Release 0シルフェニアRiverside Hole

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■117 / 5階層)  「Β 静かな日々」D
□投稿者/ 犬 -(2005/01/08(Sat) 17:59:00)



    ◇――Erzahlerの章――◇





    鬱蒼とした森の中、ヘイムダル州のビフロスト中央魔法学院11年生の各チームはフラッグを抱えて進んでいた。
    暗くはないが明るくもなく、足場は悪く見通しは悪い。

    その中を1列に並んでエーテルの高い者は前後衛に、エーテルが低く制御能力の高い者は中にて支援の役割で並んでいる。
    5人各々に役割を振り分け、フォローし合うのがマーカス教授の教えだ。

    「必ずしもエーテルの高い奴が、こと作戦において有用とは限らない」

    実際にマーカス教授の意図の内外で、エーテルに逆比例する傾向にある制御能力に秀でた者が役立つ場面がある。
    魔法に関するトラップやエーテルの感知や治療など、やはり多少は個人の資質に因るがそれらは多岐に渡る。
    そう、たとえ実戦に不向きだろうと、それが作戦中ならば必ずしも不向きになるわけではないのだ。
    また、例えエーテルも制御能力も中途半端だったりダメであっても、必ず何かしらの戦い方を見出せる。

    「使える使えないは当人と周囲次第。使えんと思って捨てようとするヤツから切り捨てろ」

    大事なのはチームワーク。単体ではダメでもチームとしては有用になりうる。
    そもそも、学院の人間は各自何かしらに秀でている者達ばかり。今さら戦闘に怖気づくはずも無ければ、役に立たないはずも無い。





    「今回はやけに静かだな………」

    2組の第3チームの1人がつぶやいた。
    チームの隊長扱いらしく、5人分のフラッグを預かっている。

    「確かに。フラッグを回収してからこっち、襲われることも無かったもんな」

    「それに、この付近で戦闘が起きた形跡も、起きてる感じもしない」

    「今回はみんな待伏せをやめて回収に回ったんじゃねーか?」

    「まぁ有りえなくはないよね。最初の演習なんだから、手堅く行くのは常套だろうし」

    「いや、油断するな」

    隊長が言い放つ。

    「喋るのももう止めだ。これだけ静かだと声が良く通る。―――後は帰るだけ、最後まで油断せずに―――」

    「そーそー。油断は禁物だぜェ?」

    「ッ!?」

    知らぬ声に、第3チームの面々は即座に身構える。
    そして注意深く、声のした辺りを見据える。

    「はぁ、やっと見つけたぜ、ハズレの男ばっかのチーム。女の子のチームなら5分で3つ見つけたんだけどなー」

    チームの見据える先、そこには金髪の軽装の男がいた。
    軽い笑みを浮かべ、武器はなく、大げさな身振りで1人ゆっくりと歩いている。

    「でもオレ女の子に手を上げようとすると、なぜかこう、胸の方にわきわきと手が行っちまうし。困ったもんだ」

    空中で何かを揉みながら、うむ、と金髪の男はうなずく。
    隊長は直感的に、バカか、と思ったが侮るのは危険なのでバカの言葉を奥底に押し留める。

    「いや、しかし見つからねー理由が分かったぜ」

    金髪の男は立ち止まり、挑発的に、見下しきったような瞳で言う。

    「華やかさが無い。目立たねーから見つけられない。隠密行動ったって地味すぎだろぉよオイ?」

    「……………」

    チームの面々は罵倒に耳を貸す事無く金髪の男を見据え、仲間がいないかの周囲を警戒する。

    「オイオイ、仲間はいねーよ、オレ1人だって。我がチームのお姫様達は騎士の帰還を待ち侘びてるんだからな」

    「……………」

    チームの誰1人も耳を貸さず、警戒を崩さない。さらに。既に即座に魔法を放てるように、エーテルを練り上げてある。
    金髪の男がおかしな動きをすれば、即座に射貫ける構えだ。
    しかしそれを見た金髪の男は、先程の見下すような態度から一転し、感心したようにうなずく。

    「なーる。流石はビフロスト最高学府だな、16歳で優秀じゃねーか。それなら、他所の国ならソッコーで優秀な部隊に配属されるぜ」

    金髪の男は両腕を広げながら、まるで丸腰であることを誇張するように、ゆっくりと近寄っていく。
    その様子に、隊長は眉をひそめる。

    「動くな。警告だ、後5歩近づけば撃つ」

    「ん? 5歩? っとっと、あっれー? 今何歩歩いたっけなー? なぁ、4歩まであといくつだ?」

    「マイナス1だ」

    「ありゃ。ってーと警戒ラインオーバー?」

    「当然ッ!」

    隊長は右手に水塊を集約させ、一気に撃ち出す。
    鉄の硬度と亜音速に至る速度を併せ持った破壊力を持つ水弾は、一直線に金髪が覆う額に直撃した。

    「――――」

    発射より先に着弾を確認することになった青年の頭は、後ろに大きく跳ね飛び、たたらを踏む間も無く勢いよく倒れ込んだ。

    「……………」

    隊長は倒れた男から目を離さない。
    そして確認する。
    今のは自分自身の最強の技、竜の瘡蓋も身体強化も無しなら致死の威力だ。
    そして、強化を行っていた気配はなく、如何に竜の瘡蓋の阻害と保護があっても、今のものなら確実に気絶しただろう。
    なにせ自分は、この高圧水弾の魔法でビフロスト中央魔法学院への入学を果たしたのだ。
    この魔法だけは努力と鍛錬に研鑽と工夫と応用を重ね、連射こそ出来ないがその威力には絶対の自信を持つに至っている。他の誰にも劣る筈はない。
    隊長は仲間に声をかける。

    「仲間の気配はあるか?」

    「………いや、無いな。どうやらこのバカ、本当に1人らしい」

    「そうか…………ただのバカか」

    隊長はため息をつく。
    無駄にエーテルを消費してしまった。
    攻撃する時は最大の火力でやるのが定石とはいえ、バカには勿体無かった。
    しかも、気絶したなら後の処置が面倒だ。発炎筒を設置してジャレッド・マーカス教授に位置を知らせないといけない。
    待伏せ派の他チームに位置を知らせてしまうし、かなりの時間のロスだ。
    こんなバカ相手なら気絶させずとも―――いや、まだだ。

    「――――確認する。まだ警戒を解くなよ」

    隊長は慎重に、昏倒した男に右手を向けながら、ゆっくりと近づいていく。
    そして、男まであと1メートルの距離に至った時に、声がした。

    「―――ったく、ほんとーに優秀だなー。普通油断するだろ、このバアイ。………つーか効いたぜ、なんて威力だよクソッタレ」

    金髪の男はのそりと起き上がる。
    そして、ゆっくりと立ち上がり、敵チームを見据える。

    「しっかしハズレだとは思っていたが、マジで大ハズレだな。お前ホントに16かよ? 賞賛に値するぜ、軍入りしたら将校は確実だな」

    隊長は既に退いて、距離を取っている。落ち着いた行動だ。が、驚愕の表情が伺える。
    だがしかし、それでこそ優秀だ。

    「敵を倒した確信があって、なお警戒を解かず確認する。優秀なのはマーカス教授なのか、お前らなのか、それともビフロストの民か」

    金髪の男は心底感心したように、うなずく。

    「それともその全てか」

    「…………なぜだ?」

    隊長は右手を向ける。

    「本来聞いてはいけないのは分かっているが、後学の為に聞いておきたい。なぜだ? なぜ耐えられた?」

    「オイオイ。なぜも何も、単純なことだぜ?」

    金髪の男は、笑う。
    そして、腰のベルトに収まっていた刃渡り数センチほどの小さな刃物を取り出して額にあてがい、眉間を通ってナナメに切り裂く。

    「つまり――――」

    そして血を振り払って刃物を収め、今度は指先でゆっくりと血の滴る傷をなぞる。
    蛍のような光の灯った指先がなぞると、傷口は跡形もなく消えていた。

    「――――こーゆーことさ。治療のスペシャリスト、7組第7チームのルスラン・ヴィグム・ゴールドマン。この名を覚えて、知っとけ」

    ルスランは左右両手の指の間に、先ほどの刃物をいくつも挟み込み持ち、不敵に笑う。

    「お前らは。オレを。倒せねーってことをな」

    「――――ハ。その真偽は実証してもらうぞ! 全員あのバカを狙えーーー!!」

    ルスランの身体に幾つもの魔法が直撃する。
    だがルスランはそれを意に介さず、即座に負傷した傷を治癒して敵チームへと突っ込んでいく。
    そして、叫ぶ。

    「ム。っのコノヤロー、どいっつもこいつも人様をバカ扱いしやがってーーーー!!」





    ◇ ◇ ◇ ◇






    「はぁ……はぁ……はぁ、はぁ………」

    息が上がる。
    左腕が、左肩が痛む。

    「………また、やっちゃった」

    フラッグは10本を回収済み。
    目標時間まであと10数分。上々だ。
    ―――だが、やってしまった。
    左肩から腕が使い物になりそうもない。

    「ダメだな、あたし…………」

    自嘲してしまう。
    弓の射手を意味する姓のアーチャー家が代々伝えるのは、大量に隠し持った飛び道具、暗器によって敵を圧倒すること。
    それはエーテル制御技術、接近戦の不得手な自分に向いた技。こんなあたしにも才能があった技だ。
    さらには媒介技術の発達によって、今までより容易かつ大量に持ち運び出来るようになったし、回収も楽になっている。
    ―――古に編み出された名家の技は、技術の進歩と共に廃れていく。
    だがアーチャー家の技はその真逆、昔は暗殺などの日陰の業しか為せなかったが時代と共に更なる進化を遂げた、今では立派に戦える技なのだ。
    そのアーチャー家の娘が。積年日陰にあり、ようやく日向に出てこられた、アーチャー家の跡取りが。
    このザマとは何事だ。

    「…………うぅ」

    樹に背を預け、荒い息を整えながら左肩に手を当てて治療に入る。
    自分の技術では治りは遅く、完全に回復とまでは行かないが、使い物になるくらいには何とか回復できるはず。
    ―――情けない話。
    定石通り遠距離からの奇襲をかけながら、今一歩決定打が足らず1人倒し損ね、接近されて一撃を加えられた。
    相手は格下だった。5人ではあったが、数の差などアーチャーの技の前では無価値だ。
    自分の技術も、両親には未だ及ばないがアーチャーの名に恥じない腕前だと認められている。
    だが、一撃を入れられた。それも、奇襲の上に距離もあったにも関わらず、詰め寄られて殴打されるというアーチャーとして最も恥ずべき方法で。
    そう、何が情けないかって、そうなった責は相手が自分より上手だったのではなく、自分の技術が足らなかったのでもなく。
    止めを刺す事が出来なかった、自分の弱い心にあったことだ。

    情けない。あまりに情けない。
    こんなの優しいなんてことはない。弱いだけだ。本当に情けない。
    これじゃあ、アーチャー家の娘とかそういうのどころか。
    守りたいモノ1つ、守ることさえ出来ないではないか。

    家族、友達、大事な人、好きな人、いつか自分のお腹に宿るだろうちいさな命。
    この演習ではその理由は薄いけれど。
    相手を傷付ける可能性が低い模擬実戦で出来なくて、本当に守るべき時に守る事が出来るのか。

    「――――くッ!」

    左肩を動かすと強い痛みが走った。伴うのは少々の吐き気と熱、骨に異常があるのかもしれない。
    いや、でも大丈夫、ちゃんと動くようになった。
    この程度の痛みなら支障はない。

    「行かなくちゃ。まだ5本残ってる…………」

    ―――ずっと昔。あたしは一度、声を失った。
    大好きだった歌も歌えなくなって、口数が多いわけではなかったけれど好きだったおしゃべりも出来なくなって。
    今まであった世界が、何かも崩れ去ってしまった気がして。
    孤児院育ちだったあたしは、歌うことで生きてきたというのに、そうなっては生きていけなくなった。

    あたしはその後、アーチャーの家に養女として迎えられた。
    子どもが出来なかったからだろう、アーチャーの家は血の繋がらないあたしを愛してくれた。
    声も出せず落ち込んでいた自分を、アーチャー家の跡取りとしてではなく、1人の愛娘として。
    それは本当に、親の顔も知らず、声すら失ったあたしを、どれだけ救ったことだろうか。

    そして4年前のあの冬の夜、あの人はあたしの声を取り戻してくれた。
    お父さんもお母さんも、みんな喜んでくれた。それは、もしかしたらあたし自身よりと思うくらいに。
    あたしはアーチャーの家が好きだ。そこにいる人達が好きだ。あたしの声を取り戻してくれた、大事な人の事が大好き。
    アーチャー家の娘として在りたいし、あたしを愛してくれた家族や、あの人のことを守りたい。
    だからあたしは、その人の為にも、家族の為にも、自分自身の為にも、あたしは――――


    「――――見つけた」

    敵は4人。男の子と女の子の混成チーム。
    距離はあるけど、顔つきが視認出来る距離。あっちもあたしに気づいている。

    「Cecilia Mira Windis? ―――ああ、あの有名なエインフェリアの歌姫か」

    女の子はあたしを知っているのか、男の子にあたしの素性を話し、男の子はあたしをそう呼んだ。
    違う。あたしはもう王国の歌い手だったチェチリア・ミラ・ウィンディスじゃない。
    声を失い、アーチャーの家で愛された時から、あたしは。

    「違いますよ。あたしはチェチリア・ミラ・ウインディスじゃありません。覚えておいてください、あたしは」

    あたしは名乗る。
    アーチャー家の代々の長女が襲名する名。
    かつてお母さんもおばあちゃんも名乗っていた名前。
    今のあたしがあたしである証明。
    あたしが誇りに思うその名。

    あたしは炎弾を19、水弾を11、土弾を17、投げナイフを13の計60約5%の飛び道具を即時展開。
    あたしがあたしである、その名を名乗る。

    「あたしは―――アデル・アーチャー。アーチャー家の娘ですッ!!」






    ◇ ◇ ◇ ◇




    「やッ!!」

    「ぅあッ!?」

    渾身の力を込めた掌底が、相手の腹に入る。
    強化を込めたその威力は、自分より重い相手を数メートル吹っ飛ばせ、樹に激突させた。

    「………ふぅ」

    全員行動不能にしたのを確認し、構えを解く。
    そして額の汗を拭き、軽く息をつく。

    「またハズレかぁ………」

    このチームはなかなか手強かった。
    実戦向きタイプは少なかったが、連携が取れてて隙がなく、決定打を与えにくかった。
    しかも、向こうから奇襲をかけてくるなんて。気づくのが遅れたら危なかったかもしれない。

    「フラッグ、もらってくよ。ごめん、もう一回取りに行ってね」

    抵抗出来なくなった相手から、フラッグを回収していく。
    奪取されたチームはもう一度設置ポイントまで戻らなくてはならない。
    そしてそれは、帰還ポイントまでフラッグを持って来るまで何度でもやらされる。
    わたし達の目標は学院に帰って着替えて帰るまでを含めて3時までだが、運と実力の足らないチームは日暮れまでかかる。

    「でも、これでやっと9本目。残りあと10分ちょい。戻る時間を考えるとちょーっち厳しいかな………」

    フラッグを回収し終わり、周囲の気配を探しながら、1人ごちる。
    レナード達も敵チームをぶっ飛ばしてるせいか、遭遇できる可能性が減ってきた。
    サンのように五感とか、アデルのように高いエーテル感知能力とかがあればいいのだけど、あいにくわたしにはそれはない。
    かといって女を見つけることだけ異常に上手いあのバカの能力は絶対イラナイ。
    あ、でも、レナードの能力ならかなり欲しいかも。

    「それにしても、まったく………そもそも1人で4〜5人相手するってコンセプトからしておかしいのよ………」

    サンは獣人の中でも身体能力がずば抜けている。強化なんてしたら、速過ぎて接近戦じゃ目視で捉えられない。
    アデルは歩く武器庫。家の秘匿とする技なのか、大量に武器を隠し持っている。その数1000は下らない。
    あのバカの再生力は変態級。毎回わりと本気でぶん殴ってるのに3秒後には完全に回復済みという化物だ。

    「普通人は辛いね。こーゆーのは………」

    思わず苦笑してしまう。
    わたしの使う技は、東方諸国に伝わる武術だ。
    相手が如何なる武器・魔法をも使用という条件に対し己が肉体のみで立ち向かうが当然というコンセプトの元に編み出された対武器・魔法格闘武術。
    古来より大陸からの侵略者を撃退し続けた、対人戦闘において最強を誇ってきた武術。
    わたしもこの武術はわたし自身誇りに思うし、実際に最強だと思ってきた。

    だが、時代は変わった。

    媒介技術の発達、そして魔法自体の発達により、以前より飛躍的に魔法の発動速度や質は向上してきている。
    以前のような、前衛の戦士に守られた後衛の魔法士が魔法を使う、なんて形態は廃れてきている。
    特にここ、ビフロスト中央魔法学院ではそんなのは一度も見た事がない。
    長剣を携え鎧に身を包んだ姿など、どこにもない。
    みんな軽装で、武器も扱いやすいナイフが多く、媒介も小型かつ大容量で携行する数は少ない。
    時代は変わり、技術は進歩し、戦い方も進化して行く。
    否。だが、もちろん、接近戦が無くなることは有りえない。
    どれだけ技術が向上しようと、接近戦が不要になる時代など有りえない。
    だがしかし、接近戦の機会が減ってきているのは紛れも無い事実。

    ―――おかしな話。
    わたしはまだ16歳であるというのに。時代の流れを痛感している。

    魔法をあくまで武術の補助として扱い戦っているわたしは、この武術だけでやっていけるのだろうか。
    最高の武術も、突き抜けた能力を持つ者相手では、わたしの技術で一体どこまで通用するのだろうか。
    必死に研磨してきた武術の技も、規格が違う獣人や、接近を許さない無尽蔵暗器使い、瞬間回復の前には何の意味も持たないのではないのか。
    高過ぎる壁。
    努力や才能なんてものじゃない、天賦の能力という遥かな高みを誇る壁を、わたしは乗り越える事が出来るんだろうか。

    「でも………落ち込んでなんか、いられない」

    そうだ。落ち込む暇があったら次を探せ。
    研磨しろ。壁など、垂直に駆け上がって行け。

    「わたしはまだまだ上に行ける。限界なんて感じないもん。もっと。もっと上に行ってやるんだから」








    ◇ ◇ ◇ ◇





    「フゥーーッ…………」

    演習場である森の入り口で、ジャレッド・マーカス教授は葉巻を吹かしていた。
    見据える先は森の方角、救援の狼煙が上がらないかを常に監視している。

    「葉巻は身体に悪いぞ、マーカス」

    マーカスの隣に、マシュー・バンデラス教授が歩み寄り、立つ。
    マーカスは視線を動かさぬまま言った。

    「吹かしてるだけです。吸ってはいません」

    「ふはは、ならば余計なお世話じゃったの」

    「いえ。しかし、珍しいですな。演習場に教授がお越しになるとは」

    「ま、たまには身体を動かさんとの。脳味噌を使うにしても身体は資本じゃ」

    「ハハ、そのセリフ、軍の頭でっかちの豚共に言ってやってください」

    バンデラスは苦笑する。

    「ところでどうじゃ? 奥さん―――エリザベス・ウォーカーとは上手くいっとるのか?」

    「ええ、それは勿論。―――リズの乳は毎日揉んでます」

    「アホか。誰がそんなことを訊いた? ――――毎日か?」

    「毎日です。軍時代の反動ですよ。特に最近は産後で乳が大絶賛増量中でビバです。軍を辞めてよかったとつくづく思いますな」

    「ふはは、それはそれは。昔は家に帰るたびに、傷だらけになってて不憫極まりなかったものじゃがの」

    「毎回家のドアを開けた瞬間に、涙を零しながらも10メートルはぶっ飛ばしてくれてましたからな。まぁ、それだけ寂しいながらも待っててくれてたんでしょうが」

    「惚れた女を泣かすとは男冥利に尽きるの。………しかし想像つかんの、あのウォーカーが寂しくて泣くなど」

    「泣くと可愛いですよ、リズは。最近はベッドの上くらいでしか涙を見せてくれませんがね」

    「いやはや、2人目も遠くはなさそうじゃのう………」

    「ハハハ、確かに2人は欲しいところですな。息子も欲しい」

    「弟か。先に生まれたのが娘で良かったの。妹はお兄ちゃんっ娘に育つそうじゃぞ」

    「俺としては是が非でもお父さんっ娘に育てたいですな。そうして言って貰うのです。―――わたしはパパのお嫁さんになる、と」

    「嗚呼、それは浪漫じゃな………」

    「そうです、ロマンです………」

    感動に打ちひしがれる教員2名。

    「いやしかし。子どもといえば、じゃ」

    バンデラスは後ろを振り向く。

    「………新学期早々にハードじゃの」

    バンデラスの視界が捉えたそこには、応急処置だけされた、傷を負った生徒が並んで寝ていた。

    「訓練は慣れると意味がありませんからな。むしろ危険を伴う。後ろの37名の内、7名はそれです」

    「いやしかし、儂はケチつけるつもりなどないが、実戦向きでないのもおるじゃろうに。女の子もおるし」

    「学院の治療医は優秀です。四肢がちぎれても綺麗に再生してくれますから、傷物になりはしませんよ」

    「いや、そういう意味ではなく。精神的な話じゃ」

    バンデラスは軽く息をつく。

    「マーカス。お前は優秀じゃし、なんだかんだで生徒に慕われておるがな。親御さんとしては心配なわけじゃ。
    大事に育てた息子、愛娘が、泥だらけ傷だらけになって野を駆け抜け、魔法を操り刃物を握って人を傷付ける。
    親として気持ち良い限りではあるまい? いつか問題になるやも知れんぞ」

    「………………」

    「儂とてお前がこのままであれば良いと思っておる。だが、学院を去ることになっては忍びない」

    マーカスはフゥーッと煙を吹く。
    煙は宙に滞留しながら、蒼い空へと霧散していく。
    マーカスはその空を見上げる。

    「―――今の時代は彷徨い続けております。
    帝国の侵攻、共和国の内乱、ビフロストの四大国家内での孤立。
    王国も最近国境付近で不穏な動きを見せておりますし、いつ何かが起きても不思議ではありません。
    ―――おそらくは、命懸けを経験せずに済む学生はいないでしょう」

    「………そうじゃろうな。日々平穏無事に一生を終えられることなぞ、難しかろうな」

    「そういうことです。それに――――こんな形でしか得られぬ事も、意外と多く在るものです」

    マーカスをくわえた葉巻を宙に放り投げ、パチンと指を鳴らす。
    葉巻は炎に包まれ、一瞬で燃え尽き、燻った灰が落ちていく。

    「この学院の奴らは、おそらくは将来どの方面であれ重い高い役職に就く。
    しかし、人の上に立つ者は孤独を感じるものです。手助けしてくれる者は少なく、語り合える者も少なく、甘えは許されない。
    温室育ちの苦労知らずの天狗の花では、そうなっては折れ、朽ち腐ってゆくのみです。
    ですが、必死に生き抜いてきた野草なら、そうなっても変わらずひたすらに上へと伸びてゆける」

    マーカスは、燃え尽きて草の上に落ちた、燻った灰を踏みつける。

    「途中で挫折するやもしれませんが。
    なに、この学院の奴らならちょっとそっと押し潰された程度じゃ腐らんでしょう。
    また生えてくる。何度でも」

    マーカスは草の上から足をどける。
    ぺしゃんこになった草は、ゆっくりと、しかし確実に元の形へと戻っていく。

    「―――ま。自分と向き合う機会ってのは大切ですからな。
    自分の無力さ未熟さを痛感し、そして自分に何が出来るのか、自分とは何なのか。
    青臭い内はそんなことを悩んでばかりです」

    「ふはは、若いと哲学的になるからのぉ。物事を白黒ハッキリさせたがる」

    「白も黒も、結局は同じ「色」だと気づかずに、ですな」

    2人して笑う。
    その折、森から直径数メートルはあろうかという極太の火柱が立ち昇る。

    「―――ほ。派手じゃの」

    バンデラスは笑い、マーカスは息をつく。

    「あれは5組のユナ・アレイヤですな。竜の瘡蓋を付けてなおあの威力。大したエーテルです」

    「ほう、あれがユナ・アレイヤか。焔の担い手ブレイズ・ファイアの末裔と言われておる?」

    「生徒がそう騒いでおるだけですがね。確かに、あの赤髪と、焔の書の全てを習得するという突出した炎の能力は伝承にある英雄ブレイズ・ファイアを彷彿とさせますが、本人にも真偽の程は分からんようです。
    家が夜盗に襲われ焼け出されたそうですから」

    「では天涯孤独の身か。不憫じゃの」

    「いえ、義理の兄がいると聞いています。といっても数年前に別れたきりで、ビフロストにその手がかりを見つけたと」

    「成程。まぁ、ビフロストには人が集まるからの。見つかればいいが」

    先ほど火柱が立ち昇った地点から、赤い狼煙が立ち昇る。
    救難信号。それも、可及的速やかに、を求めるものだ。

    「やれやれ、出番のようです。ああいう若い上にエーテルが高い奴は加減を知らんから面倒だ」

    マーカスはため息をつきながら、医療器具を担ぎ始める。

    「何を言っとる、其れ故の監督じゃろうが」

    「いやいや俺も30近いんで。いい加減あの手の奴の暴走を抑えるのはキツイ」

    「ほう、暴走しとるのかアレは?」

    「アレイヤは夜盗に襲われたトラウマか、少々情緒不安定気味で。たまーに暴走を」

    「そうか。儂も手伝おうかの?」

    「いえ。ですが10分ほどかかりそうですので、俺が戻ってくるまでに狼煙が上がればそちらを」

    「相分かった」

    「よろしく頼みます。では」

    マーカスは矢のように森の中へと駆け出していく。
    それを見送りマーカスの姿が見えなくなった後、しばらくすると森の一部に雪が降りだした。
    遅れて、そこに赤い狼煙が立ち昇る。
    赤い狼煙に染まった雪は、まるで桜吹雪のような綺麗な色彩を見せる。

    「ほう………これはこれは。ふははは、今年もまた逸材揃いで、迷い子揃いか―――!」

    バンデラスは諸手を広げ、大きく笑う。
    なかなかどうして、教育とは面白い。
    自らは世界に名を馳せ、同じく名を馳せる者に幾人と無く出会い、その者達にすら物を教えた身でありながら、なお驚くような才能を持った者が毎年毎年、何十人も出てくる。
    そのクセそういうのに限って深刻な迷い子ばかり、力の使い方も心の鎮め方も恋も憂いも秘めた才能も分からず、生き方ですら過つ。
    なんと面白い事か。
    飽く事無く自問自答を繰り返し、当然にすら疑問を投げ付け、だが誰も知らぬ答えをも求める。

    「―――ふははははは!!」

    我ら大人が飛ばした種子は風に乗り、迷い子となって我らの知らぬ何処かへと向かい、其の若木の伸び往く枝先は無限の可能性。
    今年もまたその種子が、我が膝元に200余りもやって来た。
    それはなんと朽ち老いた身に心地好い事か。
    バンデラスは舞い散る桜雪へと歩みを寄せながら、心底楽しそうに笑う。

    「春じゃぞ青臭い菜っ葉達よ!
    迷い子らは其の身に何を秘め、何を思い悩む?
    さぁ、精一杯に陽光を浴び、存分に清き空気を吸い、遠慮無く我が身から養分を吸い取っていくが良い!
    いざ極彩色の答えの花を咲かせて朽木の儂を慶ばせてみせよ!!」







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