狼姫<ROKI>
暗黒


大聖杯。
それは聖杯戦争の根底をなす総ての術式を結集したモノ。
寺院が建てられし円蔵山の中腹にて人知れず来客を待つ龍洞の抜けた先にある大空洞にこそそれはある。
本来ならば、聖杯戦争の成り立ちにおいて欠かすことのできなかった始まりの御三家しか知り得ない極秘事項。

だが、それを知り得てしまった外様が此処を拠点にしていたなどと、誰も思いはしなかっただろう。
事実、これまでの間、この大聖杯の間に侵入してきた者は拠点の主らとその来賓以外になかった。

そう、これまでの間の話しだ。
今は違う。全く違う。
今や此処は、侵入者によって踏みにじられし地であり、一人の騎士が守護せし戦場である





*****

それはデュークが大聖杯の間にて言峰らと対峙する以前に遡る。
場所は異空間・南の番犬所。

そこでデュークは意識を取り戻したばかりの神官ヴァナルに事の顛末を問いただしていた。
通常、病み上がりに対する物言いを考慮するべきだろうが、今は一刻を争う緊急事態。多少の事は我慢してもらおう。
そんな彼の急を要する態度の問い詰めと、それに応えていたヴァナルの遣り取りは割愛し、状況を全て確認し終わったところからお見せする。

「ってことは、言峰綺礼とアーチャーが、あの復讐劇を仕組んだのか」
「あぁ……そして、彼らはホラーの側になった、ということだ」

ヴァナルの証言によると、番犬所に乗り込んできた言峰とアーチャーは有無を言わさず八極拳を叩き込んだ後、宝剣宝槍で手足を貫いた。
そして、番犬所内で保管してあるホラーの陰我を封印した短剣を強奪し、そのまま嵐のように立ち去ったという。
ただ、歪んだ復讐劇を準備する為に―――延いては、

「己の愉悦の為、あ奴らは此処を襲ったのだ」
「何だそれ……歪んでる、どうしようもなく歪んでるぞ」

デュークは何の打算もなく南の番犬所を襲ったばかりか、きっと聖堂教会の力で探し当てたであろう件の復讐者に短剣と共に情報を吹き込んだ。
単なる自己満足の娯楽の為だけに―――それは常人からしてみれば悪辣非道に他ならない所業にして、人の心を遊び道具にしたとも言える行いだ。

「……神官よ。奴らの行き先は分かるか?」
「あ奴らは……恐らく聖杯を狙うはずだ。そして、確実に手に入れられる状況を創る筈」
「状況……」
「まずは、円蔵山に向かえ。聖杯を降臨させる上で、あの山は最も良質の霊地だ。何より……」
「大聖杯か」

確かに、アレがある場所ならば聖杯を掴むに打って付けの場所だ。
となれば、上に建っている寺より龍洞に行くべきだろう。仮にも遠坂の門弟だった言峰ならば彼の代物について予備知識があるかもしれない。

「わかった。行ってくる。そして、奴らを止める」
「頼むぞ。しかし、行く前に一つ、忠告をしておく」

デュークを呼び止めたヴァナルは、包帯が巻かれた腕を振るわせながら動かし、ある文が書かれた紙を差し出した。

「こいつは?」
「気を失う寸前、奴らのこれからも所業を占った。……せめて、これを指針に考えを練るんだ」

魔界文字が書かれた紙、そこにはこのような詩が書かれていた。



”冥府の業火が現世を滅ぼし、暗黒の使者、降臨す”
”其の影、清新なる聖水を漆黒の闇に染めん”
”魔戒詩編第百四十一節より―――”





*****

時は戻り、大聖杯の間。

「ほぉ……狗風情が出張るとは、ご苦労な事だな」
「……」

ロックの鎧を召喚したデュークを前にしてギルガメッシュはいつも通りの傲岸不遜な労いを、言峰はただただ冷えた視線で彼を見やった。

「へッ、あんたらが色々やってくれてるお蔭さ。ここまで仕事続きなのは初めてだ。残業手当が欲しいくらいだよ」

ロックは軽口を言ってやり、尚且つ狼銃剣の切っ先を言峰とギルガメッシュに向けて言い放つ。

「貴様らのやろうとしていることの詳細までは知らん。だが、守りし者として見過ごせないのは確かだ」
「だから、何だと?」
「ホラーに魂を売った以上―――貴様らを討滅する!」

その言葉と共にロックを咆哮を洞窟に轟かせて足元の岩を蹴っていた。
まるで突風のように二人めがけて迫るロック。
しかし、それを嘲笑うかのようにギルガメッシュの「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」が発動し、無数の原初の神秘が雨霰のように発射された。

「おおおおおおおおおお!!」

雄叫びを上げ、己を亡き者にせんとする刃の群れの中、ロックは身体を捩らせ、屈め、跳び、それでもなお速さを緩めることはしなかった。

「ふん。狗の割に中々興じさせるではないか」

ギルガメッシュの顔に一片の焦りもない。
寧ろ、まるでこの戦況をシューティングゲームのように楽しんでさえいた。
内心ではよく動く的だ、とさえ思っているのかもしれない。

だが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、という言葉があるように、撃ち出す弾を数を増やせば、

――ザリッ――

「ぬ……っ」

鎧の脆い個所、関節部を掠める可能性は十分に出てくる。
ロックの歯牙の隙間から漏れ出た声にギルガメッシュが口元を吊り上げた。

「どうした雑種?(オレ)に刃向う以上、これで終わりにはすまい」
「当然!」

さらに激化する豪雨とそれに抗う疾走。

もっとだ。もっと速く。もっと早く。
奴に辿り着け。そしてこの手に握る刃を突き立てろ。

只管それだけを考え、ロックの両脚は動き、足が前方の地面を踏んでいく。

――バンバンバン!――

最中、片方の狼銃剣が変形と同時にマズルフラッシュが三回。
放たれたソウルメタルの弾丸は三発とも一直線にギルガメッシュの額目がけて飛んでいく。

――グザグザグザッ!――

「がぁっ……、アアアアアッ!!」

それと同時に腹と太ももと二の腕に突き刺さる宝剣宝槍。
だが、それさえも彼の激走を止めるには至らない。

「貴様は、勘違いをしているな」

と、ここでギルガメッシュがポツりと一言だけ呟いた。
普段の彼からは想像できない程、穏やかな声音で。

一方でロックは体に幾つもの刃が突き刺さって尚、鎧の金属音をかき鳴らしながら英雄王を討たんと迫りくる。
猛々しい歯牙の揃った口からは血反吐を吐いても可笑しくないレベルの咆哮が発せられており、痛みという概念などとっくに振り払っている。

――グルル……!――

前へ、前へ、前へ!
前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ!

一念。たった一つだけを念じ続けた。

ここを守る事、それがデューク・ブレイブの役割だ。
守る、それは魔戒騎士にとっての最重要事項であり、何よりこの地は聖杯戦争の要である。
此処を奪われたが最後、事態は一気に最悪な方向へと捻じれ曲がるだろう。
故に退かぬ、臆せぬ、負けぬ。ただ一重に前へと進むことだけを考えるのだ。

「我々が魂を売ったと言ったな」

英雄王と紫電騎士の距離は既に10mもない。
一直線に進めばすぐに辿り着ける僅かな距離。しかし、降り注ぐ神秘の数々を愛剣によって幾度となく弾く手間によって大きなタイムロスを強いられた。
それでもロックは決して回り道などしない。逃げも隠れもしない。

「我々を討滅すると言ったな」

後一歩、後一歩だ。
あとは、彼奴の眼前に立ち、片方の銃で心臓を撃ち、片方の刃で頸を刎ねるだけだ。
ほんの一瞬、それが実現するまでの刹那―――



「戯けが」



――ジャリリリリリ!!――

その一挙は、振り下ろされることも、引かれることもなかった。

亜空間より召喚されし幾本もの鎖。それらがロックの四肢に絡み付き、挙句の果てには手首をきつく締め上げていた。
その鎖の名は「天の鎖(エルキドゥ)」―――かつて英雄王と共に天の牡牛を絞め殺した唯一無二の親友との絆の証たる対神宝具。
そして、

――ギャリ……!――

彼が力量を認めた者にしか見せぬ秘中の秘たる宝物でもある。
それが今、たった一人の騎士の手足を封じるだけに呼ばれたのだ。



「我が魂を安く見るな。そして、貴様風情に(オレ)を傷つけられると思うな」



――バリン……ッ!――

次の瞬間、紫電騎士・狼功は―――その胸を乖離剣にて貫かれ、彼の消えゆく意識は鼻と目の先にいる英雄王の顔と胸中で騒ぎ立てる刀身の感触だけを記憶する。

「しかし、称賛だけはしてやろう。凡夫の分際でここまで(オレ)に食い下がった者はそういない」

尤も、彼の友に比べれば、否、比べる事すら烏滸がましい。
最後の一言を寸前で仕舞い込み、ギルガメッシュは秘宝の剣を抜き、一匹の狼は血潮を撒き散らしながら地に倒れ伏した。

だが、その目はまだ死に切ってはいなかった。

「ウゥ……オオオォォォォォ!!」

最後の悪あがき、意地、執念が彼の腕を動かした。
両手の狼銃剣は同時に投げられ、空に描く軌道の最中で一つに交わり双弩狼銃剣となり、ある方向を目指して回転し飛んでいく。

「……ふ」

その方向にて佇んでいたのはカソック服を纏った男、言峰綺礼その人である。
仮にも代行者として鍛え上げた身体能力により、ブーメランのように飛来してくる双弩狼銃剣を容易く避ける。
獲物を見失った双弩狼銃剣は彷徨い、その果てに、


――ズン……ッ!――


限られた天へと伸びる大聖杯の根元へと深く突き刺さった。
それと同時にロックの鎧が制限時間を迎えた事で解除され、血まみれ姿のデュークの姿を晒していた。

「あと……は、あいつら、が……」

彼の言葉がそれ以上続くことは―――なかった。





*****

円蔵山・石段前。
そこに魔戒騎士らを筆頭とする一団の影があった。

聖姉妹とそのサーヴァント、衛宮切嗣とセイバー、ウェイバーとライダー、計四組の陣営が龍洞へと赴こうとしていた。

「まさか、こんな形で拠点に戻る羽目になるとはね」

輪廻は前髪をかき上げながら皮肉そうに言った。
その仕草からは普段とは異なる色香が漂いつつも、彼女の持つ騎士としての本質が混合している。

『しかし、これも必然であったと、ワタシは感じている』

それに応えるのは魔導輪ヴァルン。

「確かに、マスターの拠点が大聖杯の宿る土地である以上、一悶着があって然るべきだったな」

続いて口を開くのは赤い外套の魔術使い。

「いや、ちょっと待ってくれ……」
「あら、何か?」
「何かも何も、何で外様のアンタが大聖杯を拠点にできてたんだよぉ!?」
「うちの上司の指図よ」

ウェイバーの渾身のツッコミに対するこの涼やかな対応。
御三家の一つであるアインツベルンの恩恵を得ている切嗣も言葉には出さないが、やはり件の神官の情報網に冷や汗を一筋流していた。
聖杯戦争開始以来、決して口外することなど天地がひっくり返っても起こり得なかった情報の漏洩―――いや、盗まれたというべきか。
それを当たり前のようにやってのける怪人物の存在には戦慄せざるを得なかった。

「まあ、その辺の事は一旦置いといて、今はデュークと合流する方が先決よ」
「えぇ。如何に熟練の騎士とはいえ、サーヴァントと代行者を同時に相手にするのは辛い筈です」

だが、この姉妹はそんな彼らの心情などお構いなしで話を強引に軌道修正して今か今かと龍洞に向かわんとしている。
聖杯戦争だけでなく魔戒騎士の領域さえも土足で踏みにじられたのだ。そのような外道に堕ちた者らに然るべき報いを与えねばならない。

「セイバー、ライダー、衛宮、ウェイバー……覚悟は良いわね?」
「「「「…………」」」」

輪廻の最後通告とも言える問いに四人は無言だった。

切嗣は魔術師殺しとして、人類の救済を願う者として思った。
己は今より一個の機械、人類を破滅させる悪魔の心臓に必ずや弾丸を撃ち込むと。

セイバーは騎士として、そして清廉な王として思った。
守ると誓ったアイリスフィールを救いだし、三人の家族の幸せを取り戻して見せると。

ライダーは世界に覇を唱える者として、軍勢の王として思った。
自分がこの身を以て手中に収める広大な世界を先んじて染めさせはしないと。

ウェイバーは一人の人間、一人の魔術師として思った。
叶うものなら逃げ出したい。しかし、逃げたところで意味は無い、この先で夢を語った騎士が待っているのだと。

四人が思う中、この二組の心中にも確固たる決意が燃え上がりつつあった。

雷火は闇に堕ちた者として、それでも騎士であろうとする怪物として思った。
自分は既に後先戻れぬ化外の身。だが、そんな有り様でも人々を守ってみせると。

バーサーカーは狂気に身を窶し、心を穢した我が身を恥じつつ思った。
これが我が身に与えられし最後の戦場。故に、敬愛する騎士王の為に誇りの全てをぶつけ、贖罪を為し遂げてみせると。

キャスターは生前と死後を問わず、度重なる因果を体験した者として思った。
我は守護者。薄汚れた掃除屋。しかし、今だけは英霊として、今生で仕える女騎士と共に最期まで在ろうと。

そして、輪廻は魔戒騎士として、人の身で必死に生きる者として思った。
ただ一重に、ただ只管に―――絶対に彼奴等の陰我を断ち切ると。そして、皆の明日の笑顔を守るのだと。







*****

?????

いよいよだな(リンリンガア)この聖杯戦争も終曲の序曲を迎えた(ソオテリバリテユトルノチュルショスオヂョショスヨヌサレカ)

何処とも知れぬ暗中にて、全てを陰から見続けてきた存在がこれより始まるショーに心を躍らせていた。
それが激しければ激しいほど良い。血が流れれば流れるほど良い。戦え、舞え、そして魅せろ。
彼の者は望む。心の鎧を突き抜ける慟哭を、魂の咆哮を、それを乗せて振るわれる刃の煌めきを。

真の終曲を彩る為に(チユオチュルショスヨリモゴムカネ)さあ(タラ)騎士たちよ(シチカキン)―――我に魂を(ヤメイカナチリヨ)!』






*****

龍洞が入口。
一行は石段の中腹まで上るとそこから横へと反れていき、木々の生い茂る獣道すらない道を進んだ。
その先にあったのは小さな川の流れと、御三家が魔術で隠蔽してきた大聖杯への直通路である。

此処を拠点としていた輪廻とキャスターを先頭に一行は涼やかな鍾乳洞を歩く。
皆の足はいそいそと早くなっていった。当然だ。遅れれば同胞の命が失われる。大聖杯を奪われる。
それがこの街に、そして人間の世界にどれほどの闇を齎すのか想像を絶するモノがある。

『マスター。気を着けろ』

と、鍾乳洞の半ばまで進んだところでヴァルンが警告を出してきた。

『邪悪な気配を感じる。それも量も質も生半可ではないぞ』
「そう……やはり、ここを決戦の舞台にするつもりか」

それを感じたのは魔導輪だけではなかった。

「輪廻。余り言いたくはありませんが、血の匂いがします。この奥から」
「…………」

吸血鬼である雷火が嗅ぎ付けた人の生血の匂い。
この状況でその情報を耳にして、輪廻の脳裏には一人の騎士の姿がよぎる。

「急ぎましょう」

その嫌な予感、虫の知らせを紛らわせるかのように、輪廻は皆を引き連れて一歩一歩と龍洞の最奥を目指して歩いていく。
一歩一歩の毎にカランコロンという下駄の音が鍾乳洞の空気を震わせながら。
履き手たる彼女は僅かに眉間に皺をよせ、どうか気のせいであって欲しい、と静かに願った。

しかし、進行を深めていく内に余りにも不自然ことに、

「「「待った」」」

二人の王と一人の主が声に出して皆を引き止めた。

「どうしたんだライダー?まさか、トラップが……?」
「いや、どうやら違うらしい」
「はい。私の『直感』が告げています。こちらに向かってくる足音が……1……2……3―――三人来ます!」
「……奴らか……」

ライダーがキュプリオスの剣を、セイバーが聖剣を、切嗣が懐の暗器に指を掛ける。
また、剣や銃こそ抜いていないが、暗黒の染まった黄鉛の瞳を吸血鬼の紅に変える雷火、何時でも悪魔銃を抜けるようズボンに突っ込んであるそれのグリップを握りしめる雁夜。
そして、納刀されている魔戒剣を横に構えてチラりと鯉口と鍔の間で白人を覗かせる輪廻、全身の魔術回路を励起させ何時でも如何なる戦況に最適なモノを投影する準備を開始するキャスター。

己の身を弁えライダーの後ろにて隠れるウェイバーを含む全員が戦の覚悟を改めて決めた。

『皆、御揃いのようだな』

暗闇から現れたのは銀灰色の鎧に猛禽の兜、ボロついたマントを纏った騎士であった。

「フォーカス……」

宿敵、とすら形容できる間柄となった輪廻は、彼の名を無意識に口から吐き出していた。

「ホラーの剣士よ、此度は如何なる用向きで此処へ参った?」
『道案内だ』

礼にかなった口調でセイバーが訪ねると、フォーカスは一息で応えた。

「案内?」
『そうだ。ここから先は件のバカ共と暗君の悪ふざけにより、至る所が回避不可の罠の巣。通る為の道を創ってやる。ただし、何れの道にも敵はいる。それは誰だか分かるか?』
「…………そういうことね」

フォーカスのもったいぶった言い方の中で、輪廻は正しく現状を整理し、そして思い至った。

『道の内、一つはオレ、一つは言峰、一つは英雄王、そして余り者だ』

指を四本立てていき、順序良く説明していくフォーカス。

『これらを打ち倒せば先へ進める。受けなければ、先程言った通り罠の巣を通り、死に体となって暗君の前に姿を晒すことになる』

つまり、通らない、という選択肢は存在しえない。
輪廻たち一行は此処へ来て戦力の分断を要求されたのだ。

しかも―――

『では、これより道に入る者を選別する』

フォーカスがフィンガースナップをしたと同時に、暗闇の中から突如と四つの簡素な扉が横に並んで出現した。
創りこそは単純そうに見えても、実際の所、扉の向こう側は空間の歪みに満ち溢れ、その結果として入り込んだ者を特定の場所へと誘うのだろう。

「選別?」
『ああ。オレとしても不本意だが、ここでお前たちの振り分けを決める』
「どうやって?」

そう問いかける輪廻に対し、フォーカスは口ではなく挙動で以て示して見せた。
彼は篭手で覆われた自らの掌にある物を乗せていた。

「それは……?」
『見ての通り、サイコロだ』
「いや、そうではなく……それが出す目が何を意味するんだ?」

サイコロは普通の1〜6の目がある物ではなく、1〜3だけが印された異常なサイコロであった。
4と5と6の面が無い分、1と2と3の面が一つずつ多く書かれている。

『これから賽を投げ、出た目に応じた人数が扉の中へ引きこまれる』

言葉を繋いだ瞬間、フォーカスは手にしていたサイコロを地面に滑り落とした。
コロコロと粗削りな地面を転がるサイコロ。それが動きを止めた時、上を向いた目は―――

『1か……では、最初の扉』

――ギィィ……――

目が出ると、一番端の扉が重苦しい音を立てながら開き、

「一人?……誰?」
『まずはお前だ』

指さされた輪廻一人だけを途轍もない勢いで吸い込み始めたのだ。
その吸引力やいなや、まるで巨大な掃除機の吸引口の前に立たされている気分になる。

『先に行くと良い。オレもすぐに行く』
「……そう。なら、首を長くして待ってるわ!」

フォーカスが口にした言葉を耳にし、輪廻は自分が闘うべき相手を知り、吸引され抵抗していた己が身を解き放ち、地を蹴って扉の中へと飛び込んでいったのだ。

「マスター!」

キャスターが反射的に叫ぶがもう遅い。
既に扉がガンという音を立てて閉じてしまい、その姿を消していた。

『案ずるな。異なる空間にいても契約に不備は生じん。会いたければ生きて外に出ればよい』
「…………」

確かにその通りだ。
しかし、理屈だけでは納得し切れず、かといって騒ぎ立てる気にもなれず、キャスターは鷹のような鋭い眼光をフォーカスにぶつけるだけで留めた。

『では、次の目を出すぞ』

と、サイコロを拾って間髪入れることなく、フォーカスはもう一度手から滑り落とした。
無慈悲なくらいに地面に一直線に落ちていくサイコロは、岩にぶつかり、不規則に転がって、やがては止まる。

六面の物体が天上に向けたのは、

『また1か。……では、お前だな』

フォーカスが指先を向けたのは、衛宮切嗣。

――ギィィ……――

『オレにはできなかったが……奴の陰我、風穴を空けてこい』
「ッ―――どういう―――!?」

謎めいたフォーカスの言葉に切嗣は問い質そうとするも、

――ガンッ!――

答えを聞くどころか、質問すら満足にできぬまま、切嗣は残る三つの扉の内の一つに猛烈な勢いで吸い込まれていった。
そして無情なまでの速さで扉は閉じ、瞬く間に消失してしまった。

「マスター……」

セイバーは少しだけ表情に影を見せていた。
いかに悪辣な手段を常套化させていたとはいえ、それが正義の行いに絶望し、理想に裏切られた結果であることを彼女は本能的に察していた。
正義の味方のなりたくてもなれなかった男……彼もまたありふれた人間の一人であることを、彼女は実感していた。

「残る扉は二つ。残る人員は七人。どう振り分けるつもりだ」
『その小僧は数に入れん。そうすれば六人、三人と三人で収まる』
「……、……」

キャスターの指摘にフォーカスが躊躇なく答えた。
小僧(ウェイバー)は己がこの場面で自分が戦力外であることを露骨に告げられ、歯痒い思いで頭が一杯になった。
しかし、こうでもしなければこの選定方法が瓦解してしまうことも理解しており、心から湧き上がる感情を歯を食いしばることで抑えつけた。

『最早サイコロを振るう意味は無い。片方の三人を決めれば済む』

確かにここで半分の人数である三人を残る二つの扉の内、一つに放り込めば残った者達が自動的に最後の扉へと吸い寄せられるだろう。
しかし、選定役を任されているフォーカスの自由意思が介さない要素はサイコロを振った結果のみ。あとは完全に彼の勝手な判断で輪廻と切嗣は単身で敵の眼前に赴いている。

「……誰と誰と誰を組ませるおつもりで?」

と、ここで雷火がやんわりとした口調で問うた。
フォーカスは腕を組み、およそ十秒ほど思案に暮れると、考えがまとまったのか腕を解いた。

『決まった。―――キャスター、セイバー、バーサーカー』

――ギィィ……――

『そして―――ライダー、ギロ、使い魔』

――ギィィ……――

『生き残れたのなら、また会おう』

次の瞬間、二組にして七人の男女は言葉を告げる間もなく、扉の中へと吸い込まれていった。
残されたのはフォースただ一人。

『さて……オレも行かねばな』

そして、彼は己の眼前に新たな扉を出現させるとそれを手動で開け、両脚を前に進めて中へと入って行った。
扉は厳しい音を立てながら閉ざされ、鍾乳洞には最早、人影など一つたりとも残されていなかった。





*****

此処は何処ともいえぬ場所。
強いて言うなら、闘技場じみた場所。
観戦客など居ない、ローマのそれと似通いつつも異様な涼しさを漂わせる、悲哀に満ちたフィールドである。

「…………」

そのような殺風景と言えるかどうか、感想に困る環境の中で孤独に、聖輪廻は鞘に納められた魔界剣を杖のように地面に突き立てながら待っていた。
瞳を閉じながら、口を閉ざしながら、来るべき対戦相手の到着を静かに待っていた。

「…………―――来た」

しかし、その静寂は破られる。
騎士の瞳が開かれ、口が開かれたとき、彼女以外の気配が一つ現れた。

金属特有の足音を立てながら一歩一歩、近づいてくるのが分かる。
猛禽の貌の鋭い眼光が女の細い体をしっかりと捉え、剣士特有の闘志が溢れんばかりに吹き出し、相手の心を絡め取っていく。

「フォーカス」
『…………』

銀灰色の剣士の名を呼ぶ輪廻。
彼は彼女からおよそ5m離れた場所で立ち止まり、静かに佇んだ。

「貴方とこうして戦うのは、聖杯戦争の戦端以来……かしらね?」
『あぁ……それ以降は、紫電騎士と暗黒騎士との戦いで、ついぞお前と戦う機会はこの時まで来なかった』

一度は敗北し、同胞の穢れた所業故に見逃された勝負。
たった一回の剣戟なれど、その時に互いの剣の力量は大方理解しあっている。
だが、それは全てとは言い難い。

輪廻の特技は剣だけではない。彼女は騎士であり法師であり魔術使いだ。
対し、フォーカスもまた輪廻との闘いでは使っていない秘技を有している。

互いに条件はフェアとも言えた。
さらには一対一(タイマン)―――戦いを生きる道筋とする者にとっては最高のシチュエーション。

『この闘技場(フィールド)は特別製でな、魔界と酷似した環境となっている。それ故―――』
「鎧にタイムリミットは無い、か」
『これで存分に紅蓮の煌めきを目に焼き付けられようぞ』
「随分ロキにご執心なのね?」
『……まぁな』

意外なことに言葉を濁すフォーカス。
まるで調子づいた言動の末にボロを出した若輩者のような姿に、輪廻は心の中で僅かな違和感を感じていた。
彼は自分が生まれる遥か前から狼姫に魅入られていたかのようだ、とも感じた。

「ふぅ……じゃあ、お話はこれまで」

チャリ、と魔戒剣の刀身が鞘の鯉口から覗いた。

『あぁ。これより先は言葉ではなく、刃と鎧が紡ぐ音だけで充分』

もとより、戦士の一挙一動、そして一振りには数多の言葉が宿るという。
ならば、

「聖家現当主、聖輪廻―――紅蓮騎士・狼姫」
『フォーカス……孤高のホラー剣士』

名乗り合い、そして―――


――スッ――


――ガルル……!――


真紅の狼が召喚された。

「『推して参るっ!』」

鞘と籠手より解き放たれる断罪剣と魔双刃。

――ガギンッ!――

次の瞬間にはぶつかり合う刃と刃。
火花を散らしながら両者の剣は互いの体に届かせようと直感的に防御の薄い部分を突かんとし、それを本能的に察知して刀身や籠手を盾代わりとする。
これをロキは天性の才覚で、フォーカスは長年の経験からこれらの芸当をやってのけていた。

――ドガッ!――

すると、早々にこの膠着しかけた状態を変えるべく、フォーカスが頭突きをお見舞いしてきたのだ。
結果、一瞬だけロキの動きは緩み、それを絶対の隙としたフォーカスは魔双刃を鋏のように構え、一気に引き絞ることでロキの両脇から一際多い火花を散らさせた。
無論、ここで終わるロキではない。
彼女もまたフォーカスの奇襲で体勢が崩れたのを逆に利用し、右足を突き出してそれを身体ごと回転させ、勢いよくフォーカスの脚に引っ掻けることでかれを転倒させたのだ。

「ハアッ!」
『ムゥッ!』

再びぶつかり合い、鍔迫り合いとなる剣と剣。
互いに片膝を突いたままの状態ゆえ、鍔迫り合いの行方は純粋な力比べ。
しかし、パワーマッチで人間がホラーに勝てるわけがない。

『……ムンッ!』

フォーカスの魔双刃が強引に断罪剣を押し、逆にロキの兜へ叩き付けようとした瞬間、

――シュンッ――

ロキの姿が一瞬にして消えてしまい、渾身の一打も無駄になってしまう。

『―――ッ』

――ズバッ!――

背中のボロマントを突き抜け、背面の鎧を突き刺す白刃。
紛れもなく断罪剣の一撃。

『法術……漸くか』
「無論。これ程の使い手を相手取って、剣だけで勝てると思う程、私は傲慢ではない」

堅い口調でロキが答えた。

『上等だ。なればこそ、この舞台に上がった甲斐が有るというもの』

攻撃を喰らいつつも体全体を回転させると同時に魔双刃を振るうことで強引に距離を離した。
フォーカス本人はダメージのことなどお構いなしにロキを称賛し、逆に闘志を燃え上がらせている。

『ではこちらも―――双月斬!』

その情熱は本物の炎熱と化し、邪炎魔装を発動させた。
紺色の炎は魔双刃を介してこちらへと斬撃となって飛んでくる。
文字通り重なり合う月と月のようなその一撃に対しロキは、

「烈火炎装!」

気合を入れると同時に奥義を発動し、断罪剣の刀身に金色の炎を纏わせる。
そして掛け声と共に剣を振るい、魔導火が孤を描いて双月斬とぶつかり合った。
紺と金。二人が混ざり合ったことで緑色の爆炎らしきものが広がり、辺り一面を覆う。

―――が、

「『おおおおおおおっっ!!』」

その程度の炎幕など二人からすればどうでも良いもの、あっても無くても同じものだ。


――ガギンッガギンッガギンッ!――


緑色の火炎の先にいる敵と只管に刃を叩き付け、やってはやり返す。
炎が引こうともそれは変わらない。一本の長剣と二振りの怪刃という組み合わせは止まることなどしない。

『そろそろ本気と行こうか』
「こちらもそうしよう……!」

鍔迫り合いの中で互いに一言ずつの短い会話を済ませると、二人は一度互いに距離を取り合い、今度は跳躍の最中で、擦れ違う一瞬の間に剣を交えだす。
地に足を着け、互いの立っていた場所が逆転したかに思えたが、二人は今一度跳躍し、その時に出来る最高の一振りを渾身の力に乗せて放ち、ぶつけるのだ。

『うぉぉぉ……!』
「はぁぁぁ……!」

己の刃に手を当て、それぞれの炎で包み込んでいく二人の騎士。
炎は刀身から溢れ、大地に降り注ぎ、徐々に二人の背後で巨大な像を形成していく。

「『デヤァッ!』」

満を持して刃が振るわれると、炎の塊は一瞬にして赤炎の竜となった。
竜虎ならぬ、竜と竜が主の炎を種火として産声を上げ、目の前の敵を睨み付ける。

「『烈火激竜―――!!』」

そして、剣が振るわれた。

――ガオオオォォォォォォォ!!――

火竜らは吼えた。
己の主人らの噴き出すモノと同じ、金色と紺色にその身を鮮やかに染め上げながら。
長い身をしならせながら牙を剥き合う火竜らは次第に二重螺旋を描くようにして絡み合い、死闘を続けていく。
その最中に双方の尻尾が結びつき、金でも紺でもない緑色の魔導火として一つになろうとも、二匹の竜頭は吼えるのを止めない。

無論、彼らの元手である炎は今も尚、ロキとフォーカスの剣から供給されており、彼女たちもまた己の竜を勝たせようと懸命に烈火を送り込んでいる。

それによって激しさを増していく竜の功と功。
もはや防御など存在し得ない、どちらが先に噛み殺すかというだけの泥臭く荒々しい闘争。
しかし、互いが互いの首を噛み千切ろうとしたことで、火竜の体は竜頭に至るまで一つに結合し、完全な緑の魔導火に成り果て、爆散してしまったのである。

辺り一面が再び緑色の爆炎で満たされると今一度剣戟の音が場を支配すると思われた。
だが、今度はそうではなかった。
ロキとフォーカスは爆炎が晴れるまでその場で剣を構えるだけにとどめ、相手の出方を静かに窺っていた。

「…………」
『…………』

二人の騎士は剣を構えたまま喋ろうとしない。
まるで何かきっかけを待っているかのような印象さえ覚える程の不動ぶりである。

が、それも長くは続かない。

――ガラ……――

「『ッ―――!』」

ふと、闘技場のどこかで、爆炎の影響か建造物の一部が壊れ、その瓦礫が地面に落ちた音をゴングとし、剣戟が再開された。

――ギンッ!ギンッ!――
――ドガッ!――
――ブンッ!――

鋭い音を立てる刃と刃。
敵の胸に突き立てられる拳。
脇腹の僅かな隙を狙った足。

「ンッ……!」
『ハッ……!』

距離を離すこともなく、鍔迫り合いのまま口から嗚咽にも似た声音を漏らす。

「…………何故?」
『は……?』

と、唐突にロキが問いを投げかけた。

「何故、貴方ほど高潔な騎士が……」
『フ、高潔か。お前にはオレがそう見えているのか?』

高潔な騎士。
確かにこの男、上役の命には基本は忠実にして輪廻との戦いでも根拠を定めて情けを掛けるなどしている。
しかし、言われた当人はそれが皮肉に思えて仕方ないのか、その念を口調にまで表している。

『残念ながら、オレはそう褒められた輩ではない。一千年前から、ずっとな……』
「一千年?それはどういうことだ?」

今から十世紀も前に何があったというのか。
それほどまで久遠の時を過ごしたというこの男は何者なのか。
輪廻の頭の中は疑問という疑問で満ち満ちていく。

『言葉通りの意味だ。深くは語らん。否、語る訳にはいかんのだ』

フォーカスはその疑問に答えてはくれなかった。
それを教えるわけにいかないと、明確に言い表してまで。

だが、しかし―――



それこそ否だ(トメソトリアガ)語ってやれ(サカッケワメ)我が騎士よ(ヤザシチン)



―――その意志は、無情にも踏み躙られる。

おい何の真似だ(ロリアユオナエガ)!?今この時はオレの管轄のはずだぞ(リナソオコシバロメオサユサクオバヅガド)!!』

魔界語で語りかけてくる声が聞こえた瞬間、フォーカスは人が変わったように魔界語で怒鳴り返した。

貴様らの剣戟(シタナマオセユゼシ)興に入るに値する(ショルイリムイラカリツム)だが足りんのだ(ガザカミユオガ)
『…………何がだ(アイザガ)?』

二人の激闘を余興扱いした挙句、それでもなお上を求める傲岸不遜な暗君に、フォーカスは苛立ちを込めながら問い質す。
返事は問いの直後に返ってきた。

闇がだ(ワニザガ)

即答であった。
それ以外に何の言葉で以て返答するんだ、とでも言いたげな程に。

それと同時に、

「…………これは」

ロキの眼前に無音で出現した二つの物体。
それは”GOLDEN WOLF”という銘柄の煙草と魔導火のライターであった。

「デューク……」

彼が肌身離さず持ち歩いていた物品―――遺品が目の前に置かれていた。

奴の死に様も余興としては上等であった(ワクオチイダナノンショルコチケバヂョルコルゲラッカ)英雄王の宝具の群れに真正面から挑み(レリヲルロルオボルズオヌメイナチョルネコサマリゴニ)眼前にまで迫ったのだからな(ザユデユイナゲテナッカオガサマア)
「―――余興……?」

魔界語で語られた話の中で使用された単語をロキは復唱した。
言葉通りならば、彼は臆せず立ち向かったはずだ。
雨霰の中を突っ走った筈だ、傷だらけになりながらも只管前を向いた筈だ、そして最後の最期まで為すべきことを為したはずだ。

「それを、余興……?」

その余りに軽はずみな挑発は、

「―――貴様ぁっ!!」

女騎士の赫怒を叩き起こすには十分すぎた。

思いの外激情家だな(ロノリオボサゼシヂョルサガア)これでは話もできん(ソメゲババアチノゲシユ)
「黙れぇっ!!」

続く挑発に対し、名前に違わぬ絶叫を轟かせるロキ。
最早その頭にあるのは声の主を討つ、ということだけ。他のことなど全て些事と化していた。

それこそ、

話も出来んなら(バアチノゲシユアマ)真の獣と成り果てよ(ナソコオセノオコアミバケン)

黒幕の些細な小細工にも気づかぬほどに。

暗君(ラユスユ)何を(アイヨ)―――ッ!?』

フォーカスは大いに焦った。
自らの暗君が仕掛けた事を長年の経験で即座に見抜いたのだ。
しかし、当の暗君との会話はもはやこの場では成立しない。向こうから回線を切っている。

『おのれ、余計な真似を……!』

悪質なやり口で一対一の決闘を穢す行為に、フォーカスもまた怒り心頭の思いに駆られる。
だがそれも一時的なモノでしかない。
目の前には自分以上の憎悪で心を曇らせている女がいるのだから。

しかも厄介なことに、

『チッ、結界を解きおったか……』

この闘技場に張られていた結界はこの場を魔界の環境に近づけることで騎士の鎧から制限を失くす力があった。
その結界が消えたということは、狼姫の鎧は今こうしている間にも99.9秒という希少な時間を費やしていることになる。

『ロキ、まずは鎧を解け。特例として此処を一緒に出るぞ』
「…………な」

フォーカスは魔双刃を仕舞い、ロキとの決闘を中断して暗君に直談判を申し込むつもりでいた。
尤も、当の彼女の耳にその言葉は入っていない。
否、空気の震えとして鼓膜には伝わっていただろうが、脳がそれを認識していなかった。

それもその筈。

「ふざけるな―――ッ!!」

彼女の容量は、自分の声だけで溢れているのだから。

『(拙いッ)魔導輪、彼女を止めろ!』

フォーカスは輪廻が冷静さを完全に欠いた状態であることを察し、ヴァルンに呼びかけた。
長年相棒を務めている彼の言葉なら届く可能性を信じての判断だ。

『マ…………ヴ…………』

―――が、それも叶わなかった。
ヴァルンの口は堅く閉ざされており、猿轡でも噛まされているかのように発声が言語の意を為していない。
暗君は結界を解いただけではなく、ヴァルンの機能の一部さえも封印している。

『くっ、やむを得ん。実力行使だ!』

事態の重さを知り、フォーカスはロキ目がけて体当たりを仕掛けて強引に鎧を解除させる策を取った。
鎧は過剰なダメージを受けると自動的に解除されることがあることを熟知しているからこその手であった。
暗君の述べた、あの言葉を実現させないためにも。

「許さない」

その一言は余りにも冷え冷えとしていた。先程までの熱が嘘のようであった。
いや、これは熱が冷めたのではなく、振り切っているだけだ。
それと同時に、


――00.0――


何かが、壊れた。


――ギュル……ッ――


そして、不気味な摩擦音を立てながら、鎧の腹部にある紋章が180度回り”反転”した。
それは魔戒騎士にとって決して有ってはならない禁忌を如実に示していた。

(バカなッ!まだ余裕があった筈!?)

フォーカスが内心で狼狽した。
体当たりをしかけるはずが、その前に鎧の制限時間が限界に達してしまうなど想像の埒外。

(彼奴め、どこまで……!!)

疑う余地などありはしない。
あのバケモノなら、限定的ながら時間に干渉することさえ不可能ではないだろう。
しかし、今は自分まで心を怒りで濁らせる訳にはいかない。

――ザクッ――

見る見るうちにロキの纏う清浄なオーラが消え失せたかと思えば、彼女は無意識ながら断罪剣を手放してしまい、それは地面へと突き刺さる。

――グギッ――

超金属である筈の鎧から起こる筈のない音がした。
それも一度や二度ではない。

――バガッ――
――ズンッ――
――ドガッ――

鎧は音がするたびに肥大化と変形を繰り返した。
まずは胴体が巨大化したかと思えば、次は両腕がそれに見合うよう狂暴なまでに長く太く伸び、その先端たる五指には強靭な爪が形成される。
下半身もまた上半身ほどではないにせよ形状は禍々しく尖った人の物ではなくなり、鋭利な刃が付随した尻尾まで生え出す。

そして、その貌にもはや騎士としての神々しさは微塵も残ってはいなかった。

『牙ァァァァァアアアアアアアアアア!!!!』

そこにあったのは、ただ猛々しいだけのケダモノの貌であった。



――心滅獣身・狼姫――



『あ―――』

その変わり果てた姿にフォーカスは満足に声さえだすことができなかった。
違う、違うぞ。オレが見たかったのはそのような醜怪なる姿ではない。オレが聞きたかったのはそのような耳障りな絶叫ではない。

『牙アアアアアアアアアアアアア!!!!』

――バンッ!――

『ぐおぉっ!?』

その所為で周囲への反応が著しく遅れ、獣同然と化した狼姫の剛腕による一撃を喰らい、闘技場の壁に叩きつけられてしまった。

『ロ……キ……』

幸いにも背中からぶつかったので衝撃は上手くいなせたが、状況が回復するわけではない。寧ろ時と共に悪化していくだけだ。
狼姫は全身に黄金の魔導火を生じさせ自らに烈火炎装を施すと、特に勢いよく炎が燃え盛っている両手の鉤爪を大きくふりかぶり、

『鏖ォォォォォオオオオオ!!』

巨大な十の刃を以てして、獣は切り裂いて見せた。

『バカな……空間そのものを、切り開いたというのか……!?』

そのバカげた出来事にフォーカスは言葉が見当たらない。ただ状況をオウム返しするだけだ。
十の爪によって刻まれた空間の爪痕。それはまるで空を割ったかのように残り、闘技場が存在する異空間の外――大聖杯の間とを繋ぐ孔と化している。
狼姫はその孔を抉じ開けるべく、鉤爪を押し込んで広げようとしている。
その姿はさながら、目の前にぶらさがる餌の為に鉄格子の檻を破ろうとする猛獣そのものである。

『フォーカス……聞こえるか……?』

そんな凄惨たる状況下で、狼姫の左手からホラー剣士に呼びかける声が聞こえてきた。
紛れもなく魔導輪ヴァルンの声だ。どうやら主人の変貌と共に、彼にかけられた限定的な封印も解かれたらしい。

『狼姫の鎧を解除してくれ……』

とはいえ、その彼も一刻を争う状態だ。
ソウルメタルで構成された指輪としての器は、同じくソウルメタルで構成された鎧に吸収されようとしている。
魔導輪ゆえに逃げる事すらできぬ恐怖を必死に跳ね除け、彼はフォーカスに呼びかけ続けた。

『頼む、暴走を止めてくれ……っ』
『ヴァルン……』



――〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!――



響き、轟き、ちっぽけな世界を震わせる慟哭。
それは最早、言語などで表現することすら叶わない領域に達していく。
迷っている暇など一寸たりともない。闇に魂を喰わせたが最期、その騎士がどのような末路を辿るか、彼は一千年を越える生涯の中で幾度も見てきた。
その果てに待っているものは永遠に獣としての道を往くのか、それとも深淵の暗闇へと辿り着くのか。

『―――マスターが、鎧に喰われる……!』

言葉通りであった。
鎧の内部では今、輪廻の体には悍ましい紋様が頬にまで出張り、瞳の色は黄鉛に染まりつつある。
本来の静粛な空間はそこにはなく、あるのはただ大聖杯の前で待ち構える怨敵への怒りと憎しみ、そして殺意だけ。
それに呼応するかのように、内部の空間はどろどろとした情念を表すヘドロじみた色合いと化している。

『―――ッ!』

それを悟った瞬間、フォーカスは動いた。
背中のマントより現れし一振りの刃―――柄に埋め込まれた円形の結晶に妖しい光を灯した片刃の長剣。
月の満ち欠けを示す光と影を放ちながら、フォーカスは真の剣をしかと握りしめ、跳んだ。

『ハッ!』

跳んだ先は狼姫の背後。
狙い通りの場所に行った直後、彼は片足を思い切り薙ぎ、彼女の頭に跳び蹴りを見舞った。
これにより狼姫は邪魔者の存在を認識して身体を180度回し、その狂暴な貌をフォーカスに晒すやなや、

『退けぇっ!!』

――ガシッ!――

『ン……!』
『私は奴を斬るっ!』

巨大な五本の指がフォーカスの胴体を掴み、強烈な圧力をかけて彼の体を鎧ごしに押し潰そうとしている。
今まで叫ぶだけだった口から負の念が込められた言の葉。

『闇に、魂を喰わせるな……!』
『今の私ではこうするしかないんだ!!』

――ガジィッ!!――

『亜あああああ!!』

説得は意味を為さない。寧ろ油に火を注いだに等しい。
さらに増していく握力と圧力。フォーカスもこれには苦痛の声を滲み出さざるを得ない。
だがこの程度の痛みに屈することなどありえなかった。この千年の間、味わい続けてきた魂の痛みと比較すれば……!

『一度背負ったのなら、その称号……最期まで貫き通せ!』

その叱咤と共に、これだけはと拘束から逃れていた右手に握られていた月光剣を狼姫の眼前に翳す。
柄に収められた結晶はまるで鏡のように今の狼姫の姿を偽りなく映し出している。

『……ッ』
『お前は誉れ高き紅蓮騎士!聖朱雀の貴き名を受け継ぐ者だ!』

放たれた指摘。
狼姫は僅かな間沈黙し、フォーカスもまた沈黙した。

聖朱雀。それは一千年前、この現世で初めて魔戒剣を執り、紅蓮騎士・狼姫の鎧と称号を得たとされる史上初の女魔戒騎士。
言うまでもないが、輪廻と雷火の遠い祖先に当たる大人物である。

その名を耳にして彼女の心境に変化が現れたのか、あれほど強く握りしめられていた手がその力を緩めたのだ。
フォーカスはその瞬間、痛ましい刃の檻から逃れ出ると同時に掛け声も高らかに、

――ッバ……!――

月光剣の切っ先を鎧の紋章に深く深く突き刺したのだ。

『ンォッ……!』

短い痛みの叫びが狼姫から漏れる。
剣が紋章から抜かれると、心滅獣身と化した鎧が赤い光を帯び、全身の力を出し切ったかのように一気に鎧が解除された。
闇に侵された空間から放り出された輪廻は獣から人へと戻り、地面へと身を横たえていた。

『はあ……はあ……』

フォーカスはその様子を見届け、その辺にある壁に凭れ掛って息を整えていた。

『フォーカスよ、感謝する。下手に手間取れば、本当に鎧に喰い尽くされるところであった』

事務的に感謝の意を告げるヴァルン。
しかし、その口調からは抑えようとしても抑えきれない感情の津波があることをフォーカスは聞き逃さなかった。

「…………ごめんなさい」

その重苦しい空気の中、輪廻が横になったまま粛々と謝罪を述べた。

「私はあの時、どうしても許せなかった。騎士の戦いを穢した言葉を、それを吐いた輩を」

輪廻はゆっくりと立ち上がり、少し歩いてデュークの遺品を拾い集めた。
両の掌に収まったタバコとライターを見据えながら輪廻が続ける。

「奴の口を永遠に黙らせることができるなら、この体がどうなろうと構わないとさえ思った。でも―――」

ほんの僅かに言葉を濁しつつ、輪廻は意を決したように胸の内を全て曝け出した。

「それこそが私の陰我だった。……そんな私の闇を、フォーカス、貴方が照らしてくれた」

輪廻は思い返す。
陰我とは森羅万象に宿る物。
故にホラーは滅びない。人がこの世にいる限り。
それでも尚、自分たちは光でなければならないと。目の前にいる彼が教えてくれたのだから。

「ありがとう」
『……一つ、言っておく』

飾る事のない感謝の言葉。
素直な一言を受け、フォーカスは地面に突き刺さる断罪剣に向かいつつ、輪廻の瞳に視線を向けて言い放った。

『朱雀は如何なる時でも輝いていた。騎士としても、人間としてもだ。その志は色褪せることなく血と共に伝わっている。―――それだけは忘れるな』
「はい」

遠い久遠の過去を望郷しつつ、フォーカスは初代ロキの勇姿を今代ロキに伝えた。
輪廻は自分では計り知れない偉大な教えを伝えてきたかつての英霊たちと、目の前の騎士の敬意を表しつつ簡潔ながら芯のある声で誓った。
フォーカスはその誓いに嘘偽りがないことを悟り、抜いた断罪剣を輪廻に手渡す。

『先程も言ったが、特例として此処を出る。いいな』
「構わないわ。だけど、貴方は……」
『関係ない。事ここに至って、奴のあの暴挙振り……もはやオレはあの暗君を主君とする必要はないという暗示だ』

拳を強く握りしめながら静かにフォーカスは語った。
その動と静が入り混じった姿に、輪廻は同じ騎士として彼の憤怒を本能的に悟った。

そして、

『共に往こう。オレ達の使命を果たす為に』
「えぇ、そうね。私達、守りし者の使命の為に」

悟ったのは憤怒だけに非ず。言葉が無くとも十全に伝わった。
彼の本当の姿を。彼の本当の在り方を。
二人は互いの剣を抜き、刃を交差させて述べあげる。

『我がかつての名は月光騎士・牙武(ガム)。今一度だけ、御身らの光とならん』
「我が称号は紅蓮騎士・狼姫(ロキ)。誇り高き同胞よ、貴方の誓いを信じます」




次回予告

ヴァルン
『全ての命は子を残す。己の血を絶やさぬために。
 魔戒騎士はその血と共に此の世を守り続けるだろう。
 次回”紫電”―――継がれるのは血だけではないがな』



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作家さんへの感想は掲示板のほうへ♪

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.