける事もカウンターで反撃する事など造作もない事だった。
にもかかわらず、セイバーの繰り出した拳は一切の防御も回避も反撃もないまま、銀時の顔に叩き込まれたのだ。
ならば、考えられる理由は一つだけだった。

「…これで全部かよ、セイバー」

そう、銀時はあえて無抵抗のまま、自身に迫りくるセイバーの拳を真っ向から受け止める事を選んだのだ。
だが、それは悪手などというのも烏滸がましい、誰の目から見ても無謀な自殺行為に他ならなかった。
普通に考えれば、万全とは程遠い死に体同然の身体で、頑強な甲鉄で形成された剱冑の籠手を纏ったセイバーの拳を受ければどうなるかは考えずとも分かる事だった。
事実、セイバーに問いかける程度には未だに意識は留めているとはいえ、銀時の肉体は既に生きていること自体が奇跡に等しいほど深いダメージを負っていた。

「な、何で…」

だが、そんな死人寸前の銀時を前に、圧倒的優勢に立っている筈のセイバーは更なる攻勢に転ずるどころか、むしろ何かに怯えるように後ずさりしてしまった。
それほどまでに、セイバーの心は令呪の効果を薄めるほど激しく動揺し、銀時の余りにも理解不能な行動に混乱してしまっていた。
―――何で避けないのよ…?
―――何で防がないのよ…?
―――何で反撃しないのよ…?
―――何で、何で…!?
そして、セイバーにとって何よりも不可解だったのは―――

「―――何でそんな眼で私を見るのよ…!?」
「…当たり前だろうが、馬鹿ヤロー」

―――銀時の目に自身を死の淵まで追い込んだセイバーに対する敵意や憎悪が一欠けらも含まれていない事だった。
これまで溜めこんでいた鬱憤をぶちまけるように一方的に罵りながら殴り続けた以上、セイバーも銀時に憎まれ恨まれるのは当然の事だと覚悟していた。
だが、当の銀時は売り言葉に買い言葉という形で反論したものの、その言葉にはセイバーに対する恨み辛みなど一切含まれていなかった。
一方、“ならば、何故…?”と何一つ答えの見いだせぬまま困惑するセイバーを前に、当の銀時は何故か申し訳なさ気な表情で罰悪そうにぼやきながらも、いつまでも愚図り続ける駄々っ子を諭すようにこう告げた。

「形はどうあれ…最初に俺がおめぇを傷つけちまったんだからよ」

“セイバーを傷つけてしまったから”―――それこそが死に体寸前の銀時が一欠けらの憎しみさえ抱かずに、セイバーの攻撃を無抵抗のまま受け続けた理由だった。
かつて、聖杯や桜たちの処遇について、切嗣と対立した銀時は“護るべき者を護り通す”という自身の信念を貫かんとして、直も切嗣を支持するセイバー達と袂を別つことになった。
無論、銀時も共に闘うと誓った手前、この結果に後味の悪さを感じてはいたものの、自身の選択自体に後悔はなかった。
だが、後に洞爺湖仙人との対話を通じて、銀時はセイバーの負った心の傷を知り、図らずも自身がセイバーの心の傷を抉ってしまった事に気付くことになった。
ならば、どうして、仲間を重んずる銀時が自身の行動によって、ここまで追い詰めてしまったセイバーに対して憎悪を抱く事ができるだろうか?
故に、銀時は一切無抵抗のまま、セイバーの攻撃を全て受け止め続けたのだ―――護るべき仲間の心を図らずも踏みにじった自分への罰とし、自身の破壊を望むまで追い込まれたセイバーの鬱屈を完全に晴らすためだけに。
そして、何故、銀時が一度は袂を別ち、自分を満身創痍寸前まで追い詰めたセイバーの為にそこまで身体を張り続けたのかと問われれば答えは一つしかなかった。

「…それでも、俺にとっちゃ命を懸けてでも護りてぇ仲間なんだよ。オメェも、アイリもな。後、ついでに切嗣もよぉ」
「―――っ」

この瞬間、セイバーは自身の中で何かが折れた事に気付くと同時に自身の敗北を悟らざるを得なかった。
例え、どれだけ怒りを煽ろうとも、どれだけ殴り続けたとしても、銀時は一切反撃することもなく、セイバーの拳を受け止め続けるだろう。
なぜなら、護るべき者の為に命を懸けて闘う坂田銀時が護るべき“仲間”の一人であるセイバーを斬り捨てる事を選ぶなど断じて有り得ないのだから…!!
故に、銀時は己の信念を曲げる事無く貫き通すのだ―――意識さえも失った先の、己の命が尽きる事になっても。
そして、そんな銀時を相手に根競べのような戦いを挑んでしまった時点で、先に心が折れてしまったセイバーに勝ち目がない事は火を見るより明らかだった。

「えっ、ま、待って…!?」

しかし、既に自身の敗北を受け入れかけようとしているセイバーの心とは裏腹に、切嗣の令呪によって支配されたセイバーの肉体は拳を握り締め、直も銀時への攻撃を続行せんとしていた。
もはや、先に放った一撃をまともに受けた銀時に対し、更なる攻撃を続ければどうなるかなど火を見るより明らかだった。
これ以上の闘いを望まないセイバーも令呪の強制力に抗わんとするも、これまでの闘いで多くの魔力を消耗したセイバーに抑えきれるものではなかった。

「止めて、お願い…切嗣、もう止めて、もう止めてぇええええええ!!」
“…”

もはや、自分の力ではどうする事もできないと悟ったセイバーは万に一つの可能性に懸けて、藁にも縋らんとする思いでマスターである切嗣に攻撃中止を悲痛な声で頼み込んだ。
だが、当の切嗣はそんなセイバーの悲痛な叫びすら意にかえすことなく、無言という回答を以て銀時の抹殺を優先するだけだった。
刻一刻と銀時に絶体絶命の窮地が訪れようとする中で、セイバーは無駄と分かっていながらも令呪の強制力に抗い続けると同時に、初めて心の底から願った。

“誰でも良いから…”
“私にできる事なら何でもするから…”
“鬼や悪魔にだって何でも差し出すから…”
“だから、だから…!!”
“―――銀時を、私の為に命を懸けてくれたこの人を助けて…!!”

この時、この瞬間を以て、セイバーにとって“坂田銀時”は剱冑である自身を扱う“仕手”や自身の願望を叶えるための“パートナー”ではなかった。
そう、既に銀時は、セイバーが己の何もかもを投げ打ってでも手放してはならないと願うほどの、“友”以上の“絆”を抱かせる存在へと昇華していた。
そして、銀時に対する止めの一撃を振るわんとする寸前、セイバーは直も自分への攻撃を受け止めんとしている銀時に向かって悲鳴交じりの声で叫んだ。

「逃げて、銀―――“““銀時(さん、万事屋ぁ)!!”””――――え?」
「え?」

その直後、回避を訴えるセイバーの声を遮るかのように割り込んできた複数の声が、銀時とセイバーの耳に飛び込んできた。
この思いもよらない突然の事に対し、思わぬところで虚を突かれた銀時とセイバーがほぼ反射的に声の聞こえてきた方向へと目を向けた。
その直後だった。

「「「「間に合え(て)ぇええええええええええ!!」」」」
「んなっ!?」

そう、とある変質者の永劫回帰を少しばかり応用した異空間ワープによって、アインツベルン城へと辿り着いた近藤達を乗せた自動車が銀時の眼前に飛び込んできたのは…!!
もし、普段の銀時であったならば即座に反応して、間一髪のところで回避できただろう。
だが、咄嗟の判断すら追い付かないほどのタイミングの悪さに加え、ランサーやセイバーとの度重なる激闘による身体へのダメージなど諸々の要因が重なった結果―――

「ぎゃあああああああああああああああああ!!」
「「「「ぎ、銀時(様)ぃいいいいいいいいい!!」」」」
「おぉ…飛んだ…」
「あ〜確かに結構飛んだわねぇ」
「でも、あれでも、まだ大丈夫な気がするんだけど…」
「いやはや…これは本当に予想外の結末でしたね」
“むしろ、予想できる方がおかしい”

―――驚愕や困惑など様々な反応を見せるセイバー達の前で、近藤達の自動車に撥ね飛ばされた銀時は雨のごとく鮮血を飛び散らせながら宙を舞う事になった。
それと同時に、この余りにも衝撃的な光景を目の当たりにしてしまったウェイバーとケイネスは互いに顔を見合わせた後、首を傾げてこう呟くしかなかった。

「「…どういう事?」」
「ぐほぉ…!?」

その直後、空高く舞いあがった銀時が地球の重力に引き落とされ、何処かの星座カースト漫画のように頭から地面に叩き付けられることになった。
そして、これが第四次聖杯戦争の行く末を決める戦いと目され、この“アインツベルン城”にて繰り広げられた相対戦第三戦の結末だった。


第73話:相対戦=第三戦その5=



“起きろ、銀時(万事屋)(さん)…!!”
「ん…」

まず、銀時が全身を苛む痛みよりも先に感じ取ったのは、自分の名を呼びかけてくる無数の、聞き慣れた声だった。
―――何故かははっきりしない。
―――けれど、この声に応えなければいけない事だけは分かった。
―――このまま、自分にはあいつらを不安にさせたままなんてできないから。
そして、未だに朦朧とする意識を無理やり叩き起こした銀時の目に入ったのは――

「無事だったか、銀時!! 案ずるな、傷は浅いぞ!!」
「おい、しっかりしろ、万事屋!! 何、死んだ振りなんかしてんだよ!!」
「今、お母様たちも治癒魔法をかけてくれるから、大丈夫だから!!」
「死なないで、銀時さん!!」
「て、てめぇら…」

―――できうる限りの応急処置を続けながら必死に呼びかける近藤達だった。
恐らく、自身の衣服を包帯代わりにしたのか、上半身裸の桂と近藤は銀時に檄をとばしながら、虚ろになりかけた銀時の意識を留めんとしていた。
さらに、その傍らでは、イリヤと凛が傷だらけとなった銀時の身体を癒すべく、見様見まねながらも自分にできる治癒魔法を拙いながらも施さんとしていた。
だからこそ、自分を救わんとする近藤達の姿を前に、銀時は思わず声を震わせるほどに感動しながら、“ありがとうな”と感謝の言葉を呟かんとしかけた。

「…なんて言うと思ったかああああああああぁ!! むしろ、おめぇらのせいで危うく死にかけたぞ、ごらぁあああああああああ!!」
「大丈夫、大丈夫。そんなに叫ぶほどツッコミができるなら致命傷じゃないわ」
「まぁ、そもそも、サーヴァントなら車に撥ねられた程度じゃ死なないと思うけど…」

だが、そんな感謝の心を銀時が抱けたのは、自分を撥ね飛ばしたのが当の近藤達である事を思い出すまでの間だけだったが。
無論、銀時のツッコミ振りに軽口を叩くランサーや“騎士団”に取り押さえられたセイバーの言うように、サーヴァントである銀時が車に撥ねられた程度で死ぬような事などは絶対に有り得ない。
とはいえ、並みの手段では死なないサーヴァントの身であろうとも痛みは生身の時と同じようにしっかりと感じる事には変わらないのだ。
その上、これまでの激闘で死にかけ寸前の状態に追い込まれていた銀時にとっては痛みだけで危うく成仏しかねないほど強烈なモノであった。
故に、文字通り、“死ぬほど痛い”目に合わせた近藤達に対し、銀時が怒りのツッコミで抗議するのは無理からぬ話だった。

「いちいち、細かい事に気にすんじゃねぇよ。大体、いつもの事じゃねぇかよ」
「過ぎた事を悔やんでも仕方あるまい…それより切嗣殿との会話は可能か、セイバー殿? 新リーダーが話をしたいそうだが…」
「よぉし、まずは、てめぇを過ぎた事にしてやるよ、ゴリラとヅラぁ」
「…」

もっとも、この程度の事は日常茶飯事な世界の住人である近藤と桂は悪びれるどころか、さして気に止めることは無く、怒り心頭となった銀時のツッコミを軽く聞き流した。
その上、一番銀時と付き合いの長い桂に至っては銀時の無事を判断するや否や、切嗣との対話を望むイリヤの願いを叶えるべく、セイバーへの問い掛けを優先する有様だった。
この余りにも薄情極まりない近藤と桂を前に、銀時は絶え間なく続く激痛に苛まれながらも固く心に誓った―――“ゴリラとヅラはいつか絶対にぶっ飛ばす…!!”と。
一方、これまでの桂の奇行を知るセイバーは“何を企んでいるのか”と胡散臭げに思い、この問いかけに答えるべきかどうか戸惑った。

「セイバー…」
「…一応、感覚自体は繋がっているから、こっちの言葉は届く筈よ」

だが、こちらを不安げにジッと見据えるイリヤに目を向けたセイバーは少しだけ考え込んだ後、観念したように肯定の言葉と共に頷き返した。
“可能性は限りなく低い”
“自分の知る限り、銀時に対する切嗣の憎悪は尋常なモノではない”
“あの冷徹な暗殺者がなりふり構わず、感情だけで殺しに掛かっているのが何よりの証拠”
“しかし、もしかしたら、娘であるイリヤの言葉なら切嗣にも届くのではないか?”
そんな微かな期待を抱くセイバーに対し、イリヤは少しだけ躊躇いつつも、自身の言葉を伝えるべく、セイバーの耳元に近付いた。
そして、意を決したイリヤが助走をつけるかのように息を吸い込むと同時に―――

「…キリツグの大馬鹿ぁあああああああああああああ!!」
「にゃがぁああああああああああああああああ―――!!」

―――セイバーに向かって溜りに溜まった鬱憤を込めた渾身の罵声を叩きつけるかのように大声で叫んだ。
これには、さすがのセイバーも予想していなかったのか、鼓膜を破りかねない程のイリヤの罵声に思わず珍妙な悲鳴を上げてしまった。
直、この時、冬木警察署の留置所にいた切嗣が“ファッツ!?”という奇声を上げてぶっ倒れ、その場に居た看守や犯罪者たちから奇異の視線を向けられていたのはまた別の話である。

「何で、マダオな銀時に酷い事ばっかりするの!! 銀時はマダオだけど悪い事なんかしてないのに!! 銀時がマダオだからいじめるの!! 銀時がマダオだから駄目なの、嫌いなの!!」
「おぃいいいいいいいっ!! 何でマダオを執拗ってぐらい無駄に強調するの、この子!! むしろ、今、幼女の無垢なる残酷な言葉の刃に俺の心がすげぇ容赦なく抉られているんですけど!!」
「まぁまぁ…仕方ないじゃない。銀時がマダオなのは周知の事実なんだし」

しかし、そんな父親の奇行など知る由もないイリヤは一方的に銀時を敵視する切嗣を咎めるように矢継ぎ早に責めたてた―――何故か、銀時がマダオであるのをこれでもかと言わんばかりに強調しつつ。
この純粋無垢な幼女の容赦ない叱責を前に、銀時はむしろ自分の心にトラウマモノの傷が負わされそうな事にツッコミつつ、“マダオならグラサンのマダオがいるじゃねぇか!!”と思わずにはいられなかった。
もっとも、傷心の銀時をからかう気満々の口調で宥めるランサーを含めた面々からすれば、銀時も立派なマダオであるのは疑う余地などない事ではあったが。
ちなみに、マダオ筆頭格である銀時以外にも、この聖杯戦争の関係者の大半が該当しているは割とどうでも良い話である。

「こんな、こんな事するまるで格好悪いおっさんなキリツグなんて嫌いなんだから…!! もう帰ってきても、一緒に遊んでなんてあげないんだから!!」

一方、当のイリヤは外野のやり取りなど知ったことかと言わんばかりに、銀時を害さんとする切嗣をより一層激しく責め立て続けていた。
そう、見る人誰もが痛ましく思うほど悲痛な表情で大粒の涙を流しながらも。
無論、イリヤにとっては、“衛宮切嗣”は母であるアイリスフィールと同じくらい大切な父であり、命の危機に繋がりかねなかった事件に巻き込まれながらも、今も父に対するその思いを変わらず持ち続けていた。
事実、切嗣への非難の言葉を口にするたびに、イリヤの心は茨で編まれた縄で締め付けられるような激しい痛みを感じずにはいられなかった。
しかし、それでも、イリヤはどうしても切嗣を許せなかった―――

「…銀時に、私の友達に酷い事するキリツグなんて嫌い、大嫌いなんだから…!!」

―――“坂田銀時”という自分にとって大切な“友達”を傷つけんとしている事に…!!
そう、切嗣が大切な“父親”であるならば、銀時はアインツベルン城で生を受けて以降、身内以外の人間しか知らなかったイリヤが初めて出会った“友達”なのだ。
これまでのイリヤが知る、切嗣やアイリスフィールのような“親子関係”とも、セラやリズのような“主従関係”とも異なる、互いに対等な関係であることを認め合う事で成立する“友達”という銀時との関係。
時には笑い合い、時には喧嘩し合い、時には語り合うという“友達”として当たり前の事。
それらは銀時が召喚されてから冬木市へ赴くまでの僅かな期間ながらも、イリヤにとって極めて濃密で新鮮な体験であり、切嗣との繋がりに勝るとも劣らぬ掛け替えのないモノとなっていた。
だからこそ、イリヤは自身の心を傷つけながらも切嗣の暴挙を止めんと必死に叫び続けているのだ。
只々、イリヤにとって切嗣と同じくらい大切な“友達”である銀時を護りたいが為に…!!

「イリヤ…」

そんな心の痛みに耐えながら切嗣へ必死に訴えるイリヤの姿に対し、誰よりも心を揺り動かされていたのはイリヤの母親であるアイリスフィールに他ならなかった。
それと同時に、アイリスフィールの胸中を占めていたのは“後悔”と“羞恥”の念だった。
本来ならば、アイリスフィールが銀時への憎悪に駆られようとしている切嗣を真っ先に止めるべきだったのだ。
だが、当のアイリスフィールは良き理解者であろうとする余り、明らかに常軌を逸しつつあった切嗣を諌める事さえできなかった、否、しようとさえ思い至らなかった。

“人間の振りした出来損ないの愛玩人形”

そう、かつて、そんなアイリスフィールの有様に対し、玲愛が吐き捨てるように口にした言葉が真実である事を示すかのように…!!
その結果が六陣営同盟崩壊の危機をもたらした切嗣の暴走であり、そんな切嗣の妄執を止めるべく叫び続けるイリヤの胸を締め付ける程痛ましい姿だった。
そして、それは、アイリスフィールにこれまでの自身の在り方の過ちを気付かせ―――

「大丈夫よ、イリヤ。もう、イリヤの言いたい事はきっと切嗣にも伝わっている筈だから」
「お母様…」

―――自身が本当に為すべき事を為さんと決意させるには充分すぎるモノであった。
次の瞬間、アイリスフィールは自身が負うべきモノを背負わせてしまったイリヤを労わるように宥めつつ優しく抱きしめた。
こちらに振り返ったイリヤの顔は零れ落ちた涙に濡れており、常の愛らしさなど微塵も感じさせないほど憔悴しきった表情からは、今にも心が不安と痛みに押し潰されそうになっている事が否応なしに理解できた。
そんな最愛の娘であるイリヤの姿を前に、アイリスフィールは心が張り裂けんばかりの激痛に苛まれながらも自身の務めを果たすべく奮い立たせた―――自身の代わりに痛みを背負わんとしてくれたイリヤの想いに応えんがために!!
そして、アイリスフィールは初めて“人間”として己の意志を示すべく、セイバーを通して感覚を共有している切嗣にむかってはっきりとこう告げた。

「今すぐ、セイバーに懸けた令呪の命令を取り消して、切嗣」




“え…?”―――もしも、切嗣の口が塞がれていなければ、己の耳を疑うほど呆然とし、思わずそう呟いてしまっただろう。
それほどまでに、アイリスフィールが初めて口にした切嗣に対する“否定”の言葉は、固く閉ざされた切嗣の心に深く突き刺さるモノだった。
少なくとも、切嗣にとっては、これまでもこれからもアイリスフィールだけは何があろうとも自身の味方であってくれると信じていたのだ―――今も直、現実を受け止められないまま。

“普段のあなたならこんな事をしても、何一つ意味なんかないってもう分かっている筈じゃない”
“そう、私は今まであなたの理想が正しいと解った振りをしながら、何時だってあなたのやる事は正しいと自分に言い聞かせてきた”
“だからこそ、あなたに、愛する夫であるあなたにこそ聖杯を託したかった…”
“…だけど、今、切嗣がやっているのは、ただ銀時への逆恨みを晴らすだけの八つ当たりじゃない!! これが、こんなくだらない事が本当にあなたのしたかった事なの、あなたの理想の為に必要な事なの!!”

しかし、そんな切嗣の思いとは裏腹に、アイリスフィールはあくまで銀時を殺す事に執着する切嗣の在り方を真っ向から否定するように矢継ぎ早に責めたてていった。
普段のアイリスフィールの姿からは想像もつかないほど強く激しい口調で訴えかける言葉には“切嗣の暴挙を何が何でも止めてみせる”という熱が込められていた。
そう、それこそが、以前、アインツベルン城にて邂逅した玲愛が評した都合の良い“愛玩人形”などには決してマネ出来る筈のない“人間”の想いに他ならなかった。

“だから、今度は私が道を踏み外そうとしているあなたを止める…!! いえ、絶対に止めてみせる!!”
“…っ”

だからこそ、畳み掛けるように訴えかけるアイリスフィールの言葉を前に、切嗣は反論の言葉すら思いつかないほど激しく動揺していた。
少なくとも、切嗣の知る限り、これまでのアイリスフィールならば疑問を抱く事は有れども、ここまで真っ向から自分を否定する事など無かった。
事実、アイリスフィールの言うように、真に聖杯を望むのならば、ここで銀時を殺すメリットは全くと言っていいほどない。
むしろ、バーサーカー討伐を目指す六陣営同盟に協力しつつも、バーサーカーを討伐した時点で、他陣営を出し抜いて聖杯を奪取する方がまだ可能性が有るのだ。
無論、切嗣もその程度の事が分からないほど愚かな男ではなく、アイリスフィールからの糾弾の言葉も“魔術師殺し”としての自分ならば納得した上で受け止めていただろう。

“だけど、僕は…!!”

だが、切嗣はアイリスフィールの訴えが理解できても直、セイバーに課した令呪の命を取り下げなかった、否、取り下げられなかった。
確かに、聖杯奪取というもっとも切嗣にとってもっとも優先すべき目的を鑑みれば、アイリスフィールの訴えは理屈の上では正しい事に間違いはないのだろう。
にもかかわらず、かつての切嗣ならば絶対に有り得ない判断ミスを犯し続けんとしている理由はただ一つ。

“何故、そうまでして、そいつを、そんな男を庇おうとするんだ、アイリぃ…!?”

“魔術師殺し”の理性を抑え込むように切嗣の心に沸き起こる二つの感情―――“銀時”に対する拭いようのない憎悪と“アイリスフィール”の説得に対する疑念によるモノだった。
少なくとも、切嗣が銀時らを召喚してから今日に至るまで数日間。
このたった数日間という短い期間で、紆余曲折はあれども、銀時はアイリスフィールが必死に庇う程に親しい間柄となっていた。
そう、この八年間、互いに交わった連れ添った夫である切嗣を前にして、切嗣にとっての憎悪の対象である銀時を護る為に初めて否定的な感情を露わにするほど…!!
だからこそ、切嗣はアイリスフィールの説得を素直に応じられなかった―――自身とアイリスフィールの“絆”が、たかが知り合ってから数日ほどのサーヴァントのそれに劣るモノだと認めたくないがために。

“もし、それでも銀時を殺すつもりなら…私にも考えがあるわ”

だが、そんな煮え切らない態度を取って沈黙も貫く切嗣に対し、アイリスフィールは出来る限り感情を押し殺すかのように冷ややかな声で返した。
そして、アイリスフィールは銀時を庇うかのように両手を広げながらセイバーの前に立つと同時に、切嗣に対する最後通告も同然の言葉を宣誓するように告げた。

“…私はセイバーの“善悪相殺の誓約”に従ってこの身をささげるわ“
“なっ…!!”
“え、おまっ…!?”
“お母様!!”
“アイリスフィール、正気なの…!?”
“““…っ!?”””

このアイリスフィールの最後通告に対し、切嗣は当然の事、銀時やイリヤ、セイバーらだけでなく、その場に居た誰もが思わず絶句するほど驚愕した。
確かに、セイバーが銀時を討った場合、“善悪相殺の誓約”に則って、切嗣とっての“悪”である銀時を殺した対価に切嗣にとっての“善”であるアイリスフィールを殺すのは当然の事であるし、善悪相殺の対象として不足はないだろう。
しかし、それはアイリスフィールという“器”の護り手にして“器”そのものを破壊する事であり、万能の願望器たる“聖杯”の消失に他ならなかった。
それは、これまで自身の願い―――“人類の救済”のために重ねてきた犠牲が全て無に帰すという切嗣からすればもっとも忌避すべき最悪の展開だった。
無論、アイリスフィールも切嗣が“人類救済”という願いの為に、この“聖杯戦争”に自身の全てを懸けて臨んでいる事を知らぬ訳でもないし、今の切嗣の心境に心を痛めていない訳でもなかった。
しかし、アイリスフィールは愕然としているであろう切嗣を見据えるかのような険しい表情で啖呵を切った―――

“それでも、それでも、私は切嗣の事を愛しているわ!! 本当に愛しているからこそこの命に懸けても切嗣を止めてみせる!!”
“…っ”

―――道を誤らんとする切嗣に対し命を懸けて止める事こそ自身の示すべき“愛”であると確信しながら!!
ここに至って、八方塞の詰み同然となった切嗣が取るべき道は一つしかなかった。
如何に自身の心中を銀時に対する憎悪に焦がされようとも、愛する妻であるアイリスフィールを犠牲にしてまで銀時を殺す事を押し通さんとするほど、切嗣は冷静さを失っておらず、このアイリスフィールの言葉に折れざるを得なかった。
そして、それと同時に衛宮切嗣は耐え難い屈辱感と共に否応なしに思い知らされてしまった―――己がもっとも忌み嫌っていた坂田銀時の築いた“絆”に敗れたという事実に。



一方、その場に居る誰もが息を呑むほど一瞬即発の緊迫した空気が支配する中、アイリスフィールは対峙するセイバーのわずかな動きすら見逃すまいと凝視していた。
もはや、一秒一秒が永劫に感じてしまうほど神経を張りつめるアイリスフィールであったが、当の切嗣が即座に決断を下せない事を示すかのようにセイバーは未だに沈黙を保ったままだった。
やがて、そんな切嗣の煮え切らない態度に痺れを切らしたアイリスフィールが問いかけの言葉を投げかけんとした直後だった。

「銀時…」
「もう充分だ、アイリ。そうだよな、セイバー?」
「えぇ、そうね」

そんな先走らんとするアイリスフィールを宥めるかのように、銀時はアイリスフィールの頭を手の平で軽く叩きながら制した。
“たくっ、無茶しやがって…”―――今にも泣きだしそうな不安げな表情を浮かべるアイリスフィールに対し、銀時はそう心中で苦笑しながらも、自分と切嗣の為に命懸けの説得に挑んだアイリスフィールを感謝せずにはいられなかった。
そして、何かを察した銀時がセイバーに問いかけると、セイバーは自身を支配していた殺意と憎悪の入り混じった魔力の枷から解き放たれた事を感じ取りながらこう告げるのだった。

「今、切嗣が令呪の命令を取り下げたわ…あなたの勝ちよ、アイリスフィール」

それが、この聖杯戦争に於いて、アイリスフィールが誰かにとって都合の良い“人形”としてではなく、真の愛を持った一人の“人間”としての勝利を初めて得た瞬間だった。
後に、これが“アインツベルン城の乱”と称される切嗣とアイリスフィールの夫婦喧嘩として皆の記憶に留められるのはまた別の話である。


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