1991年 初夏 帝国軍技術廠
乱雑に書類が積まれた小塚三郎技術大尉の執務室。
響き渡るのは、書類を滑るペン先の音、そして決裁書類に承認印を押す音だけ。
常人ではとてもでもないが捌ききれない書類の山をあっという間に片付けていく小塚の前に、うずたかく積まれた書類は残すところ最後の一枚きりとなった。
「耀光計画についての報告書か…」
手元の端末を操作すると、耀光計画に関する報告書の詳細、戦術機の技術情報の一覧がディスプレイに浮かび上がる。
キーボードを手慣れた仕草で操作し、さまざま技術情報、そして計画の概略などをチェックしていくが、その速度が半端ではない。
莫大な量の情報を確認した後、彼は書類にサインをし、印鑑を押した。これで今日の書類仕事は完了だ。
本来なら丸一日潰しても難しい仕事を小塚は二時間程度で終わらせていた。これは去年、立花隆也からもたらされた不思議な能力のおかげだ。
彼曰く、
「集中力が増して、なおかつ頭の回転が驚くほど速くなる魔法の処置です。代償は小塚技術大尉の経験のみ。今ならセットでたったの6000です。どうですか?」
「いや、なにがなにやら分からないのだが?」
「いえ、衛士訓練学科のカリキュラム変更で、お手数をお掛けしたそのお礼です。とはいえ、これがあるとないとでは、作業の能率がずいぶん違ってきますが、どうです?」
「ほう、そういうことなら話を聞いてもいいかな」
「ええ、では、かくかくしかしかまるまるうまうま」
隆也の口から語られるのは、思考制御と高速思考に関する説明。思考制御による集中力の底上げおよび集中をON、OFFを任意で行えるようになること、思考高速化により思考速度を格段に高速化することができること。
それを語るのが他の人間であれば何かうさんくさい能力開発系セミナーのお誘いか、それとも脳外科での脳改造を疑うところだが、相手が相手だ。小塚は大いに興味をそそられ、その口車にのって、以上の二つの特殊技能を取得することになった。
その結果が、今の彼である。
「以前であれば一日かかっていた書類仕事が、たったの2時間で完了か、彼には感謝の念が尽きないが、どうせならもう少し早くからこの力が欲しかったな」
それにしても立花隆也、ますます彼には謎が増えてしまった。何せ、他人にこのような能力を付与できるのだ。およそ人間離れしているとは思っていたが、まさか本当に人間を止めているような能力を持っているとは夢にも思っていなかった。
この件を下手に漏らすと、彼は間違いなく帝国軍の特殊能力開発セクションに拉致られてしまうだろう。日本帝国民に眠る、普段なら開花されることなく朽ちていく能力を開発する、その名目の上で行われる研究と実験はそれなりに過酷なものらしい。
大戦以前は本当に非人道的な実験が行われていたらしいが、今では定期的に査察も入り以前ほどの闇はなくなったが、それでも決して表舞台に出ることがないセクションだ。やっていることは推して知るべしだ。
もっとも、小塚は知らないが、隆也はこのセクションの存在をすでに知っており、過去の歴史も含めてそのあり方に憤慨して、裏で暗躍しほぼ無害化している。今では効率の良い教育方法の開発機関に成り下がっていたりする。ちなみにこれは、将来的にマブレンジャーたちが目をつけられたことを考量した場合の対処も込みでの判断である。
「それにしても耀光計画、彼のアイデアがのおかげで、拡張性、発展性は十分に確保されているようだな。この機体なら、改修を重ねればかなりの耐用年数を誇る良機となるだろ」
小塚と隆也が一番懸念していた拡張性と発展性の余地のなさについては、隆也からの技術提供、および基礎構造の変更案を耀光計画が受諾したことで解決した。このまま行けば、世界初の第三世代にして、名機と呼ばれる地位を確立するのは確実だろう。
そんな思いにふけっていた小塚を、内線のコール音が現実に引き戻す。
「小塚だ」
いつもの口調で応じる小塚に、内線は受付からのもので来客を告げるものだった。
この来客が、ここ最近の小塚の一番の懸案事項であることは、彼とそれを取り巻くごく少数の人間のみが知ることころだ。
「分かった。第四応接室を押さえてある。そちらに案内してくれ。私も、すぐにそちらにむかう」
端末の中に厳重に管理されたファイル群の中でも、特に厳重にプロテクトをかけているファイルを開くと、ざっと内容を確認する。
すでに何度も目を通しているため、詳細を確認する必要もないはずなのだが、相手が相手だが。念には念を入れておくに越したことはない。
そのファイルにはこう書かれていた。神宮寺まりも衛士訓練生の資料、と。
まりもは緊張していた。それはもうひどく緊張していた。
衛士訓練学科の入学試験なんて比じゃないくらい緊張していた。
なにせ以前に、女の勘に従うままに一方的に予定のキャンセルを入れる等という無礼を働いたのだ。しかも、日本帝国の誇る英雄の一人に数えられる小塚技術大尉に対してだ。
その相手との初めての顔合わせだ。緊張するなという方が無理な注文というものだ。
目の前のテーブルに置かれた高級緑茶には、当然一口も口をつけていない。折角のおいしそうなお茶請けのお菓子も当然置かれたときのままだ。
そもそも、自分風情の一介の訓練兵がいて良い場所ではないのだ。
日本帝国の中でも心臓部である帝都城を含む一画、その中でも群を抜いて高いセキュリティを誇る帝国技術廠。しかもその開発局の中枢部である建物にいるなんて、心臓に悪いにもほどがある。
ちなみに駅まで送ってくれた隆也は、サムズアップして、
「まりもん、ガンバ!」
などと、呑気にのたまっていた。
途中まで送ってくれた夕呼は、
「まりも、骨は拾ってあげるからね」
などと、悲壮な顔つきで言ってきた。まあ、まりもを不安がらせるための芝居なのだが。
まりもの緊張が最高潮に達しようとしたとき、応接間のドアがノックされた。
「は、はひ!?」
座っていたソファから飛び上がりながら、裏返った声がまりも口からこぼれる。
そんなもまりもの様子など知らずに、返事を確認した相手がドアを開けて入ってくる。
年の頃は30代前半、柔和そうな表情を浮かべているが、その目には一本芯が通っている人間特有の意志が宿っている。
小塚三郎と神宮司まりも、BETA大戦を語る上で決して避けることの出来ない二人の出会いの瞬間だった。
「では、ハイヴデータVer.R.Tの難易度最上級を開始する。機体は撃震弐型高機動改修式、目標設定は単騎での反応炉到達、なにか問題は?」
帝国技術廠のシミュレータールームの制御室。小塚は手元のコンソールにある内容を読み上げて、最終確認をとる。
馬鹿げている設定である。ハイヴデータVer.R.Tとは、とある人物、みなまでいわずとも分かるであろうが、からもたらされたハイヴのマップデータだ。
ヴォールクデータよりも遥かに緻密で、詳細なこのシミュレーターデータは最高機密レベルに位置し、このデータでの演習を行えるのはごく限られた精鋭部隊のみだ。
そんな最精鋭の部隊でさえ、大隊規模で中級難易度の中層止まりが最高成績である。
「ありません、バイタルデータよし、機体状態よし、神宮司まりも訓練生、コードネームフライヤー1、準備完了です」
まりもは自分のバイタルデータを確認し、機体の状態にも不備がないことを確認する。教本通りの発進シーケンスチェックだ。ちなみにパーソナルバイタルデータなどについては、小さなデータチップにバックアップされており、それを使うことで異なった衛士強化装備、機体での運用が可能となっている。この発案は、立花隆也がおこなったもので、管制ユニット、衛士強化装備の両方にそれぞれデータチップを搭載することで、機体を捨てざるを得ない状況でも、衛士強化装備から、衛士強化装備が何らかの原因で破損しても、管制ユニットから、それぞれデータの収集が可能と言うことから実装されている。
逆に言えば、このデータチップさえあればパーソナルデータはいつでもどの戦況でも使用できるのである。
「よし、それではシミュレーションを開始する」
小塚の指がシミュレーターの開始を指示するボタンに触れる。
「了解、これよりシミュレーションを開始します」
瞬間、まりもの眼前にハイヴの景色が広がる。
立花隆也御用達のオリジナルハイヴのデータであるが、それを彼女が知ることはない。
「八十九式36mm突撃砲2、八十九式近接日本刀2、短刀4。装備は十分ね。これより作戦行動開始、敵拠点の破壊を行います」
まりもは自機のステータスを確認しながら何の気負いもなくそう告げた。撃震弐型高機動改修式、これは隆也が整備学科の仲間達とおふざけで作り上げた高機動型の撃震弐型である。
その性能については、すごいのはすごいのだが、いかんせんおふざけで作った物だ。当然機体に掛かる負荷や、衛士への耐G機構など考えてもいない。
隆也にしても、そのへんはまったく触れずに、若い整備士達の独創性を尊重した結果だったのだが、いかんせん出来上がったのはとんでもない化け物だった。
悪のりして、技術提供した隆也も悪いと言えば悪いのだが。
そんなふざけた機体だ。当然誰も手に負えないと思ったのだが、たった一人だけそれを御し得る身体能力と操縦技能を持つ人物がいた。
言うまでもなく、神宮司まりも、その人である。
それに歓喜した整備学科の訓練生からまりもが絶大な支持を得て、それに隆也がジェラシーを感じるのだが、それはまた別の話である。
そのため、小塚も撃震弐型高機動改修式の存在をまりもに説明されるまで知らなかったのだが、そこは仮にも技術大尉である。すぐに機体の特性と欠点を把握し、それを問題なく扱えるまりもを興味深げなまなざしで見たものだった。
「主飛翔機構起動、吶喊!」
いきなりだった。
ハイヴ攻略データ起動後1分も立たないうちに、まりもは戦術機を飛行させた。従来の戦術機にはない、特殊ユニット。飛翔ユニットを起動させ、空を翔る。
BETAのいる戦域での飛行は厳禁である。だがその制約はハイヴ内という特殊な状況になると全く違ってくる。絶対の制空権を誇る光線級は、ハイヴ内ではレーザー照射を行わないのだ。
だからといって、今までさんざん飛行に対する禁忌を刻み込まれた衛士が簡単に空を飛べるか、というと、心理的になかなか難しく、それを出来るようになるまではそれ相応の訓練期間が必要となってくる。
訓練生だからと言う未熟さ故か、まりもはなんの気負いもなく戦術機を飛翔させる。
「ポイント1、通過。偽装縦穴検知、回避、BETA近接、36mmにて排除」
小塚が分析している側から、まりもの機体はめまぐるしくハイヴ内を駆け回る。その間、一度も着地はしていない。
普通の戦域官なら目を回してもおかしくない進行速度だ。
「フライヤー1、主飛翔機構、推進剤が50%をきったぞ」
小塚の指摘が飛ぶ。返ってきた答えは単純明快だった。
「フライヤー1了解、推進剤があるうちに距離を稼ぎます。リミッター1解除」
一気に速度を上げる撃震弐型。ハイヴ上部から降り注ぐ戦車級は、その体当たりで粉砕されてしまう。
「推進剤完全消費まであと、10秒。着地地点の確保を行います」
てきぱきと機体状況を読み上げながら、減速、着地点に群がるBETAの掃討を行うまりもを、小塚は呆然と見つめていた。
ここまで来るのにわずか10分、その時間で彼女はハイヴの地下構造の中層まで到達していたのである。
言葉で言うのは簡単だ。空を飛んでハイヴの中層部まで到達する。だが、それを実際に行える衛士が果たしているかどうか。
複雑に入り乱れる経路、コンマ一秒進路変更が遅れただけで壁に激突してしまう恐怖、絶え間なく上空から降り注いでくるBETAども。
そんな中で平然とこれだけの吶喊をやってのける神宮司まりも。とてもではないが訓練生の枠内では収まらない技量と度胸である。
「着地地点確保完了。飛翔ユニットパージ、以降、跳躍ユニットを使っての、進行に切り替えます」
小塚の驚きも知らずに、まりもは淡々と戦況を読み上げ、ハイヴの攻略を再開する。
ここでもまりもは従来の戦術とは違った行動を行う。
つまり、BETAの殲滅による進路の確保ではなく、跳躍ユニットを駆使してのジャンプ移動で、極力BETAとの戦闘を避けた移動を行っているのだ。
攻撃は、着地地点を確保するために36mmをばらまく程度。着地した後は、長刀を駆使ししてBETAを駆逐しつつ、次の跳躍地点の見極める。そして、最適な着地点を見つけると、すぐさま跳躍を実行する。
まるでぴょんぴょんと飛び跳ねているだけのように見えるが、そのへんにいる衛士がこれを実行しようとしても無理だろう。
まず、着地した時点で迫り来るBETAの圧力で押しつぶされるのが目に見えている。そのためにまりもは最適な着地地点を探し、かつ着地前に36mmでの掃討を行っているのだ。
そんな神業的な進行が20分程度続いたあと、まりもはついに単騎でハイヴの下層まで到着した。
「36mm予備マガジン1、近接長刀残り1、短刀残り1。推進剤残り30%」
まりもがいるのは大広間。以前隆也が門級BETAに遭遇した場所だ。
そこには無数のBETAが犇めいている。
隔壁型BETAとも言える門級BETAだが、これも隆也がもたらした情報にしか存在しない極秘中の極秘情報だ。
「前方に隔壁に擬態したBETAを発見、現有兵器での駆逐は困難と判断。M01爆弾での破壊を具申します」
「こちら指揮所。反応炉の破壊が不可能になるがどうするのだ?」
「ここまでの道中のハイヴ内のマッピングは出来ました。この場は、隔壁に擬態したBETAを破壊し、いけるところまで行きます。そのあと撤退し、情報を本部に持ち帰ります」
「わかった。M01爆弾の使用を許可する」
「はっ、ありがとうございます」
有象無象のBETAどもがいる大広間を、先ほどの要領の八艘飛びでやりすごし門級BETAの破壊を確認。
その後小広間を挟んだ先に同様の門級BETAの存在を確認した時点で、まりもは任務の遂行を断念。帰還を行う。
「副飛翔機構起動。これより帰還します」
主飛翔機構よりも小降りながらも、十分な飛行時間と距離をたたき出す機関に火を入れ、まりもは悠々とハイヴ内を後にした。
要するにまりもは帰還を考えて、本来正副両方ある飛翔ユニットのうち副の方を温存していたのだ。
それは普段の衛士には考えられない行動。ハイヴの攻略部隊である彼らは、反応炉の破壊こそを最上の命題とする。その後の帰還など考えもしないだろう。
だがまりもは違った。彼女は、生きて帰って初めて任務完了だとう考えていたのだ。
「こちら指揮所、状況の終了を確認。これにてシミュレーションを終了する」
小塚の口からため息が漏れた。よかった、今この場に居るのが彼一人だけで。
他の人間が見ていたらどれだけ度肝を抜かれたことか。
他の衛士が見ていたらどれだけ自信を喪失したことか。
立花隆也が推薦した人物は、まさに彼を習うかのごとく規格外の人物だった。
のちにこの攻略データはハイヴまりもんデータとして、ハイヴ攻略を行う際のお手本として採用されたとか。
当然、本人のまりもの承諾などは得ないままでだが。
なお、この際にまりもが問題点としてあげた幾つかの機能が、後に戦術機用OSに搭載されることになる。
一つ、
「間接思考とは言え、同じことを何度も考えるのは正直辛いですね。ゲシュタルト崩壊を起こしそうになってしまいます」
とのことから同一動作補助機能(コンボ機能)が。
「将棋とかだと同時に並行して幾つかの手を考えていきますよね。それと同じことも戦術機の操縦でも言えるんです。ですので、数手先の行動を予約行動として入力しておいて、不要になれば破棄するような機能があれば、ずいぶんと助かるんですけど」
とのことから予約行動機能(先行入力機能)が。
これらの機能については、隆也があらかじめCPUユニットにマージンを取っていたおかげで、そのままOSの換装のみで搭載可能となり、人類の刃たる戦術機がさらに研ぎ澄まされることになった。
むろん、それはもう少し先の話ではある。