重苦しい空気が流れる。
シオの話が想像していた以上に、深刻な状況を物語っていたからだ。
「どう見る?」
「……まだ、なんとも言えませんが、やはり異界絡みと考えるのが自然かと」
リィンの問いに重々しい口調で答えるミツキ。
確認を取っただけで、リィンもミツキと同じ考えだったのだろう。
やれやれと、溜め息を漏らす。そんな二人の反応を見て、逆に今度はシオが尋ねる。
「やっぱり、なにか知ってるのか? なら、教えてくれ。カズマは――」
リィンとミツキの反応から、なにか心当たりがあるのだと察したのだろう。
リィンの誘いに応じたのもカズマの消息について、なにか手掛かりが得られるのではないかと考えたからだった。
〈BLAZE〉のリーダー竜崎一馬は消息不明になっていた。
いまから半年前、関東一円で暴れ回る都下最大のチーム〈ケイオス〉が〈BLAZE〉に対して一方的な抗争を仕掛けてきた。
どうにかチーム一丸となって〈ケイオス〉を追い返すことに成功したのだが、しばらくしてメンバーの一人が〈ケイオス〉に捕まったのだ。
――仲間を助けたければ、二人だけで来い。
そう言われて、カズマとシオは〈ケイオス〉の誘いに乗ったのだが、そこで想定外のことが起きた。
無事に仲間を助けることに成功し、も圧倒的に不利な状況にも拘わらず〈ケイオス〉のメンバーを全員返り討ちにすることが出来た。
だが、〈ケイオス〉のメンバーが妙な薬を口にした途端、状況が一変した。
人格が豹変。人間離れした怪力を発揮し、どれだけ殴られてもゾンビのように起き上がり、襲い掛かってきたのだ。
状況が不利と悟ったカズマは、シオに救出した仲間を連れて逃げるように言った。
そして自分は囮となり、〈ケイオス〉の連中を挑発しながら街の雑踏の中へと姿を消した。
それから数ヶ月。ずっとカズマの消息を捜しているが、いまだに見つかっていなかった。
そんなある日のことだ。救出された仲間。〈BLAZE〉の特攻隊長を任されていた戌井彰宏が自分の考えに同調する仲間を連れて、チームを脱退したのは――
いや、正確には〈BLAZE〉が二つのチームに分かれたのだ。
カズマの生存を信じて帰りを待ち続けるシオたちと、〈ケイオス〉に報復するべきだと主張するアキヒロの二勢力に――
最近、評判が悪い〈BLAZE〉の制服を着た不良たちと言うのが、そのアキヒロが率いるチームのメンバーだった。
正確には新たに引き入れた仲間、〈ケイオス〉との抗争に備え、集めた兵隊だろうとシオは説明した。
これだけであればチーム内の問題で片付けることも出来た。
しかし、アキヒロはどこからか厄介な薬を手に入れてきて、それを仲間たちに配り始めたのだ。
それが、エイジも問題にしているドラッグ〈HEAT〉と言う訳だ。
服用者に高揚感を与え、リミッターが外れたかのような怪力を与えてくれる魔法の薬。なにより、この薬を服用した者は痛みを感じることがなく、圧倒的なまでの頑丈を手に入れることが出来る。
そう、〈ケイオス〉が使った薬と同じものだった。
状況の悪さはシオも感じていた。だから、どうにかアキヒロを止められないかと考えていたのだ。
そのためにも鍵となるのは、カズマだ。
カズマさえ帰ってくれば、アキヒロを説得できるかもしれない。
そう考え、ずっとカズマの行方を捜していたのだが、残念ながら手掛かり一つ掴めない状態にあった。
だから、リィンの誘いに乗ったのだ。
なにか知っているのなら、なんでもいいから教えて欲しい。それが、シオの願いだった。
「高幡くん……」
まだ、はっきりとしたことは言えないが、状況から考えて異界絡みの事件ではないかとミツキは考えていた。
ケイオスが使用したという〈HEAT〉と呼ばれる薬。ただのドラッグでない可能性が高いと考えたのだろう。
リィンも同じことを考えていた。同じような薬に心当たりがあったからだ。
グノーシス。D∴G教団――通称〈教団〉によって開発された麻薬。身体能力の向上と、化け物染みたタフネスを使用者に与える薬物強化。その実体は、脳のリミッターを外し、超人的な身体能力を発現させる麻薬だ。
だが、なによりも恐ろしいのは、この薬は二種類あり――青い色の薬は先に挙げた効果しかないのだが、赤い色の薬は魔人化という肉体構造そのものを変異させ、人間を異形の存在へと変える効果が確認されていた。
この世界にグノーシスがあるとは考え難いが、仮に同じような薬であった場合、厄介なことになる。
「エイジ。この件はあずからせてもらうぞ」
「……そんなに厄介なのか?」
「俺が思っているとおりのものなら、普通の人間には対処できない」
普通の人間……即ち、リィンたちのように特殊な力を持った人間でなければ、対処の難しい案件なのだとエイジは察する。
だとすれば、確かにリィンたちに後のことは任せ、手を引くべきなのだろう。
異界について詳しく知っている訳ではないが、危険なことはエイジも理解しているからだ。
だが、それでも――
「こっちにも面子がある。子供の喧嘩程度なら目を瞑ることも出来るが、薬が絡んでいるとなると話は別だ」
それを許せば、組の沽券に関わる。
すべてをリィンに任せることは出来ないと言うのが、エイジの立場だった。
だろうな、とリィンも肩をすくめる。エイジがそういう反応をすることは予想していたからだ。
だから妥協案を提示する。
「薬に関わったガキ共の処分は、鷹羽組に一任する。役割分担だ。悪い話じゃないだろう?」
「リィンさん!?」
「こいつらにだって面子はある。それに、どういう事情があるにせよ、自分たちのやったことの責任は取るべきだ」
「それは……」
それがどういうことかを理解して不満を口にしようとするも、リィンに言われてミツキは押し黙る。
シオも黙って話を聞いていた。
言いたいことはありそうな顔だが、ケジメは必要だと言うリィンの話にも理解は出来るのだろう。
「こいつは悪党面だが、そこまで悪人じゃない。命までは取ったりしないだろうさ」
「一言余計だが……まあ、否定はしねえよ。ケジメさえつけてもらえれば、なにも言うことはない」
だが、エイジとて鬼ではない。
どちらかと言えば、仁義を重んじるタイプの古風なヤクザだ。
ヤクザにこんなことを言うのはおかしな話だが、少なくとも道義に反することはしないとリィンは信じていた。
だから安心して悪ガキたちの処分を任せられると判断したのだ。
「お前もそれでいいな?」
「……わかった。だが、カズマを捜しに行くのなら、俺も同行させて欲しい」
それが、最低限の条件だと、シオはリィンに食い下がる。
条件を付けられるような立場にないことは理解しているが、これだけは譲れなかった。
まだ、仲間の説得を諦めていないのだろうとリィンも察する。
確かにカズマを見つけることが出来れば、アキヒロたちの説得も不可能ではないかもしれない。
だが、
「最悪の事態も考えられる。その覚悟はあるのか?」
既に手遅れの可能性がある。いや、むしろその可能性の方が高いだろう。
半年近く行方知れずとなっているのだ。無事なら仲間に連絡の一つもしないとは思えない。
だとすれば、連絡の出来ない状況に置かれているか、既にこの世にいないかのどちらかしかない。
だから、リィンはシオに覚悟を尋ねる。
その覚悟がなければ、連れて行ったところで足手纏いになると考えたからだ。
悲惨な光景を目にすることになるかもしれない。そう思っての忠告でもあった。
だが、
「覚悟の上だ」
少しも迷うことなくシオは答える。
その目を見て、口から出任せではないとリィンはシオの覚悟を察する。
「わかった。同行を許可する。だが、その前に――」
シオの覚悟を察して同行を許可するのだが、
「足手纏いにならないか試す意味でも、実力を見せてもらおうか?」
リィンはニヤリと笑い、条件を提示するのだった。
◆
「えっと……これは一体?」
九重神社の道場で、胴着姿のコウはシオと向かい合っていた。
祖父から呼び出され、道場に顔をだしたと思ったら、これから試合をしてもらうとだけ告げられたのだ。
困惑するのも無理はない。
「悪いな、爺さん。急な話だったのに、場所を提供してもらって」
「構わんよ。儂もどれほど腕を上げたのか、孫の成長には興味があったしの」
外野の話を聞いて、嵌められたのだとコウは悟る。
「コウ、本気でやれ。負けたら訓練の量は倍にする」
「鬼か!? あの量の倍とか、普通に死ぬぞ!」
「なら、死ぬ気でやれ。それとも、シズナの相手をさせられる方がいいか?」
「いや、それは……」
それこそ、本気で死んでしまうとコウは観念する。
まだ、シオの相手をする方がマシと思ったのだろう。
だが、そんなコウの態度に反応したのは、シオだった。
「舐められたものだな」
気に食わないと言った態度を見せるシオ。
実力を見ると言うから、てっきりとリィンかシズナが相手をするものと思っていたからだ。
なのに、こんなところまで連れて来られて、模擬戦の相手に紹介されたのは高校生くらいの青年だった。
自分とそれほど歳は変わらないだろうと思うが、だからこそ納得できない。
見た目で判断するのは良くないと思いつつも、リィンのような覇気を感じないし、実戦慣れしているとは思えなかったからだ。
武術をかじっているのだろうが、空手の有段者や元プロのボクサーを自称する年上が相手でもシオは勝ってきた。
同年代の相手で、カズマ以外に負けたことがないのが、シオの自慢でもあった。
だからこそ、こんな貧弱そうな青年に自分が負けるとは思えなかったのだろう。
逆に言えば、それだけリィンに舐められていると、シオは感じたのだ。
気に食わないと感じるのも無理はない。
「威勢の良さそうな小僧じゃな」
「ああ、鍛えがいがありそうだろう? コウの相手に丁度よさそうだと思ってな」
「なるほどの」
リィンの考えを察し、垂れ下がった顎髭を撫でながら楽しげに笑うソウスケ。
いつの間に、あの二人あんなに仲良くなったんだと呆れながらも、コウは道場の中央に足を進める。
そして、中央で向かい合う二人。
「悪いが、本気で勝たせてもらう。でないと、本気で殺されそうなんでな」
「言うじゃねえか。少し武術をかじっているみたいだが、上には上がいることを教えてやる」
互いに挑発染みた言葉を交わし、一礼する。
「はじめ!」
と、ソウスケの声を合図に、戦いの幕が上がるのだった。
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