Release 0シルフェニアRiverside Hole

HOME HELP 新着記事 ツリー表示 スレッド表示 トピック表示 検索 過去ログ

■157 / 7階層)  「Β 静かな日々」F
□投稿者/ 犬 -(2005/02/23(Wed) 23:24:40)






    「………………」

    雪が降りやみ、氷が融け始めた森の中、レナード・シュルツは無言で立っていた。
    見下ろすレナードの視線の先、レナードの足元では、氷海色の髪の姉妹が倒れている。

    ―――君は俺を殺せない。

    セリス・ハーネットに繰り返し告げたその言葉、よく言ったものだとレナードは自嘲する。
    まるで道化だ。
    殺せないなんて嘘八百、彼女が本気を出せば自分など一瞬で殺せる。
    彼女のエーテル量は、ヒトからすれば無限にして無尽、存在規格からして違う。
    それでもなおその言葉を吐くなんて、道化に他ならない。

    しかし、おそらく彼女にはそんな道化が必要だった。安堵が、救いが必要だった。
    トラウマは水に滴った血と同じだ。異物として混入したそれは、どれだけ希薄化しようと消えることは無い。
    そしてトラウマは、自身が立ち向かう以外にその対処法は無い。
    他の誰でもない彼女自身が、ああ大丈夫なのだと、そう思い知ってもらうしかない。

    では、それを成すにはどうすればいいのか。
    言葉だろうか。
    否、根拠の無い言葉はただの音だ。絶対的な力を持つ彼女に届くことはない。
    では、どうすればいいのか。
    見せ付ければいいのだ。
    竜をも消し飛ばせる絶対的な力を持つ君だが、俺には傷一つ付けることさえ出来ないのだと。

    「…………」

    レナードは小さく息をつく。
    この拙い道化芝居でも、幾許かでも彼女の救いになっていればと思いながら。
    そしてアイリーンの言った、優しく、という意味に准じていればと、そう思いながら。

    「さて」

    数瞬の思考の後、レナードは妹のセリスと、そのすぐ傍に倒れている姉のエルリスに視線を移す。
    そして、周囲を見渡す。
    この周囲100メートルほどだけ真冬になったかのように雪に覆われていて、今は多少マシにはなったが、まだ少し寒さを感じる。
    まるで、この周囲だけ別世界なようだ。

    「妹は超過エーテル、姉はコレか」

    成程な、とレナードはうなずき、サンの方へ視線を向ける。

    「サン。ここは寒い、彼女らを暖かい場所へ移そう。手伝ってくれ」

    サンは無言でうなずき、レナードの下に駆け寄って来る。
    レナードはエルリスを、サンはセリスを背に担ぐ。

    「担げるか?」

    レナードはエルリスを軽々と担ぎながら、隣にいるサンに訊く。
    サンは半ば上から覆い被さられるような格好でセリスを担ぎながら、うー、とうなる。

    「なんとか………たぶん、いける」

    「身長差がありすぎるか………」

    サンは、む、と頬を膨らませる。

    「そんなことない。私とこいつ、背丈の差は10センチちょっとだけだ。全く平気。平気ったら平気」

    「そう言うなら良いが。普通、10センチも違えば相当違うんだがな」

    レナードは微笑し、サンの頭を撫でる。

    「それにしても、サンはなかなか身長が伸びないな。初めて会った時は今ほど変わらなかったと思うが」

    「レンが伸び過ぎなんだ。………180なんて高すぎ」

    「サンは偏食過ぎるから伸びないんだ。だから150にも届かない」

    サンは、む、と眉をひそめる。

    「そんなことない。私、レンのご飯はちゃんと全部残さず食べてる」

    「ああ、それもそうだったな」

    レナードは微笑して、サンの頭を撫でる。
    そして振り返り、歩き出す。

    「行こう」

    「うん」

    サンはうなずき、追って歩き出す。
    しかし、ふと立ち止まって首をかしげる。

    「なんか………また、はぐらかされた………?」

    何かすっきりしない感覚を受けながら、サンはレナードを追いかけた。








    ◇ ◇ ◇ ◇








    雪原と化した森の一角からやや離れた場所、木洩れ日がよく当たる場所に、10人の人間がいた。
    レナード・シュルツとサンとハーネット姉妹、マシュー・バンデラス教授とグレゴリー・アイザックスと彼のチーム4人だ。
    ハーネット姉妹とグレゴリーのチームメイトは未だ横になって眠り続けている。

    「ご苦労じゃったな、シュルツ」

    バンデラスはレナードに労いの言葉をかける。
    それに対し、いえ、とレナードは首を振る。

    「それより、サンと俺はチームとの合流時刻が近いので帰らせて貰いますが。宜しいですか?」

    それを聞いてバンデラスは、ふむ、と考え込む。

    「ん〜。引き止める理由もないんじゃが………出来れば2つほど、ついでに頼まれてくれんかの?」

    「すぐ終わる内容ならば」

    「なら頼まれてもらおうかの。先ずは人手の問題での、ハーネット姉妹を連れ帰って貰いたいのじゃが」

    「帰るついでです、それは構いません」

    「良し良し。―――ああ、後でちゃんと全部成績に加点しとくから、そう怖い顔せんでくれんかの、サン」

    「フンだ」

    サンは露骨なまでに悪態ついて、顔をそむける。
    バンデラスは苦笑する。

    「嫌われたの。まぁ使われるのは信頼の証じゃ、名誉として受け取ってくれんか?」

    「やだ。名誉じゃお腹一杯にならない。美味しくもない」

    「ふはは! 確かに、名誉で腹膨れ酔い痴れるはずもないの!」

    バンデラスはおかしそうに笑った。笑い過ぎたせいか、急に背を折ってげほげほと咳き込んだ。
    今のは痛烈な皮肉だ。世の中の名誉を求める人間達への、獣人からのひどい皮肉だった。
    確かに彼女ら獣人から見れば、名誉を得る為に躍起となる人間は酷く滑稽に映るだろう。

    (人間は、獣人がこのような精神性を理解出来ないから知性に劣り野蛮なのだと称するが、はてさて、果たして本当に人間に劣るものかの?)

    ややあって、バンデラスは腹を抱えて顔を上げた。

    「あー苦し、笑い過ぎたの………で、もう1つは」

    バンデラスはある方向を促す。
    レナードがその方向に視線を移すと、ギラギラと目を光らせる金髪オールバックのグレゴリーが見えた。
    レナードは頭に降り積もった雪が融けてびしょ濡れになってるグレゴリーを見て、小さくうなずいた。

    「萎びたデコが見えますが。どうしろと?」

    「シュルツ貴様コラッ! 誰がデコで何が萎びてる!?」

    「訂正。元気なデコが」

    「この、貴様ッ!」

    「いやな、このでこっぱちが先刻お前がやったことがワケ分からんと」

    「誰がでこっぱちですか教授ッ!?」

    「お前だ、デコ」

    「うるさい! この………野生娘ッ!」

    「サン。念のために言っておくが、人の名前をあだ名で覚えないように。デコとか」

    「俺はデコじゃないッ!」

    「じゃあ凹」

    「いいのう、それ」

    「教授! 羨ましがらないでください!」

    グレゴリーはぜーぜーと肩で息をする。
    バンデラスは、やれやれ、といった感じで肩をすくめる。

    「で。まぁ見ての通り血圧の高い小童での。そのくせシャイで自分から聞けんときた」

    「思春期の女の子みたいだな」

    「うあ。ボコ、気持ち悪い」

    「そこッ! いい加減にしろッ!」

    目下血圧上昇中のグレゴリーに対し、レナードは、やれやれ、といった感じで息をつく。
    そしてややあって、つぶやいた。

    「時間が惜しいから簡潔に言うが―――俺にはさして特別とも言えるような能力は無い」

    レナードは肩をすくめ、続ける。

    「おそらくはグレゴリー、君の方が特別な能力を持っているだろうな」

    「嘘を吐けッ!」

    グレゴリーは掴みかからんばかりの形相で、レナードを睨みつける。

    「特別なものはないだと!? ならばなぜ貴様は、あの空間収束の弾丸を無効化出来る!?」

    グレゴリーは忌々しさを微塵も隠さず、叫ぶ。
    能力というのは、誰でも出来るような技術ではない、突出したほぼ個人限定の技術だ。
    それはユナ・アレイヤの極熱然り、ハーネット姉妹の極寒とエーテル然り、ルスラン・B・ゴールドマンの再生力然り、チェチリア・M・ウィンディスの武装隠匿能力然り。
    そして自分、グレゴリー・アイザックス然り。
    学院の学生のそれぞれだけが使えるだろう技術、それこそが能力と呼べるもの。
    誰もが使えるような技術は能力などとは到底呼べず、呼べばその者の底が知れる。
    ならばどうして、こいつは能力が無いなどと吐かすか。
    ―――ふざけている。こいつは。

    「なぜ雷を使う事が出来る!? 答えろ!」

    グレゴリーは彼が忌む者の名を、叫ぶ。

    「レナード・シュルツ!!」







    ◇ ◇ ◇ ◇






    ―――古の昔より、普遍的に存在する魔力の魔法が、最も発達してきた。
    なぜなら、魔法は魔力を必要とするからである。

    そう遠くない昔まで、魔力貯蔵庫たる媒介は、現在とはその意味合いが異なっていた。
    現在の媒介は、自然物として存在しているものから、素となる魔力のみを抽出し、圧縮して留めておくものだ。
    しかし過去の媒介とは、例えば炎ならば松明、水ならば水筒といった、自然物そのものとしての魔力を保持する物を意味していた。
    故に、最も普遍的に存在し、なおかつ利便性に富むものが発達して行くのは当然であった。

    古より変わらず最も存在する魔力は、空気と、土や石を含む鉱物と考えられていた。
    どこにでもあるが故に魔法として利用するには力強さに乏しかったが、どこにでもあるからこそ、その2つの魔法技術は高く発達していった。
    大気を動かし風を生み、火を猛らせ動力を生む技術。土や石を加工し動かし、土木建築に用いる技術。
    人の役に立つそれらは、エーテルの大小よりエーテル技術を糧とし、高く発展していった。

    しかし、約四半世紀前にマシュー・バンデラスはある疑問を投げかけた。
    それは、「本当に風と土こそが、世界に最も存在する魔力なのか?」という問いだった。
    すると世界中の魔科学者は肯定と疑問を以って答えた。「当然だ。それ以外に在ると言うのか?」と。
    マシュー・バンデラスは笑って答えた。「在る」と。
    「微弱ではあるが、世界中の全てに存在し、一度自然現象として猛威を揮えば即死の威力を持つもの」と。
    世界中の科学者は首をかしげた。それこそ地震や台風の類ではないのかと。
    それに、水は陸上においては空気中にしか存在せず、火は燃える物がなければ存在しない。
    あるとすれば光ではあるが、現在では未だ未知のもの過ぎるし、その例に洩れる。他に何があるのかと。
    マシュー・バンデラスは答えた。「それは雷だ」と。

    訝しむ魔科学者達を前にして、マシュー・バンデラスは幾つかの証拠や理論を持ち出した。
    雷といえば落雷と静電気しか知らない彼らに、彼は自身の理論を説明した。
    ”世界の全ての物質には正負に相反する電気が存在し、中和を保つことで安定している”のだと。
    それは例えば、静電気で痛みを感じるのは帯電していたものが放電するからであり、物質によっては簡単にその電気が引き剥がされ、雷となるのだと。
    大気中で落雷が生じるのはそれの気象レベルでの話であると。
    またその「世界の全ての物質に存在する」という事実が「現在より遥かに発達した技術を有していた統一王時代の遺産が、なぜ雷で動くのか?」の解であると。



    それは正解であった。
    認識しなければ無きに等しかったが、一度認識すれば確かに雷は極々微弱ながらどこにでも存在した。
    それはおそらくは、世界中のあらゆるものの中に確かに在ったのだ。
    それを知った魔科学者は驚嘆し、同時に歓喜を得た。
    永年不可解であった統一王文明の動力源の謎が解き明かされ、今こそ統一王文明再臨の時に至るのだと。
    雷を知った我々は、統一王と同じく神の域に至り、城さえも浮遊させることが出来るのだと。
    遥か1000年の時を経て雷を想起した我々は、あらゆる強化を突破し一撃で沈黙させる統一王が雷の御技を、今此処に復活させるのだと。
    魔科学者は統一王文明の再臨を信じ、夢を馳せた。
    しかしながら、雷を知る内に問題が生まれた。

    「雷は個人が扱えるような代物じゃないッ!」

    雷は何処にでも存在する。
    極論、何かが動くだけでも雷は発生するし、人の身体中をも雷が駆け巡っている。
    しかし。
    その雷は極々微弱でありながら、束ねればあまりに強大で至極扱い難かったのだ。
    さらに雷は、最早現代においては誰も知らない領域であった。

    「その通り。細分化すればキリがないほど存在する属性の中、雷だけは別物じゃ。
    魔法の技術は過去より現在に至るまで、数多の偉人の研鑽の積み重ねの上にあるもの。どれほど特異な能力であろうと、魔法であるが故に、等しく全てその上に成り立っておる。
    しかし、雷の技だけは、その基盤ごと完全に全て統一王時代の終焉と共に失われた。
    統一王文明が失われては、雷は個人で扱うにはじゃじゃ馬過ぎる上に何の役にも立たんかったろうからの。
    魔法はあくまで人を助ける技術じゃ。人助けにならん技術が1000年も存続する筈も無し。
    暴走や暴発の危険性を多大に孕んだ、安全性安定性に乏しい雷を扱う者が存在する筈も無し。
    故に、今や誰も扱う術たる構成式を知らず、その暴力的なまでの扱い難さから、近年でも魔科学でしか扱われん」

    マシュー・バンデラスは言う。

    「しかしその魔科学での雷すらも、各国屈指のエリートらが各国家機関で試行錯誤と多大な犠牲を払ってようやく落雷を呼び寄せているか、統一王時代の遺産である発電設備にて魔科学的に雷を発生させ媒介に封じているに過ぎん。
    それを個人で扱うなど、夢のまた夢、それこそやはり統一王が御技じゃ」

    バンデラスは笑う。
    統一王時代でも、効率のロスがあるにも関わらず別動力による発電施設があった。
    それは直接雷を扱うことはなかったという証明であり、故にやはり、よほど扱い難かったということだろう。
    なにせわずかな工程や制御のミスが暴発に繋がり、施術者自身をも蝕み、殺めかねない。
    しかし、それをあえて工程を無視して常時己が技量のみで御するレナード・シュルツのなんと凄まじい事か。

    「答えろ! 貴様はなぜ、雷を扱う事が出来る!?」

    「………ふぅ」

    レナードはため息をついた。そして思う。
    なぜ、と問われても答えに困る。
    自分には真実、特別とも思える能力は無い。
    ルーシャの不死身っぷりや、アデルの武装隠匿能力の方がよほど特別だと思える。
    それにミヤセのように武術を学んだこともないし、サンのように獣人であるわけでもない。
    唯一つというような特別な技巧もないし、セリスのようにエーテルが突き抜けているというわけでもない。
    エルリスやアレイヤのように何かの属性に突出しているわけでもない。
    強いて自分自身に人より優れていると思われることがあるのならば、それは唯一つだけだ。

    「エーテル制御だ」

    レナードはつぶやいた。
    グレゴリーが、なに、と訝しむ。

    「単純な話だ。エーテル制御で雷を操るだけ。他の魔法と何も変わらない。ただ、それだけだ」

    「ふざけるなッ!」

    グレゴリーが怒声を上げる。
    エーテル制御など基本中の基本、むしろ魔法における大前提だ。
    確かに究極的にはエーテル制御ではあるが、それだけで成立するなら個々の能力など存在しない。全ての魔法がその一言で片付けられる。
    グレゴリーが聞きたいのはそれ以外の要因だ。
    誰もその扱い方を知らない雷を、自由に行使できるその要因とは何なのか。
    得意などという漠然としたものではなく、必ず、確たる理由がある筈だ。

    しかしレナードは淡々と告げた。
    それが事実だ、と。

    「おそらく俺は人よりエーテル制御能力が高い。理由があるならそれだけだ。加えて言うなら」

    レナードはバンデラスに視線を送る。
    バンデラスはうなずき、指先に小さな火を発し、手で銃の形を作ってレナードに向けて撃つ。

    「もう1つの」

    レナードは飛んでくる火の方に右手を伸ばし、触れる前に空中でかき消した。

    「これも、エーテル制御によるものだ」

    レナードは伸ばしていた右手を、今度は正面のグレゴリーに向け、その掌を地面に向ける。
    すると、地面から像が、生えるように伸び上がってきた。
    それは羽を広げ膝を抱えて眠る女神像だった。
    さらにはその像の意匠の悉くは精密で、知らない女神ではあったが、博物館にあるような像と差異が無いほどに精巧だった。

    「これも単純な話」

    レナードはまた、淡々と告げる。

    「普通に、誰もがやるのと同じ様に魔力を操って」

    レナードがそう言うと、その像が、頂上から崩れていく。
    それはヒビ割れて崩れ落ちるのでもなく、砂となって崩れ落ちるのでもなく、消滅に近い形で霧散して行く。

    「魔力塊である魔法を破壊しただけだ」

    レナードが力強く、突き出していた掌を握る。
    ゆっくりと消えて行っていた像は、一瞬で、霧のように消え失せた。

    「だが所詮こんなものは曲芸だ、派手に映るかも知れないが実質それほど大したことじゃない」

    レナードは肩で息をつく。
    なぜか、その表情は哀しげだった。

    「以上だ。これ以上の解答は思い付かない。もう時間がギリギリだ、サン、行こう」

    レナードはエルリスを担ぎ、背を向ける。
    サンも同じようにして、セリスを担ぐ。

    「では、教授。失礼します」

    「うむ。気をつけてな」

    レナードはうなずき、サンと共に走り出す。
    それは速く、一瞬で遠くに。
    足場も悪い森の中を、時速40キロ以上という、ヒトの身体における最速機動を超えた速度で。

    「………」

    グレゴリーは眺めていた。
    樹の陰にちらちらと見え隠れし、遠くなって行く後ろ姿を、目を見開いて眺めていた。

    「………」

    何を言うでもなく、眺めていた。

    「………信じられんじゃろう?」

    バンデラスが、グレゴリーに声をかける。
    その視線はもう見えなくなったレナードに向いていた。

    「儂も信じられんかった。あれは軽んじておるが、雷を操り、瞬時に魔法を破壊するなど神憑り的なエーテル制御じゃ。
    儂はこの半世紀の間に多くの才能を見てきたが、それでも、御伽噺の統一王の転生、あるいは生き神かと思うた」

    「………」

    「お前は転入して間もない頃、儂に問うたの。なぜレナード・シュルツを後継に選ぶのかと」

    「………」

    「あれが答えじゃ。魔法の全五法も統括する世の理、天の城たる第六法に最も近い最兇の破壊者にして入神の創造手。考えうる限り、あれ以上の者は存在せん」

    グレゴリーは強く歯軋りする。
    眼は血走り、血管は猛り、鬼の如き表情を浮かべて。






    ―――グレゴリー・アイザックスは西方大陸の出自だった。
    西方大陸は統一王文明終焉の舞台とされており、統一王時代の遺産が数多く出土するが、そのほとんどは荒涼とした荒野と砂漠が続く、厳しい環境の大陸だ。
    統一王文明の終焉と共に焼き尽くされた西方大陸の現在の文明のレベルはお世辞にも立派とは言えず、栄華を極めた文明の名残は潰え、今や魔科学どころか魔法すら浸透していない。
    彼はそこの小さな村落の生まれだった。

    グレゴリーには才能があった。
    幼少の頃から、数少ない魔法を使える大人から魔法を学び、その能力は背丈が伸びるに伴って高く伸びた。
    14歳を越える頃には大陸随一とされる腕前になり、熟練の騎士と相対しても傷一つ負うことはなかった。
    グレゴリーは将来を嘱望され、自身もこの荒廃した大陸を復興させるため、自らを役立てようと望んでいた。

    しかし、そんなある日、グレゴリーは見た。

    それは10メートルにも及ぶ巨大なヒトの形をした金属の塊だった。
    グレゴリーはこんなものが自らの祖国、それも生まれ故郷のすぐ傍に埋まっていたことに驚愕し、同時に興味を持った。
    彼は発掘を行っていた中央大陸の技術者に、この巨大な金属は何なのだと尋ねると、統一王文明の自動機械だと教えられた。
    戦闘を行う為のヒト型の機械で、最盛期に数十機製造された内の、残存する数少ない内の一機なのだと。
    グレゴリーは驚いた。こんなものがこの世に存在していたのかと。
    そして、驚嘆に踊る彼はさらに驚いた。
    その機体が運ばれて行った先は、なぜか丘の上に停まっていた物凄く大きな船で、しかもそれが浮いていたのだから。
    グレゴリーは技術者に再度尋ねた。どうして船が飛ぶのかと。
    技術者は答えた。これは飛行艇と呼ばれるもので、統一王時代の中でも最後の艦船なのだと。

    正直な話、グレゴリーには技術者の言っている言葉の意味が、全く理解出来なかった。
    技術者達は、しかし基本的な理論や運用方法は解明されていても具体的な作動原理は全くと言っていいほど解明されていないと笑っていたが、けれどグレゴリーには簡潔に説明されたそれさえも理解出来なかった。
    グレゴリーは最後に尋ねた。貴方達はどこの国の技術者なのですかと。
    技術者達は誇らしげに答えた。世界最高の技術を保する新興技術国家、ビフロスト連邦の技術者だと。

    グレゴリー・アイザックスは今も思う。
    その日、自分は導に出会ったのだと。

    その後、単身グレゴリーはビフロストへ渡った。
    アレほどのものを見ながら、火が灯らない筈もなく、祖国を想うなら目指さなければならない世界があると知りながら、そのままでいられた筈も無かった。
    彼はビフロストの最高学府である中央魔法学院を目指した。
    彼は祖国では優秀だったが、魔科学の進むビフロストでは幼稚園児にすら劣る事実に愕然としながらも、しかし持ち前の優秀さと勤勉さで2年の歳月をかけてビフロストを学び、中央魔法学院への入学を果たした。
    その入学試験において、彼は次席だった。
    グレゴリーは負けたことに、しかし当時は逆に感嘆を覚えた。
    2年の歳月をかけてひたすらに学び、完璧と思える成果を出したのに、それを上回る者がいた。何とも素晴らしい事だと。
    そして彼は探した。自らを上回る主席、レナード・シュルツを。羨望と期待を込めて。

    ―――そして彼は見つけた。
    その背中を。




    「なぜだ?」

    グレゴリーはつぶやく。

    「なぜ、貴様は………」

    もう姿が見えなくなったレナードを見つめながら、つぶやく。

    「なぜ………」






    ◇ ◇ ◇ ◇








    演習場の森の木陰の下で、マシュー・バンデラスは、青臭いことをのたまっている生徒の後ろ姿を眺めていた。
    彼は眼前の生徒のことを覚えていた。

    1年前に、遥か遠き西方の大陸より転入してきたグレゴリー・アイザックスだ。
    男にしては細身で小柄、金の髪に女のように可愛らしい顔つき、それを隠す為かオールバックというおよそ10代らしからぬ髪型、そして翠の瞳。
    文武に長け、性格は実直で勤勉、真面目すぎる嫌いがあるが向上心と自立心は高い。
    魔法にも優れ、エーテル、制御能力共にかなり上位であり、尚且つ心の芯が揺らがない。
    少々常識外の事態に弱く、ペースを握られると途端に情けなくなるためカリスマ的資質には乏しいが、総評として、優秀、の一言に尽きる。
    2年でここまで這い上がってきた才能を鑑みれば、天才とも呼べるだろう。

    マシュー・バンデラスは、彼、グレゴリー・アイザックスを知っていた。
    けれど知っている素振りを見せなかった。

    「グレゴリー・アイザックス」

    しかし今、彼はその名を呼んだ。
    名を呼ばれたグレゴリーは驚きに眼を見開いて振り返り、呆然とバンデラスの顔を眺めた。

    「なにを間の抜けた顔をしておる?」

    「い、いえ。しかし、今、教授俺の名を………?」

    「何を言っとる、当然覚えておるぞ。グレゴリー・アイザックス。11年生7組出席番号7番」

    バンデラスは、ぽかんと口を開けているグレゴリーを見て苦笑する。

    「まぁ、その辺のことはどうでも良い。………さて、グレゴリー・アイザックス」

    バンデラスは再びその名を呼ぶ。
    呼ばれたグレゴリーは、眼前の老翁を真剣な表情で見据え、その言葉を待つ。

    「魔科学に執心しておるお前は、レナード・シュルツを忌々しく思っておるな?」

    グレゴリーは少し眼を伏せた後、ややあって顔を上げ、静かにうなずいた。

    「しかしお前は、レナード・シュルツに未だ及ばんことを悔やんでおるな?」

    グレゴリーはうなずいた。
    バンデラスは、少しの間考える素振りを見せ、ややあって重々しくうなずき、告げた。

    「では、あえて言おう。レナード・シュルツがおらねば、儂は後継としてグレゴリー・アイザックスを選ぶと」

    グレゴリーは発言の意図を掴めず、眉をひそめて睨むようにバンデラスを見つめる。

    「それは………どういう、意味ですか………ッ!」

    怒声のこもる声を押し殺しながら、平静を装って、しかし猛々しく言う。

    「俺がシュルツに劣るという宣言ですか? それとも勝ちたければ奴を殺してでも排除しろという殺人教唆ですか?」

    バンデラスは、苦笑混じりに笑う。

    「それはちょいと穿ち過ぎじゃの。儂は単に、レナードに見せ付けられたお前があんまり情けなかったから事実を伝えただけじゃ。儂はお前にも注目しとると」

    「………ですが。この場合、意味が無いですよ」

    「拗ねるな、仕方あるまい。レナード・シュルツは特別じゃ。どうあってもあれに勝てる筈も無い」

    グレゴリーは、悔しそうに歯を噛みしめる。
    その様子を見て、バンデラスは尋ねる。

    「ふむ? あれほどのものを見せられても、やはりそれは不満か」

    「当然ですッ………!」

    「くく、諦めの悪い小童じゃのう」

    バンデラスは苦笑し、ゆっくりと空を見上げ、瞼を閉じる。
    折れるも曲がるも知らぬというのは刃の如く、何とも素晴らしきかなと思いながら。

    「バンデラス教授」

    声がして、バンデラスは瞼を開ける。
    綺麗な青空と白雲が見えた。森の中でも感じる風は、春一番だろうか。

    「教授は、エーテル制御は努力に因る割合が高い、と常々仰られています」

    「如何にも」

    バンデラスは空を見たまま答える。
    今は顔を見ず、声だけを聞こうとして。

    「では、シュルツのあれは何だと言うのですか。エーテルは上位にあるというのに、それに反比例どころか累乗したようなあの制御能力。あれは才能ですか? それとも努力の結果ですか?」

    「どちらも否」

    グレゴリーの語気に、強い勢いが付く。

    「では何ですか。才能でも努力でもないのなら、奴が禁忌に触れたからとでもッ!?」

    「………禁忌、か………ふむ」

    バンデラスは苦笑する。

    「面白い事を言う。そうじゃの。禁忌といえば禁忌なのかも知れん」

    「なら教えてください。なぜ、奴はあれほどの制御能力を身に付けられたのか」

    「ほう、禁忌に触れようというのか」

    「それが最終的に最善と判断出来たのならば」

    「踏み止まるつもりはあるわけか」

    「当然です。最終的な目的を見誤っては意味が無いですから」

    「祖国の為か。愛国心じゃの」

    バンデラスは楽しそうに笑う。
    ひたむきなクセに、おそらくは道を違える事は無いグレゴリーを好ましく思う。
    同時に、だからこそあれと相容れないのだろうと思いながら。

    「気が変わった。お前がお前の言うその禁忌とやらに気づいたならば、お前を儂の後継として選ぼう」

    「…………え」

    グレゴリーは言葉の意味が理解出来ず、ぽかんと口を開ける。
    バンデラスはその顔を見て苦笑する。どこか憂愁の色を浮かべながら。

    「前々から考えてはおったのじゃ。確かに、能力から見ればレナードに勝る者はおらん。が、しかし、同時にあれは最も不適格でもあるのじゃ。お前の言う、禁忌とやらのせいでな」

    しかし自身は既に今年で齢75。
    余命幾許かも無く、自身が積み重ねたものを新たに託せる時間は極僅か。
    次第に動かなくなっていく身体、朽ちていく思考、老いていく精神。
    今さら別の者に新たに託そうなどというのはひどく困難な話だ。
    だが、気が変わった。
    今目の前に、ちゃんと才能があるのだから。

    「再度宣して確約すると誓おう。その禁忌に気づいたならば、お前を儂の後継に選ぶと。
    そして問おう、グレゴリー・アイザックス。お前は、レナード・シュルツの禁忌とは何だと考える?」

    バンデラスは告げる。

    「解答から考えた儂と違い、疑問からの推測になるがグレゴリー・アイザックス。お前はおそらく先刻既に、解に繋がる疑問を幾つか得ておる筈。それらを想起し、その疑問を得たのは何故かと考えよ。
    ………さぁグレゴリー・アイザックス。時間は掛かっても構わん。お前は、それは何と考える。
    儂が死ぬまでの間に答えられたならば、儂は儂の人生における最後の誓約を果たそう」

    バンデラスは瞼を閉じ、そして、時を待った。







記事引用 削除キー/

前の記事(元になった記事) 次の記事(この記事の返信)
←「Β 静かな日々」E /犬 →「Β 静かな日々」G /犬
 
上記関連ツリー

Nomal Α Σμαλλ Ωιση / 犬 (04/12/10(Fri) 23:22) #94
Nomal 「Α 今は昔のお話」 / 犬 (04/12/10(Fri) 23:25) #95
Nomal 「Β 静かな日々」@ / 犬 (04/12/30(Thu) 00:07) #106
│└Nomal 「Β 静かな日々」A / 犬 (05/01/01(Sat) 23:58) #109
│  └Nomal 「Β 静かな日々」B / 犬 (05/01/02(Sun) 00:12) #110
│    └Nomal 「Β 静かな日々」C / 犬 (05/01/07(Fri) 18:53) #116
│      └Nomal 「Β 静かな日々」D / 犬 (05/01/08(Sat) 17:59) #117
│        └Nomal 「Β 静かな日々」E / 犬 (05/01/14(Fri) 23:10) #125
│          └Nomal 「Β 静かな日々」F / 犬 (05/02/23(Wed) 23:24) #157 ←Now
│            └Nomal 「Β 静かな日々」G / 犬 (05/03/13(Sun) 17:53) #163
Nomal 「Γ 廻る国の夜@」 / 犬 (05/04/20(Wed) 00:19) #188
  └Nomal 「Γ 廻る国の夜A」 / 犬 (05/04/26(Tue) 00:00) #196

All 上記ツリーを一括表示 / 上記ツリーをトピック表示
 
上記の記事へ返信

Pass/

HOME HELP 新着記事 ツリー表示 スレッド表示 トピック表示 検索 過去ログ

- Child Tree -