狼姫<ROKI>
疾走


南の番犬所。
狐の仮面を着けた神官ヴァナルによって管理されている異空間の一つ。
本来ならば所属している魔戒騎士や魔戒法師に指令書を与え、それに必要な装備の支給を与える場所だ。
しかし、今日に限っては店じまいをする以外に無い状況に置かれていた。

それもその筈。
店を切り盛りする男が全身血まみれになって倒れたのだから。

「……はあ」

錆びついた空気の中、石造りの寝台で横にされている神官ヴァナルを見守りつつ、輪廻が溜息をついた。
首から下のあらゆる場所を滅多切りにされたヴァナルのダメージは深刻な物で、発見と応急処置があと数分遅れていた場合、確実に死に至っていたと断言できるほどだった。
今は治癒魔術を幾重にもかけた上で全身に包帯を巻いてどうにか峠は越えられそうな状態にまで持ち上げることが出来た。
尤も、意識が回復するまでにどれだけの時間が必要かについては完全に怪我人次第である。

「不幸中の幸いか、傷の方は大したことはありませんでした。あくまで体表を斬られたことによる出血と痛みで気を失い、動脈や内臓は手づかずですので」

姉の雷火の簡易な診察の結果を聞き、輪廻は胸をなでおろす思いをした。
もし彼が死んでいた場合、事の真相を彼らが聞く手段は永遠に失われるところだったのだから。
それを考えるとある意味、この状況は奇跡的とも言えた。

「やっぱ、奪われたんだよな。言峰たちに短剣を」
「それ以外に考えられる出来事は無いわ。この番犬所にやってこれる時点で容疑者は絞られているわけだし―――キャスター」

デュークの言葉に応答した輪廻は、己の傍にいる英霊を呼びつけた。

「ああ、わかっている。異界であるここへ来るためにはそれ相応の資格が必要となる。だが、空間を操ることが出来ればその限りではない」
「となると、やっぱり何でもありの英雄王が出てくるわけね」
「そういうことだ。やはり、既に遠坂時臣は言峰の裏切りに遭っている、と考えた方が良いだろう」

既に見当のついていたこととはいえ、改めて確信するとどうにも頭の痛い思いをしてしまう。
実際、輪廻は頭を片手で抱えて溜息をついている。

「後で遠坂の屋敷に行ってあげないとね。ついでに教会の方にも顔を出すべきかな」
「妥当だな。ここまでの暴挙に出たのだ、実の親さえも裏切っている可能性も否めない」

となれば、これからやることも大体は固まった。
まずはヴァナルの容態が安定し、意識が回復した際の事を考え、デュークにはこの場に残ってもらう。
次にこの番犬所から出て遠坂邸へと向かい、輪廻は生死不明の遠坂時臣の状況を確認する。雷火は冬木教会に向かって同様に言峰璃正の状況を確認する。
そして、もう一度番犬所に戻り、三人そろって聖杯戦争に参加しているサーヴァントらの陣営と接触することである。





*****

魔戒騎士たちの会合から既に6時間は経過した頃、衛宮切嗣は拠点の日本屋敷に舞い戻っていた。
正確にはアイリスフィールが安静にしている土蔵にだ。
薄暗い土蔵内の明かりは、皮肉なことにアイリスフィールの体調を維持する為に敷かれた魔法陣の光である。
その光を以てしても温まる事のないこの閉鎖された空間に、剣の陣営の全員が顔をそろえていた。

衛宮切嗣。アイリスフィール。久宇舞弥。セイバー。

この四人は破綻の一途をたどるこの聖杯戦争の最中において、ある重要な決断をするために一つの議論を交わそうとしていた。
というより、復讐者の悲劇を発端に切嗣の心境に何か変化があったのか、本来ならば有り得る筈のない議題をうちだしていた。

「セイバー」
「はい」

いや、有り得ないことはもう一つ起こっている。
本来の歴史ならば衛宮切嗣がセイバーに話しかけた回数はたったの三回。
つまり、令呪による命令だけが彼らのコミュニケーションだった。

しかし、それは今崩れ去っていた。

「この聖杯戦争は最早僕やお前の力だけで如何にかなる段階を通り越している」
「えぇ。事実、ホラー共は本来この聖杯戦争を与り知る筈のない民を刺客として利用してきました」
「しかも、今回は狙いをマスターに絞ってきた。……奴らの狙いが読み難くなる一方ですね」

切嗣、セイバー、舞弥の表情は極めて芳しくない。
こと、ここに至ってはもうセイバーとのコミュニケーションは第三者を介した物では限度が出る。
結果として直接話しかけることさえしてこの会議に臨んでいるが、やはり情報が少ない。
しかし、その情報が少ないという状況、切嗣は無論ながら先刻承知だ。そこである提案を打ち上げる。

「殆ど推測だが、ホラー達は聖杯戦争の成果である”聖杯”そのものを狙っていると僕は睨んでいる」
「”聖杯”そのもの……。ですが、あれは……!」

冬木の聖杯は贋作。
しかし性能は紛れもない真正のもの。
ならば、欲しがるものは例え蚊帳の外の者であろうといる筈だ。

尤も、化け物如きに長年の理想の末に見つけた唯一の手段を渡すつもりは毛頭ない。

「正直な話、今の戦況を大きく左右しているのは魔戒騎士たちだ。それだけは揺らぎようがない」

数千年にわたり、魔獣たちと歴史の影で戦い続けてきた剣士たち。
聖杯戦争の存続を脅かす領域にまで彼奴等が入り込んできた今、魔戒騎士の戦力と知識は必要不可欠なものとなっている。
故に切嗣は考え抜いて出した答えを発表した。

「だから、僕は聖輪廻たちと一時的な同盟を結ぼうと考えている。最悪の場合、ギアスによる契約も視野に入れてね」

ギアス、とは魔術世界で決して違約しようのない呪術契約を結ぶために使用する術式の略称だ。
一度、内容が記載されたそれに同意すれば、魔術刻印が存在する限り死後の魂さえも束縛し、締結された契約内容を絶対遵守させる。
これを用いるという事は、その魔術師が最大限の譲歩をしているという確固たる証にもなる。

切嗣はそれを決意する程にホラーを危険視している。
あの言峰綺礼を抱き込んでいるであろう、災厄の悪魔たちを。

「……切嗣……」

そんな切嗣に対し、アイリスフィールが弱弱しい声で話しかけた。
こんな時に話すのは無粋かもしれない。懸念した通り、彼の芯を追ってしまうかもしれない。
でも、話さなくてはならない。何も知らぬまま事が進み、運よく聖杯に辿り着いたとしても、彼の理想に辿り着いた、ということにはならないのだから。

「……聴いて。実は……」

か細い声で真実を伝えようとする貴婦人。
しかし、その訴えは全く予想外の一矢によって遮られた。

土蔵の壁に何かが鋭く突き刺さる音。
舞弥が即座に土蔵の扉を開け、慎重に外に出ていくと30秒と経たずに戻ってきた。
その手には矢文が握られていた。

「それは……キャスター達の」

双子館での決闘を告げる際にも用いられた手段。誰が送ってきたかは明白だった。

「舞弥」
「はい」

切嗣と舞弥は淡々と命令と受諾を行い、矢文は切嗣の手に乗せられ開封された。
矢に括り付けられていた手紙を解き開いてみると、そこにはある言葉から文章が始まっていた。

「四つの陣営の招集……だと?」

それは、ホラーと交わりのない英雄たちを呼び集めんとする緊急招集を報せる文であった。





*****

同時刻、マッケンジー宅。

「ハハハハハ!どうだ坊主、やはり面白かったではないか!ん〜?」
「…………」

二階のウェイバーの領域となっている部屋で、ライダーの豪快な笑い声が轟いていた。
しかし、肝心のウェイバーは返事すらせず、ひたすら沈黙に徹している。

何故なら、

「ほれ、また余の勝ちだぞ!」
「なんで英霊が半日と経たずに、こんなにゲーム上手くなってるんだよぉ!?」
「はぁ?何を言っとるのだ。楽しければ覚えるのも早くて当然であろうが」

以前ライダーがソフト、ハード、パッドの一式で購入したアドミラブル大戦略で、二人そろって対戦プレイに興じているのだから。
結果は徹頭徹尾、イスカンダルであるライダーの大勝利である。
ウェイバー自身がゲームハードの回線コードの繋ぎ方から取り扱い説明書のお世話になるくらい電子ゲームに慣れていなかったのもあるが、最大の理由はライダーのスキルにある。
”軍略”というスキルを持つイスカンダルからすれば、ストラテジーゲームは得意中の得意分野だ。おまけに彼が異文化を拒むことなく受け入れるメンタル的タフガイであることも大きく響いていた。

「あ〜もう!僕は一体何をやってるんだ!」

対戦が終了して脳みその熱が一気に冷めたのか、彼はコントローラーを床に投げ捨てて頭を抱えだす。

「何って、今更ではないか。坊主、貴様は今しがた見識を広げたのだぞ」
「一介のゲームのプレイ経験が如何なるっていうんだ?」
「たかが遊戯、されど遊戯だ。このちっぽけな電子の世界の中で得た物が後々の人生で役立つかもしれんぞ」
「…………」

ウェイバーは黙った。
そんな低レベルな雑学が何になるんだ、と思った。
しかし、侮ることなかれ。時として誰でも知っているようで知らない知識は、人の思考の裏をかくこともあるのだ。
遊びの一環で得た知識が、難解なクイズの解答で役に立ったりするのと同じだ。

「坊主。魔術で世界の真理を見据えるのが魔術師の本懐と言ったが、それ以外の真理を身を以て体感するのも人として必要な事だ」

ライダーもコントローラーをそっと床に置き、ウェイバーと向かい合って語り出す。

「余はな、受肉した身体でもっと世界を味わいたい。二千の年月を経た現世が、マケドニアが、ペルシアが、どれほどのモノになっとるかを、余はこの全身で隈なく感じたいのだ」
「そういえば、またひたすら西へ遠征したいとか言ってたけど、訪れた国の風情を一々見聞きするつもりか?」
「正確には落とした後でな。そうすれば何時何処で美しき風景、美酒美食を味わおうとも文句を述べる奴はおるまい」

何の偽りもない言葉の数々。この男はやると言ったらやるのだ。
厚顔無恥がどうとかいう話ではなく、この男の頭蓋には楽しむことしか入って無いのではとすら思えてくる。
だが、歴史の教科書でかつて世界で最も領地を獲得したその手腕は確かだ。この巨漢が本当に受肉を果たした場合、一年と経たずにどこぞの国の一つでも我が物にしていそうだ。
そして、現代に甦った征服王として世界中のメディアに取り上げられ、そんな問題児を召喚した自分はどうなってしまうのだろうか、という不安も沸いてきてしまう。

「……お前、楽しそうだな」

自分でも何を聞いてるんだ、と思った。

「応とも!ここの家主と魔戒騎士たちとの夕餉の時にも言ったであろう。人生は楽しんだ者が勝ち、とな」

何時ものような豪放磊落を絵に描いた様な笑い声を轟かせる2m越えの巨漢。
召喚して間もない頃、この男が珍事をやらかした際に令呪を使ってやりたくなったが、今はその気さえ起らない。
最早、これがこの男の曲げようのない素なのだと受け入れてしまったのか、それともこちらが染まってしまったのか、自問自答する。

と、その時、


――ビュン!――

――ズドッ!――


「な、なに、何の音!?」

若干パニックになりつつ、ウェイバーは鋭い音のした方向へと顔を向けた。
片や、ライダーは笑顔で弛んだ顔を引き締め、迷うことなく部屋の窓を開けてその近辺の壁に突き刺さっていた一条の矢を掴んで抜き取った。

「矢文か……。この時代にしちゃあ、えらく粋なやり口よのぅ」





*****

一方、その頃の間桐邸の地下、元蟲蔵では。

「……こんな事言うの、変だけど……懐かしいね」
「あぁ。あの妖怪が死んでからそんなに経ってないのに……おじさんも変な気分だよ」

雁夜と桜が蟲一匹もいなくなったこの穴蔵にいた。
かつては忌まわしい刻印虫を初め、ムカデのようなもの、カマキリのようなもの、芋虫のようなもの。
多種多様な、蟲と分類できる物全てがここに集められていた。しかし、今となってはただの巣穴の残骸しか残っていない。
所せましと詰め込まれていたはずの蟲どもはありとあらゆるものを焼き尽くす白銀の炎によって灰燼へとかえっていたのだ。
無論、火を放ったのは雷火である。

「蟲……ほんとにいなくなったね」
「まあね。全部ってわけじゃないけど、おじさんが言う事きかせられる程度の数はまだ残ってるかな」

付け焼刃とはいえ、雁夜は蟲使いだ。
地獄の一年を費やして会得した術を失いたくは無かった。すくなくとも聖杯戦争が終わるまでは。
いや、これからも必要になってくるだろう。なにしろ、自分は魔戒騎士の使い魔だ。確実に今後の生涯には闘争がついて回るに違いないのだから。

「桜ちゃん。もう暫くの間、この屋敷でお留守番ってことでいいかな?」
「……お爺様みたいな人たちのところにいくの……?」
「そうだね……あいつより危ないことをしてるやつらが、きっと一杯いる。おじさんのこれからの仕事は、そいつらから皆を守る……ことだと思う」

断言はできなかった。我ながら本当に締まらないと思った。
己の身心を削ってまで参じた聖杯戦争。その最大の理由とでもいうべき桜を目の前にして気の利いた言葉も掛けられない。
いや、かけたところでそれを現実にできるかどうか、という不安を払拭できなかったことの方が不甲斐なかった。

「ねえ、雁夜おじさん」

と、ここで桜がぽつりと尋ねた。

「私、どうすればいいかな?」

純然たる問い。
元々、桜がこの家にやってきたのは間桐家の跡取り問題を解消する為だ。
しかし、それを企んだ臓硯が死に、それを了承した時臣の意識も変わろうとしている。
ならば、自分がここに留まる意味はどこにあるのかと。

雁夜は片膝をつき、桜と同じ目線になってこう言った。
自分もまた同じだ。諸悪の根源であった臓硯が食い殺され、桜の呪縛は解かれた。
既にこの時点で自分は用済み。後は暗黒騎士の使い魔として第二の生涯を送るだろう。
即ち、間桐家に居続ける意味がこれっぽっちもないのだ。

ただ違いがあるとすれば、雁夜はこの状況を望み続けていたが、当の桜はこの急激な変化に戸惑っていること。

「大丈夫。桜ちゃんは何も心配しなくていいんだよ。おじさんやお姉さんが、必ず桜ちゃんを凛ちゃんたちのところに帰してあげるから」
「…………また、会える?」
「あぁ、絶対に会える。おじさんたちが約束してあげる」

雁夜は優しく桜を抱きしめ、決意を新たにする。
きっと、ではなく、絶対に。
桜を遠坂家に帰して見せる。
そう、姉である凛のもとへ、母である葵のもとへ、そして―――

「だから、また……家族全員で、あの公園で遊んでほしいんだ」

父である時臣のもとへ。
それが全ての妄執を捨て去った雁夜の確固たる思い。

(雁夜さん、聞こえますか)

と、何の前触れもなく、主人である雷火の声が聞こえてきた。

(あぁ……あんたか。そっちはどうだ?)
(予想通りです。璃正神父の腕から預託令呪が消えていました。彼自身は死んではいませんが、業務を続けられる状態ではありませんね)
(……妹さんは?)
(言うまでもありませんよ)

レイラインを通して行われる念話。
齎された情報は戦況の悪化を裏付ける者であった。

「雁夜おじさん。もう行くの?」
「あ……わかっちゃった?」
「……うん」

どうやら表情に全てが出てしまっていたらしい。
半死半生の硬直した顔ならば兎も角、今の顔は正常に動く。
以前は忌々しく思っていた顔の方が融通が利くとは、皮肉としか思えなかった。
そんな考えを誤魔化すように、雁夜は苦笑いを浮かべつつ、簡潔にこう言った。

「じゃあ、行ってくるよ」
「……いって、らっしゃい」





*****

時と場は移ろい、正午の海浜公園。
冬木大橋の近くにあり、近場にはカフェテラスや水族館、バッティングセンターまである人気のデートスポットとして人気を博しつつある一帯だ。
そんなこの場所で、複数人の男女が一堂に会し、海を臨む広場にて重要極まりない話をしていた。

無論、それはキャスター陣営、バーサーカー陣営、ライダー陣営、そしてセイバー陣営の四陣営である。
厳密には、バーサーカー陣営は雷火の代理として雁夜が出席していた。吸血鬼である雷火は陽の下には出られないので当然と言えば当然だが。
その雁夜も使い魔としての白貌を隠すために上着のフードを深く被っている為、傍目からは不審者然とした雰囲気が出ている。
もっとも、他のメンツの個性があまりに強いため、その程度の影は色褪せてしまっているのだが。

「皆、集まったわね」

当然と言うべきか、口火を切ったのはこの面子に招集をかけた輪廻であった。

「矢文で伝えたとおり、この聖杯戦争の監督者を務めていた言峰璃正神父が下手人によって負傷させられ、報酬としていた令呪が残らず奪取されたわ」

キャスターの弓術を頼りに予め送った矢文。そこにはここにいる者達を呼びかける文と、璃正神父の一件を知らせる文が書かれていた。
無論、彼らが確実にやってくるに足る情報を既に提示し、残りの情報は現場で、という手法に基づいたものである。

「そして、遠坂邸にて遠坂時臣が令呪を片手ごと持っていかれたのを確認した。恐らく、アーチャー……いえ、ギルガメッシュはこれに賛同し、下手人と再契約したとみられるわ」

雷火は教会で、輪廻は遠坂邸で、それぞれ己の目で見て確認してきたことを伝えた。

「あ、でも一応死んではいなかったわ。尤も、聖杯戦争に挑む、という点では再起不能に近いけど」

それもそうだ。
璃正はマスターたちの狙いであった預託令呪を、時臣はギルガメッシュを統べる令呪を奪われたのだ。
名実ともに、彼らはこのバトルロイヤルの脱落者となったのだ。

「それで、皆に集まってもらったのは他でもない」

輪廻はこの緊急事態を前にして一同に告げた。

「此処に集いし我ら四大陣営による同盟に参加してほしい」

全てはホラーを討つために。
この狂った聖杯戦争をさらに狂わせている悪鬼を滅殺すべく、女騎士は真摯な声音で願い出た。

「一つ、確認しておきたい」

と、そこへ衛宮切嗣が質問を繰り出してきた。
なぜ、この場に影武者ではなく切嗣本人がセイバーと共に出向いているのか。
それは今まで代理を務めていたアイリスフィールが動くに動けない状態であることと、協力者である舞弥にはその護衛を任せているからだ。
結果、こうしてこれまで貫いていた代理マスターの作戦をかなぐり捨て、名実ともに切嗣はセイバーの召喚者として振る舞うことになったのだ。

「その同盟はホラーの討伐が完了次第、解散するのか?」
「もちろん」
「では、それ以降は正常な聖杯戦争に移行し、改めて聖杯をかけて争う、という認識でいいんだな?」
「良くないわね。今の聖杯じゃ、まともな使い道がないもの」

切嗣の念押しの確認に対し、輪廻はこれでもかというくらいに即答で否定を示した。

「それから、同盟が解散したとき、それは聖杯戦争が完全に終結するのと同じだと思っていいわよ」

さらに、こちらの都合などおかまいなしのマシンガントーク並の勢いで彼女の口からトンデモない新事実が語られていく。
その情報を耳にして、切嗣とウェイバーの顔が僅かに青白くなりつつある。
かねてより雑木林でそれを聞かされていたセイバーと、自前の推測から何となく読んでいたライダーは比較的平然とした表情をしていたが。

「衛宮切嗣とウェイバー・ベルベット。貴方達の了解を得るために、私の上司が仕入れてきた全ての情報を此処に開示する」

と言って輪廻は懐に手を伸ばした。
取り出したのは以前、ヴァナルが自分に聖杯戦争への参加を命じた際に与えてきた資料。
そこには聖杯戦争の成り立ち、システム、サーヴァント、そして聖杯による究極の目的が記されていた。

切嗣はその資料に目を通して驚愕する。
御三家が今まで極秘としていた情報を、まさか完全な部外者がここまで調べつくしてきたことに。
驚愕したのはウェイバーも同じだった。ただし、驚きのベクトルは切嗣とは違う。
彼が驚いたのは、聖杯の真の使用目的は「第三魔法の完成」、そして「根源への到達」という魔術師たち全ての目標地点への近道だというのだから。

『そして、此処からが本番だ。全ての切っ掛けは、第三次の……アインツベルンの妄執であった』

そこへヴァルンが口を開き、世界大戦の最中で行われた第三次聖杯戦争の余りにあっけなく、そして不甲斐ない顛末を語ってくれた。

元より錬金術という物を創ることに特化しているアインツベルン。彼らはその性質上、どうしても直接戦闘には不慣れな魔術師となる。
よって、聖杯戦争のように瞬時の戦略的判断がものをいう舞台ではどうあっても後れを取り、これまで聖杯を得る機会を逃してきた。
その反省点を活かし、純血の血筋、というブランドをかなぐり捨ててまで雇い、そして婿入りさせたのが魔術師殺し、即ち衛宮切嗣その人だ。

しかし、この考えに至る前に、アインツベルンは取り返しのつかない愚行に及んでいたのだ。
それはこともあろうに聖杯の力を以てしても具現化できる筈のない、半神半人ではなく、本物の神霊をサーヴァントに据えようと画策したのだ。
彼らがその対象に選んだのは拝火教において此の世全ての悪の神とされていた「アンリ・マユ」。
殺す事だけに特化している英霊と目された彼だが、実は英霊でも神霊でもない、神代に生きていただけのそこいらにいそうな凡人の霊魂だったのだ。
それもその筈。聖杯で神霊を従える事はできなかった。ただそれっぽっちの理由だ。
まともなスキルも宝具も無かった彼は第三次聖杯戦争が開かれて僅か四日目に敗退し、大聖杯にくべられた。

そう……この瞬間に全てが狂ってしまったのだ。

アンリ・マユとして召喚された青年・アヴェンジャーの生前の役目は、免罪符だった。
いや、役目という言葉さえも相応しくは無かった。ただしくは、捌け口だった。
此の世全ての悪の神に見立てられ、故郷の人々全てから恐れと憎しみの念を向けられ、そうあれかしと願われ続けたのだ。
そうすれば、全ての罪と穢れは彼の者へ、己が身には降りかからないというあさまし過ぎる妄想と自己保身の犠牲者が彼だ。
彼がサーヴァントとして持ち得たのはその性質だけだった。その一滴の泥水こそが、清く澄み渡った泉をどす黒く穢し尽くした。

願われることを前提とした存在であるアヴェンジャーが、願われるための力である聖杯の中に入ればどうなるか。
自然、二つは溶け合う。あらゆる願望を受け入れる聖杯は、あらゆるモノを殺す願望の入れ物と化したのだ。
今や聖杯のシステムには奇妙なバグが生じている。事実、召喚される筈のない東洋の英霊が一人、召喚されているのだから。

そして何より「此の世全ての悪(アンリ・マユ)」というフィルターを通した祈りは―――――



『―――十中八九、破壊と殺戮の末に叶えられる』






*****

武家屋敷・土蔵内。

「…………」
「…………」

相も変わらずルーンの魔法陣の中で横たわり安静を保つアイリスフィールと、傍らでそれを守護する舞弥。
もはや言葉すら交わすことなく、二人はただただ切嗣とセイバーが無事帰ってくることを祈るばかりだ。

切嗣がセイバーを伴って件の集まりに向かってからどれだけが経っただろうか。
それを聞こうと思い、舞弥に一声かけようとアイリスフィールが口を開いた瞬間、


――バグォォォォォン!!――


予兆など一つないまま、土蔵の扉が木端微塵に破壊されたのだ。

「「ッ!」」






*****

同時刻、海浜公園。

衛宮切嗣は自らの片手の小指から焼けつくような痛みを感じた。
その正体は小指の根元の皮膚に埋め込んだ舞弥の毛髪が一瞬で燃え尽きたことで生じた熱だった。
少年期より殺し屋稼業に身を窶していた切嗣は、己の補助装置である舞弥の状況を知る手段の一つとして互いの毛髪を小指の皮膚に埋め込み、魔術回路の動作が急激にストップすると燃えるよう細工を施していた。
そして、この仕掛けが発動するという事は舞弥の生命の灯が消えかねない窮地が訪れたという事を意味する。無論、彼女が護衛している筈のアイリスフィールにもだ。

「令呪を以て、我が傀儡に命ず!」
「切嗣……!?」
「セイバー、土蔵に戻れ!今すぐに!」

事態を理解した直後、空かさず切嗣は一画目の令呪でセイバーに命を下した。
次の瞬間、セイバーの姿は、本人も何が起こったのか分からぬ間に跡形もなく消失していた。
令呪とは命令が単純であればある程に効果を増す。今、切嗣が出した命令がまさにそれだった。
これによってセイバーは令呪による強力な強制を受け、光速の数十分の一という規格外の速さで土蔵へと戻って行くという奇蹟を体験したのだ。

「ッ――そういうことね。キャスター、屋敷よ!」
「心得たッ」

輪廻もまた即座に行動に入った。
瞬時に戦装束となったキャスターに抱きかかえられ、彼のサーヴァントとしての超人的身体能力が常識離れした跳躍を見せた。
恐らく切嗣らが拠点としていた屋敷へと向かったのだろう。自分と同じように令呪を使ってキャスターだけ送らない、ということはアイリスフィールはセイバーに任せ、自分は襲われたであろう舞弥の処置にあたる、と推測するべきだろう。

「ん〜、で、貴様はどうするのだ?セイバーのマスター」
「…………」

ライダーの問いかけに切嗣は返すことなく、コートの端を翻しながら方向転換した。
英雄と話すつもりはない、という考えは勿論の事、一刻の早く追いつかねば、という思いもあった。
そんな切嗣の思考を背中から読み取ったのか、ライダーがもう一言。

「ふむ。まあ、貴様の伴侶の事だ、余が口出しするのは無粋であろう。しかし、貴様の祈りは、愛する者達と比せる程のモノか、今一度考えるが良い」

聖杯戦争の根底を覆す暴露話。
それはアンリ・マユのことだけではなかった。
かつてアヴェンジャーを失ったアインツベルンは、後に続いた戦の中で巻き沿いを喰らい、無機物の小聖杯を破壊され、聖杯戦争そのものを有耶無耶にされたことがあった。
小聖杯なくして大聖杯を起動させることは出来ない。そこで彼らは今度は自ら小聖杯を守る自律稼働型の外装としてホムンクルスの肉体を用いることにした。
その聖杯の運び手とでも言うべき役目を生まれながらにして与えられたのがアイリスフィールなのだ。そして、無限に等しい七騎のサーヴァントの魂からなる魔力、その受け皿となれば彼女の器は燃え尽きるだろう。
ライダーが問いを投げた理由は一重にそこにあったのだ。

「…………」

切嗣は一瞬だけライダーの方へ振り返り、厳しい眼光を垣間見せると、そのまま何も言うことなく屋敷の方角へと走り去ってしまった。

「ら、ライダー……お前……」
「時化た顔をするでない、坊主」

心配そうにこちらを見上げてくるウェイバーに対し、ライダーは何時もの豪快な表情で彼の肩を叩いた。
尤も、力加減の所為か、叩かれている方は地味に痛そうだが。

「楽しそうだな、あんたら」
「どこがだ!」

不意に呟かれた雁夜の言葉にウェイバーが猛烈なツッコミを入れた。
が、雁夜に決してふざけて言っているわけではない。この非日常の塊のような状況で、陽だまりのような時を過ごせる彼らを羨んだのだ。
別に今の主の事を嫌っているわけではない。寧ろ、好きか嫌いかで言えば好きな部類に入る。
しかし、それでも彼には眩しく見えたのだ。人を捨てたからこそ見える光もあるのだ。

「いや、なんとなく」

と、適当な返事を返し、雁夜は己が為すべきことを為す為に踵を返す。

「お、おい。どこ行くんだよ?」
「俺は俺の仕事をしに行くよ。雑用っぽいし、役立つかは分からないが、動かないよりはマシだからな。それに―――」

雁夜は一呼吸おき、フードを改めて深く被りなおした。

「俺のご主人様も今回は無理を押して頑張るみたいだ。バーサーカーも呼び戻されたみたいだしな」
「うむ。確かにとんでもない健脚で去って行きおったな」

同じサーヴァントであるライダーには、霊体化していたバーサーカーが見えていた。
バーサーカーが全力疾走で駆け抜けていく様を思い描き、その光景にシュールさを感じた。
雁夜はゆっくりと歩き出す前に、最後にこう付け加えた。

「……もし良かったら、あんた達にも協力して欲しいんだ。はっきり言って、もっと人手が要る」
「ほお……」

無飾の言葉にライダーが軽く己の顎を撫でた。

「どうするのだ、坊主」
「え、僕?」
「当然だ」

最早聞きなれたバチンというデコピンの音が響いた。
その痛みに俯くウェイバーの姿に雁夜は苦笑した。

「貴様は余のマスターであろうが。その程度の事すら他人任せにして如何する」

まさしくその通りである。
如何にイスカンダルが優れた王と言えど、今やサーヴァント、マスターに与する存在だ。
即ち、この「同盟」を受けるか否かはウェイバーに委ねたことを意味する。

「……わかってる。僕も、この同盟を結ぶべきだって、聖杯は使い物にならないことだって、理解してるつもりだ。だから……僕はこの同盟に賛成する」
「ふ……ならば、余もまた同意しよう。―――というわけだ、間桐雁夜」
「ありがとう」

と、ライダーとウェイバーに素直に感謝を述べる雁夜。
これで同盟に参加した陣営は三つ。残る陣営は、セイバー……否、衛宮切嗣の陣営。





*****

武家屋敷・土蔵。
輪廻とキャスターがそこへ辿り着いたとき、そこにあったのは全壊した扉、そこから覗く荒らされた粗末な工房。
そして、主無き魔法陣と、仰向けで倒れている舞弥の姿だけであった。

「久宇さん!」
「……聖……輪廻……」
「喋らないで。状況は大体解ってるわ。直ぐに治療するから、大人しくしていて!」

有無を言わさぬ怒涛の勢いで場の流れを掌握し、すぐさま治癒魔術の行使にとりかかる輪廻。
優れた魔戒騎士にして魔戒法師、そして魔術使いである輪廻から観ても舞弥の傷は実に重い。
もしキャスターに無理を言って後先を考えずに全力で跳んでもらわねば確実に手遅れになっていたであろう程に。

「外傷は兎も角、内側がヤバい。ったく、これじゃリヴァートラの刻も使えないじゃない」

リヴァートラの刻は服用することで魔戒騎士の肉体を魔導火によって高速治癒させる妙薬である。
本来、魔導火自体、修行を積んでいないものが触れれば即座に灰燼に帰させる代物、当然一介の魔術使いでしかない舞弥も例外ではない。
しかし、輪廻は自身が調合した別種の秘と併用することで一時的にそれを可能にする術を持ち合わせていたが、これで治療できるのは外傷程度。
皮膚の下、内臓への損傷を治せるほど便利な薬ではない。

「マダムが、ホラーに……。セイバーが……」
「喋っちゃダメ!大丈夫、セイバーと、私たちが絶対に何とかする。だから、今は生きることだけを考えて頂戴!」

尚も情報を渡そうとする舞弥に輪廻は怒声混じりの願いを述べる。

「……切嗣、は……?」
「もうすぐ来る筈よ。だから頑張って」

魔術回路から生成された魔力を背中の魔術刻印に流し、この状況に最も見合った治癒魔術として発動させる。
一分一秒が惜しい。詰まらない躊躇や驕りが命を殺す。故に迅速に、懸命に輪廻は渾身の力を流し込む。

「キャスター!」

と、ここで輪廻は背後にいるキャスターに向かい叫んだ。

「ぼさっとしてないで、衛宮切嗣を迎えに行きなさい」
「……その間、君たちが無防備になるが、いいかね」
「いいからやって。それがあんたの今やるべきことよ」
「…………了解した、マスター」

こうして、衛宮切嗣の到着までの間、キャスター陣営による久宇舞弥の救命活動は着々と、滞りなく進行していた。





*****

南の番犬所。
重傷による眠りについている神官ヴァナルの身柄の警護(という名のお守り)に就いているデューク・ブレイブ。

「すぅ……はぁ……」

特にすることもなく、横になっているヴァナルの傍らで魔導火のライターで煙草に火を着け一服している。

「…………暇だな」

とはいえ、これもまた重要な仕事であることは十分に理解している。
今この瞬間、ヴァナルが目を覚ましてくる可能性を考慮して自分は此処の担当になったのだから。

「……早よ起きろよなぁ……」

などと、愚痴を零す。
怪我人に何を酷な、と思うかもしれないが、今の輪廻と雷火が担っていることの濃度に比べ、この状況になんと浅く薄っぺらいことか。
それを思うとさっさとヴァナルには目を覚まして一から十まで事情を喋ってほしかった。

と、その時、

「―――――アぁ」
「あ……?」

狐の面で覆われたヴァナルの口から、僅かな声が絞り出されたのをデュークは聞き逃さなかった。





*****

セイバーは切嗣の令呪によって土蔵へと瞬間移動し、瀕死の舞弥からアイリスフィールの行方を聞くと、即座にその後を追いかけた。
無論、如何に最優のサーヴァントといえど足だけで追いかけられるとは思っていない。そこで彼女は切嗣が用意していたある乗り物に跨った。
それがV-MAXを過剰カスタムし、もはや人間の騎手では到底御し切れないモンスターマシンと化した逸品である。

切嗣がこれを用意した理由は一重にセイバーの騎乗スキルにある。
サーヴァントの騎乗スキルはB以上であれば現代におけるあらゆる乗り物を使いこなすことが出来る利便性の高いものだ。
事実、セイバーはこのスキルの恩恵によって自動車を運転している。
ならば、これを古の戦場で利用できる乗り物に当てはめれば、恐らくセイバーの技量はさらに上がると推測した。

その答えがこの改造され尽くしたオートバイである。
生前は生きた駿馬に跨っていたセイバーならば、この命無き鉄の馬を容易に御すると踏んだのだろう。
事実、その予想は見事に当て嵌った。

今、現実的にセイバーは新都の公道を走っているが、その心はかつての戦場を駆け抜ける一人の騎兵のそれに立ち返っている。

「アイリスフィール、何処へ……」

しかし、公道を走っても走ってもアイリスフィールと下手人の行方はつかめない。
そもそも、通常のホラーは光を忌む。故に真昼間から行動を起こすホラーなど滅多にいない。
屋内ならばいざしらず、屋外で探索をするだけ、その行動は無謀ともとれた。
セイバーの心に曇天が訪れようとしたその瞬間、

『セイバー』
「切嗣……?」

頭に直接響いてきたのは、なんとマスターである切嗣の念話であった。

『魔戒騎士達から連絡だ。そちらに一人、騎士を送る。彼女と共にホラーを捜索し、アイリを奪還しろ』
「了解しました。その命、必ずや果たします」

届いた簡潔な情報と命令にセイバーは勢いよく返答した。
それと同時に彼女の直感が左右に並び立つビルの上方に出現した何者かの気配を察知した。

よく目を凝らすと、そこには漆黒の馬体の背に乗った暗黒の騎士がビルの屋上を足場にして新都の街並みを駆けているではないか。

「まさか、闇の騎士か」

セイバーが呟いた直後、数十メートルは上方にいるはずのギロの視線が下方で走るセイバーに向けられた。
その視線はある種の意志を伝えるアインコンタクトであるとセイバーは本能的に理解した。

”此方です”

そう語りかけられている気がしたセイバーはハンドルを握り直し、ギロと叢雲の後を追うようにしてバイクを疾走させる。

上から下へと流れる川の水のように、ギロの導きのままにセイバーが走り続けると、次第に街を離れていく。
ギロもビルの屋上からセイバーと同じく大地にて馬を走らせるようになると、森林地帯へと繋がっていく郊外の一本道へと入って行った。

(これは、城への道筋……)

冬木における仮初のアインツベルンの城が聳える深き森。
この長くうねった一本道は間違いなく森へと続くものだ。
まさか、つい此間まで拠点としていた城にアイリスフィールが連れ去られたのではないか、とセイバーは勘ぐり、それを声にしてギロに問い質そうとする。

「一つ訪ねたいのだが、よもや―――」

セイバーがギロに問いかけようとしたその瞬間、それは強制的に断たれてしまった。
言の葉を無粋に遮ったモノ、その正体がホラーであることは言うまでもない。
しかし、問題はそこではない。最も追求すべきこと、それはホラーがギロとセイバーの真正面、否、太陽の光の下で出現したのか、ということにある。

現れたホラーの姿は漆黒の騎士だった。
特徴など一切ない黒い兜と黒い鎧を身に着け、鳴き声一つ上げない黒い馬を駆っている。
ギロは即座に左手首に巻きついている相棒に声をかけた。

「バジル、奴は?」
『ドッペルゲンガー。影のホラーだな』
「影?」
『そうだ。影を操り、己の全身を覆って光をシャットアウトしてやがる』
「それで真昼間から……」

己が魔導具から情報を受け取り、目の前にホラーが存在しえる理由について納得するギロ。
しかし、バジルが齎す情報はこれだけではなかった。

『ヴァンプ。気を付けることだな』
「それは何故?」
『ドッペルゲンガーっていうのは”分身”という意味もある。向こうに像が一つあるという事は……』
「それって、まさか!」

与えられた情報から状況を正確に推測し、ギロが背後に顔を向けると、そこにはVMAXに跨るセイバーともう一騎。

背後から迫るドッペルゲンガーの姿を視認したのだ。
即ち、二人の騎士は二体で一体のホラーによってこの長い一本道で挟み撃ちの状態に持ち込まれてしまったのである。

「くッ……!」

そこでセイバーは車体のスピードをわざと落とすことで後方のドッペルゲンガーと並行線上になり馬上戦に持ち込もうとするが、先手を読んだかのようにドッペルゲンガーも減速しセイバーとの距離を保った。

「でしたら……」

片や、ギロは叢雲に呼びかけ、その馬体を四本の脚による跳躍で浮かび上がらせることでドッペルゲンガーを真上から狙おうとした。
だが、それに対しドッペルゲンガーも黒い馬を跳躍させ、叢雲と同じ距離ほど前進して互いの間合いを保ってみせた。

前方と後方、双方のドッペルゲンガーの動きを感じ取り、セイバーとギロは悟った。
このドッペルゲンガーは自分たちの動きをトレースしている、ということに。

勝負事において最もやり難い相手のタイプは二つある。
一つ目は徹頭徹尾、弱点や傷口を抉る様な容赦のないスタイル。
二つ目は一から十まで、影法師のように自分と全く同じスタイル。
読みやすいが故に、向こうも読んでくるというタチの悪い戦法である。

このホラーたちは自分たちを倒す為、というよりは自分たちを遠ざけ足止めする為に遣わされた存在であることを理解すると思わず舌打ちしたくなる心情に駆られた。

「バーサーカー」

ギロは件の会合にて呼び戻していた己が従僕を、霊体から実体に移行させ、叢雲の背の上に佇ませた。

「……ッ」

バーサーカーは激しく荒れる馬上にも関わらず、片手でギロの肩を掴むことで状態を安定させ、前後に存在するドッペルゲンガーに小さい唸り声をあげた。

「これをお使いなさい」

そして暗黒の鎧の背のマントを翻すように現れたのは神官より齎されし青黒い三叉槍、邪電槍。
バーサーカーは戸惑いもなくそれを掴むと、籠手から彼の宝具の力が槍へと流れ、瞬く間に己の愛槍へと変貌させた。

「セイバー、少しお耳を」
「―――?」

何かを仕掛けるための算段を着けるためか、ギロは叢雲の速度を若干させることでセイバーとの距離を詰める。
セイバーはドッペルゲンガーがギロと同じ距離を同じタイミングで詰めてきたことに律儀な奴と思いつつ、ドッペルゲンガーに悟られない程度の声量でギロと言葉を交わし合う。
すると、セイバーの表情は得心がいったものの、本当にそれで大丈夫なのか、ともいうモノに変わった。
どうやら駆けの要素を含んだ作戦をギロは提案したらしい。

「如何でしょう?」
「……承知した。同じ騎士として、貴女達を信じよう」
「感謝します、騎士王」

ごく小規模な作戦会議を終えると、ギロは再び叢雲の足運びを早めさせ距離を元に戻した。前方のドッペルゲンガーも同じように距離を元に戻している。
それを確認したのを機に、

「叢雲っ!」
風王結界(インヴィジブル・エア)ッ!」
「■■■■■……!」

三人の騎士は即座に行動に出た。

まずはセイバー。
彼女は己が駆るVMAXに単なる人の手によるモンスターマシンではなく、超常の魔獣としての疾走をさせるため、己が纏う銀の鎧をその機体に纏わせた。
愛馬を戦場の刃から守るカタフラクトをイメージして行った結果、魔力は機体を銀色の異形へと変貌させる装甲として形を成した。
これによって車体はあらゆる馬力の負担から解放されたうえ、発動された風の宝具の力によって自らの眼前に張られた鏃型の膜が空気抵抗という枷を外す。
そしてトドメに、セイバーはハンドルのすぐ傍についている赤いスイッチを親指で押し込んだ。騎乗スキルはこういった隠された機能の役目を本能的にセイバーに伝えていた。
エンジン内部に噴霧されたニトロ・オキサイドガスは300度の灼熱にさらされたことで一気に膨張、虎の子とも言えるニトロブーストが発動した。
これらの複合効果により、今やVMAXは最高速度にして400qを凌駕する常軌を逸した人造の魔物と化したのである。

次にギロとバーサーカー。
彼らは実にシンプルだ。その暗黒の鎧と叢雲の馬体、そして邪電槍にギロが放つ白銀の魔導火を着火させ、奥義・烈火炎装を発動させた。
烈火炎装は魔戒騎士の必殺技とも言える代物だ。それを全身と武器に纏わせるという事は、次の一撃で相手を確実に仕留めるという事を意味する。

そして、

『ヒヒィィィン!!』

次の瞬間、叢雲は方向を反転させ、後方にいるドッペルゲンガーへと跳躍して突撃していったのだ。

「ホラー、覚悟!」

セイバーは全速力のVMAXを直進させ、前方のドッペルゲンガーと一気に並んでみせた。

ギロの作戦、それは極めて単純明快。
ただ単にギロが後方の、セイバーが前方のドッペルゲンガーを狩るというものだ。
この作戦を立案した理由、それは前後のドッペルゲンガーの動きにあった。

前方のドッペルゲンガーはギロの動きに、後方のドッペルゲンガーはセイバーの動きと連動していた。
それは、ギロがセイバーに近寄った際、動いたのが前方のドッペルゲンガーだけであったことから得た推論であった。
何度も繰り返したわけではないので確証は無かったが、怪物としての本能がギロの直感をプッシュしたのである。
故に、互いに互いをつけているドッペルゲンガーとは正反対の方向のドッペルゲンガーに向かえば、彼らは対応しきれないと踏んだ。

そして、その予感は的中した。

「ハアッ!」
「■■■■■ッ!!」

ドッペルゲンガーらは咄嗟の事に対応が遅れ、何とかしようとした時には既に斬り捨てられ、貫かれ、この世から浄化させられていた。
断末魔すらあげることも許されずに。

「…………」
「…………」

魔性の影法師が消え去り、叢雲とVMAXは主の握る手綱から通して伝わる命に従い、静かに動きを止めていた。
騎士たちは馬から下りず、そのまま言葉を交わした。

「取りあえず、一旦は終わりましたね」
「えぇ。ですが、時間を無駄にしました。一刻も早くアイリスフィールを探し出さなくては」
「お気持ちはわかりますが、手掛かりが無くては街に戻った途端に右往左往しますよ」

確かにホラーたちが居なくなった以上、手掛かりらしいものは無い。
まずはアイリスフィールに繋がる物から探し出さなくてはならない。

「しかし……」

無論、セイバーとてそれは分かっているつもりだ。
騎士として守護すると決めたアイリスフィールを奪われ、焦っているが故というのもギロは承知している筈。
今は冷静さを取り戻す、それがゐの一番にすべきことだ。

「いえ、わかりました。一度、街に戻って皆と共に今後について協議することにしましょう」
「はい」

セイバーの下した英断にギロは簡潔に返事をした。
二人は愛馬を新都の方向へ向け、再び走らせようとしたその時、

その頸貰った(トオスピノマッタ)ァァァ!!』

公道の上方にある林から唐突に魔界語での叫びが響いてきた。
ギロとセイバーが上方へと顔を向けると、林を構成する樹木の一本が純朴な自然の姿から、どす黒い禍々しい魔獣へと変貌し、こちらへ襲い掛かってきたのだ。

豹の姿をした悍ましきソレの名は”オセ”。
長い手足を地につけ、まるで人間が四足歩行しているかのような不気味さを感じさせるフォルムである。

「「「―――ッ!」」」

声を出すまでは樹木に擬態し、完全に気配を殺しきっていた為に吸血鬼やサーヴァントである彼らもその存在を感知できなかった。
そんな中での不意打ちは紛れもなく三人の内、誰かに対する致命傷を与えるに値する絶好の機であった。

尤も、

「AAAALaLaLaLaie!!」

そこに乱入者が現れなければの話しだが。

(アイ)ィッ!?』

オセはその顔面を歪ませ、上空から雷気を伴って現れる者どもに驚愕した。
二頭の牡牛によって牽かれる戦車、それに騎乗して操り、雄叫びを上げる征服王の姿がその眼に映り込んだ。

――バリバリバリバリッ!!――

迸る雷光。恐るべき脚力で踏み拉かれる蹄。
それらが上方より下方へと向かって行くことで生じるエネルギー。
疾走宝具『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』―――それら全てがオセというちっぽけな一匹の獣へと殺到したのである。

『ギャギィ……!!』

そうして、無様な叫びが木霊し、豹の悪魔は地上へと墜落させられた。

「斬る」

直後、煉獄剣を握りしめたギロが叢雲の背を蹴り、その勢いを殺すことなく通りすがる間に一斬を振り抜いた。

『ガ……ァ……』

それが狩りを取り柄とする獣の姿をしていながら、一方的に狩られた者の最期の声だった。
後に残ったのは、彼の邪気が結晶化した禍々しい短剣だけ。
だが、その短剣さえもギロは漆黒の籠手で掴み、その胸の奥へと突き刺し喰らった。

今度こそ事が済み、一同は互いに顔を見合わせながら言葉を交わし始めた。

「征服王」
「よぉ騎士王」

いつもと変わらず朗らかに声をかけてくるライダーに、セイバーが質問する。

「どうして此処が?」
「いや何、貴様のマスターがやけに協力的になってな。貴様の視界を覗き見して場所を余らに教えたのだ」
「切嗣が……?」

ライダーが正直に答えると、セイバーは怪訝そうに返した。
しかし、その直後に思い出す。あの会合の前、切嗣は魔戒騎士らとの同盟に賛成する、そう言っていた。
それが味方となり得るサーヴァント達を含む物になった、とセイバーは思い、納得した。

「あの、貴方のマスターは?」

と、そこへギロが尋ねた。
よく見ると戦車に乗っているのはライダー一人、ウェイバーの姿が見当たらない。

「あぁ、坊主ならキャスターとそのマスター、そしてセイバーのマスターと共に土蔵とやらにいる筈だ」

その言葉にセイバーは愕然とした。
あの衛宮切嗣が、馴れ合いという言葉から一番縁遠いあの男が、他のマスターとここまでの協力姿勢を見せていることに。
だが、セイバーにはもう一つ気に掛けるべきことがあった。

「……ところで、舞弥……切嗣の補佐をしている女性について何か把握しているか?」
「ん?あの黒い装いの女か。それなら聖の奴が如何にかしている筈だ。まあ、あれほどの腕ならば命は助かるだろう」
「そうか……」

口では冷静さを装っていたが、やはり仲間が助かるという朗報にセイバーは安堵を感じた。

『おい、アレキサンダー。そもそも何しに来やがったんだ?』

そんな彼女の気も知ることなく、バジルが汚い口調で問いを投げた。

「おぉ、そうであった。貴様ら早く乗れ、街へ……いや、寺に向かうぞ」
「寺って、山に建てられている?」
「そうだ。余は貴様らを迎え、そこへ連れていくために遣わされたのだ」
「……何故、ですか?」

ギロが若干溜めをつくりつつ訊いてみると、ライダーは頭を一掻きし、一思いに言い放った。

「―――聖の拠点……龍洞とやらに、バビロニアの英雄王と神父の息子が攻め入ったらしい」





*****

時は遡り、輪廻が土蔵にて舞弥の治療を始めた頃の事。
場所は輪廻とキャスターの塒であった円蔵山の中腹内部に穿たれた龍洞の最奥、即ち、大聖杯の間。

「これが、御三家が創り上げ、そして追い求めてきた聖杯……」
「ふん。見てくれは兎も角、成程、これは確かに良く出来ている」

そこへ踏み入ってきたのは二人の青年であった。
一人はカソック服を着た黒髪の屈強な男、もう一人は黄金の髪と蛇のように赤い瞳をした王。
言峰綺礼、ギルガメッシュ―――外道を歩み、今や魔の世界へと踏み出していたこの二人は、間の片隅にある輪廻たちの荷物に一瞥することなく大聖杯に歩み寄る。
呪われた求道者たちが一歩一歩と進んでいたその時、

「おーい、お二人さん。留守中の塒に無断で押しかけるのって、人として如何よ?」

軽薄な口調で綺礼とアーチャーを呼び止める男の声が届いた。

「ま、無許可で山ん中に入ってる俺らが言えた義理じゃないけど」

紺色のコートを纏い、カブト虫とクワガタを組み合わせたようなペンダントを首にした茶髪の青年。
口に銜えたタバコを吹かしながらゆっくりとした歩調で二人に近づいてくる。
徐々に鮮明になっていく姿―――両手には銀色の煌めきを放つ魔戒銃剣が握られている。

「デューク・ブレイブか。何をしに来た?」
「ちょいと、頼まれたんだよ。神官から―――」

デュークは両手に握った魔戒銃剣を構えると同時にタバコを吐き捨て、威勢よく言い放った。

「テメェら止めろってな」

それと同時に切っ先が円を描くと同時にそれは門と化し、神々しい光と共に装甲を彼の躰に振らせていく。
次の瞬間にはデューク・ブレイブは魂の鎧に己の全てを包んでいた。

鋭い橙色の眼光、稲妻を模した両肩の装甲、腰回りから踝にまで垂らすように着け前の開けた漆黒の魔法衣。
そして最後に、高貴なる輝きを宿した紫の光沢。

――バチバチバチ……!――

二振りの狼銃剣の刃がぶつかり、擦り合わされ、刀身には紫色の雷気が帯びる。
その迸る紫の電光を名の由来とする魔戒騎士。

銘を―――紫電騎士・狼功―――!




次回予告

ヴァルン
『聖人君子など居はしない。誰もが裏を秘める。
 そして、それは魔戒騎士とて例外ではないのだ。
 次回”暗黒”―――マスター!その力だけは……!』



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