Release 0シルフェニアRiverside Hole

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■125 / 6階層)  「Β 静かな日々」E
□投稿者/ 犬 -(2005/01/14(Fri) 23:10:39)
    2005/01/14(Fri) 23:11:22 編集(投稿者)





    「ったく………午前の講義で暴走するなって言ったばかりなんだがな………」

    ビフロスト中央魔法学院、その演習場の森の中、ジャレッド・マーカスは唾を吐き捨て、悪態ついた。
    眼前には轟々と立ち昇る炎の柱。
    天を焦がすようなその極熱の炎は、10メートル以上離れた場所にいても空気を焼き、皮膚を焦がそうと熱する。
    おそらくは。このまま不用意に近づけば炎に触れるまでもなく、肺を焼かれて死に絶えるだろう。

    「―――ハ。ブレイズ・ファイアの末裔か。あながち真実なのかもしれんな」

    炎に関する魔法構成式、その現存する全てを記してあるとされる「焔の書」の執筆者にして、英雄伝承においては赤い髪を靡かせ、その劫火は西の神々をすら悉く燃き尽くたと言われる焔の担い手ブレイズ・ファイアことジョセフ・アレイヤ。
    そして今、炎の中心で泣き叫んでいるのは同じ姓と赤い髪を持つ少女、ユナ・アレイヤ。
    加えて確かに、暴走しているとはいえ16歳でこの極熱の炎は見事。
    エーテルは申し分なく、おそらくは制御技術もかなりの域。
    今後も鍛錬を重ねれば、例え偽者であろうとブレイズ・ファイアの末裔を名乗るに恥じぬ力量となるだろう。
    ―――そして何より。

    「その者遍く炎を担いし焔の英雄、赤髪を靡かせ、炎を纏いて暁の野に降り立つ可し」

    焔の英雄の伝承の一節だ。
    そして今の状況、赤髪を靡かせたユナ・アレイヤは炎を纏い、火の粉舞い散る焼かれた森はまるで、火の穂立つ暁の野にも見える。
    伝承と一致する風景、その能力にその姓、あらゆる状況証拠が、彼女こそがブレイズ・ファイアが末裔だと訴えかける。

    「ブレイズ・ファイアの末裔か否か。その証明、10年後を楽しみにさせてもらおうか」

    マーカスは笑う。
    そして、今はその為にも自らの生徒の為にも、救出に集中しようと、思考を切り換える。

    「さて………4分経過か」

    マーカスは腕時計で時間を確認する。
    火柱が立ち昇ってより4分。
    現場に到着段階で2分、負傷者を確保し安全地帯に退避させ応急処置、動ける者に背負わせて帰還させるにさらに1分。
    そしてユナ・アレイヤを観察し続けること1分の計4分。
    だが未だ止まる事を知らず燃え続け、同時にユナも泣き叫び続けている。

    本来、暴走はエーテルを制御し切れずに魔力が暴走するという一時的なもの、放置しておけば勝手に止まる。
    だが、ユナ・アレイヤの炎は止まる事を知らない。
    余程大掛かりな魔法を使おうとしたのか、それとも余程心の制御が覚束ないのか。
    既に媒介の魔力切れを通り越して、エーテルが魔力の代替を担ってしまっている。
    最も稀で最も面倒なケースの暴走ではあるが、正直このエーテル量には感服せざるをえない。
    どれほどの才能だろうか。1000万人に1人の才能と言っても過言ではないやもしれない。

    「しかし、このままでは危険域に突入するな………」

    マーカスは眉をひそめる。
    暴走を続けるということは、エーテルも消費し続けるということ。それも、無意識のリミッターを外した真の最大出力で。
    本来ならば、これも放置しておけばエーテル不足で勝手に気絶してくれるのだが。
    ユナのトラウマとやらはかなり深刻なようだ、エーテル不足による本能の抑止力が働く兆しが見えない。
    ―――如何にエーテル量が多大であろうと、この炎ではそろそろ限界のはず。
    このままではエーテルが枯渇して生命維持が困難になる可能性がある。

    「教師って職業もこれで中々しんどいな。軍時代でもこんなド派手な暴走止めろなんてミッション無かったぞ」

    思わず苦笑する。
    だが、だからこそ遣り甲斐がある。
    将来世界に名を馳せるだろうビフロスト最高学府のガキ共に、師として物を教えるのだ。
    唯々軍の命に従って名も知らぬ誰か、名ばかりの誰かの命を助けるより、よほど具体的で自発的ではないか。
    それに、いくら有能だろうと1人が出来る事は高が知れている。実際過去に1人では救えぬ命は沢山在った。
    だがしかし、1人では救えぬ命も、育てた200人もいれば余裕で、むしろお釣りが来るではないか。
    素晴らしい事だ。

    「………5分経過。沈静化への動き見られず、か」

    マーカスは媒介より魔力を抽出しエーテルで練り上げ魔法を為す。
    それは直径3メートルに及ぶ巨大水球、一気に造り上げ、そのまま炎へと投げ付ける。

    「ァあぁあぁああ、ああ、あああ、ああぁぁぁっぁ」

    ユナ・アレイヤが頭を押さえて振り乱し、泣き叫ぶ。おそらくはこの暴走の炎は拒絶の炎、過去のトラウマによるもの。
    然るに炎はさらにその勢いを益し、降りかかった巨大水球を蒸発し尽くした。

    「―――ハ。やるな」

    濛々と立ちこめる水蒸気を風で吹き飛ばしながら、マーカスは笑った。
    ………それにしても、火と水が相対すれば水が有利などと誰が決めたのだろうか。
    これだけの熱量相手では水など何の利にもならない。あの質量の水を用意してもこのザマだ。
    有効ではあっても有利には成りえない。

    「さて。ならば―――」

    そもそも炎が燃える条件は3つ。
    物と、空気と、発火点の温度だ。
    そして魔法の場合の物とは、自然物ではない媒介内の魔力だ。だがこの場合の暴走は、エーテルによる暴走と化しているから、第一条件の解決を待っていては死んでしまう。
    また、第三条件は先刻失敗に終わっている。
    狙うならば第二条件。

    「ふぅ―――――っぉおぉっぉおぉおッ!!」

    マーカスはエーテル出力を臨界まで上昇。
    最大出力のエーテルを最大の技巧を以って御する。

    「ッ―――まだ足りんッ!! もっとだ!!」

    更に不足分のエーテルを継ぎ込んで行く。足らぬ魔力は周囲より、水を吸い上げる。
    大地が、空気が乾いてひび割れる。
    頭上には数十メートル規模の超巨大水球が浮かび、なおその質量を肥大化させていく。
    もっともっとどこまでも。

    「行けッ!!」

    出来上がった超巨大水球を手加減無く一気に投げ付ける。
    それは天を焦がす炎の柱を遮り、蒸発しながらも柱の中心にいるユナ・アレイヤと炎を包みこむ。

    「―――――」

    燃え盛る炎も空気がなければ燃えるはずもなく、巨大な炎が必要とする空気は一瞬にして潰え、同時に炎も消えた。
    マーカスは拳を握る。
    ………良し。
    少々手荒だったが已む無し。それに暴走しているとはいえ彼女自身のエーテルが彼女を害するはずもない。
    後は酸欠による生命維持本能から暴走停止か、最悪でも失神するのを待つだけで良いはずだ。
    だが。

    「―――暴走が止まらん。酸欠より蒸発が早いかッ!?」

    おそらくユナが携行する媒介内に風、つまりは空気の魔力が残存していたのだろう。
    通常炎を得意とする者は、どこにでもある空気より火種を媒介に封じるものだが、自らの教えを守って空気も封じていたようだ。
    それはとても偉い。いい子だ。でも今はすごく困る。
    ユナは息が出来ない筈なのにその暴走は止まらず、水球内にあっても再度火が灯り、次第に猛り始めている。
    暴れもがいている辺り酸欠は1分も掛からないだろうが、それより水球が蒸発してしまう方がおそらくは早い。

    「チィッ、俺も治療医行きかクソッタレがッ!!」

    マーカスは舌打ちしながら自身に水を纏い強化を施し、奔る。
    そして躊躇う事無く、既に薄くなり水膜と化した水球に飛び込み、極熱の炎を掻い潜っていく。
    纏った水は即座に蒸発し、エーテルの強化を突破した炎が皮膚を焼く。肉を焼く。焦げて黒ずんだ灰肉が爛れ落ちていく。
    だが止まらない、炎の壁をぶち抜いてユナ・アレイヤの元に辿り着く。

    「ア、ああ、ああああ、あ、ぁあぁぁぁあぁぁ!!」

    「やかましいッ!! 寝てろッ!!」

    「あ――――」

    マーカスはユナの首筋にやや手加減抜きで手刀を入れる。
    ユナは即座に気を失い、炎も忽ちに消え失せる。マーカスは倒れるユナを抱き留めると同時に、不要となった水球を崩す。
    水球は崩れて流れ、滝のように2人を洗う。

    「ぐぅッ―――!!」

    マーカスは苦悶の表情を見せる。
    火傷がキツイ。
    重要な眼部、口腔などの頭部を重点的に防御した分、胴体の防御がおろそかだった。
    降りかかる水が火傷に沁みる。

    「――――ッカァァァァ効くなぁクソォ!!」

    水が流れ切った後、マーカスはそう叫んで仰向けに倒れこんだ。
    そして2,3息をついた後、抱きかかえたままのユナ・アレイヤの状態を確認するため起き上がる。

    「おい、アレイヤ。生きてるか? おい?」

    頬をぺちぺちと叩きながら、呼びかける。
    それを数秒続けるとユナの口から、う、と声が洩れる。

    「よーしよーし。良い子だ。エーテルが枯渇寸前だが、血色良いし回復も早そうだな」

    マーカスは息をつき、だが一応ユナの身体を検査する。
    エーテルを注入しての身体走査だ。

    「外傷は無し―――軽く水を飲んでるだけだな。吸い出すか」

    マーカスはユナの口に指を突っ込み、肺の水をエーテルで誘導して吸い出す。
    これは起きてる相手にやると咳き込む上に吐き気を催し大変不評なので寝てる内にやるのがポイントだ。
    肺に入った水を吸い上げきった後、再度エーテル走査をして無事を確認し、マーカスはやっと安堵する。

    「良し。後は問題ないな」

    後は仕上げに、濡れた身体を乾かさないといけないので、着衣と皮膚表面上の水も吸収する。
    女は肌の潤いが大切で、それは油分と水分のバランスが鍵だそうなので、そこんとこは気をつける。
    それが終わると、今度は自分の方へ注意を向ける。
    そして、とりあえず、火傷の具合を確認する。

    「………あー。こいつはダメだな」

    ため息をつく。
    首から下の胴体の広範囲に渡って、かなり重度の火傷が広がっている。
    一応さっきから治療を行っているが、焼け死んだ細胞のせいだろう、治りが遅い。
    どうやら自分で治せる傷ではないようだ。これはやはり学院の治療医に治して貰った方が良い。

    「…………ふむ」

    ふと、マーカスはユナの顔を見た。
    その表情は苦悶の表情、眉をひそめ、歯を噛み締め、口元を引き攣らせ、何かに脅えるように身を震わせている。
    成程、とマーカスはうなずく。これはかなり重症だな、と。
    これは後で周りに居た連中に話を聞いて、トラウマ発露のきっかけを捜さねばならないだろう。

    「む?」

    気づくと、ユナの頬に水が伝っていた。
    先程全て吸い上げたはずなのに流れる水、これは何だろうか。
    マーカスはその水を吸い上げ、舐めてみる。

    「―――――まぁ当然、酸っぱいな」

    やれやれ、と思う。
    こういう涙は可愛いと思うより、居た堪れなさが先に出る。
    泣くならもっとこう、嬉しい時とか、楽しい時とか、気持ちイイ時とか、そういう時の方が良いに決まっているのに。
    ―――そうだ、恋人でも作ればいいのだ。
    何事をも共有出来る、共有したいと思える人がいるのは、幸いな事だ。
    うむ。思いつき臭いが、独りであーだこーだやるよりその方が良いのは事実だろう。
    名案かもしれない。後で勧めてみよう。

    だがこの場合は恋人をどうするかだが、さてどうするか。
    いきなり作れと言っても無理だろう。ならば恋人役のような奴が必要か。
    では。歳の差を考えて、高等部10〜11年生男子総勢200余名。
    近日中にリストを洗って適任を探さなければならないな。
    ―――まぁ該当する奴は既に思い当たっているのだが、奴は賢しい。
    無理矢理にしたって、ある程度は論破できるだけの材料を揃えないと相手にされないのだ。

    「さてと」

    マーカスはユナを背に担ぎ上げ、西の方角を見た。
    そこには、春先なのに雪が降っており、その雪を赤い狼煙が桜色に染めている。

    「やれやれ。バンデラス教授にご足労煩わせる破目になったか。今年は例年に増して活きが良いヤツが多いな」

    良い事だ、とマーカスは笑い、ユナを担いだまま演習場出口に向かって疾走を始めた。









    ◇ ◇ ◇ ◇








    「―――――む」

    レナードはエーテルの奔流を感じ、振り返る。
    彼が見据える先、少し離れた場所には、桜が舞っていた。
    ………いや、桜ではない。
    雲はないが、赤い狼煙に染まった雪が降っているのだ。

    「あれは氷のハーネット姉妹か。この感じは、姉の暴走だな」

    レナードはつぶやく。
    否、暴走という言葉は正しくないだろう。
    暴走にしてはエーテルに整然とした感覚を受ける。
    どちらかといえば、解放、という言葉の方が正しい気がする。
    何を、何故、という厳密な意味合いは分からないが。

    「さて――――どうするか」

    レナードは自動拳銃を左手に握り、考える。
    この距離ならば救援に向かえるが、どうしたものか。
    先刻、火柱が昇って赤い狼煙が見えた辺り、ジャレッド・マーカス教授はあちらの方で手一杯だろう。
    暴走したのはおそらくはユナ・アレイヤ、しかもあれは完全な暴走、抑えるのに10分程度はかかるはずだ。

    「行くべきか。行かざるべきか」

    しばし逡巡する。
    結論は、行く理由も行かぬ理由も無し。
    死にはしないだろうし、今現在の目的を果たすことを優先する。

    「レーーーーン!!」

    木々の向こう、遠くから声がした。
    レナードがその方向に目線を移すと、猛スピードで樹の上を飛び移って来る白と黒の影が1つ。

    「サンか」

    レナードが言い終わるや否や、サンが樹の影から現れ、樹の枝を踏んで跳躍し、勢いよくレナードに飛び込んで来る。
    レナードはサンに衝撃を伝えないよう、飛びつかれた勢いを殺さず、そのまま抱き留めて何歩かたたらを踏んで後ろに倒れこむ。
    サンはレナードの背に伝わる痛みを知らず、抱きついたまま嬉しそうに頬ずりする。

    「私、終わった! 19本取ってきた!」

    「そうか、早かったな。俺は今し方18本奪取し終わった所だ。………やけにご機嫌だな」

    「うん! 久々で楽しかった!」

    レナードはサンを抱えたまま起き上がり、サンを降ろす。
    レナードにとっては片腕で抱えられるほど軽い体重だ。

    「レン。私、さっきバンデラス教授に会った」

    サンは足を地に降ろすと、笑顔のまま、尻尾を左右に振りながらレナードにそう言った。

    「教授に? 珍しいな、演習場に来るなんて」

    「うん。それで教授、私にレンに手伝えって言伝してくれって」

    「ハーネット姉妹の暴走の鎮圧か?」

    「うん。まだ止まってない」

    サンは雪の降る方角を指差す。
    春風に揺られる雪は、赤い狼煙に染められ桜のようだ。

    「教授の頼みなら仕方ないか。合流までまだ時間もあるな」

    「うん。行く?」

    サンが微笑む。

    「行こう。サンはどうする?」

    サンは微笑から笑顔に表情を変え、当然と言うようにつぶやいた。

    「レンが行くなら私も行く。行こう」

    サンは振り返り、雪の方角へと走り出す。
    いや、走り出すというよりかは飛び出すといった感じだろうか。
    まさに突風の如く、人の身では有り得ない速度で倒木を飛び越え、木々の隙間を駆け抜け、枝を飛び移って飛ぶように進んでいく。
    レナードも視界の悪い森の中でサンに遅れまいと、その身に強化を施し、その後ろをぴったりと追っていく。

    「…………ん」

    木々の隙間を駆け抜けながら、レナードはふと気づいた。
    すぐ前を走るサンの艶のある黒髪が、肩を過ぎて、肩甲骨辺りにまで伸びている。
    風に靡く黒髪は綺麗ではあるが、しかしレナードは思う。

    「――――ずいぶんと髪、伸びたな」

    レナードはサンの後ろ髪に手で触れ、その手で軽く結う。
    レナードは前に切った時はやっと結えるくらいだったと憶えているが、今は余って垂れ下がっている。
    サンはこうされてるのに照れてるのか、顔を少し赤くして言った。

    「前髪は切ってるけど、後ろ髪はずっと切ってない。レンに切って貰ってから、ずっと」

    レナードがサンの髪を切ったのは年明け頃だ。
    そして今は4月、つまり切ってから約3ヶ月が経過している。
    だが、それにしては髪が伸びるのが早い。
    サンはあまり髪を伸ばすのを好まない傾向があり、実際、年明けにレナードが切った時も本人の意向でかなりざっくりと切ってしまっていた。
    だが今は、肩どころか肩甲骨にまで届いている。

    「でも、サンは伸びるのが早いな。3ヶ月でここまで伸びるなんて」

    「そ――――!」

    サンは一瞬抗議するような顔でレナードを見たが、急にそっぽを向いた。
    レナードは首をかしげ、後ろからは見えない表情を探ろうとする。
    そして、耳が赤いのに気づく。

    「サン………ルーシャに何か吹き込まれたのか?」

    サンは、うー、とうなりながら考え込む。
    基本的にサンは決して頭は悪くはないが、学校で学ばないことは全く分からない。
    つまり、一般教養や常識というものにかなり疎いのだ。
    サンは興味がないこと、知る必要がないと判断することには全く知ろうというしない傾向がある。
    そのため、独りでも社会の中で人並みの生活は出来るのだが、何か根本的な部分で知識が足らなくなっている。
    その決定的に欠けている知識の中の一つが、性知識。

    「え、えっと。そ、その、レン?」

    サンは赤くなった顔を隠すようにうつむきながら、言いにくそうにレナードの顔を見たり、見なかったり、見たりを繰り返す。
    そしてややあって、上目遣いでレナード見て小声で言った。

    「髪伸びるの早いと………え、えっちって、ほんと?」

    「ぷっ」

    レナードは思わず吹き出し、笑みを零す。

    「な、なんで!? レン、なんで笑う!?」

    「いや、なぜも何も――――コラコラ、噛みつくな」

    サンはレナードの肩に飛びつき、小さな口でがじがじと頭を噛む。

    「わふぁふぃ、ふぇっふぃふゃふぁい!」

    「分かった分かった。サンはえっちじゃないな。ああ、えっちじゃない」

    「ふー。フェッふぁふぃ、ふぁふぁっふぇふぁい!!」

    レナードは怒りながらも甘噛みするようにしか噛んでこないサンに苦笑する。
    いつも通りルーシャの与太話なのだろうが、その真偽の判断材料に乏しいサンは本当かどうか、絶対には分からない。
    だからいつも自分に尋ね、事の真偽を判断してもらおうとする。たとえ嘘だと思っていても。
    本当に、いつも通りのことだ。

    「分かってるさ。そもそも髪の伸びる早さとソレとの関係の確証は無いんだ。それに元々サンは新陳代謝が活発だし、伸びるのが早いからってそうとは限らないさ」

    サンは口を離し、どこか納得いかなそうな顔でレナードの後頭部を見つめる。

    「うー。なんか、論点逸らされた気がする………」

    確かに、とレナードは思う。サンがえっちがどうかの論点は逸らした。
    だがそう言いながらも、サンは自分を噛んだ所をぺろぺろと舐める。
    おそらくは消毒の真似事なのだろう。出血もしてないのだから意味はないが。
    そう思い、レナードは苦笑する。

    「気のせいだろう。それにしても、またルーシャの与太話か。最近はもう色々覚えたと思ったんだが」

    サンは一応はここ最近で、ビフロスト中央魔法学院ではなぜか無い、保健体育の授業で習う程度の性知識は知ったはずだった。
    レナードの肩に乗るサンは、レナードの頭をお腹に包むように抱きしめる。

    「覚えたけど。でもやっぱり知らないことがたくさんだ。バカの言うことは嘘だと思うけど、絶対嘘って私じゃ言い切れない」

    サンは自分の下腹部に手を当て、ゆっくりとさする。

    「たとえば、その。……………お、女の人は、血が出るとか」

    「はは。あの時は大騒ぎだったな。日も昇らない内に俺の家に泣きながら飛び込んできて、病気になった、死んじゃうって。なだめて説明するのに丸一日かかった」

    「だ、だって! 私、風邪以外の病気になったことなんてなくって! し、しかも血が出て………!」

    「いや、獣人の生態は人と少し違うことを忘れていた俺が悪かった。説明しておくべきだったな」

    レナードがそう言うと、サンは赤くなってレナードの頭に額を押し付ける。

    「あ、えと………それは、その、私が知らなかったから…………」

    「でも、その日は本当に色々あったな。サンをなだめる前にサンの実家に連絡取ったら、その日の内に1000km以上も離れた獣人領からご両親が来て。
    お母さんは赤飯炊いて祝ってくれたけど、お父さんには一日中追い回されて殺されそうになったな。ヘイムダルの土地勘の差が無ければ確実に死んでいたよ」

    ははは、とレナードは笑う。
    対してサンはうつむいたまま、レナードの頭をぎゅっと抱く。
    レナードのほぼ真白の銀髪に、サンの黒髪が混じる。

    「レン………迷惑、だった?」

    「いや、これっぽっちも。迷惑どころか楽しかったよ。大変だったけど、お母さんから色々と話を聞けたし、お父さんとはまだ少しわだかまりが残ってるけど、和解して仲良くやれた。それにサンは家族と居る時のサンだった。
    幸福だと思うよ、あの思い出は。久々に家族という感覚を思い知った」

    「……………」

    サンは抱く腕に、無意識にわずかに力を込める。
    それに気づき、レナードは目線を上げる。
    自分のものではない、黒色の髪が見えた。

    「サン?」

    「………私」

    「ん?」

    「……………ううん、なんでもない」

    レナードはうつむいたまま自分の頭を抱くサンを感じながら、目線を降ろす。
    そしてほんのわずかに、優しい笑顔でサンに言う。

    「サン。言い間違えた」

    「………え?」

    「久々に、を訂正しよう―――改めて、に」

    「―――――」

    「どうにも、いつも一緒に居ると感覚が鈍るらしい。改めて思い知った」

    「…………うん」

    サンは微笑む。やっぱり、と。
    レンは分かっていないようで分かっていて、でもやっぱり分かってなくて、でも分かっていて。
    普通分からないようなことを分かっていて、けど分かっていなくて、やっぱり分かっていて。
    だから。

    「レン」

    「ん?」

    「大好き」

    レナードは軽く目を伏せ、そして微笑んで言った。

    「―――俺も好きだ。幸福に思うよ」

    サンは苦笑混じりに、でも嬉しくって微笑む。
    やっぱり、分かってるけど分かってない、と。

    「レン」

    「ん?」

    「レンって、変に鈍くて変に鋭い」

    「それ、ミヤセにも言われたな。自覚していないというのは危険だと思うんだが、どこ辺りがそうなんだ?」

    「あえて言うなら、その辺り」

    「………分からん。自覚しようとする行為がか?」

    「秘密」

    レナードがわずかに首をかしげ、頭を抱くサンも一緒に身体を傾ける。
    レナードの頭の位置が元に戻ると、サンは顔を上げた。
    ハーネット姉妹の居場所に近づいてきたせいか、少し肌寒さを感じるようになってきた。
    距離は近いようだ。

    「サン」

    レナードが声をかける。
    桜色の雪がちらほらと降ってきた。
    サンは寒いのに強いし、強化もしていて大丈夫だろうが、素肌のままはよろしくない。
    レナードはマントを外し、肩に乗るサンにかける。

    「サンの背丈にすれば少々長いが、ある程度の防護機能を備えてあるわりと上等な品だ。ボロにするのは構わないが、なるべく脱がないようにな」

    「うん。………分かった」

    サンはうなずき、マントを羽織る。
    そしてほのかな温かさと、レナードの匂いを感じながら、サンは呼びかける。

    「レン」

    レナードは、ああ、と返事を返す。
    そして、レナードとサンは同時に言う。

    「行こうか」
    「行こう」







    ◇ ◇ ◇ ◇







    ビフロストはその国の位置柄、東の群島、西の大陸、南の大陸とを繋ぐ貿易拠点として栄えてきた。
    その国土は、王国との国境付近を連峰が走り、国の中央を長大な河川が通り、暖流が流れる海に面していて気候は温暖湿潤だ。
    そして世界で最も進んだ技術国家でありながら、自然は多く、森林が占める割合は多い。
    連峰から南の海側に突き出した主峰が抱く、深い山々には古より神々が住まうとされている。


    ―――ビフロストは変わった国である。
    元はたった一家族が興した小国の集まりであり、100年という時の間で最高の技術国家となった国。
    帝国から幾世紀にも渡る侵略を受けながらも、温和で何者をも受け入れる民族性を保ち続けたのんきな国。
    どのような人間をも、魔族や獣人などの他種族さえも、魔物であっても受け入れるお人好しな国。
    しかしながら芯は確固として存在し、折れるも曲がるも許可しない、変に頑固な国。
    自由の国。協調の国。頑固な国。温和な国。森と山の国。魔科学の火が灯る国。変な国。
    国が信じる神がいない国。しかしその実あらゆる神々が居る国。神々の国。

    ―――ビフロストに国教は無い。
    ビフロストで生まれ育った者は誰も神を信じず、しかし神の存在を信じる。
    意識体としての神自身を信じるのではなく、在りと凡ゆるものに神々は在ることを信じるのだ。
    これは獣人の精霊信仰に近い考え方であり、世界最大の宗教たるウンザンブル教の原初の世界を唯一母神とするものとは異なる。
    しかしその唯一母神すらも神々の1つとして考えるのがビフロストなのである。

    明確な神は何処にも居ない。
    しかし神は常に其処に在る。
    空も水も大地も樹も海も星も人も火も動物も物も夢も心も雷も何もかもが神なのである。

    そんな変な国が、ビフロスト連邦。
    四季は折々、春に花咲き夏に息吹き、秋に紅葉し冬に雪が降る。




    そんなビフロストの春に、桜の雪は降っていた。

    「バ、バンデラス教授!」

    「なんじゃ?」

    一面氷付けになった森の中、金髪オールバックのグレゴリー・アイザックスと老翁のマシュー・バンデラスはそこにいた。

    「どうされるおつもりですか!?」

    グレゴリーは叫び、氷の中心を指差す。
    そこには氷海色の髪の少女が2人いた。名はエルリス・ハーネットとセリス・ハーネット。双子の姉妹だ。
    桜色の雪降る氷の中、姉は気を失い倒れていて、妹は姉に寄り添って虚ろな瞳をして座っている。
    バンデラスは少女らを一瞥した後、つまらなそうにグレゴリーの問いに答える。

    「どうって言われてもの。儂も歳じゃから、この寒さは堪える。やる気など起きんわ」

    「お、起きんって………」

    グレゴリーは絶句する。
    自分のチームはフラッグ回収後の帰還中、彼女らと遭遇した。
    リーダーだった自分は、予てより少女らの能力を聞いていたため現状交戦するべきではないと即決し、牽制と目くらましをかけて離脱しようとした。
    この判断は悪くなかった。いや、おそらくは最良だったろう。
    だが、運が悪かった。
    初動を封じ追撃を逃れるための牽制が妹に当たり、当たり所が悪かったのか流血した。
    そしてそれに激怒した姉が意味不明なエーテルで意味不明な魔法を使い、一面この景色だ。
    ―――わけがわからない。
    姉の暴走はただ大寒波を引き起こしただけで、被害を被ったとはいえ敵対するこちらに向けた攻撃ではなかった。
    だがそれはおかしい。暴走で理性を失おうと、それなりの本能めいた志向性はある筈だ。
    それは例えば拒絶。排他。憎悪。憤怒。悲哀といった単純かつ純粋な感情。
    しかし、姉の行動は、おおよそ考えうるそれら行動理念に該当しない行動だった。何がしたかったのか見当もつかなかった。
    妹を守るにしたって、これではあまりに非効率的ではないか。
    守るなら徹底的に敵を排除すれば良いだけの話なのに。


    「ですが! まだ暴走を続けているのです、あまり悠長には!」

    グレゴリーは叫ぶ。
    大寒波が襲った後、暴走の代償のせいか姉が倒れ込むと、今度は妹がキレた。
    幸いにも攻撃行動は起こさなかったが、理性を失い近づく者全てを本能的に攻撃するようになってしまい今の状況だ。
    エーテルを消費を消費し続けない代わりに、意識を失うまで止まらない。

    「この寒さの中では死にますよ!?」

    樹氷と桜の雪と氷が辺りを覆う中、グレゴリーは寒さに耐えながら言う。
    グレゴリーの横には、応急処置が施されたグレゴリーのチームメイト達が並んで寝ていた。
    グレゴリーは姉の暴走に際しとっさの判断で地面を穿ち、穴に隠れたおかげで寒波の直撃を免れたが、指示に反応出来た1人以外はそれでやられ、残る1人も妹の暴走に不用意に近づいたせいでやられた。
    自分1人では対処し切れない事態だったので発煙筒を使うと、マシュー・バンデラス教授が来て、負傷者に手当てをした後それっきりだ。
    ―――今、氷付けとなったこの場所の気温はマイナスに突入し、体温を奪い続けている。
    自分は強化でまだ耐えられるが、このままでは意識のない負傷者とハーネット姉妹が凍傷にかかってしまう。
    下手すれば死だ。
    しかしバンデラスは、やはりつまらなそうに言う。

    「落ち着かんか。この程度では人は死なん。それに、そろそろの筈じゃから待っておれ」

    「そろそろ………? ジャレッド・マーカス教授ですか?」

    「いや、あやつはユナ・アレイヤの暴走に手一杯での。先程鎮火した辺りカタはついたろうが、すぐには無理じゃろう」

    「では、何ですか………!?」

    グレゴリーが焦れたように語調を強めて言う。
    その折、グレゴリーの後ろで誰かが着地した音が聞こえた。
    振り向くと、そこには長身の少年と、その肩に肩車のように乗った黒髪の少女がいた。

    「レナード・シュルツ………!」

    グレゴリーは歯軋りして言う。
    レナードはグレゴリーを含めて周囲を見回し、言った。

    「やはりハーネット姉妹の暴走だな。姉は失神、妹が暴走中。負傷者は回収済み」

    「相違無い」

    バンデラスが答える。

    「呼び出してすまんの、シュルツ。セリス・ハーネットの暴走を止めてくれんか?」

    「了解です。サン、下がっていてくれ」

    サンは、うん、と答えて肩から降りる。
    グレゴリーはバンデラスに抗議する。

    「教授! なぜシュルツが!?」

    「儂は実戦向きではないからの。あの暴走は止められん」

    「ですから、なぜシュルツなのですか!?」

    「見ておれば分かる。実は興味半分での。あー、お前は確か―――グレゴリオ・アイラブユー?」

    「グレゴリー・アイザックスです………! 後半ムリありますよ!?」

    「ふはは。そうじゃ、今日の授業で当てたの。お前は昨年からの転入じゃからレナード・シュルツのことはよく知らんのじゃろう?」

    グレゴリーは唇を噛む。
    レナード・シュルツを知らない? ―――知っているとも。
    昨年、嫌というほどその名を聞いた。
    ―――8年連続の主席、稀代の天才レナード・シュルツ。昨学年最後に発刊された学内誌の特集のタイトルだ。
    副題は、今年も表彰式辞退、孤高の8年連続ミスターC.M.A.。
    有り体に言えば学院のアイドル、という奴だろうか。長身で鍛え込まれた肉体、頭脳明晰で顔も良く、強い。
    完璧を地で行く上に、誰にも媚びない孤高性と、しかし気遣いある姿勢がさらに人気を博しているとかなんとか。
    ―――いや、そんなことはどうでもいい。
    多少は尾ひれが付いている誇張だろうし、しかし確かに事実ではあるだろうがそんなことは関係無い。
    問題は、奴がやった事だ。

    「―――知っていますよ。学内誌で読みました」

    若干15歳にして、魔科学最先端技術を駆使した巨大魔力炉、その2基目の建造に携わった天才。
    レナードが中等部で9年生だったときの冬、グレゴリーが学院に転入する直前の話だ。
    偶発的に組み上がった1基目の不安定性の補完として2基目を建造の予定が、サブからメインに入れ替わった。
    その裏には、レナード・シュルツの力添えがあった、と。
    ―――なんともムカツク話だ。

    「しかし、ならばこそ知らぬじゃろう。故によく見ておくが良い、面白いものが見れるぞ」

    バンデラスは、ふはは、と楽しそうに笑う。
    サンは静かにレナードの背中を見つめ、グレゴリーは忌々しそうにレナードを見つめる。

    「………ふぅ」

    レナードは、バンデラス教授にも困ったものだ、と思いため息をつく。
    そして正面のセリス・ハーネットを見据える。

    「………」

    そして無言で歩み寄り始める。
    手には何も持たず、ただ散歩するかのように歩んで行く。

    「―――ぅ、ぁ!」

    セリスの虚ろな瞳が、レナードの姿を捉える。
    セリスは左手を向ける。その手の先で、空間が歪む。

    「あれは!」

    グレゴリーが叫ぶ。
    あれは先刻見た、仲間を吹き飛ばした不可解な魔法だ。
    見た感じは風の魔法の一種のようだが、正体が掴めていない。

    「ふむ」

    バンデラスは真剣な表情でその魔法を見据え、ややあって声を出した。

    「シュルツ。実態は掴めておるか?」

    「はい」

    ゆっくりと、武器も持たず歩きながら、レナードは答える。

    「エーテルによる魔力収束」

    「然り」

    バンデラスは、ふはは、と楽しそうに笑った。
    対してグレゴリーは驚愕の表情で、バカな、とつぶやいた。

    「魔力収束………? ふざけるな。重力だとでも言うのか!? 空間に干渉しているんだぞ、有り得る筈が―――」

    「有り得る」

    レナードは断言する。

    「超大なエーテルで、その空間の全魔力を―――簡単に言えば、空間そのものを収束しているんだ、あれは。
    やっている勢いこそ比較にならないが、俺達が魔力を集めるのと同じだ」

    「そんなことは分かっている! だが、それは理論上の話だ! 出来る筈が無いだろう!?」

    「出来ているだろう。今、目の前で」

    「………ッ!」

    グレゴリーは歯軋りする。
    有り得る筈が無い。そんな、規格外なエーテルがあってたまるか。
    そんなのは人の範疇を越えている。伝説級の人物だってそんなことは出来やしない。
    そんなことは。

    「―――う。あッ!」

    その折、暴走するセリスの空間圧縮弾が放たれる。
    それはレナードの僅か横を掠り、樹を薙ぎ倒して進んでいく。

    「―――ほ。なんという威力か」

    バンデラスは笑う。
    視線の先、空間圧縮弾は1m以上にも及ぶ木々を薙ぎ倒し突き破り、圧縮弾が通った先に視界を遮る物はなかった。
    見た目の派手さはないが。その分集中された威力は、その結果を以って派手だ。
    禍しき凶弾。防ぐも逸らすも適わない絶対貫通弾。

    「―――うあ、は。ッ」

    セリスがまた手の先で空間を収束し始める。
    おそらくは、先程の攻撃は警告なのだろう。これ以上近づくと撃ち貫く、と。
    しかしレナードは歩いていく。暴走しながらも気遣いを遺す矛盾に微笑を零しながら、そして竜の瘡蓋を外しながら。

    「………バカな、なぜ外す?」

    グレゴリーはその目を疑う。
    チームの1人は竜の瘡蓋が一撃で砕け散るほどのダメージを負っている。
    それはつまり、竜の残存エーテルの存在によって威力を軽減する役目しか担っていないはずの竜の瘡蓋が、本来の囚人拘束具としての機能を発して砕け散ってまで防護し、それでなお防ぎきれなかったほどのダメージだ。

    「………なぜ、近づく?」

    グレゴリーはその行動を疑う。
    竜の瘡蓋を装着していれば、確かにエーテル制御の効率は落ちる。
    だが、あの威力を防護するものがなければ、それこそ確実に即死だ。
    遠距離から攻撃するなら分かる。全力で強化を施し距離を取れば、避けられない事も無いのだから。
    しかしレナードは武器も持たず、竜の瘡蓋も付けず、魔法さえ放つ素振りを見せず、歩いて行く。
    そしてレナードは言う。

    「安心しろ、セリス・ハーネット。君の優しい心には感謝するが――――君は俺を殺せない」

    「―――ぁ」

    セリスは怯えるように、身を震わし、そして、

    「―――だめ」

    と声を零す。
    そして空間圧縮弾はまるで弾自身が望むかのようにセリスの手を離れ、レナードに襲いかかった。








    ◇ ◇ ◇ ◇








    「………バカな」

    その日、何度目かになる言葉をグレゴリー・アイザックスは放った。
    視線の先、桜色の雪が降る氷の中心には、氷海色の髪のハーネット姉妹と、そこからやや離れて立っているほぼ真白の銀髪のレナード・シュルツがいる。

    「………バカな」

    グレゴリーはもう一度繰り返す。
    自らの理解の範疇外の超大なエーテルが可能とする、空間収束により全てを貫く禍しき凶弾。
    それを今確かに、レナード・シュルツは受けたはずだ。
    それなのに、なぜだ。
    なぜ、レナード・シュルツは平然として立っている。

    「―――ぁ」

    セリスはレナードの姿を見て、驚いたような、安心したような表情を見せる。
    しかし、また左手の先で空間収束が始まる。

    「成程。やはり混乱と暴走が入り混じっているのか」

    レナードはセリスを見てうなずき、そして考える。
    ………彼女には意識がある。
    暴走し朦朧として混濁しているだろうが、確実に意識はある。理性と呼ぶべき意識が。
    なぜならば、完全に暴走したならば自身が最も得意とする属性が発現するからだ。ユナ・アレイヤのように。
    しかし彼女は空間圧縮を行った。
    おそらくは最も安易で、最も安全で、最も低威力の魔法を。
    故に彼女には意識が、理性があるのだ。

    しかし彼女は近づく人を傷付けようとしている。
    それはなぜか?
    暴走しているからだ。
    おそらく―――これほどの超大なエーテルを有している以上、制御などまるで出来ないのだろう。
    だから彼女は、人を傷つけた事があるはずだ。それも深く。あるいは殺している可能性もある。
    だから彼女は、魔法というものを怖れている。

    だが、ならば魔法を使わなければいい、の一言で片付く話でもない。
    エーテルは精神に強く、あるいはそのままに影響する。
    そして人は人であるが故に、その精神は移ろい揺れる。それが例え歓喜であっても、悲哀であっても。
    どれほどの無情を装おうと、人である以上は精神は必ず揺れ動く。
    ふとしたきっかけで揺れて、抑え切れずに零れたエーテルが、人を傷付ける。
    それが制御不能を増幅させ、それがさらに怖れを深くし、悪循環を生んでいる。

    そして今、何かがきっかけで彼女が抑え切れないエーテルが溢れ出し、彼女自身は一応は平静であるのに、彼女を置いてエーテルだけが暴走してしまっている。
    それを怖れてしまった彼女は混乱し、暴走した。
    ―――つまり彼女の暴走は、通常と逆なのだ。
    エーテルだけが先に暴走し、追ってあまりの巨大な力に恐怖した彼女が暴走する。
    だから、僅かながら意識が、理性が残る。

    「………」

    レナードは息をつく。
    彼女は自身を失いながらも理性を残してしまい、忘れることもできず、現実逃避も出来ず、恐怖して怯えている。
    だが、それは自分には関係のない話だ。
    気にする必要は無い。助ける必要も無い。世話する必要などまるで無い。
    けれど、昔言われたのだ。
    ―――無理はしなくていいよ。でも、女の子には優しくね。と。

    (難しいな、アイリーン)

    レナードは笑う。
    そして言う。

    「もう一度言おう、セリス・ハーネット。―――君は俺を殺せない」

    レナードは微笑と共にそう言った。
    顔には何の苦痛も浮かばず、汗もかかず、ただ平然と、何事も無かったように。
    そして、一歩セリスに近づく。

    「―――ぅッ!」

    セリスの手から空間圧縮弾が放たれる。
    直径300ミリにも及ぶバケモノ弾丸は、それこそ竜すらも粉微塵に吹き飛ばす威力を以ってレナードに襲いかかる。
    だがレナードは何をするでもなく、ただ立っている。微動だにしない。
    そしてレナードに襲いかかった弾丸は、しかしレナードに直撃してもも何の効果も無かった。

    「三度目も言おう。君は俺を殺せない」

    レナードはまた一歩近づく。
    セリスは撃つ。
    直撃する。

    「何度でも言おう。君は俺を殺せない」

    また一歩近づく。
    セリスは撃つ。
    直撃する。

    「そうだ。君が殺せない人間は、今此処に」

    あと3歩の距離を、1歩詰める。
    セリスは撃つ。
    直撃する。

    「君が傷付けられない人間は、今此処に」

    あと2歩の距離を、1歩詰める。
    セリスは撃つ。
    直撃する。

    「君が暴走しても傷付けずに済む人間は、今此処に、確かに存在する」

    最後の一歩を詰める。
    セリスの眼前、一歩を踏み出せば触れられる距離で、セリスは撃つ。
    直撃する。
    また撃つ。撃つ。
    直撃する。
    また撃つ。何度も何度も撃つ。
    完全に、何度も何度も幾度となく確かに直撃する。
    けれど傷一つ付かない。微動だにもしない。

    「―――ぁ」

    セリスの頬に涙が伝う。
    レナードは右腕を真横に突き出す。

    「俺はレナード・シュルツ。君が傷付けずに済む人間だ。覚えておくといい」

    レナードが突き出した腕に、雷が纏う。
    大気を裂くような紫電が、レナードの右腕に絡まり、うねり、弾けるような音を奏でる。

    「おやすみ。セリス・ハーネット」

    レナードは右腕でセリスの頭を撫でる。
    セリスは一瞬ビクッと震えた後、気を失い、静かに倒れこんだ。





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